第50話 出来る事が増えました
テーブルの上に、ちょこーんと乗る双頭のドラゴン。
お名前はヒュドラで、シュタインブルク家の紋章となったモデルさん。他の精霊さんたちよりは大きいけれど、それでも手のひらサイズ。
精霊にとって魔素の無い人間界は、肉体にかかる負担が大きいらしい。そこで小っちゃくなり、省エネモードに入るんだそうで。フローラとグレイデルは精霊さんとお友達になった時から、事情を聞いてるので驚きはしない。二人とファス・メイドの精霊さん達が、ヒュドラにおひさーと挨拶をしている。
食卓を囲む他のみんなは、精霊を視認できないから牛丼セットに夢中。リンゴとポテサラ付き牛丼をもらって頬張るダーシュだけが、強大な力を感じ取り成り行きを見守っていた。これはちょっと、いやそうとうヤバイ存在が来てると。
余談になるが三人娘のダーシュに与える、牛丼やハンバーグにタマネギは入っておりません。ニンニク、タマネギ、ラッキョウ、ニラといったネギ類は、わんこにとって毒だから。
リンゴとバナナは大好きだしオッケー、でもブドウやカンキツ系はだめ。チョコレートなんかもっての外とは、獣医も兼ねるゲオルク先生の談。
人間にとって有効な栄養素でも、犬や猫にとっては毒となる食材がある。フローラ軍に参加したわんこ聖獣、ご飯に関してはゲオルクと三人娘が、ちゃんと考えておりますよっと。
『久しいな、フローラよ』
『急にどうしたの? ヒュドラ』
『ティターニアさまがお呼びだ、グレイデルとそこの三人娘もな』
なんで私までがとグレイデルの顔が引きつる、もちろん獣人化が脳裏を過ったからだ。加えて三人娘もって話になると、さすがにフローラも焦ってしまう。
『ティターニアさまは宮殿の中庭で、酒宴を望んでおられる。酒を含めた食材はこちらで用意しよう、キッチンも自由に使って構わない』
『いやいやいや、そういう問題じゃなくて』
『案ずるな獣人化しないスペルを教えよう、今のフローラならば出来るはずだ。ところで……美味そうなものを食しておるな』
ほっと胸を撫で下ろすフローラとグレイデルに、牛丼セットを所望する双頭のドラゴンさん。はいはいとフローラが、三人娘に追加のオーダーをミニで出しました。
聖女がいれば料理やお菓子が減る、それはみんな薄々気付いている。事ここに至っては三人娘も、グルメな幽霊さんの正体にそりゃ勘付く。
大聖女さまがミニとは言え別途注文したならば、それなりのお客さんが来たってことでして。もはや気にしたら負けだと、みんな無理して平静を装うのである。
「七味はいかがいたしましょう、フュルスティン」
「ひと瓶使っていいわよ、ケイト」
「味噌汁にもかい?」
「表面が真っ赤になるくらいでお願い、シュバエル」
「お、おう」
さてこのヒュドラは頭がふたつあるんだが、どんな風に食べるのだろう。ちなみに向かって右の頭がアモン、左がマモンと固有名詞があるそうで。
フローラとグレイデルが興味津々で見守る中、右のアモンが牛丼に、左のマモンがお味噌汁に、それぞれ頭を突っ込みました。そしてしばらくすると左右が交代、入る胃袋は一緒でもそれぞれが両方味わいたいのね。
『選べる小鉢に、温玉と冷や奴にキムチがあるんだけど』
『全部に決まっておろう、なあマモンよ』
『いかにもアモン、出し惜しみはなしだフローラ』
食欲旺盛な双頭のドラゴンに、はにゃんと笑うフローラとグレイデル。ファス・メイドに全部出してと、二人はハンドサインを送る。はーいと応じる三人娘が、紅ショウガにタクアンも小皿に盛りました。
『あの三人も精霊が見えるようにすると、良いかもしれんなフローラ』
『できるの? アモン』
『ティターニアさまがスペルを教えてくれよう、なあマモン』
『いかにも、最近……とは言っても五百年前だが、精霊女王がスペルを編み出した。ミドガルズオルムも知らない新しい魔法でな、思念で意思の疎通も可能になる』
話を聞いて顔を見合わせる、フローラとグレイデル。
精霊が見え会話の出来る仲間は、多ければ多いほどいい。少なくともいま夕食を共にしている、女王テントのメンバーはそうしたい。シーフにゲオルク、ケバブに聖職者の三人、そしてただのわんこじゃなさそうなダーシュも。
『エレメンタル宮殿での酒宴、いいわよヒュドラ。ただファス・メイドが使う特殊な調理器具とか、持参するものもあるの、明後日でどうかしら』
『分かった、ティターニアさまに伝えておこう、きっとお喜びになる。なあアモン』
『うむうむ。黒胡椒と唐辛子は忘れずになフローラ、宮殿の精霊たちが心待ちにしておる』
三人娘が使う調理器具には、中華鍋や蒸籠といった東方特有の道具がある。フローラが酒宴を明後日にしたのは、その準備をするためだ。
黒胡椒と唐辛子のリクエストは、予測していたから了解とにっこり微笑む。ミドガルズオルムも知らないスペルを教えてもらえるのだ、フローラにしてみればお安いご用なんてもんじゃない。
『ところでここからだと、どうやって精霊界に行けばいいのかしら』
『これはしたり、なあマモンよ』
『全くだな、アモンよ』
『……はい?』
口の周りにご飯粒をいっぱい付けた、呆れ顔のアモンとマモン。グレイデルがナプキンで、ほらほらと拭ってあげている。
フローラは千の軍勢を宙に浮かし、空を駆けさせたのだ。今のお前さんは訪れた事のある場所ならば、念じるだけでテレポーテーション出来るはずとヒュドラは言う。
『ただし座標は適当になるから、転移先は空中にしとけ。地中の岩石に転移してしまったら、何が起きたか分からぬまま即死だからな』
『ご、ご忠告ありがとうアモン』
『それと霊鳥サームルクの飛行速度は、その気になれば音速を遙かに超える。肉体が崩壊しないようシールドを展開してくれるが、鍛冶職人の使うようなゴーグルは持ってた方がいい』
『それも初耳、助かるわマモン』
いつの間にかフローラは、知らないうちにパワーアップしていたのだ。出来る事が高位精霊に近付いていると、アモンがタクアンをぽりぽり、マモンが紅ショウガをはむはむ。そして緑茶をもう一杯と、催促するのであった。
そして翌日、ここは王都にある市場。
葬儀が終わるまで、毎日来ていたキリアと三人娘にシーフの二人。大人買いするのですっかり顔馴染み、あっちこっちからお声がかかる。
「ずっと教会に駐屯して欲しいのですけどね、キリア隊長」
「うふふ、そうもいかないのよ店主さん。ところで黒胡椒、あるだけ売ってもらえるかしら、市民の生活に影響が出ない範囲で」
「そんなに使うなんて、ローレン軍はいったいどんな糧食を?」
「贈答用だから気にしないで」
「は……はあ」
胡椒問屋の店主を煙に巻き、さあ次は唐辛子よと意気揚々の兵站隊長さん。辛ければハバネロもアリよねと、三人娘がぴーちくぱーちく。いやそれはどうなんだと、頭皮の毛穴という毛穴が開いてしまうジャンとヤレル。
王都の自警団とも仲良くなり、買い物では護衛に何名か付いてくれる。茄子科の辛いものでしたらあれはと、教えてくれたのはジョロキアだったりして。王都では毎年ジョロキアの、数食い大会があるんだそうで。
「なんでそんなカオスな祭りを?」
「いやこれが市民に人気なんですよ、ヤレルさん」
「病院に運ばれる選手とか出ないのか?」
「普通に出ますよ、お約束なんですジャンさん」
ルビア王国の首都には変な祭りがあるもんだと、呆れを通り越し笑ってしまうシーフの二人。だが神話伝承に由来する伝統行事だそうで、大切な神事なんですと自警団員は真顔で話す。これはどう考えても精霊さま繋がりだよねと、はにゃんと顔を見合わせる三人娘。
そんなキリア達だが、気が付けば黒ずくめの集団に取り囲まれていた。シーフの二人とキリアが、そして自警団の護衛たちも剣の柄に手を掛ける。
「俺たちに何か用か」
「あんたがジャンだったかしら、大人しく付いてきな。自警団のお前らに用はない、すっこんでろ」
仮面を被ってはいるが意外な事に、頭目と思われる人物は女の声だった。
だがああそうですかと、自警団が引き下がるはずもない。都市の治安を守るのが彼らの仕事、王都で白昼堂々の無法は許さないと半眼を向ける。
「その指輪、暗殺組織アデブか」
「よく知ってるね、あんたがヤレルか。余計な知識は早死にの元になるよ」
「夜陰に乗じた暗殺が、あんた達の常套手段じゃないの。こんな昼間っから、頭がおかしくなったのかい?」
「ご高説ありがとう、キリア隊長。でもそうも言ってられなくなったんでね、意地でもローレンの聖女に会わせてもらうよ」
シーフの二人がおや? と首を捻る。女頭目はフローラの事を、魔女ではなく聖女と呼んだからだ。そもそもこの集団、殺気がまるで感じられない。
「出来ればそこの酒場で、一杯やりながら話したいもんだな」
「ふふっ、気が合うじゃないかヤレル、私も飲みたかった所さ」
「これって何の騒ぎかしら」
空から降ってきた声に、思わず誰もが見上げてしまう。それはゴーグルを着用し霊鳥サームルクの、音速飛行を試していたフローラだった。
グレイデルとレディース・メイドから押し付けられ、しょうがなくスパッツを着用している大聖女。それでもスカートの中が丸見えだから、キリアが顔に手を当て盛大なため息を吐く。このお方にも常に騎乗用ドレスを、義務付けようかしらと。
「とりあえず乾杯といこう、あたいは赤のラーニエ、よろしくなローレンの聖女」
「それって通名なの?」
「まあな、アデブの中では通名で呼び合う決まりなんだ。同じ幹部でも本名を知る者はいないし、顔を見たこともない」
私と会って何を話したかったのと、フローラはストレートに尋ねてみる。酒場のテーブルはラーニエの部下と、集合がかかった自警団員で埋まっており、面倒事はご勘弁とマスターが青くなっている。
「暗殺組織と呼ばれるアデブだが、一枚岩じゃないんだ。信仰を堅持する派と捨ててる派があってな、あたいは信仰を保つ側だ。こう見えて日々の礼拝は、欠かしたこと無いんだぜ」
殺人者が何を言うと、自警団の面々から声が上がる。だがラーニエは気にするようでもなく、ジョッキのエールをぐいぐいと呷る。
「新しい金づるが見つかれば、女を次々捨てていく男。信じていた女は自殺を図り、自殺は他殺と同じだから教会の墓地には埋葬できない。あんたらに、残された家族の気持ちが分かるか?
恐ろしいほどの利息を取る高利貸し、いくら返済しても元本が減らない。世を儚んで一家心中、その後始末をしてるのは自警団だろ。
この世界に極悪人はいくらでもいるよ、でも教会の法典は裁いてくれない。いろんな殺しの依頼があるけどな、あたいが受けるのは殺されたって文句が言えないやつらだ!」
エールのジョッキを、叩き付けるようにテーブルへ置くラーニエ。そんな彼女にフローラは、自分に近いものを感じ取っていた。法は遵守するけれど、必要とあらば武力を行使するスタンスに。
聞けば赤のラーニエと配下は、隠語で仕事人と呼ばれているらしい。メンバーはそれぞれ堅気の仕事を持っており、依頼があった時のみ集まるんだとか。




