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辺境伯令嬢フローラ 精霊に愛された女の子  作者: 加藤汐郎
第2部 ローレンの聖女
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第42話 墓守のダーシュ

 野営地のすぐ近くに小高い丘があり、そこにひとつの墓標が立っていた。その前にうずくまる彼は、主人の顔を覚えていないし思い出せない。自身もとうの昔に天寿を全うしているはずなのに、なぜか老いることなく山野を駆け巡っている。


 それにしても朝に感じた波動、あれは邪悪なものであったと彼は思い起こす。嫌な予感は的中し、一つ目の巨人が現れ、主人が眠るこの地を荒らしたのだ。腹立たしくもあるが、天空に現れた御印みしるしは神聖なものであった。

 彼は考える、多くの兵士が巨人と勇敢に戦っていた。もしかしたらあの中に生死の輪から外れた、自分を導いてくれるお方がいるかもと。

 いやまさかな、そんな人間がいたら苦労はしない。そう言って自嘲気味に笑う、彼の鋭い聴覚が人の足音を捉えた。


「墓の前に黒い塊があるから、何だと思ったら犬か。へえー犬にしてはずいぶんでっかいな、お前」


 話しかけられたのは久しぶりなのか、彼は顔を上げそちらに視線を向けた。はて最近の人間は、男も女の格好をするのかと首を捻る。だが悪意は感じられず、墓標に向かい胸の前で十字を切る若者に見入った。


「このわんこを飼っていた人の墓かな」

『そうだ』

「へ? 犬が……しゃべった」


 さて若者はどうするだろうかと、彼は身構え出方を待つ。

 思念で人間と会話が出来るようのなったのが、いつからなのかも覚えていない。だがそのせいで近隣住民からは、魔物だと忌み嫌われている。こいつもその類いであるならば、目障りだから追い払いたいのだ。 


「俺の名はシュバイツ、燻製肉があるけど食うか?」


 逃げるのでもなく、腰に下げた剣を抜くでもなく、地面に胡座をかき鞄を開くシュバイツ。予想外の行動に彼は、俺が怖くないのかと思念を送ってみる。


「死んだ主人の墓守をしているなら、忠犬ってことだろ。太古の昔から犬は人間の友だちさ、ほら食えよ」


 誰かから食べ物をもらうのも久しぶり、彼はちぎって差し出された燻製肉を、ついくわえてしまう。人が手をかけた食べ物は何故か美味しく、主人と過ごした楽しい日々が脳裏を過る。


「名前はなんてんだい」

『生前の主人は、俺にダーシュと名付けてくれた。ところでそれは何だ』


 シュバイツが墓にお供えしたもの、それは甘納豆だったりして。これも美味いんだぜと笑う彼に、ふうんとダーシュは耳を後ろに倒した。犬がリラックスしている時の仕草で、どうやら彼は警戒を解いたようだ。


『そいつはお前が悪い』

「ダーシュもヴォルフと同じこと言うんだな」

『お花を摘みに行く、それ即ちお手洗いに行くってことだ。そこに男がひょこひょこ付いてってどうする、変態と思われるぞこの阿呆が』


 このわんこ、意外と辛辣である。

 相談しちゃうシュバイツもどうかと思うが、でも女装の王候補は気付いていた。痛み具合と風化の度合いから、墓が少なくとも百年以上は経っていることに。


 飼い主への想いが強かった猫や犬は、動物の域を超越することがある。教会に残る古い伝承だがそんな話を、シュバイツに語って聞かせたのは老いた聖堂騎士だった。主人に先立たれた場合は特にと教えられ、彼はそれを信じていた。

 武術を身に付けようと一念発起したシュバイツは、教えを請うため教会を日参したのである。信仰心が厚いのも色んな武器を扱えるのも、彼が複数の老いた聖堂騎士を師匠に持ったから。


「シュバイツさま、その犬は?」

「あそこの丘で拾ったんだ、ケバブ」


 フローラとグレイデルにメイド達が、わんこだわんこだと集まって来ました。目には見えないがダーシュは、自分に近い存在がいることを肌で感じ取る。単体ではなくけっこうな数で、この娘たちに寄り添っていると気付く。そしてフローラには、強大な力が宿っている事にも。


「鼻の両脇から伸びてる毛が、まるでお髭みたいねグレイデル」

「体高のある大型犬ですね、フローラさま。シープドッグ(牧羊犬)でしょうか」

「毛が伸びる品種なのかしら、最初は毛むくじゃらで犬だと思えなかったわミリア」

「あちこち毛玉ができちゃってるわね、リシュル」


 三人娘がトリミングしたいと言い出し、わいきゃいはしゃぐ。あらわんこねとキリアもやって来て、バリカンとハサミを用意しましょうと微笑んだ。なんやかんや言って、みんな犬や猫が好きである。


「この犬どうするの? シュバイツ」

「ダーシュは墓守してたんだ、フローラ。旅は道連れ世は情けって言うだろ、こいつも法王領へ連れて行こうと思ってさ」


 どうして犬の名前を知ってるのかしらと、不思議に思うフローラ。

 まあ犬が一匹増えたところで、軍団に影響は芥子粒ほどもない。兵站糧食チームの面々もダーシュに目を細めており、ジャンとヤレルが野営では番犬にいいかもと頷き合っている。


「帰りもここを通るんだから、それまでの旅仲間ってことで」

「いいわよ、ちゃんと面倒は見てあげてね」

「もちろんだ。それよりさ、その……」

「なに? 言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ」

「俺は姉さんも妹もいなくて」

「うん」

「隠居した祖父さんの離宮でずっと暮らしてて」

「うんうん」

「女性のことがよく分からない、だからその、なんか今まで色々ごめん。でも俺は俺なんだ、この性格は変えられない」

「……そう」


 そんな会話を耳にしながら、ダーシュはうとうとしていた。助言した通りシュバイツは、自分の気持ちを正直に話した。さとい女性ならば理解してくれるはず、俺の主人はそうだったと重いまぶたを閉じる。

 櫛が体を撫でていくと気持ちが良い。彼の主人だった女性は羊飼いで、春になると羊毛を得るため毛刈りを行なうのが年中行事だった。その時ダーシュはおいでと呼ばれるのだ、お前もトリミングしてあげるからと。

 キリアと三人娘に身を委ね、ダーシュは幸せだった日々を思い出す。青い空と草原を吹き渡る風、草を食む羊と優しい羊飼いの主人。何もかもが満ち足りていて、生を謳歌していたあの時代を。


「寝ちゃいましたね、キリアさま」

「トリミングしてあげると、犬はよく寝てしまうのよケイト」


 晩ご飯は何を食べさせてあげようかしらと、むふんと笑いわんこの顔を覗き込む女性たち。そこにゲオルク先生がやってきて、唇をずらし口内の状態を調べ始めた。歯と歯茎を見れば、おおよその年齢が分かるからだ。実は従軍外傷医さん、軍馬の面倒も見るから獣医の知識もあったりして。


「何歳でしょう、ゲオルク先生」

「人間で言えば二十歳くらいでしょうかね、キリア殿。肌の艶もいいし健康体だ、それにしても筋肉がすごいな、どんな生活をしていたのやら」

「今夜はマグロ丼なのですが、食べさせても大丈夫でしょうか、ゲオルク先生」

「犬に青魚は大丈夫だよ、ミューレ。お米も与えすぎなきゃ問題ないが、辛いものやニンニクみたいな刺激物は避けるように」


 はーいと声を揃え、くーすかぴーのダーシュに頬を緩める三人娘。巨人騒ぎで朝食と昼食がやっつけご飯だったから、夕食は豪勢にしたかったらしい。


 行事用テントで糧食チームが、先日仕入れたビンチョウマグロを並べていく。大型魚は冷凍のままノコギリで解体した方が早いんだけど、そこで登場しますのはフローラとグレイデル。風属性の力で頭を落とし、背身と腹身にすぱすぱ切っていく。

 解凍は七割程度に留め、芯は凍ったままにするのが上手なやり方。刺身にしたとき角が立ち、スジに沿ってばらばらにならないからだ。


「どうしようかしら、ミューレ」

「困ったわね、ケイト。ジュリアのご意見は?」

「無理無理、どう考えても全軍には行き渡らないわ」


 どうしたのと尋ねるフローラとグレイデルに、三人娘は実はと眉を八の字にした。マグロには希少部位があって、脳天はお刺身に、頬肉はユッケに、カマと顎肉は塩焼き、目玉はお煮付けと、色々楽しめるが取れる量は少ないのだ。

 フローラはキリアとレディース・メイドも手招きし、さてどうしましょうと作戦会議を始める。そもそも生食した事が無いのだから、希少部位の存在なんてみんな知らないはず。ならば糧食チームの女性陣と、一緒に食べちゃえって事に。哀れ男性陣、彼らの口には入らないのである。


「お待たせしました、ヨハネス司教」

「ほう、良い匂いだ。これは何丼かねミューレ」

「野菜天ぷら丼です、これが茄子でこっちは玉葱、これが椎茸で青いのは春菊にししとう。甘辛いタレとご飯の相性も、ばっちりですよ」


 そっちも美味そうだなと、つい目を奪われてしまうシモンズとレイラ。何気に従軍司祭の二人、一般向けと聖職者向けを両方口に出来る、お得な立場にいたりして。シュバイツがフローラに、今までの非礼を詫びたことは知れ渡っていた。さてどうなりますことやらと、スプーンを手にする聖職者の三人である。


「ほらお食べ、俺から見ても美味そうだ」

「おんっ!」


 ケバブが置いた木皿のご飯を、わふわふ頬張るダーシュ。

 ぶつ切りにしたマグロの身を、白米の上にでんと盛ったわんこ飯。味付けはゲオルク先生のアドバイスで、軽く塩を振ったのみ。確かに人が食べても充分美味しいわけで、ケバブがそう思うのも頷ける。


 大所帯の軍団で思念を無闇に使えば、混乱が起きるのは必定。ゆえに用いる相手は絞れと、シュバイツから釘を刺されたダーシュ。経験則でそれは重々承知しており、今は普通の犬の振りをしていた。村や町へ行けば、魔物だ追い払えと石つぶてを当てられる。体よりも心が痛い、あんな思いはまっぴらご免なのだ。


「気付いたか、ジャン」

「分かってるよヤレル、あれは犬ならざる存在だ」

「だが墓守の犬は時として、聖なる獣となる。法典と古文書を信じるならば、正しき信仰の守護者だ」

「あのシュバイツに懐いたのが、今ひとつ腑に落ちないけどな」


 確かにと笑い合い、マグロ丼を頬張るシーフの二人。

 大トロ・中トロ・赤身の三種盛りで、中央に山葵をちょんと乗せた豪華版。こいつは美味いと、初めて食する生の青魚に舌鼓を打つ。


 聴覚が鋭いダーシュの耳に、シーフの会話はすっかり届いていた。別に懐いた訳ではなく、信仰心が厚い女装の若者が気に入っただけだ。のっけから異性問題を相談されたから、お相手がどんな女性か興味があったとも言う。


 だが恐ろしいほどの魔力を感じつつも、彼はフローラの瞳に吸い込まれそうな感覚を覚えた。本物だ間違いないと、犬ならざる聖獣はマグロのぶつ切りを頬張る。自分を導いてくれる存在は、あのお方に間違いないと確信していた。


 今日は夜から雨が降るはずだったと、ダーシュはマグロを咀嚼しながら満天の星空を見上げる。彼の天気予報は外れた事がなく、フローラ軍は間違いなく大いなる加護を受けているとごっくり飲み込んだ。人の手がかけられたご飯はやっぱり美味しくて、あの三人娘も見ていて好ましい。これは楽しい旅になるなと、ダーシュはわくわくするのであった。

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