第24話 グルメな幽霊さん
精霊界の住人からすれば、当たり前だが人間界は異界である。
精霊が人間界で魔力を行使する場合、触媒となる人間が必要なのはお約束。シュタインブルク家の血を引く女子は、精霊の姿を視認することができ、言葉を交わせる希有な存在。お友達となるのに相応しい能力を、神さまから与えられた氏族と言えるだろう。
さてその精霊さん達なんだが気に入った子がいれば、ちゃっかり手を貸すこともあったりして。お気に入りを触媒とする訳だが、具体的にはこんな感じ。
「竈かまどに火を入れといてくれたのね、ありがとうミューレ」
「私じゃないわケイト、ジュリアでしょ」
「ううん、私やってないわよ。それよりも水桶に水を満たしてくれたの、ケイトとミューレよね」
いいえと首を横に振る二人に、それじゃ誰がと目をぱちくりのジュリア。スティルルームの運営はこの三人に任されており、キャッスル・メイドも兵站糧食チームも煮炊きには一切関与していない。どう言うことかしらと腕を組み、うむむむと首を傾げるファス・メイドの三人。
『今日はどんな飲茶が出るかしらね、サラマンダー』
『楽シミダナ、ウンディーネ。アノ三人ハ辛イ料理モ得意ダ、手ヲ貸サズニハイラレナイ。クックック』
竈に火を入れたのはサラマンダーで、水瓶に水を満たしたのがウンディーネ。お節介を焼いているのは、もちろんこの二人だけじゃない。
「ちょっとこっちに来て。なんか大根と人参、玉葱に馬鈴薯も、増えてる気がするんだけど」
「ほんとだわケイト、貯蔵庫から運んでないのに」
「ちょっと待ってケイト、ミューレ。妙に瑞々しくない? まるで畑からそのまま抜いてきたような」
育て過ぎたかのと、ノームがとんがり帽子を被り直した。収穫を手伝っていたシルフとシルフィードが、顔を見合わせぷくくと笑う。地属性のノームにしてみれば、野菜を増殖させるなんてお手の物。
「これはきっと、グルメな幽霊さんの仕業ね、ミューレ」
「それしか考えられないわケイト、ねえジュリア」
「うんうん、幽霊さんが美味しいって褒めてくれるお料理、頑張って作ろう」
それで良いのか三人娘よ。だが方向性は間違っておらず、精霊さんの思惑通り。不思議な現象を引き起こす張本人たちは、すすすとスティルルームから姿を消すのである。
そしてここは執務室、戻った精霊さん達にお帰りと目を細めるフローラ。どこへ行ってたかは聞かないし、聞くつもりもない。楽しみを見つけ、遊んできたのねと思うだけ。そんな彼女は兵站部隊の男衆が運んできた麻袋を、ぽんぽん叩きそれっと持ち上げた。
「よし、こんなもんかな」
「よく持てますわねフローラさま、成人男性に相当する重さかと」
呆れるグレイデルに、むふんと笑うフローラ。彼女が手にした麻袋ふたつには、黒胡椒と赤唐辛子がみっちり入っている。これからエレメンタル城へ、お忍びで遊びに行くつもりなのだ。
四精霊が力を貸してくれるので、彼女は重量物なんて苦にならない。光と闇の霊聖も増えたもんだから、今では片手で牛をひょいひょい持ち上げることも。それ人前では絶対にやらないで下さいと、グレイデルが釘を刺したのは言うまでもない。
「ティターニアに祝福をお願いするから、グレイデルの扇を預かるわね」
「フローラさまが獣人化しないからくりも、ちゃんと聞いてきて下さいまし」
おっけー任せてと、中庭に面していない方の窓から、ふよふよ出て行くフローラ。
アンナが見たら女王が窓から出入りするなどと、目を吊り上げそうだがそこはお忍び。みんなにはナイショってことで、麻袋をぶら下げ舞い上がって行く。
首都カヌマンへ向かえば、しばらくエレメンタル城へは行けなくなるだろう。今のうちに聞けることは聞いておこうと、フローラは思い立ったのである。ぐんぐん上昇し眼下を見下ろすと、中庭のあっちこっちから湯気や煙が立ち登っていた。
どうにもグリジア王国軍、戦闘糧食の栄養バランスがよろしくない。栄養素の偏りに起因する、壊血病や脚気といった病気もあるのだ。
故郷へ帰る農民兵に持たせましょうと、兵站糧食チームが急遽作り始めた次第。音頭を取っているのはキリアとポワレで、手がけているのは木の実とドライフルーツを使ったシリアルだ。道中の農村でミルクが手に入れば、理にかなった栄養食となる。
「次に行くときは、唐辛子入りのシリアルも持って行こうかしら。精霊界にも乳が出る牛や山羊っているのかな」
いるよと返す精霊さん達だが、見た目は人間界とだいぶ違うらしい。角の数とか目の数とか、サイズも人間界よりずっと大きいんだとか。
どこまで移動できるかは確かめてないけれど、町までならぴゅーんとひとっ飛びだ。教会に前触れは出していないから、突然現れたフローラにびっくりの牧師ハインリヒ。
「フ、フローラさま!?」
「お忍びだから内密にね」
唇に人差し指を当て、ウィンクするフローラは可愛らしい。ほだされちゃったハインリヒ、参りましたねと眉を八の字にしながらも、演台を持ち上げ脇に置く。
フローラは祭壇の大盃に銀貨を二枚投入し、ひゃっほうと階段を降りていった。降りるといっても浮いてるから、足は全く動かしてないのだが。
「あなたが獣人化しないのは、霊鳥サームルクが押さえ込んでいるからよ」
「それは聞いたけど、仕組みが知りたいのよね、ティターニア」
フローラが通されたのは、謁見の間ではなく貴賓室であった。シュタインブルク家の主城アウグスタ城にもあり、諸外国の要人をもてなすためのお部屋だ。持参したふたつの麻袋が、けっこう効いたみたい。
「赤ちゃんに母乳をあげたあと、母親はげっぷをするまで背中を軽く叩くでしょう」
「うんうん、そうしないとお乳を吐き出しちゃうからよね、ティターニア」
「それと一緒なのよ、フローラ。霊鳥サームルクは魔素で育つんだけど、幼鳥の頃は上手に取り込めないの。獣人化しかかってる人間って、魔素を程よく取り込むのにちょうど良いから寄生するのよ」
「それじゃ……たまたま私が深淵の森に、タイミングよく出ちゃったわけか」
そういう事よと、ティターニアはグラスのミードを口に含んだ。
ミードとは蜂蜜から醸造したお酒のことで、ぶどう酒や麦酒よりも歴史は古く最古のお酒と言われている。帝国でもぶどうの栽培が難しい地域では、昔から愛飲されておりミード醸造ギルドがあるくらい。
「このミード、美味しい」
「ミツバチが集める花の蜜、その種類で味が変わるわ。中でもこれは最上級なのよ、フローラ」
「それってどんな花?」
「フリアセア、鹿や猪を丸呑みしちゃう大きな花、あなたも見た事があるはずよ」
「ぶふぉっ!」
あれかいなと、ハンカチを取り出し口を拭う辺境伯令嬢さま。目や角がいっぱいある牛や山羊といい、精霊界は色々と探索のし甲斐がありそうだ。
そこでティターニアは相談があるのだけどと、ぽんぽん手を叩いた。壁際に控えていた精霊さん達が、お呼びでしょうかと集まってくる。
「人間界のお料理、この子たちに教えてくれないかしら。特に激辛ホットなやつを、お願いしたいのよね」
「別に構わないわよ、ティターニア。でも私やグレイデルがお友達になっても、いいのかしら?」
いいわよと返しながらティターニアは、グレイデルの扇に祝福をかけた。虹色に輝く光の粒が、扇に吸い込まれていく。マンハイム家の息女は風の精霊シルフしかお友達がおらず、使える魔法は風属性に限定されている。これから起こり得る戦いに備えて、地水火風の四属性は揃えておくべきと精霊女王さまは言う。
「この役得、もといお役目、しっかり果たしてみせます女王さま!」
「いま役得と言わなかったかしら? オメガ」
代表と思われる精霊に、半眼を向けるティターニア。いえいえ滅相もございませんと、首を横にぶんぶん振る精霊さん達。そりゃ黒胡椒と赤唐辛子が食べ放題になるもんね、役得どころの話しじゃないよねと、思わず破顔してしまうフローラである。
人間の寿命は長くて八十歳、がんばっても百歳だ。お友達が寿命を迎えれば、精霊さんは元の精霊界へ戻る。ティターニアからしてみれば、百年はどうってことない期間なんだろう。
「ところで姿が見えないけどオベロンは? ティターニア」
「あはは、麻袋から離れないのよフローラ。勝手に手を出さないよう、ヒュドラが見張っているわ」
むふっと笑いグレイデルの扇を、フローラに手渡すティターニア。そんな精霊女王が、ひとつだけ大事なことをと真顔になった。
「フローラ、空を飛んでも眠くならないでしょう」
「言われてみれば、確かに」
「霊鳥や神獣に竜といった種族は、人間を触媒にしなくても力を発揮できるわ。精霊界であっても、人間界であってもね。飛行できるのはあなたの意思に、霊鳥サームルクが寄り添っているからよ」
フローラなら大丈夫だと思うけど、怒らせちゃダメと精霊女王はミードを口に含んだ。やってはいけない事、それは人の道から外れることよと。
死者に敵も味方もないと、丁重に埋葬するのがフローラだ。捕虜を人道的に扱うのも、三度の食事をきちんと与えるのも、戦いが終わればノーサイドだから。
戦場でさえ出会わなければ、もしかしたら友人になれたかも知れない。その境地に立脚するならば、戦争そのものが兵士を消耗品として扱う悪だと分かる。
「でも国と民を守るのは君主の役目、降りかかる火の粉は払わなきゃいけない。場合によっては敵を全滅させなきゃならない、でも私はそんなことしたくないの。これって甘ちゃんなのかしら? ティターニア」
「そんな甘ちゃんが、霊鳥や神獣に竜から愛されるのよ、フローラ。悩みなさい大いに悩みなさい、何のために血を流すのか考えなさい」
そう言う年齢不詳のティターニアも、悩んだのだろうかとフローラは思う。武力を持って制圧し、敗国の民を従えるのは簡単だ。けれどそこには恨みが残り、子々孫々まで語り継がれるだろう。絶対に分かり合えない線引きが、民族間に深い溝が、望む望まないに関わらず生じてしまう。
どうして国家というものは、領土的野心を抱いてしまうのか。フローラは次期女王として、暗澹たる気分に落ちてしまう。俺の物は俺の物、お前の物も俺の物。そんな思考に国主が陥れば、山賊や盗賊と何ら変わらないではないかと。
「ところでフローラ、あなたは精霊のお友達をこれ以上増やさない方がいいわよ」
「どして? ティターニア」
「寝る子は育つって言うけれど、魔力を行使して眠りに就いた場合は別なの。その間は成長が止まってしまうから」
「うっそ!」
自分はどうして同年代の子に比べ、成長が遅いのだろうか。いつも不思議に思っていたけれど、そうかそういうことかと納得するに至る。私もいつかはグレイデルみたいに、たわわと実るふたつの果実を持てるかしらとつい身を乗り出してしまう。
いやそれは個人差があるからと、ころころ笑う精霊女王さま。彼女も世間一般からみれば、ダイナマイトボディの持ち主なんだが。
――そしてフローラは、お土産にミードをもらいブラム城へ戻った。
「これは、どういう状況なのでしょうかフローラさま」
「うんとね、調理実習で精霊女王から預かったのよ。この子からオメガ、アルファ、ラムダ、コロナ、シータ、ベータ」
「さ、さようですか」
それじゃオメガとアルファにラムダをよろしくねと、グレイデルに火と水と地の精霊を預けたフローラ。彼女はその足でスティルルームへ向かい、ファス・メイドの三人に奇妙な指令を出すのだ。
「感謝の気持ちを込めて、黒胡椒や唐辛子を摘まむのですか? フュルスティン」
「んふ、そういうことよケイト。ミユーレとジュリアもやってみて」
訝しながらもやってみたら、指先からそれが消えるじゃあーりませんか。ケイトには火属性のコロナが、ミューレには水属性のシータが、ジュリアには地属性のベータが、お友達になってくれましたよっと。
姿が見えなくても、言葉を交わせなくとも、手ずからで辛いものをあげたら精霊さんは懐いてくれる。軍団はカヌマンを目指してブラム城を離れるけれど、スティルルームに新たなグルメの幽霊さんがやって来ました。お城で不思議な現象は、これからも続くのである。
「あーあ、空はこんなに青いのに、どうして私は装甲馬車に乗ってるんだろう」
「空は青いですけど、風は痛いほど冷たいですよ、フローラさま」
手綱を握るグレイデルが、相変わらずですねとくすりと笑う。フローラ軍とグリジア軍は、歩調を合わせ首都カヌマンを目指しブラム城を出発していた。
グリジア軍の農民兵が、街道を進む隊列から帰郷するため次々離れていく。ゆえにグリジア軍の人員はどんどん減っていくのだが、それは予定していた事だから何の問題もない。雪が降る前に収穫を終わらせ、越冬に備えて欲しいのだから。
「私は他国の領民から恨みを買いたくない、こんな考えは甘いかしら、グレイデル」
「次期女王陛下がお決めになったことです。それが正しかったかどうかを判断するのは、後世の歴史学者ではないでしょうか、フローラさま」
家臣たちはあなたを信じて付き従うのですと、グレイデルは後ろを振り返った。視線の先では重装兵と弓兵に軽装兵が、歩きながら仲良くなったグリジア軍の兵士たちと和気藹々。
民心を動かすのは権力でも法でもなく、ましてや暴力でもありませんと、グレイデルは視線を前に戻した。彼女が見るその先には、弟マルティンにブラム城を任せたヴォルフが、馬にオレンジ色の旗を立てて軍団を先導していた。




