第20話 戦わずして勝つ
――ここは夕暮れの執務室。
フローラが執務机に頬杖を突き、考え事をしていた。そう見えるだけで本当は、精霊たちと思念で会話をしているのだが。
衛兵がヴォルフの帰還を告げ、グレイデルは城門に兄弟を迎えに出ている。アンナは執事長ケイオスに届ける書簡を認ており、レディース・メイドとファス・メイドが夕食のテーブルセッティングを始めていた。
『いくら考えてもローレン王国を滅ぼして、誰が得をするのか分からないのよね』
『王国を切り離して考えたらどうじゃ、フローラ』
『切り離すって? ノーム』
『狙われているのは国や領地ではなく、お前さん自身ってことも考えられる。シルフィードはどう思うかね』
『ある意味フローラは信仰の対象になるもんね。悪しき信仰の徒からすればローレン王国の女王は、目の上のたんこぶみたいなものよ』
『主戦力を欠いた状態でグリジア王国軍が攻め込み、ローレンの聖女を捕縛か殺害、そんな所じゃないかしら。ねえサラマンダー』
『ウンディーネノ推理ニ一票ダナ、問題ハソノ首謀者ガ誰カトイウコトダ。ソイツガ得ヲスル奴ッテコトニナル」
執務机の上にはいつも豆皿が置かれていて、机にいる時フローラは黒胡椒の粒と唐辛子を盛る。徐々に減っていくのだが、誰もその件は気にしていない。
シュタインブルク家の血を引く女子は、水を飲むがごとく辛いものを消費する。古文書にそう書いてあり実際にそうなのだから、みんなそういうもんだと割り切っているのだ。
『そっか、私を何とかしたい異教徒がいるってことね、ウンディーネ』
『クルガ王国とレーバイン王国、そしてグリジア王国。この三国は異教徒によって動いている、そう思った方がよさそうよ』
問題は三国の王族が直接関わっているのか、はたまた宰相や大臣に王族がたぶらかされているのか。グリジア王国の内情を聞く限り後者ではないかと、精霊さん達は手渡された黒胡椒や唐辛子をもーぐもぐ。
この四精霊がフローラの、大切なブレーンである。十四歳の少女にしては思慮深く名案を思い付いたりするのは、精霊さん達がバックアップしてくれてるから。
地属性のノームは、とんがり帽子をかぶった小人さん。
水属性のウンディーネは、人の形をしてはいるが透き通る液体さん。
火属性のサラマンダーは、真っ赤な色したトカゲさん。
風属性のシルフィードは、一対二枚の翅を持ち飛び回る小人さん。
フローラの頭や肩にちょこんと乗れるサイズだが、その御業は人知を遙かに超えたもの。ちなみに御業を行使する際、スペルの詠唱は必要ない。必要ないのだが何故か精霊さん達から、このスペルで格好よく決めてねって指定されている。
以前それに意味あるのと尋ねたら、相棒のシルフにめっちゃ怒られたとはグレイデルの談。精霊さん達は御業のスペルに、それなりのこだわりがあるっぽい。
フレイムアナコンダはサラマンダーからの、ジャイアントスィングはシルフィードからの、指定されたスペルである。
その御業を実際に発動するのが、シュタインブルク家の血を引く女子だ。自分自身が精霊の魔力を通す触媒となるため、精神力と体力を消耗するのが難点。ゆえに大技を連発すれば睡魔に襲われ、眠ってしまうのがローレンの聖女である。
「あ、エデルだ」
窓に執事長ケイオスの伝書鳩が舞い降り、文を外すと三通あった。
一通目はミハエル候が現在レーバイン王国で、国境の城攻めをしているとの内容。今のフローラとは、真逆の戦いをしているわけだ。グレイデルの母パーメイラも精霊使いの聖女だから、敵城を難なく落とすに違いないと口角を上げる辺境伯令嬢さま。
二通目は首都の水害対策で、運河の要所に水門を設置する計画書。三通目はそのために国庫から資金を拠出しても良いかと、金庫番も兼ねる執事長ケイオスからのお伺いであった。
『水の都も台風や長雨で増水すると、家屋で床下浸水とか被害が出るものね。ウンディーネはこの計画書、見てどう思う?』
『こことここに設置する水門、位置が適切じゃないわ、フローラ。この二カ所はもっと上流の、ここら辺が妥当ね』
二通目の計画書に改善指示を書き込み、フローラは机に灯されたランプに封蝋をかざした。程よく溶けたところで三枚目の、お金出していいですかの書類に垂らす。そこへ右手人差し指にはめた指輪を押し付けると、冷えて固まった封蝋には家紋である双頭のドラゴンが。
ミハエル候は女王となるフローラに、国家運営の全権を任せている。その権限を示すのが紋章印となる、人差し指にはめた指輪なのだ。紋章の下にフローラがサインすることで、水門設置の事業を費用込みで許可したことになる。
「私の文も一緒にお願いしてよろしいかしら、フローラさま」
「いいわよアンナ、ブラム城で採用する使用人の件ね」
「さようです、城主の家禄を決めねばなりませんから」
アルメンの領民は、長いこと重税を課されていた。生活を改善してもらうため、向こう三年間は税を免除にしている。その間は領主となるミューラー家に、城と領地を運営するだけの家禄を与えなければならない。アンナの書類にも封蝋を垂らし、紋章印を押すフローラである。
「ジュリア、この子にパンくずと豆にトウモロコシをお願い」
「かしこまりました、フュルスティン」
伝書鳩を使ったやり取りがあることには、もうすっかり慣れたファス・メイド。給仕用ワゴンの下段にいつも用意しており、お皿にこんもり盛って鳩においでおいで。
「クルックー」
「こっちはお水ね、たんとお食べエデル」
暖炉の上に置かれたご飯と水を、無心になってついばむケイオスの伝書鳩。飲食を一切せずに飛べるのは、首都ヘレンツィアからブラム城までが限界。そうなるとこの城にも、中継地点として飼い主と鳩小屋が必要になる。
ローレン王国の正規軍も途中の同盟国に、鳩小屋を積んだ馬車と鳩使いを待機させ文を中継していた。ブラム城にもヴォルフとマルティンはもちろん、使用人にも何羽か必要になるだろう。
「兵站の木工職人に、鳩小屋を作ってもらいましょう、アンナ」
「キリアに伝えておきます、フローラさま。差し当たって四羽、あとはこちらで繁殖させてもらうと言うことで」
鳩さんが来るんだと、ファス・メイド三人がぱっと顔を輝かせた。子猫もそうだが基本的に、彼女らはペットとふれ合うのが大好き。乗馬の訓練も進んでおりゲルハルトに言わせると、馬が出せる全速力の襲歩も扱えるようになったそうな。
――そうして一週間が経ち、休戦が終了した。
「もう体調はよろしいのかしら、ハモンド殿」
「おかげさまでな、フローラ殿」
フローラと騎馬隊が、同じくハモンドとその騎馬隊が、跳ね橋を渡った先で対峙していた。騎士道精神に則り、戦闘再開の挨拶を交わす双方の指揮官である。
「世話になったがそれはそれ、これはこれだ。わしは手を緩めることなど、一切せんからな」
「もちろん我が軍も、全力で受けて立ちましょう。ところでハモンド殿、ひとつお尋ねしてもいいかしら」
「何かね?」
「あなたの軍団は首都カヌマンを出立する際、王族に見送ってもらえたのかしら」
ハモンドの口髭が僅かに動き、護衛の騎馬隊が顔を見合わせる。
王から激励のお言葉を頂戴し、見送ってもらうのはどこの国も同じ。石橋でフローラが奪還部隊を鼓舞したように、それが無ければ戦う意義を見い出せないのだ。王国の正規兵であるならば尚更で、士気に関わる重要なセレモニーと言える。
「話し難い事かしら? なら質問を変えましょう。直近で王か王子に謁見できたのはいつかしら」
「フローラ殿、何が言いたい」
「あなた方が真に王の命を受け、ここへ来たのか知りたいだけよ」
三千の兵を任されるくらいだ、ハモンドは公爵か侯爵の貴族軍人であるはず。夜襲や卑怯な手は使わず、城攻めはお手本となる正攻法。そこはフローラ軍の各隊長たちも、技量を認め評価しているところ。
「騎乗での立ち話も何ですし、お茶でもいかが? ハモンド殿」
「……はい?」
一陣の木枯らしが吹き抜けていき、双方の騎馬隊が石像と化してしまった。この人いったい、何を考えているのだろうかと。いやいやシュタインブルク家の、次期当主なんだけども。
歴史を第三者視点で綴る、年代記作家クロニクルライターがどの教会にもいる。特定の勢力に肩入れすることなく、出来事をありのままに書き残す仕事だ。
戦場で起きた事も例外ではなく、従軍司祭が書き留め、所属する教会へ報告する義務がある。跳ね橋のたもとでオイゲンとシモンズにレイラが、これどう報告しましょうかと頭を抱えていたりして。
「お毒味を致しましょうか」
「ミリアと言ったか、要らんよ。我々を全滅させようと思えばいつでも出来たはず。今更わしを毒殺しても、益はなかろう」
双方の騎馬隊は後方へ下げられ、運ばれてきたテーブルセットに座るのはフローラとハモンドのみ。フローラの後ろには護衛でヴォルフとマルティンが立ち、ハモンドの後ろにも護衛武官が二人だけ。
開戦前とは言え戦場のど真ん中で、双方の指揮官がお茶会なんて前代未聞もいいところ。従軍司祭が報告に悩むのも、よく分かると言うもの。最終的には法王さまが目を通すから、本当にあったのかと司教から追求される未来が見えた訳で。
給仕に当たるのはレディース・メイドのミリアとリシュル、怖いだろうに堂々と振る舞い役者を演じている。第一城壁の上からその様子を見守るファス・メイドとキャッスル・メイドが、すごいと感嘆の息を漏らしていた。
「このサンドイッチは美味いですな。ほら、お前達も食べてみろ」
上司から手渡され、戸惑いながらも口にする護衛武官。さすがねと目を細めフローラも、ミューラー兄弟にジャムをたっぷり塗ったスコーンを手渡した。剣の柄から意識を離せって意味であり、ここで抜くなと言う指揮官の意思表示である。
「それで、長いこと王には謁見できていないのね? 三千の兵を任される武将が」
「軍団を見送りに来たのは、宰相ガバナスだった。いけ好かない男だ、わしだけではなく、国の重鎮たちを王族に会わせようとしない」
やっぱりなと、腑に落ちたフローラ。精霊さん達も予想通りと、ティースタンドに集まりもーぐもぐ。ミリアとリシュルが、新しいお茶を注いでいく。
「聖地巡礼の聖職者から、首都カヌマンの状況は聞き及んでいるわ。歴史を遡って鑑みれば、いつ反乱が起きても不思議じゃない状況よ」
「フローラ殿、そなた何をどこまで知っている」
戦い方からして、この男はひとかどの武人であろう。多少は情報提供してもいいかしらと、フローラは精霊さんと思念で作戦会議。
「まずはグリジア教会のモラレス司教から、話しを聞くことね。教会は政治に関与しないけど、尋ねればこの件は話すと思うわ」
「教会が? どんな内容なんだ」
「宰相ガバナスは悪しき呪術を使い、聖職者さえ手にかける。状況証拠は揃ってるんだけど決定打がなくて、教会は法の裁きを下せずにいるの」
「ばかな!」
目を剥くハモンドと、開いた口が塞がらない護衛武官の二人。王命であればどんな戦でも喜んでするが、異教の徒からいいように操られては、死んだ兵士たちが浮かばれないからだ。
「馬に負担がかからないよう体重の軽い兵を選抜して、宮殿の内偵をさせたらどうかしら。伝令による戦況報告と言えば、筋は通るでしょう」
戦いたいなら戦闘を再開してもいいけれど、大義名分を失った軍団が戦意を維持できるのかしらと、フローラはハモンドの護衛武官に視線を移す。いったい俺たちは何のために血を流しているのかと、二人は唇を噛み拳を握りしめていた。
「そちらに情報が集まるまで、休戦を延長してもいいわよ。その場合は温かいスープを提供しましょう、朝晩の冷え込みが厳しくなってきたし」
「そこまでして、ローレン王国に何の利益があると言うのだ、フローラ殿」
「私たちは首都カヌマンへ赴き、王族と和平条約を締結したいの。もちろん教会で、神と精霊の名の下に」
――そして夕食の執務室。
休戦は延長され、双方が武器を納める事となった。
自警団が反乱を起こす件に関しては、伏せておいたフローラ。ハモンドが農民兵を解散させ、自警団と足並みを揃え宰相ガバナスをとっちめるのが理想的。その場合はフローラ軍が協力するのも、やぶさかではない。
「冷や冷やしましたぞ、フローラさま」
「戦わずして勝つって、こういう事よゲルハルト卿」
「昨日の敵は今日の友、ですねフュルスティン」
「利害が一致するなら、敵軍と手を結ぶことだってあるわ、ヴォルフ。私たちは殺戮のために戦ってる訳じゃないのだから」
そうですねと、スプーンをわしわし動かす隊長たち。
今夜はついにキリア特性、火山噴火カリーのご登場。ライスを皿に盛って中央に穴を開け、そこにカリーを流し込む。いかにも火山が噴火して、溶岩が流れ出るような演出だ。もちろんフローラとグレイデルには激辛の真っ赤っか、裾野に流れ出すそれは灼熱のマグマ。
そんな中お代わりとお冷やのリクエストに応じる、ファス・メイドの三人。給仕に於いては役者に徹しろと言われているが、グレイデルとヴォルフにだけは、どうしても顔がにやけてしまう。そんな三人にメイド長が、こほんと咳払いするのであった。




