第49話 大聖女
道ばたの草木や石ころでも、何かしら意思を持った自然界の一部。特に樹齢何百年ものご神木と、奇岩霊石には神聖な力が宿る。フローラは古文書にある一節を、何故か思い出していた。どうして頭に浮かんだのか、それはよく分からない。
「神と精霊の御名に於いて、殉教の国王と司教に安らかな眠りを。
二人はもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、どんな炎熱にも苦しめられる事はありません。なぜならば聖なる魂の運び手が彼らの牧者となり、生命の泉へと導いてくださるからです」
ヨハネス司教が棺の前で、死者への祈りを捧げていた。
ここは王都のすぐ近く、巨木が立ち並ぶ森の中。ぽっかりと空いたギャップに、歴代の王と司教の墓標が並んでいる。フローラの意識が古文書に向いたのは、そのせいかも知れない。
マリエラと母マチルダは、黒いドレスに黒いベールで喪に服している。ナース・メイドの抱っこしている赤ちゃんが、マリエラの妹なんだろう。
城の使用人と自警団長も含めた、王都の顔役たちが帽子を脱ぎ頭を垂れていた。ジョシュア候が愛された王だったことは、彼らの表情と流す涙で分かる。
「ジャンさま、棺を埋める前に墓標が立てられましたけど」
「地下に玄室があって、棺はそこに安置するんだよケイト」
そうなんだと、納得顔の三人娘。ミン王国では偉人でも、そのまま土に埋葬するので戸惑ったようだ。国が変われば埋葬方法も違うからなと、墓荒らしが得意なシーフの二人は頷き合う。
この世界に於いて死は全ての終わりではなく、生まれ変わる始まりだと法典には記されている。新たな千年王国の住人となるべく、魂はいったん天に召され時を待つのだと。
ゆえに死は悲しむよりも喜ばしいことで、誰もご愁傷様ですとか、お悔やみ申し上げますとか言ったりはしない。転生したら縁を結んだ素晴らしきお方に、来世で再び巡り会えますようにと祈るのだ。
縁が深ければ深いほど親兄弟や恩師、恋人に友人といった、近しい間柄になるとされる。それが法典に綴られた、輪廻転生を繰り返す生死の理。
「ジョシュア候とお話ししてみたかったな、ジュリア」
「どんな王さまだったのかしらね、ミューレ」
「でも私たちだって、こうして縁を結んだわ」
ケイトが胸の前で手を組み来世で会ったら、美味しいご飯を食べさせてあげたいねって。ミューレとジュリアもそうだねと、手を組み祈りを捧げる。
赤子として生まれ変わるのだから、前世の記憶などありはしない。けれど肉をまとっていたとき身に付けた技術は、才能として魂に引き継がれる。善行と悪行も同じく引き継がれ、生まれ変わる転生先の環境はおおよそ予測できるのだ。
全ては因果応報、底辺で死んだ者は生まれ変わっても底辺。悪行を重ね死罪となった魂が、高貴で裕福な家柄に生まれるなんて事はない。持って生まれた不幸となる原因を、前世でやらかしたのだから。
生きている間いかに自分自身を高め、いかに魂を磨くべきか。その指針が法典であり、この世界に於ける正しい信仰と言えよう。
ヨハネス司教の説話が終わり、棺が玄室へ運ばれようとしたその時だった!
ダーシュが吠え始め、シーフの二人とメアリが青ざめた。フローラとグレイデルも波動を感じ、地響きがし始める。周囲を警戒していたフローラ軍の兵士たちが、またあいつかと武器を構え直す。危険を感じたのか次々と、森の小鳥たちが空へ飛び立っていった。
おいでなすったのはそう、ひとつ目の巨人キュクロプス。事前の申し合わせ通り参列者と非戦闘員が、階段を駆け降り玄室へ避難していく。
困ったことがあるとすれば二つ、ここは森の中で火炎魔法が使えないこと、木々の枝葉が邪魔して弓矢を放ちにくいこと。だがこちらも大木の幹に身を隠し、攻撃のチャンスをうかがえる。双方にとって地形の有利不利は、どっちもどっちだ。
「避難しなくて良かったのか? メアリ」
「私も青の使い手、お手伝いしますジャンさま」
「よく言った、ヤレル始めるぞ」
「おう、せーの」
既に青のルキアで全集中はしていたのだろう、三人は地面に手を当て同時に「ディフェンスシールド!」とスペルを発した。神聖な場所を守るための結界で、墓標が並ぶギャップの上に淡く光るドームが現れた。これはルキアのランクが高いほど、発動人数が多いほど強固になる。
「ジャン、巨人の棍棒に何回耐えられそう?」
「十回がいいところでしょうフュルスティン、あまり期待しないで下さい」
充分よと返したものの周囲は、数百年に渡り人間の営みを見守ってきた大木だ。傷付けたくない思いが、フローラの中にはあった。ならば火と風はだめで、水と地で有効打はと考える。
『フローラよ、地形を味方に付けよ』
『ミドガルズオルム、起きてたんだ』
『清らかな魂の葬送が始まった時からな』
お前さんさっき頭の中で自然界の摂理を、諳んじたではないかと古代竜は笑う。ご神木と奇岩霊石には神聖な力が宿る、遠慮無くその力を借りれば良いと。
「総員ギャップへ退避!!」
既にドンパチが始まっている中、指揮官による突然の退避命令。まさかと目を丸くする、フローラ軍の兵士たち。しかし命令は命令、大聖女さまにはお考えがあるのだろうと、ギャップへ後退を始めた。
ちなみに直系の女王という意味で、仲間内ではフローラを大聖女と表現するようになっていた。言い出しっぺは他界したオイゲン司祭だが、グレイデルとその母パーメイラも聖女だし、三人娘もある意味で聖女だからだ。
「この地を見守りしご神木に願い奉たてまつる、我が名はフローラ・エリザベート・フォン・シュタインブルク。英霊の眠る墓所を踏みにじらんとする、外道に自然界の摂理を示し給え」
防御結界は味方であれば中へ入れるが、兵士たちが墓所へ集合したため棍棒が既に三回振り下ろされた。その度にドームの淡い光が薄れていき、ルビア教会もカマキリの群れで破られたんだと肝が冷える思いだ。
だがフローラの詠唱が始まった途端、周囲の樹木がざわつき出していた。風もないのに木々の枝葉が激しく揺れ、まるで嵐が来ているようではないか。
「動き出せ! トゥリーマインド!!」
ご神木が太い幹の表面に人面を現し、大地へ深く張っていた根を持ち上げ動き出した。神聖なる大樹はキュクロプスを取り囲み数の力で押し倒し、単眼に枝を打ち付け目を潰す。
そして折り重なるように巨体の上へ乗り、キュクロプスの動きを封じたのだ。その光景は圧巻で、誰もが天にも届くような大木の助っ人に安堵感を抱く。
「シーフ養成学校の男子寄宿舎でな、ジャン」
「寝てる鼻持ちならないクラスメートの上に、布団を何枚も重ねてな、ヤレル」
「みんなで上に乗っかって、協調性を問い質ただしたのが懐かしい」
「そうそう、作戦名は『子亀の上に子亀をいっぱい乗せて』だった」
「男子って、そんなしょうもない事するんですね。しかも作戦名、長すぎません?」
「そこが良いんだよメアリ、なあジャン」
「うんうん、体も心も傷付けないで、遊びを通しみんなで話し合う。女子の場合は違うのかい?」
「それを出来る男子が羨ましいです。お城にはぶん殴ってやりたい腹黒の駄メイド、普通にいますから」
三人がそんな話しをしている間にも、新たなご神木が巨人にどんどん積み重なっていく。やがてその重量に耐えられなくなったのか、あちこちの骨が折れる乾いた音が木々にこだまする。断末魔の悲鳴を上げながら、キュクロプスは灰へと滅して行くのだった。
『ご神木さん、ちゃんと元いた定位置に戻るんだ。ミドガルズオルムの地形を味方に付けるって、こういう事なのね』
『これを応用すれば、岩石でストーンゴーレム、重金属でメタルゴーレム、川や泉でミズチ、肥沃な大地でノズチを味方に付けることが出来るだろう』
『グレイデルも、出来るようになるかしら』
『四属性の合わせ技だ、友人となった精霊との親密度が上がれば可能。それでは眠らせてもらうとしよう、お休みフローラ』
どうして古代竜の魂が、私を寝床と称し宿るのか。不思議に思っていたことを、フローラは聞きそびれてしまった。いつかは話してもらわなきゃと、大聖女は軍団に撤収を命じるのであった。
――ここは精霊界エレメンタル宮殿の、中庭にあるベンチ。
「やはり霊鳥サームルクの魔力を、ミドガルズオルムはフローラに直接流しているね、ティターニア」
「体力と精神力を消耗し眠りへと、落ちないようにしているわオベロン」
でもそれだけじゃないと、精霊女王は水晶に手をかざし映像を切った。グレイデルと三人娘にも、魔力の糸を繋げ睡魔の度合いを軽減させていると。
「悪しき信仰に囚われいいように扱われ、自分の意思とは関係なく魂が汚れてしまった。高位精霊として輪廻転生するためには、その汚れを浄化しなきゃいけないわ」
だから千年王国を実現しうるフローラに宿り、助力することで自らを磨いているんだねと、オベロンは黒胡椒をぽりぽり。そのようねと、ティターニアも唐辛子をはむはむ。
「ところで黒胡椒も唐辛子も、そろそろ無くなりそうだよティターニア」
「重大問題ね、フローラを強制召喚するようかしら」
控えている精霊さん達が、そうですそうですそうしましょうと、みんな首を縦にぶんぶん振っている。こんな所が天秤の中立で法にも力にも偏らない、精霊のあっけらかん体質なのかも。
「この際だからグレイデルと三人娘も、一緒に呼ぼうかしら。ここで酒宴を開いて貰えたら嬉しい、オベロンもそう思わない?」
「でも獣人化しちゃうよティターニア、それは可哀想じゃ」
「分かっているわよ、ヒュドラ、お願いしていいかしら」
お付きである双頭のドラゴンが、仰せのままにと翼を広げ飛び立って行った。
異界にある魔素こそが、スペルを実行する魔力の源だ。まるで光合成をするかのように、異界の植物は魔素を放出している。これは天界も冥界も一緒で、目には見えないが空気中に含まれ存在している。
精霊さん達は人間界にいても魔力の糸を異界へ繋げており、魔力が尽きるなんてことは事実上ない。その魔力を触媒として通すから睡魔に襲われ、人間が魔法を行使する上限というかキャパが決まってしまうわけで。
ミドガルズオルムは眠りながらも、触媒ではなく直通となるよう、魔力の橋渡し役になっているのだ。就寝中だから完全ではないけれど、聖女たちの弱点をカバーしてくれている。
「あんな大技を使ったのに、元気はつらつですねフローラさま」
「ちょっと眠いくらいかな、グレイデル。んふう、この牛丼おいしい、お代わりちょうだい温玉のせで」
七味たっぷりでよろしいのですねと一応は聞くミューレに、もちろんどんとこいの大聖女さま。私は温玉なしのつゆだくで七味と紅ショウガに小口ネギをマシマシと、こちらは玄人指向なグレイデル。ウェディングドレスの寸法が気になるのか、キリアがはらはらしているよ。
それでも楽しい夕食に、クラウスもマリエラも隊長たちも、スプーンをわしわし動かし笑みが止まらない。給仕の仕事が面白くなってきたのか、シュバイツが油揚げのおみそ汁を椀に盛る。置いた相手は冷や汗だらだらの、女王テントに呼ばれてしまった影武者ディアス。
でも誰も知らない、双頭のドラゴンが野営地に接近していることなんて。




