第41話 キュクロプス
行軍中でも野営では、小さいながらも祭壇の置かれたテントが設置される。兵士たちにとっては心の拠り所であり、道中の安全を祈願するため礼拝は欠かさない。
「お早うさん、邪魔するぜヨハネス司教」
「来たな口悪小僧、女装趣味を改めるなら懺悔を聞いてやらなくもないぞ」
「へへーん、やなこった。それに俺は懺悔するような、やましい事なんてひとつもないんだ」
ゲルハルト相手でも呼び捨てなのに、聖職者にだけは役職名を付けるシュバイツ。そこんところは敬意を払っているらしく、彼は祭壇へ向かいひざまずくと胸の前で十字を切った。
胡乱な目を向けるヨハネスと、やれやれと言った顔のシモンズにレイラ。この問答を、何度繰り返したことかと。髪も長く後ろから見れば、女性と見間違うほどだ。
端正な顔立ちだから化粧を施せば、完璧ねとはキリアの談。いや何が完璧なの誰得なのと、フローラが突っ込みを入れたのは言うまでもない。
「帝国の平和を、人々に安寧を」
シュバイツが祈りを捧げる時の言葉は、いつも同じでその姿は至って真摯なもの。甲冑を身に付ければさぞや立派な武人であろうにと、これも毎度の事ながらぼやく司教さま。
ヨハネスはブロガル教会の司教から、法王宛の書簡を預かっていた。内容は知っており、シュバイツを次期ブロガル王へと推薦するものだ。このままでは法王さまが彼を王と認めるはずもなく、何とも頭の痛い問題である。
「ひとつ相談があるんだけどな、ヨハネス司教」
「懺悔ではなくか?」
「だからやましい事なんかひとつもないって、言ってるじゃんか」
「分かった聞こう、相談とは何だ」
「仮面を外したフローラの顔が見たいんだ、どうすればいい」
目をぱちくりさせ顔を見合わせる聖職者三人と、くすくす笑い出す控えていた聖堂騎士たち。お前ら何が可笑しいんだと、シュバイツは口をへの字に曲げた。
襲撃に備え女王を特定させず混乱させる、それが女子に仮面を被ってもらう理由。戴冠式を終えればフローラは社交界デビューするし、ここでシュバイツに顔を見せても何ら問題はない。
「顔を見せてって、素直に言えば良いと思いますが」
「そうなのか? レイラ司祭」
「そこで変にきょどると怪しまれて逆効果です」
「む、難しいんだな」
「だーかーら、純粋にお顔を拝見したいって言えばいいの」
ふむふむと、首を縦にぶんぶん振るシュバイツ。この様子だとフローラに、拒絶されるような気がしないでもない。誰も口にはしないけど、当たって砕けろ骨は拾ってやると、みんなそう思っているようだ。
「……何だろう」
「どうしたって言うの? シュバイツ」
突然四つん這いになり、地面に耳を当てる女装の王候補。彼は何か来るとつぶやくや、がばっと立ち上がる。君らは聖職者を守れと聖堂騎士に言い残し、テントを駆け出していった。
その頃こちらは女王陛下のテント、地属性の精霊さんが教えてくれたので、フローラもグレイデルも気付いていた。遠くから接近して来たのではなく、感知範囲内に突然現れたのだとか。
「総員! 戦闘配備!!」
何と戦うのか分からないが、ローレンの聖女が号令を発したのだ。軍団は兵站部隊を中心に、方円陣形を組む。やがて地響きを感じ、それがどんどん大きくなってくるではないか。
「何だあれは!」
「一つ目の巨人だと!?」
円の外周を固める重装隊長のアレスとコーギンが、おいおい嘘だろと顔を引きつらせた。見上げるほどの巨体が、棍棒を肩に担ぎこちらへ迫っているのだ。あれで一振りされたらどれだけの被害が出るか、想像できないし考えたくもない。
「おとぎ話にあんな怪物が出て来たな、キュクロプスだっけか、ヴォルフ」
「神話伝承の話しだろうシュバイツ、ずいぶんと落ち着いてるんだな」
「なるようにしかならないだろ、出来る事をやるまでさ」
諸君あいつの目を狙ってくれ頼んだぞと、ゲルハルトが後列の弓隊に声を上げた。
視界を奪い騎馬隊で足を集中攻撃だと、手綱を握り馬の向きを巨人へ向けるシュバイツ。従者であるケバブがどうぞと、彼にハルバードを手渡した。見れば背中に殴打武器やら長柄武器やら、色々背負っている太っちょさん。
結構な重量があるだろうにと、目を丸くするフローラ軍の兵士たち。どうやらケバブの役目って、戦場で主人の武器を管理することみたいだ。涼しい顔してその辺を、ずしずし歩く移動武器庫である。
「ハルバードで歯が立たなかったら、モーニングスターが良いかもですよ」
「分かった、そん時は交換に来るよケバブ」
「承知しました、ご武運を」
弓隊長デュナミスとアーロンが正射必中と、弓兵らに攻撃開始を命じた。おびただしい数の矢が、巨人の単眼めがけて殺到する。それを片腕で防ごうとするキュクロプスに、今だと馬を走らせる騎馬隊の勇士たち。
「一太刀浴びせたら即座に離脱しろ、けして固まるな! 散開するんだぞ!!」
「ごがああぁ!!」
ゲルハルトが言ってるそばから、足に切り付けられ怒った巨人の棍棒が振り下ろされた。すんでで躱したヴォルフの後ろ、地面にでっかい穴が空く。
死体を十人は埋められそうだなと、シュバイツが不敵な笑みを浮かべた。女性向け小花柄のマントを、ひるがえしていなければ格好いいのだが。だが肝は据わっており冷静だなと、ヴォルフはにやりと笑う。
その時突如として、朝焼けの空にペンタグラムが出現した。見上げれば宙に浮くローレンの聖女が、扇を空に掲げくるくると回している。
「明けの明星よ、我が軍勢に助力をお与え下さい。この世界に存在すべきではない、異界の怪物に立ち向かう力を! ビーナスバッファー!!」
バッファーは略してバフとも言う。金星がひときわ輝く早朝と日没限定の、大規模な補助魔法が発動。攻撃力と防御力、回避力と瞬発力が、兵士だけではなく馬にも適用された。軍馬がまるで競走馬の如く、大地を蹴り疾走し始める。
「うぉ、振り落とされそうだヴォルフ」
「そん時は笑ってやるよ、シュバイツ」
「言ってろ!」
振り下ろす棍棒が全く当たらず、足をどんどん切り付けられ、巨人がついに膝を突いた。単眼には針鼠が如く、無数の矢が突き刺さっている。よし出番だと重装兵が前進を始め、弓兵は矢を単眼に連射して騎馬隊の援護に徹している。軽装兵も重装兵の後に続き、剣を構え前に出た。
“百獣の王ライオンですら、蟻の大群には命を落とす”
寄ってたかって切られ刺され殴り付けられ、一つ目の巨人は断末魔の悲鳴を上げ灰と化す。風に吹かれ灰は飛ばされ、巨人がいた痕跡は跡形もなく消えた。残っているのは無数に空いた地面の穴と、破壊された野営テントの残骸のみ。
「テントの修復と、それに伴う資材調達が必要となりました。強行軍はせず、しばしこの地に留まる事を進言いたします」
「キリア殿に同感だ、どのみちこの手の妨害は、今後も入るのだろうからな」
兵站隊長を支持するクラウスに、隊長たちもそうですねと頷いた。青空会議のテーブルに、三人娘が朝食のマフィンを置いていく。目玉焼きとスライスチーズに、厚切りベーコンを挟んだおつな味。本当は昼食用だったんだけれど、巨人騒ぎで朝の調理ができなかったのだ。
「ジャン、ヤレル、皆に報告を」
フローラに促され、シーフは頷き地図を広げた。地属性の精霊さんが感知したポイントへ馬を走らせ、二人はそこで儀式の跡を発見したと話す。ならば巨人を異界から召喚した、張本人がいるはずだ。だが残念ながら、足跡を追うことは出来なかったらしい。
「ローレンの聖女を消したいと思っている、悪しき魔物信仰。選帝侯として邪魔だ又は取り込みたい、帝国の覇権を狙う勢力。そして誰に雇われてるか分からない、暗殺組織の存在か。フローラは面白いほど敵が多いんだな、感心するぜ」
「ほっといてよシュバイツ、好きで敵を増やしてる訳じゃないんだから」
食客でしょ居候のくせにと、むうと唇を尖らせるフローラ。対して怒んなよと悪びれもせず、マフィンにかぶり付くシュバイツ。隣のテーブルに着く聖職者の三人が、あちゃあという顔をしていた。
「アフォだわスットコドッコイだわ」
「レイラ君、お口が悪くなっているぞ」
「あらやだ、おほほほ」
「しかしヨハネス司教、これじゃフュルスティンはシュバイツに、顔を見せてあげないでしょうね」
そうだなとヨハネスは、聖職者向けのマフィンを手に取った。しゃっきりレタスの上にバターで炒めたキノコを盛り、更にとろーりチーズ。乳製品はオッケーなので、これが司教さまと聖堂騎士の朝ご飯。そっちも美味しそうだなと、シモンズとレイラの目がきらりんと光る。
「自分の願いを女性に届け、気持ちよく応じてもらう。あの年代の男子には、特にあのタイプは、それが難しいと言うか分からんもんさ」
そう言ってマフィンを頬張るヨハネスに、若き日の悩みですねと笑うシモンズとレイラ。あちこちぶつかり角が取れて、丸くなっていくもんでしょうかと頷き合う。
そして従軍司祭の二人は、揃って手を挙げた。聖職者向け担当のミューレを呼ぶためで、マフィンのお代わりはヨハネス司教と同じものをとリクエスト。
「ちょっと、付いてこないでよ」
「いいじゃんかフローラ、行軍はないんだし話そうぜ」
業を煮やしたグレイデルとキリアが、すらりと短剣を抜いた。ミリアとリシュルも護身用のダガーを抜き、え? え? と両手を胸の前に出すシュバイツ。そんな彼の襟を掴みちょっと来いと、ジャンとヤレルがずるずる連行して行った。
「お前なあ、女子がお花を摘みに行くのへ付いてく奴がいるか」
「お花を……摘みに? ごめんヤレル、何を言われているのかさっぱり分からない」
これだからと、顔に手を当てるジャンとヤレル。姉や妹がいなかったんだなと、ひそひそごにょごにょ教えてあげるシーフの二人。
「俺、すっごく恥ずかしくて馬鹿なことをした?」
「そういうこったよ、なあジャン」
「ヤレルの言う通りだ、このままだと誤解されるぞ」
うわどうしようと、がっくり肩を落とす女装の王候補。
そこへどうしたんだと、革袋を手にしたヴォルフがやって来た。兵站鍛冶チームにハルバードの、研ぎ直しを依頼していたようだ。顔を寄せ合っている三人を見て、何やってるんだろうと足を向けたっぽい。
「それはお前が悪い、シュバイツ」
「うう、やっぱりそうなのか、ヴォルフ」
恋愛音痴ではあるが、女性には紳士的なアルメンの領主がダメ出し。
飲酒は解禁されてるからまあ飲めよと、糧食チームでもらったぶどう酒の、革袋を差し出すヴォルフ。受け取ったシュバイツはそれを口に含み、どうすればいいのかとしょんぼり。
「ところでお前の従者はどこ行った?」
「あそこにいるよ、ヴォルフ」
シュバイツが人差し指を向けるその先は、昼食の準備をしている行事用テント。昼は握り飯になるようで、毒味と称した味見というか、つまみ食いをしているケバブ。よく食べるわねと、三人娘がはにゃんと笑っていた。




