第45話 完璧な女装
ここはルビア王国内の野営地。
日が登れば行軍を始めるところなんだが、フローラ軍はそのまま留まっていた。移動できない事情が生じたからで、兵士らは撤収の準備だけを進めている。
「どうして俺がこんな真似しなきゃいけないんだ、フローラ」
「あら、シュバイツの事だから喜ぶかと思ったのに」
「まあ……嫌いじゃないけど」
「動きなさんな、シュバイツ」
キリアに頭をがっちり押さえられ、シュバイツがはいはいと目を閉じた。実はレディース・メイドから、メイクを施されているのだ。
お茶の準備をしている三人娘はと言えば、口元をひくつかせながらも役者に徹していた。彼女らにこれも練習よと、グレイデルがにっこり微笑んでいる。
「王城での歓待はご遠慮しますと、丁重に伝えたんだけどね。そしたら使いの者が来て、せめてお茶会でもって引かなくて」
「それで、場所はどこでやるんだよ」
「狩りの時に使うお屋敷が、このすぐ近くにあるそうよ」
「ルビア王が来るのか?」
「ううん、名代でマリエラ姫がもう待ってるみたい」
他国の姫君がいるお屋敷を、千の軍勢で取り囲む訳にはいかない。それでこの場所に軍団を待機させ、少数の護衛で向かうことになるのだ。お茶会で主人の後ろに立てる護衛武官は二名、それが大陸の常識だから頭が痛い。
そこでシュバイツを、レディース・メイドに仕立てようって寸法なのだ。発案者はもちろん、彼の頭を押さえている兵站隊長さん。武器を何でも扱えるからダガーを持たせる、これがほんとの懐刀とか言っちゃって。
「襲撃はなかったが、今まで街道に仕掛けられた罠は六カ所だぞ」
「そうね、怪しい匂いがぷんぷんするわね」
「それで俺はお茶会で、何をしてればいい。声を出したら男ってバレるし」
「ボイスチェンジ」
「へ? え? ええ!」
フローラの風魔法でなんとシュバイツ、声変わり前のボーイソプラノになっちゃった。グレイデルが賛美歌を歌わせたら様になるかもと言い出し、三人娘が聞きたいですとおねだりしちゃう。いいぜ歌ってやるぜと受けちゃうあたり、シュバイツもシュバイツであるが。
女王テントの外ではヴォルフが、ケバブからスローイングナイフを見せてもらっていた。平たく言えば投げナイフのことで、シーフや軽装兵は何丁かベルトに仕込んでいる。
ヴォルフは騎士だが、ひとつくらい所持しておこうかと考えてるようだ。そこへディアスがやって来て、自分の打った投げナイフをヴォルフに差し出した。
「ケバブの打ったやつと違いが分かりますか、ヴォルフさま」
「刃の艶がまるで違う、ただの鋼ではないな」
そうなんですよと、しょんぼりしちゃうディアス。どんな素材を使っているのか、ケバブは教えてくれないと今にも泣き出しそう。
ソードスミスなら研究と改良を重ねろよと、当のケバブはホットドックをもーぐもぐ。その彼があろうことか、椅子代わりにしていた岩石に両方のナイフを打ち付けたのだ。
「おいケバブ、せっかくのナイフを」
「あわわわ、何てことを」
「よく見比べて下さいヴォルフさま、ディアスも」
言われて比較してみると、ディアスのナイフは刃こぼれが酷く、ケバブのナイフは刃に全く損傷がない。これが素材の違いなのかと、驚きを隠せず顔を見合わせる。
「そうだな、ヒントをあげるよディアス。フュルスティンとグレイデルさまは川や湖があると、よく釣りをするだろ」
「釣りが剣を打つのに、何の関係があると」
「まあ聞けよ、お願いして釣り針を見せて貰ったんだ。アウグスタ城で貨幣を鋳造する、お抱え職人が片手間に作ってるらしい」
「釣り針?」
「口が硬い魚でも、確実に刺さる針先の鋭さ。そしてでかい魚がかかっても、折れない粘り強さっていうのかな。全く同じではないけど、俺が剣に使う素材と配合比率に近いと思うぜ」
質問は無しこれ以上はノーコメント。そう言ってケバブは指に付いた、ホットドッグのケチャップをぺろっと舐めた。
目の色を変え女王テントに突撃しようとする、ディアスの首根っこを待てとヴォルフが掴む。着替えなど立ち入り禁止の際に使う、赤い小旗が掲げられているからだ。
切れ味を追求すれば強度が下がり、強度を追求すればナマクラになる。ディアスだってソードスミス、両立させる試行錯誤は重ねていた。まさかお城で貨幣を鋳造する職人が、釣り針に応用しているとは想定外の遙か斜め上。遊び心これ大事、それこそが発明の母と言えよう。
「この曲、賛美歌第二編百六十七番だ。綺麗な声だけど誰が歌ってるんだろう」
「フュルスティンやグレイデル殿の歌声ではないな、ディアスは分かるか?」
「いや、メイドのお嬢さん達とも違いますよ、ヴォルフさま」
カンカカンカーン音頭が流行っちゃって、女子がみんな歌うから声は把握しているのだ。キリア隊長のはずもなく、三人は揃って首を捻る。だが心に染み入る歌声で、兵站部隊の誰もが手を止め耳を傾けていた。
「まさかシュバイツさまとは、思いもしませんでした」
「ふふん、中々のもんだったろケバブ」
お前から見て今の俺はどう見えると、その場でくるりと回る女装男子。上背はあるけれど、貴族令嬢として立派に通用しそう。平然としているのはケバブだけで、周囲のみんなは石像と化しているが。
「今すぐお嫁に行けそうですね」
「うはは、それ最高の褒め言葉な」
ゲルハルトとヴォルフを含む、騎馬隊員が十名。
女王馬車にはフローラとグレイデルにクラウス、加えてダーシュ。
メイド馬車にはレディース・メイドと、完全女装のシュバイツ。
他に馬車がもう一台、クラウスの護衛武官とシーフの二人にケバブだ。
お屋敷に到着すると正門で執事やメイドがずらりと並び、マリエラ姫がようこそと出迎えた。年の頃は十七だろうか、帝国では珍しいレッドヘッドの美人さん。
精霊さん達は何も言わないし、ダーシュも静かである。どうやら姫と使用人に、変な呪詛はかけられていないみたいだ。
「ブロガル王国の王子さまは、いらっしゃらないのですか? フローラさま」
「風邪をお召しになって、感染すと申し訳ないからって。マリエラさまにはよろしくお伝えくださいと、言付かって参りました」
それは残念ですと言いながら、彼女は地面に視線を落とした。犬も行軍に加えているのですかと、不思議そうな顔をしている。
「ローレン軍は軍用犬に採用しているのですよ、マリエラ殿。ヘルマン王国でも取り入れようかと、私も考えております」
「まあ、そうなんですのクラウス候。これは父上に進言しなくては」
あなたには腸詰めをあげましょうと、しゃがんでダーシュの顎を撫でるマリエラ。初対面でも犬が喜ぶスキンシップの仕方を、姫君は心得ているようだ。この人ならいいかと、フローラとグレイデルは頷き合い仮面を外した。
客間に案内され、それぞれがテーブルの席に着く。フローラの後ろにゲルハルトとヴォルフが、グレイデルの後ろにジャンとヤレルが、クラウスの後ろに武官二人が、各自護衛に立つ。
ミリアとリシュル、そしてシュバイツは、壁際に控え場の空気と流れを見守っていた。他は屋敷の外でルビア衛兵と共に、周囲へ警戒の目を光らせている。ケバブとダーシュが、もらった腸詰めをもぐもぐしている以外は。
「お毒味しましょうか」
ティースタンドを置いたメイドに、その必要はありませんと微笑むフローラにグレイデル。毒が盛られていれば精霊さん達が、食べるな危険と教えてくれるから。
もっとも乗ってるお菓子が宮廷向けの、ちょー甘ったるそうなのばっかり。戻ったら三人娘からお漬物をもらおうと、へにゃりと笑うクラウスである。
だがこのお毒味不要の宣言は、マリエラと使用人たちに衝撃を与えたようだ。いやいや本当によろしいのですかと、向こうが慌てふためいちゃってるよ。何かあるのかねと、クラウスがティーカップの紅茶をすする。
「実は父がここのところ、教会に引き籠もっておりまして」
「国主であるジョシュア候が? どうしてまた教会に」
表情を強張らせるクラウスと、眉をひそめ顔を見合わせるフローラとグレイデル。後ろに立つ護衛たちも、壁際に控えるレディース・メイドにシュバイツも、ピンと糸を張り詰めたような緊張感に包まれた。
「短い期間で毒味役が二名、天に召されました。執事やメイドが半狂乱となり、城内で刃物を振り回したことも。王城では身の置き所が無く、父は教会に助けを求めたのです」
ルビア王国は皇族の血筋ではないから、外様って意味じゃフローラともクラウスとも立場は同じ。製紙と綿に絹の一大生産国で、選帝侯であることも共通点と言える。
ジョシュア候を含め、選帝侯の命が狙われている。それでほぼ間違いなさそうだと、フローラ達は目線を交わし合う。
「それでお茶会を開いてでも、私たちとコンタクトを取りたかったのね」
「その通りです、フローラさま。と言いますか、私も行軍に加えて頂きたいのです。これは父からの要望でもあり、ローレンの聖女におすがりするしかないと」
「……はい?」
「私は見ての通り赤毛のレッドヘット。それが幸いして、人質交換の対象にはなりませんでした。しかしルビア王国での王位継承権は第一位、父がもし他界すれば私が選帝侯なのです」
シュバイツがなるほどと、目を細めくすりと笑った。ブロガル王国の次期王候補だから、自分の立場と重なったのだろう。両脇のミリアとリシュルから顔に出すなと、肘鉄をくらってしまったが。
信仰心と人徳に問題がなければ、法王庁が世襲を認めるこの世界。シュバイツもマリエラも、法王がうんと認めれば国主になれる立ち位置にいる。よくよく考えてみればこのお屋敷には、帝国の重要人物が集合していることになるわけで。
「つまりジョシュア候は後継者の身の安全を図るため、愛娘をフローラ軍に預けようと思い付いた。そういうことかね? マリエラ殿」
「その通りです、クラウス候。法王庁で保護してもらえれば、誰もおいそれとは手出しできませんでしょう。勝手なお願いで申し訳ないのですが……」
その時――。
外にいるダーシュが猛烈に吠えだした! 即座に剣の柄へ手を添える護衛たち。ガラス窓がかたかたと震え出し、ティーカップの紅茶がさざ波立つ。
何が起きているのかと、窓に駆け寄るマリエラお付きのメイドと執事たち。窓際へ行くなと叫ぶジャンとヤレル、そして剣を抜くヴォルフとゲルハルト。
その窓にびしゃっと血しぶきがかかり、見えていた景色が深紅に覆われる。そして切り刻まれたルビア衛兵が、ガラスも窓枠も破り室内へ吹き飛んで来たのだ。これは致命傷、回復魔法は間に合いそうもない。
フローラとグレイデルが扇を抜いて開き、呆けていたクラウスとマリエラの護衛武官も剣を抜く。シュバイツがミリアとリシュルに、しゃがんでいろとボーイソプラノで怒声を上げた。




