第39話 戦場の女神
何のために戦うのか、目的意識がはっきりしている軍団は強い。目指すは法王領、それを武力で邪魔する者には鉄槌を下す。首都ヘレンツィアを出立する際に女王陛下が、兵士たちに贈った激励の言葉が正にそれだ。
“ローレン王国に仇なす敵は全て粉砕すべし!”
それがフローラ軍であり数の差をものともしない、不退転の魂が全兵士に宿っている。前へ前へ進め進めと、彼らを突き動かす原動力はローレンの聖女。その存在こそがローレン兵一人一人へ、敵兵五名に相当する覇気と勇気を与えていた。
不戦の象徴であるオレンジ旗は降ろされ、各隊に戦闘旗が掲げられている。中でもひときわ目に付くのは、双頭のドラゴンを象ったシュタインブルク家の紋章だ。
「わっはっは! 死を覚悟していない者はすっ込んでいろ!!」
ゲルハルトが豪快にハルバードを振り、敵の雑兵を薙ぎ倒していく。ヴォルフも負けじと、馬上から敵兵を突いては切り伏せた。
騎馬隊の後に続く重装兵がぐいぐい押していき、動きの素早い軽装兵がそれをカバーし、後ろから弓兵が援護射撃の弾幕を張る。一糸乱れぬ連携が敵軍を圧倒し、地面がブロガル兵の屍で埋め尽くされていく。
「燃えろクラッシュドファイア!!」
「舐めないでねクラッシュドアイス!!」
「ええーい! ソーンウィップ!!」
敵兵の中にも防衛ラインを突破し、フローラとクラウスのいる陣幕に迫る猛者はいる。だが中華鍋を盾代わりとし、最近シーフから戦闘技術を学び始めた三人娘が獅子奮迅の活躍。
ケイトに近寄れば火ダルマにされ、ミューレに襲いかかれば氷弾で腹に風穴を開けられる。ジュリアに関わろうものなら茨でぐるぐる巻きにされ、全身の骨を粉々に砕かれるのだ。チェーンメイルもフルアーマーも、防具が何の役にも立たず敵兵は倒れ伏していく。
「あの子たちを近衛隊として雇いたいのだが、フローラ」
「だめよ伯父上、私の大切なメイドなんだから」
扇でぱたぱた顔をあおがれ、だろうなと革袋のぶどう酒を口に含むクラウス。もちろん陣幕へ飛び込んで来る敵兵もいるっちゃいる。だが霊鳥サームルクが黙っているはずもなく、哀れ念動波で弾き飛ばされ肉塊と化す。
「フローラさまを暗殺するのは、ほぼ不可能ではありませんか?」
「どうなんだろうグレイデル、魔法や遠距離攻撃だと分からないな。私は霊鳥サームルクの能力を、何も知らないのよ」
そう言ってフローラは、眼前でミンチとなった敵兵に視線を落とした。行く手を武力で阻むならばねじ伏せるのみ、自分でそう言っておきながらも、敵が早く白旗を掲げてくれる事を願っている。
『無益な殺生は嫌いか、フローラ』
『その声はミドガルズオルム、眠ってたんじゃ』
『天に召される魂がこれだけ彷徨えば、おちおち寝てもいられぬ』
『ごめんね、でもこれは私にとって、避けて通れない道なの』
『ふむ、それは難儀であるな』
『他人事みたいに言わないでよ。ああ……貴方にとっては他人事か』
いやそうでもないぞと、ミドガルズオルムの声は優しげ。極上の寝床を確保したのだから、手を貸してやろうと言い出した。
『こんな時は強大な力を見せ付けるのが一番だ、お前にスペルを教えてやろう。案ずるな、魔力の源はサームルク、眠りに落ちる事は無い。ただし魔力が体を直接流れ、お前の寿命を縮めるだろう。長生きしたいと思うなら、この先々安易に使うでないぞ』
ふわりと舞い上がったフローラに、どうするつもりなのかと慌てるグレイデルにクラウス。だが彼女の瞳は虹色のアースアイに変化しており、その姿は淡い光に包まれ神々しくもあった。
「開け地獄の蓋よ、エロイムエッサイム!!」
風が吹いた訳でもないのに、戦場の雰囲気が一変する。重苦しい圧を感じ敵も味方も、何事と周囲を警戒し身構える。そして視線を空に向ければ、ローレンの聖女が空中から扇を地面にかざしているではないか。
「義に反する愚か者に生死の理を示し給え。我が名はフローラ・エリザベート・フォン・シュタインブルク。欲する願いはただひとつ、戦う大義名分を持たぬ哀れな敵兵に、信義の何たるかを叩き込め!!」
晴天の空に、赤々と光る点が現れ接近してくる。それはどんどん質量を増し、青空を浸食し埋め尽くしていく。
「あれは何だと思う、ヴォルフ」
「古文書にある隕石ではないかと、隊長」
「奇遇だな、わしにもそう見える。総員! 防御態勢!!」
ゲルハルトの怒声に、重装兵が大盾を構えた。軽装兵と弓兵がその影に入り身を伏せ、胸の前で十字を切る。騎馬隊も盾を構え、まじかいなと衝撃に備えた。
「いっけえ! ミーティア!!」
天空に流星を召喚し、それを隕石として地表に落とす荒技。フローラはそれを、敵陣の向こう側へ落下させたのだ。相手の陣幕へ直接落とせばよいものをと、思念の向こうでミドガルズオルムが笑う。だがそこがお前さんの良いところと、古代竜はおやすみと言い残し再び眠りに就いた。
大地は揺れ岩が浮き上がり、木々はへし折れ根っこごと宙に舞う。空気中の水分は蒸発し、周囲が霧に覆われた。それでも真っ赤に燃える塊は地面に大穴を開け、岩と土を溶岩に変えていく。その衝撃波は凄まじく、敵の陣地を跡形もなく吹き飛ばしていた。
「私はローレン王国の君主フローラ、敵対する者は死を覚悟しなさい。命が惜しければ武器を捨て控えるのです、大陸の法典に則り捕虜を殺しはしません」
精霊さん達が力を貸したのか、天の声が如くフローラの言葉が戦場に響き渡る。ブロガル王国軍が白旗を揚げるのに、たいして時間はかからなかった。この一部始終もまた、クロニクルライターが後世に残すだろう。
「私を甘いと思われますか、伯父上」
「その答えを出すのは私ではない、フローラよ。殲滅戦……敵を皆殺しにしない道を君は選んだ、私はそれを支持する」
そう言ってクラウスは、捕虜になった敵兵の列を眺めた。正義がどこにあろうと家族を失った民は、相手国に恨みを抱くのが心情というもの。それが子々孫々にまで語り継がれ、国家間に修復不可能な溝を生んでしまうと目を眇める。
「フローラは法か武力か、悩んでいるのだな?」
「お見通しなのね、伯父上。私は武力行使を否定しません、降りかかる火の粉は払わねばなりませんから。しかし必ずしもそれが、正しいとは思えないのです」
「徳を以て治める者を王と呼ぶのに対し、武力を以て治める者を覇者と呼ぶ。やり方が違うだけで、国を統治する点では同じ。君主として大いに悩むといい。だが忘れてくれるな、何があろうとも私はフローラの味方だ」
そんなクラウスを、フローラは眩しげに見上げた。
父ミハエルが母テレジアを舞踏会で見初めなかったら、自分は生まれていないしクラウスを伯父と呼ぶこともなかっただろう。人の縁とは不思議なものだと、フローラは思わずにいられない。
「失礼いたします、フュルスティン。酒樽を解放しないと、兵士たちの収まりが付きません」
「あはは、いいわキリア、飲ませてあげて」
存分に振る舞えとクラウスも頷き、助かりますとキリアは部隊へ戻って行く。
三人娘の働きにより、フローラとグレイデルは魔力行使の温存ができた。さあ負傷者にヒールをかけまくるわよと、右腕をぐるぐる回し救護テントへ向かう女王さまであった。
そしてここは精霊界のエレメンタル城。
水晶に映るフローラ軍の映像を、ティターニアは手をかざし消していた。さてどうしたものかしらと、夫であるオベロンと顔を見合わせる。
「まさかミドガルズオルムが、サームルクから魔力を引き出す手助けをするなんて」
「サームルクも同意したからこそ出来たんだろう、ティターニア。フローラは高位精霊にも愛されているね」
「その代わりあの子は長生きできなくなるわオベロン、何か対策を講じないと」
うむむむと、考え込む精霊女王と精霊王。フローラが新たな千年王国を築いてくれなきゃ、精霊界で胡椒と唐辛子が栽培できないのだ。人間界がどうなろうと知ったこっちゃないが、道半ばでフローラが天に召されるのは困るわけで。
「彼女はいずれ、再びこの城を訪れるだろう。その時に桃源郷の桃を食べさせるのはどうだろう、ティターニア」
「生死の理に反する行為だわ、天界と冥界が許すかしら」
「そうは言っても神々の巫女だよ、多少の寿命延長は大目に見てくれるさ」
どうやらフローラ、二人から桃を食べさせられるっぽい。一個食べれば寿命が一年延長される、精霊界から持ち出し禁止となっている果実を。
永劫とも言える寿命を持つ精霊には、どうってことない植物の実だ。けれどせいぜい百年しか生きられない人間にとって、桃源郷の桃は不老不死の象徴かも知れない。天界の神々と冥界の魔王が、二人に厳しく管理を命じているのも頷ける。
精霊女王と精霊王がそんな画策をしているとは、夢にも思っていないフローラ。軍団は戦勝の美酒に酔いつつも、粛々と野営の準備を始めていた。
これまで他国の領内を通行するのに、フローラは国王へ礼状を送るに留めていた。向こうに気を使わせてしまうからで、変に歓待を受ければ行軍の足を止めてしまう事にもなるから。
だが今回はそうはいかない、皇帝の血筋が戴冠式へ向かうフローラを、武力で邪魔したのだ。その理由も私利私欲で選帝侯をないがしろにし、法王庁から王位を剥奪されてもおかしくはない。
それだけのことを、ブロガルの王はやらかしたのだ。フローラ軍は明朝、軍靴を敢えて首都に向ける。市民に配慮し軍団が都市へ入る事を遠慮していたが、此度は王城を攻め落とす勢いで突貫するつもりなのだ。
二千の軍勢を失い捕虜にされ、首都の防衛にはどれだけの兵が残っているのやら。女王陛下のテントで夕食を共にする、隊長たちが鼻息を荒くしていた。食前酒に出された、ぶどう酒の減りが早いのなんのって。
「これは何という料理なのかね? フロイライン・ジュリア」
「開花丼と言います、クラウスさま。さくさくふわふわの衣をまとった豚肉、その肉にも味を付けています、美味しいですよ」
三人娘からお代わりありますと言われ、がっぱがっぱと胃袋に流し込む隊長たち。丼にちょんと添えられた紅ショウガと、根野菜ごろごろの味噌汁がまたいい。
ケイトとミューレにジュリアは、あれだけ魔法を行使したのに眠りへ落ちる事はなかった。きっとミドガルズオルムが、何かしら手助けをしてくれたのだろう。
フローラとグレイデルがさていきますかと、開花丼に七味唐辛子の瓶を盛大に振っている。辛くないのかと、どん引きのクラウスであった。




