第35話 心の奥底に触れるということ
時は少々遡り、ここはアウグスタ城の塔にある温室。天井も周囲もガラス張りで、日当たりはすこぶる良好。真ん中にはテーブルセットがあり、景色を眺めながらお茶を楽しむことも出来る。
以前は薬草を栽培していたけれど、スティルルームの利用目的が変わり、今ではもっぱら観賞用の花が育てられている。
「クララ、そして二人も、どうぞ座って」
フローラとグレイデルに呼ばれ、ビクビクしているキッチン・メイド。それはファス・メイドの悪口を言い、たしなめたカレンとかんかんきんきんやったルディとイオラだ。しかもお茶の給仕をしているのがファス・メイド三人娘なもんだから、不快感を露わにしている。
「お城で働く使用人たちには、みんなそれなりの理由と目的があるわ。仕事を円滑に進める上でも大事なことだから、こうして聞き取りの面談をしているわけ」
グレイデルから説明を受け、あの件ではないのだなと、落ち着きを取り戻すルディとイオラ。いやその件なんだけどと、クララが言いたそうな顔をしているが。
「レディース・メイドのミリアは実家が仕立て屋さんでね、お店を大きくしたいって目標があるみたい。リシュルの実家は水上運送業で今は雇われだけど、独立して親方になる夢があるそうよ。二人はどうなのかしら?」
フローラに尋ねられ、顔を見合わせるルディとイオラ。お金を貯めローレン王国の主城でメイドを務めた肩書きを持って、良き殿方を伴侶にしたいと二人は話す。小さいなと、声に出しては言わないがグレイデルはつぶやいた。
「貯金ももちろん大事だわ、でも夫の仕事がずっと上手くいくとは限らない。怪我や病気で、働けなくなる可能性だってある。そんな時に妻はどうあるべきか、ちゃんと考えてるかしら」
フローラに指摘され、言葉に詰まるルディとイオラ。稼げる夫であれば、将来は安泰と思い込んでいたからだ。それが幻想であることを、フローラは二人に突きつけたのである。
ミハエル候は妻テレジアに先立たれ、その落ち込みようは酷いものであった。そんな彼を立ち直らせたのは、一人娘のフローラに他ならない。伴侶となったからには何があっても家族を支える、その覚悟がなければ結婚を語る資格はない。
ルディとイオラは三人娘の出した、お茶とお茶請けを一切口にすることなく温室を出て行った。こんなに美味しいのにと、春巻きをもりもり頬張るフローラ。
「でも楔は打ったと思いますよ、フローラさま。心の深い所に刺さったのではないかしら、ありがとうございました」
そんなクララにいいのよと首を横に振り、更にエビ蒸し餃子へ手を伸ばすフローラ。精霊さん達がラー油の小瓶に集まり、指ですくって舐めている。そしてこの話しには、続きがあったりして。
ここは炊事場、昼食の仕込みでキッチン・メイドもスカラリー・メイドも、てんやわんや。そんな中でカブの皮むきをしながら、ルディとイオラが無駄話しを始めた。
「家族って言われてもね、ルディ」
「うちの両親は厳しかったのよイオラ、折檻を何回受けたか覚えてないくらい」
「私も両親と兄弟を、鬱陶しいと思った事は何度も」
そこへダン! という音が響く。
見ればカレンが菜切り包丁で、キャベツを真っ二つにしていた。いやそれロールキャベツにするやつだから切っちゃダメですと、周囲のメイドたちが頬をひくつかせている。だがカレンは眉を吊り上げ、ルディとイオラを睨み付けた。
「な、何よカレン」
「聞き捨てならないわルディ、そしてイオラも。私は小さい頃に両親を亡くし教会で育てられた、だから親の愛情も兄弟の温もりも知らない。それなのにあなた達ときたら、どんだけ甘えてるのよ! 親兄弟のありがたさを分かってない唐変木に、家族を語って欲しくないわ!!」
しんと静まりかえる炊事場、失言であったと気付く二人。
やがてメイド達は調理を再開し、一瞬浮き上がった鍋蓋が元へ戻る。入り口の脇で様子をうかがっていたスワンが、その通りだなと頷いていた。
「ひとつ聞いていい? カレン」
「何かしらイオラ、いま動かすべきは口じゃなくて手よ」
「あなたの夢を聞かせて」
炊事場にいる誰もが、カレンに視線を向ける。彼女はざっくり切ってしまったキャベツを、みじん切りにし始めた。コールスローにするのだろう、つまり献立が一品追加となるわけで。
「小さくてもいい、私は料理店を開きたいの。そしたら孤児でも胸を張って、好きな人に好きと言える、そんな気がする。だから私は、ファス・メイドから料理を教わりたい。見栄とかプライドとか、そんなものは邪魔でしかないわ。私は純粋に道を極めたいの、誇れる自分になりたいのよ」
包丁を動かしながら心情を吐露するカレンに、スカラリー・メイド達が心を打たれていた。誰にだって幸せになる権利はある、けれどそれは降ってくるものではなく、自らの手で勝ち取るものだから。
自身の未来を見据えファス・メイドを料理の先生と認め、カレンは道を切り開こうとしている。誰が彼女を馬鹿にできようか、誰が彼女を悪し様に言えようか。
「ごめん、悪かったわカレン」
「いいのよイオラ、手を動かそう」
「でもキャベツ一個じゃコールスロー足りなくない?」
「うっ……」
手伝うわと、キャベツを取り出すルディとイオラ。心配するほどでもなかったかとスワンは、足下でじゃれつく子猫たちの頭を撫でるのであった。
――時を戻し、ここはヘルマン王国の領内。
国境警備兵からは笑顔で、どうぞどうぞと通過を認められたフローラ。そこはやっぱりミハエル候の実家、警備兵たちは友好的であった。
領内に入り野営の準備を始めたフローラ軍だが、此度の行軍にはファス・メイドも参加している。テントを組み立てながら兵士たちは、夕食が楽しみでしょうがない。そりゃブラム城で散々堪能したから、期待は高まっちゃう訳でして。
その三人娘が特大の中華鍋を、かんかかーんかんと歌いながら振るっていた。兵站糧食チームの面々が、可笑しくて包丁の手元が狂うと眉を八の字にしている。
手がけているのは回鍋肉なる料理だそうで、豚肉と野菜を醤油に精酒と甘味噌で炒めたもの。もう漂ってくる匂いで、ご飯が一杯食べられそうではないか。
「明日の朝食はどうしようね、ミューレ」
「牛丼はどうかしら、ケイト」
「でも日持ちしない内臓肉があるわ、もつ煮込み丼はどうかしら、ジュリアはどう思う?」
「ご飯におかずを乗せるスタイルは、野営の軍団メシに最適よね。カレー丼やロコモコ丼もアリじゃないかしら」
ロコモコ丼いいねと、ケイトもミューレも乗ってきた。ロコモコとはご飯にハンバーグと目玉焼きを乗せ、グレイビーソースをかけサラダをトッピングした料理。
野営では丼ひとつとスープで完結する料理を、三人娘は心がけてるみたいだ。朝をもつ煮丼、夜はロコモコ丼で行こうと、話しは直ぐにまとまった。なお昼食はその辺の野原で休憩となるから、ハンバーガーやホットドッグなんかが配られる。
「昼食はバゲットに切れ目を入れて、ポテサラサンドとメンチカツサンドの二本立てはどうかしら」
ケイトの案に、いいねいいねと頷くミューレとジュリア。
もう明日の献立を考えてるんだと、兵站糧食チームが感心しきり。でも三人娘の意識は、もうひとつ別な所にも向いている。
司教さまと護衛に就く聖堂騎士は、肉や魚に卵といった動物性のものが食べられない。乳製品はオッケーなのだが、献立を別にしなきゃいけないのだ。生臭坊主の従軍司祭とは、勝手が違うわけでして。
「ミューレ、こっちは私とジュリアで大丈夫だから、ベジタリアン食をお願い」
「任せてケイト、んっふっふ、腕が鳴るわ」
そしてミューレが取りかかったのはと言いますと、五目野菜炒めのあんかけ。もちろんご飯に乗っけるわけだが、具材はキクラゲにシイタケ、白菜とニンジンにタマネギとニラ、そしてタケノコ。
合わせると七品目なんだが、それでも五目とひと括りにする三人娘。どの具材も炒めてから煮込むと良いお出汁が出るし、中華味で片栗粉を使いとろみを付けるから、これはこれで美味しそうだぞ。
「司教さま、ひと口味見を」
「おいおいレイラ君、そっちには回鍋肉丼があるじゃないか」
そこを何とかと、胸の前で手を組む生臭尼僧。だがシモンズも味見したいらしく、便乗しちゃうというあんたら聖職者でしょうに。
給仕に付いたミューレがお代わりありますよと言ったもんだから、ぜひにと飛びつく聖職者チーム。少々お待ちをと、にっこり微笑むミューレ。彼女は隣のテーブルでもりもり頬張る聖堂騎士に、お代わり遠慮無くと声がけするのも忘れない。
「しかし大所帯になったものだな、シモンズ君」
「アウグスタ城に賊が侵入しましたからね。こうせざるを得なかったのでしょう、司教さま」
「悪しき魔物信仰と、暗殺を専門とする地下組織か。帝国の信仰が乱れておる、嘆かわしいことだ」
そこに――。
「敵襲!!」
「総員武器を取れ!!」
シーフのジャンとヤレルが叫んだ。
草むらから剣を手にする黒ずくめ集団が現れ、兵站部隊の野営エリアに躍り出たのだ。女王陛下のテントは兵站のすぐ近く、奴らの狙いは決まっている。フローラと一緒に食事をしていた隊長たちが、すぐに飛び出し賊と交戦を始めた。
「いかん、かがり火だけでは同士討ちになるぞコーギン!」
「黒装束なのはそれも狙いなんだろう、アレス!」
「こいつら顔に泥まで塗ってやがるぞデュナミス!」
「いけ好かねえなアーロン!」
「数が分からんシュルツ!」
「百はいそうだぞアムレット!」
テーブルを倒して盾代わりとし、取り囲んで司教を守る聖堂騎士。だが賊どもはそちらに行かず、やはり女王陛下のテントへ殺到する。ゲルハルトもヴォルフも、ジャンとヤレルも、賊と激しく剣で打ち合い火花を散らす。
「え、え、何? クラッシュドファイア」
ケイトのお玉から火球が飛び出し、賊のひとりが炎に包まれた。
「わ、分かったわクラッシュドアイス」
ミューレの菜箸から氷弾が発射され、賊ひとりの頭蓋骨を粉砕。
「ええーい、ソーンウィップ」
ジュリアの杓文字から茨の蔦が伸び、賊のひとりを打ち付け切り刻み、血まみれにしていく。
テントから出たフローラとグレイデルも、仲間が居るため範囲魔法は使えず、単体魔法を放って隊長たちを援護する。すると賊どもの雰囲気が一変し、戸惑っているような感じに。
「おい、誰がローレンの聖女なんだ」
「知るかよ、なんで使い手がこんなにいるんだ」
誰でもいい使い手は殺っちまえと、三人娘にも襲いかかる賊ども。
キャー! イヤー! 止めて来ないでと、単体魔法を連発するファス・メイドの三人娘。どうやら精霊さん達が彼女らに、スペルを教えたっぽい。調理に使う行事用のテント、その前に死体がどんどん積み重なっていく。
「すっかり眠っちゃってるわね、グレイデル」
「慣れない攻撃魔法をあれだけ連発すれば、こうなりますわねフローラさま」
三人娘はベッドに運ばれ、揃ってくーすかぴー。でもよくやったわと、頭を撫でるフローラとグレイデル。外では隊長たちが、捕縛した賊への尋問を始めていた。




