第59話 ビドル国を廃国へ
シモンズとレイラを祝福する大宴会の後、件のビドル王国へ入ったフローラ軍。領内を軍団が通過する旨のお伺いに、いいですよって返事を寄こした国だ。
恒例となった詰め所へのクッキー差し入れで、国境警備兵の対応は良かったと三人娘は話していた。馬車に揺られながら、どうして国の治安が悪いのかしらと、首を捻るフローラとグレイデル。
「領民の治安を守るのは兵士じゃなく、各地で組織される自警団だ。そこに何か問題があるんじゃないかな、クラウス」
「その可能性は高いな、シュバイツ。食料調達で町や村へ立ち寄る際、調査する必要があるだろう」
フローラの膝にあるクッキーに手を伸ばしながら、次の買い出しには自分たちも行こうと、頷き合うクラウスとシュバイツ。なら私たちも行きましょうと、フローラがグレイデルを誘う。これは護衛に付く兵士もそれなりに必要だから、けっこうな人数になりそうだ。
自警団は名誉ある職業で、報酬は地域の税収から支払われる。人徳と傭兵並みの戦闘力があれば、領民から慕われる存在のはず。グリジア王国の首都カヌマンで、団長を務めているセデラはその好例であろう。ぱっと見は山賊みたいな格好の男だが、首都の市民からは敬愛されていた。
「場合によっては王城に、殴り込みをかけるようかしら」
「ですからフローラさま、面倒くさいからと端折れば後々もっと面倒くさいことに」
「いやグレイデル、それはアリかもだぞ。なあクラウス」
「シュバイツの言う通りだ、こちらは選帝侯三人に皇族の公爵家がひとり。筋の通らない話であれば、廃国に追い込んでも構わんだろう」
この人たちまでと、顔に手を当てるグレイデル。だが国王の政治に問題があるならば、潰して法王領へ併合した方が領民のためだとクラウスは真顔で言っちゃう。
このビドル王国は本当に小国で、領地面積はヴォルフが治めるアルメン地方とたいして変わらない。国の本部教会と大聖堂はなく、牧師の運営する地域教会が数カ所あるのみ。法王領の隣国だから侵略されにくいってだけで、フローラ軍がその気になれば軽く吹き飛ぶような弱小国である。
後方の兵站部隊から、楽しげな音楽が流れて来た。空いてる荷馬車に乗せてもらった吟遊詩人が、景気づけに演奏を始めたもよう。
精神系の魔法には陰と陽があると、わんこ聖獣は話していた。軍団の兵士らを和ませ、行軍に活力を与えているのだから、これは陽の精神系であろう。特に高齢である古参兵を、スキップさせるほど効果が高い。
「そろそろ一曲、聞かせてもらえんかねフローラ」
「うぐっ、伯父上のいじわるいじわる!」
はにゃんと笑うグレイデルに、俺も聞きたいと言い出すシュバイツ。
四つある楽器からフローラが選んだのは、ライアーハープであった。平たく言えば竪琴で、弦の数が増える程にサイズが大きくなる楽器だ。
スペルを発する都合上、口が使えなくなるフルートは避けなきゃいけない。ギターだと持ち歩くには大きいし、ヴァイオリンは本体の他に弓が必要となる。そんなわけで消去法により、竪琴に決定したわけだ。
この楽器は子供用の五弦から、演奏会用の五十三弦まで種類は幅広い。フローラがお願いだから十六弦にしてと、キリアはせめて十九弦にすればと、すったもんだはあったが十六弦に落ち着いた。持ち運びに不便だからとはもっともらしい理由だが、本音は多弦なんて無理と逃げた大聖女さまである。
当然ながら教えてくれるのはリズ先生で、四苦八苦しながらも様になってきているようだ。大聖女さまが奏でる陰と陽の精神系、はてさてどんな魔法になりますことやら。
「自警団の、なり手がいない?」
「そうなんでごぜえますだ、お嬢さん」
街道沿いにある村で、食料調達を始めたフローラたち。お嬢さんと呼ばれた女装シュバエルが、ミルクを売ってくれた放牧の村人たちにインタビューしていた。
「王さまが何を思ったのか、税収から支払われる給金を二年前に止めたんだべ」
「な……それじゃ自警団はボランティアなのか?」
「んだんだ、ならば傭兵になった方がマシだべと、みんな国外へ出ちまっただ」
「牛泥棒が増えて、俺らは自衛せねばならんです」
「だども武器の扱い方なんて知らねえし、この国には裁いてくれる教会も聖堂騎士もおらんもんで」
それじゃ治安が悪化して当たり前。フローラはシュバエルから、ぷちっという音を聞いたような気がした。もちろん自分も腸が煮えくり返っており、同じく半眼となっているクラウスと視線を交わし合う。キリアと三人娘も、シーフにヴォルフとケバブも、ご冗談をと呆れかえっている。
フローラたちは野営を始めた軍団へ戻り、話し合うため女王テントに集まった。もちろんヨハネス司教と従軍司祭の二人、各隊長たちとマリエラ姫にも同席してもらってだ。
「廃国でよろしいのでは? ねえメアリ」
「妥当かと存じますマリエラさま、自警団が無給などあり得ませんもの」
話を聞いたマリエラ姫とお付きのメアリも、なんですかそれはと憤慨してしまう。このお姫さまはおっとり顔だけど、外交に関しては割りと武闘派のようで。
だが皇帝陛下の了解を得ず、帝国の地図を塗り替えてよいものかと、シモンズもレイラも慎重な意見だ。しかし法王領に併合されれば、裁判も出来るし聖堂騎士が介入できると、隊長たちが口を揃える。
すったもんだで方向性が煮詰まっているテーブルへ、三人娘が栗羊羹と緑茶を並べていく。彼女らだって腹は立つのだけれど、この場では役者に徹していた。うんうん大人の事情が分かってきたわねと、ミリアもリシュルもお姉さまとして誇らしそう。
「いつまでも父上を帰国させてくれない皇帝なんて、私からすればゴミ箱に捨てた紙くず同然なんだけど」
皇帝陛下を紙くず扱いする大聖女さまに、場にいた全員が緑茶を吹き出しそうになった。ただひとりクラウスだけが、やっぱりミハエルの娘だと破顔する。辺境伯なんて爵位なんぞ、フローラはどうでもいいと思っているから致し方ない。
「ビドル王の名はグルゼーだったかしら、ヨハネス司教。これからぶっ叩いて、廃国に追い込むわよ」
「その上で法王領に併合なのですね? 大聖女さま」
「これは侵略じゃなくて世直しよ、みんな。武力を行使してでも、ビドル国の民を私は救いたいの」
そうこなくっちゃと、追加の栗羊羹を切るシュバエルが口角を上げた。綺麗にしかも均等で切り分ける彼女、もとい彼にキリアがほほうと目尻に皺を寄せている。
ならば法王さまに書簡を送りましょうとヨハネスが言い、応じてミリアとリシュルが紙ではなく羊皮紙と封蝋を取り出した。重要な案件には羊皮紙を使う、大陸ではこれがお約束。
事の詳細をヨハネスが綴り、フローラとクラウスにマリエラが、紋章印を押し連名でサインする。大国の君主による紋章印がみっつ、これは迫力があるなと、隊長たちがにやにや。
「シュバエル、あなたも紋章印を出しなさい」
「へ……マリエラさま、今なんて」
「ブロガル国の王子は女装癖がある、そのくらいは私も聞き及んでいるわ」
「いつ気付いたんだ?」
「父の棺を安置した霊安室で、あなたが私の肩に手を置いた時よ。これは男性の手だって、すぐに分かったわ」
あん時から見抜いていたのかと、頭に手をやるシュバエル。メアリも剣術の手ほどきを受ける際に気付いたようで、二人にはすっかりばれていたのだ。フローラとグレイデルが居心地悪そうに、緑茶のお代わりをする。ヴォルフとケバブが視線を交わし、共に肩をすぼめている。
そもそも皇族の公爵家が、ソードスミスなんておかしいわけで。影武者のディアスは戦闘中に胸を触らせてくれた、娼婦シェリーと良い雰囲気になってるし。そりゃバレるよなと隊長たちが、揃って苦笑しちゃう。
「ラーニエの声もどこかで聞いたような、皆さんまだ私に何か隠してません?」
げふんげふんと咳払いするヨハネスと、あちゃあという顔のシモンズにレイラ。だがここまで来れば旅の仲間、フローラは暗殺集団アデブとミーア派のことを、マリエラに包み隠さず話すのであった。
かくして選帝侯三人と、皇族であるシュバイツの紋章印が書簡に押された。それを法王へ届けるため、騎馬隊から選ばれた先触れが出立したのである。このさい皇帝陛下はガン無視、うちらだけでやっちゃうよって内容で。
「あら、マリエラ姫に知られてしまいましたか」
「まさか修道女長のシルビィが、ルビア王国で暗殺集団のまとめ役だったとはね」
自分のテントにシルビィを呼び、向き合って座るマリエラ。娼婦がみんなブーメラン使いだったから、おかしいなとは思っていたのだ。隠していたことに腹は立てておらず、メアリの淹れてくれた紅茶をどうぞと勧める。
「ひとつ聞いて良いかしら、シルビィ」
「なんでしょうか」
「頭目のラーニエと修道女長のシルビィ、どっちが素なの?」
目をぱちくりさせ、腕を組んで考え込んじゃうシルビィ。いやいや考え込むほどのことなのと、尋ねたマリエラの方が焦ってしまう。でもギャップが激しいですよねとメアリが、三人娘からもらったロールケーキをことりと置く。
「あたいとしては、どっちが素ってことはないんだよね」
「ぶっ」
「演じてるわけじゃなく、その場に応じて自然と切り替わるんだ。だからどっちもあたい、そう思ってくれると助かる」
「ぶぶ」
「うふふ、そんなわけで今後ともよろしくお願いいたしますわ、マリエラ姫」
我慢できなくなり、つい笑い出してしまうマリエラとメアリ。コインのようなもので、表と裏があるのだろう。けれどコインはコイン、シルビィはそう言いたいみたいだ。
「マリエラさま、シュバエルが面会を求めておりますが」
テントを守る衛兵の声に、お通ししてと返すマリエラ。中に入ったシュバエルは手に紙包みを持っており、それをメアリに差し出した。
「これは?」
「職人に作ってもらった革製の手甲だ、レイピアで戦うときは装着するといい」
「わあ、ありがとうございます」
あなたも座ったらとマリエラに誘われ、では遠慮なくと席に着くシュバエル。呼び方は今まで通りでいいのかいとラーニエに尋ねられ、シュバエルはそれで頼むと言い切った。
「大聖女さまのレディース・メイド役、このまま続けるつもりなんだ」
「ああ、傍にいて彼女が何をやらかすのか、俺は見届けたいんだよラーニエ」
「それはいいけど、いつになったら口説くんだい」
「ばっ!」
いいかよく聞きなよとラーニエは、真顔で人差し指を立てた。法王領には近隣諸国の代表が駐在しており、フローラが社交界デビューしたら、砂糖に群がる蟻がごとく寄ってくるぞと。確かにそうですわねとマリエラも同意を示し、メアリもうんうん頷いている。
戴冠式までに落とせと、女性三人から責っ付かれてしまったシュバエル。遠くの方でフローラが練習している、竪琴の音が響いていた。




