第191話 堕天使の過去
ここは応接室のひとつ楓の間。客室も含め部屋が沢山あって混乱するからと、女官たちが勝手に名前を付けてるのだけど。どうも数字表記の部屋番号は味気なく、固有名詞を与えることで愛着が湧くってのもあるんだろう。
キリアはキャビネットの上を、人差し指ですいっとなぞる。指にホコリが全く付かないあたり、掃除が行き届いている証だ。セイクリッド王国の首都ファーレンに立つ王城ゆえ、維持管理を行う使用人の質が問われる。ヤパンの女官たちは合格ねと微笑み、彼女は人差し指をハンカチで拭う。
「キリア、連れてきたぞ」
「ありがとうダーシュ。こちらへお座りになって、ガアプ」
執務室で既に、フローラの前で自己紹介は済んでいる。女官に給仕はいいからとお断りしたキリアは、自らの手で紅茶を淹れ案内された堕天使ガアプの前にことりと置いた。当の本人は眉を八の字にし、どうにも落ち着かないようす。変な事したら燃やすぞ噛みつくぞって勢いの、強気なダーシュがキリアの足元で構えている。
「はい、どうぞ召し上がれ」
「い、頂きます」
お菓子は三人お嬢から手土産にともらったシュークリーム、今頃は三時のお茶で女官たちも箱を開けていることだろう。西大陸風の甘い洋菓子に関しては、ルディとイオラの得意とするところ。粉ものはカレンも一家言を持ち、三人お嬢が作るお菓子は軍団でも評判がいい。三人娘が手掛ける東大陸風の和菓子と対を成す至宝、とはミリアとリシュルの談。
「おい……しい」
「それはカスタードね、こちらは生クリームよ。ダーシュはどっちがいい?」
「俺はカスタードからいきたいな」
シュー生地を考え出した人間は天才だなと、自らも椅子に乗っかりわふわふ頬張ったわんこ精霊。そのダーシュが「お前さんはどうして堕天したんだい」と、ど直球で聞いちゃった。あまりにもストレートすぎて、キリアがあわわと動転してしまう。不躾な犬ねとガアプが睨み付けるも、わんこ精霊はふんと鼻を鳴らし半眼で見返す始末だ。
ダーシュはオブラートに包んだような、まわりくどい話し方なんて出来ない。イエスかノーか、オンかオフか、良くも悪くもどっちかである。初めてシュバイツと会った時フローラの事を相談され、そりゃお前が悪いとばっさり切り捨てたくらいだ。ただし仲直りするための、的確なアドバイスもしている。これが犬ならざる存在として進化した、ダーシュの性質なのかもしれない。
「少なくとも、キリアの血圧を上げる奴は許さないからな」
「この私に勝てるとでも、思っているのかしら」
「あいにくとここは魔素のない人間界、お前さんどのくらい戦闘モードでいられるんだい? 土着精霊の持久力を舐めんなよあいだっ!」
キリアの拳骨がわんこ精霊の脳天にヒット、大好きな人からの物理攻撃は肉体だけでなく精神的にも痛い。何すんだようと恨めしそうな顔をするダーシュの頭を、今度はすりすりと優しく撫でるキリア。その目を見れば、どうどう落ち着けと言ってるのが分かる。
「フローラさまはいずれ、このファーレンにも恒久的な結界を展開するでしょう」
「何が言いたいのです? キリア」
「邪神とて、人間と絆を結ばなければ子孫を残せないでしょう。しかも童心を忘れない清らかな魂が条件なのは、他の異界と変わらないって聞いたわ。大陸の主立った首都は既に結界が施され、邪神にとってはチャンスを閉ざされてしまうのよ」
「うっ」
フローラが魔力底なしであるナナシーの協力を得て、張り巡らせた虹色結界を解除できるのは大地母神アナくらいであろう。魔力差が上位でないと、結界の中に入る事は不可能だ。
気に入る相手を見つけるには人々が集まる都市が良いわけで、結界内に入れない邪神はほぼ詰みである。清らかな魂を持つ人間探しとなると、ヒューマンモードでその地域に溶け込まねばならない。人口の少ない町や村を、相手探しで放浪するなど効率が悪すぎるのだ。
「それは……困る」
「だからね、私を友人と思って身の上話しを聞かせて欲しいの」
「聞いてどうする」
刺すような視線をぶつけるガアプだが、キリアは涼しげな顔で受け止める。
フローラは邪神が絆を結べるよう場を提供する意味で、わざとファーレンに結界を展開していない。キリアはそれを承知の上で、ガアプにブラフと言う名のはったりをかましているわけ。彼女はけして嘘など言っておらず、フローラが方針を変えればファーレンにも入れなくなるのは事実だからだ。
内心で大商人の口八丁手八丁ここに極まれりだなと、ダーシュは皿に置いてもらった二個目の生クリームシューをもーぐもぐ。警戒はそのままでお手並み拝見と、成り行きを見守っている。
「私が最後に人間と絆を結んだのは二万年前、天使だった時よ」
「遊び心を忘れない、素敵な人を見つけたのね」
「そう思っていた、信じていた」
「どういうこと?」
最初は純粋な気持ちで絆を結んだ王族だったが、やがて天使の魔力で得た力を悪事に利用し始めたのだとガアプは話す。光と闇に地水火風の六属性持ち、ガアプはリュビン隊長よりも格上の高位天使である。その相手は覇権を得るため敵対する者はことごとく魔法で葬った、それを諫めようとする身内の家臣でさえもだ。
「私は原理原則に従う天使、善と悪の板挟みになってしまったの」
「第八天使隊と付き合いがあるから理解できるわ、苦しかったでしょうね」
「苦しいなんてもんじゃないわ、私は正気を失いその王族を殺めてしまった」
「え……」
「絆を結んでおきながら死に追いやるなどあってはならないこと、私はその時に闇落ちし、堕天したのよ」
純白の翼は鷲のような茶黒となり頭には巻き角が生え、神界にはいられなくなってしまった。と言うよりも議会から追放を宣告され、邪神界へ流されたと言った方が正しい。
純粋であるがゆえに原理原則オタクの取り扱い注意、それが天使だけれど正しく敬えば愛すべき種族の精霊である。闇落ちさせてしまったのは、悪しく敬った人間側の責任に他ならない。キリアは腹立たしくて、手にしたシュークリームを握り潰しそうになるのをぐっと堪える。
「どうして涙を流すのよ、キリア」
「あらあら、心の深いところに染み込んだせいかしら」
「私のために、泣いてくれてるの?」
「悩み苦しんだ末に断行したのね、あなたは悪くない」
すんと鼻を鳴らした堕天使の瞳からも、涙が零れ落ちた。あれやこれや持論を展開し、説教じみたことを言う輩は多い。しかし自分のことを否定せず肯定してくれる相手には、心が落ち着き素直になれるものだ。
キリアは彼女の空になったティーカップに紅茶を注ぎ、黒胡椒の粒を取り出す。天使は情愛を持って黒胡椒を差し出されたら拒めない。それを知っていて尚、キリアはワンクッション置くのである。
「生クリームを使ったシュークリームにはね、当たりがあるの」
「当たり?」
「季節外れだけど、フローラさまがイチゴを栽培してね」
「妖精王オベロンの加護ね」
「そうそう。私は商人だから棚からぼた餅みたいな運は信じない、運は自ら切り開くものだから。残った二個の生クリームシューを、どちらか選んでちょうだい。もし中にイチゴが入っていたら、このおばあちゃんが天命を迎えるまで付き合ってくれないかしら」
ダーシュは知っている、生クリームシューにはみんなイチゴが入っていることを。
けれど迷える魂に決断を促し、正しく導く嘘も方便ってやつだ。涙ながらに頬張ったイチゴ入りの生シューと黒胡椒は、しょっぱくてほろ苦かっただろう。けれどガアプにとっては、きっと忘れられない味になったはず。
「これからよろしくね、キリア」
「老い先短い年寄りだけど、あなたを幸せにしてあげる自信はあるわ」
「は、恥ずかしいこと言わないでよ」
証拠隠滅のため大口を開け、最後の生シューをキリアは頬張った。堕天使を救うためについた嘘を、責めることが誰にできようか。さて後は天使隊と険悪にならないよう、根回しねと商人らしく頭をフル回転させる。
「あなたの事はなんと呼べばいいかしら、土着の犬型精霊よ」
「ダーシュでいいぜガアプ、キリアのファミリーとして仲良くしような」
フローラが掲げた千年王国を実現しようと団結し、その身命をかけて戦った軍団である。天使はもちろん絆を結んだ愛する精霊に対し、信頼を裏切るようなことなどしない。天軍としての誇りと人間性が、絶対に曲げない譲れない矜持として魂に刻まれたからだ。これこそが女性は聖女になるための、男性はホーリーナイトになるための、長い道のりだったのかもしれない。
キリアは嘘も方便で人間に不信感がある堕天使を導いた。たとえ後でばれたとしても、それは善性の表れだからガアプも恨んだりはしないだろう。宇宙の意思と七大セラフは、果たしてこの出来事をご覧になっただろうか。花と春と豊穣を司るフローラが無自覚に蒔いた種は、芽吹き成長し花を咲かせ実を結ぼうとしている。
「もらってきましたよゲオルク先生」
「すまんなヤレル、おやこいつはまた」
「かんかかーんかん音頭の歌詞で、チャーハンだとは分かっていたけどな、ケバブ」
「まさか五目あんかけチャーハンだとは思ってなかったな、ジャン」
「でも豚肉にさやえんどう、きくらげにウズラの卵、竹の子とむき海老に小松菜とニンジン、厳密に言えば七目ですよねゲオルク先生」
「細かいことを言いなさんなディアス、栄養面で見たらよく考えられた夕食だ」
ここはアウグスタ城の正門広場、兵站部隊の救護用テント。時差があるためこちらは夕飯の時刻で、行事用テントは兵士らが行列を作り賑わっている。
やがて組合三人衆、ミリアとリシュルの婚約者まで、夕食が乗るトレイを手に集まっちゃった。兵站部隊に所属する男衆のたまり場と化した救護用テント、手狭だから拡張しようかなんてディアスが言い出しちゃう。
「負傷兵を収容するためのテント、それを拡張するってのはどうなんだろうな、セルジオ」
「うーん……負け戦のフラグを立てるような気がしないでもないな、アンサム」
自警団出身の二人が真顔で頷き合うもんだから、みんなレンゲの手を止めくぷぷと笑い出してしまう。確かに縁起が悪いかもと、言い出しっぺのディアスが副菜の空心菜炒めをひょいぱく。そこへゲオルク先生がそもそもだなと、レンゲを横に振るのである。
「診察台やベッドを増やしても、医師や看護師の数が増えなければ意味ないだろう」
「確かに、今は先生と助手のジャンにヤレルだけだもんな」
「その通りなんだケバブ。怪我や病気の治療だけでなく、定期的な健康診断もしたいんだが、いかんせん人手が足りなくてな」
聖女が回復魔法を使えるからと言っても、彼女たちは睡魔と戦うことになる。魔王閣下の加護はあくまでも睡魔の軽減であり、魔法を使い過ぎてベッドに入れば二日か三日はくーすかぴーだ。戦場では回復要員として魔力を温存して欲しい、これがゲオルクの本音である。
「お邪魔しまーす」
「どうしたシュドラス」
「糧食チームからまかないの生春巻きをもらったんだ、ジャン。皆さんで召し上がれって」
「でかした!」
そりゃねえ、三人娘も三人お嬢も婚約者が救護テントに集まっていれば、無意識のうちに多く作っちゃうのですよ。副菜が一品増えて、ご相伴にあずかれる男衆は大喜びだ。でもシュドラスが参加したことで、テントの人口密度が更に高くなっちゃいました。彼女としてはジャンにぴったりくっ付けるから、嬉しそうな顔してますが。
「ジャン、ひとつ相談を聞いてくれないか」
「何でしょう、ゲオルク先生」
「シュドラスを助手にしたいのだが」
「へ?」
「あのう、僕は羊飼いで医療の知識は……」
それはこれからおいおい教えるからと、ゲオルクは目尻に皺を寄せた。シュドラスはローレン皇帝領の領民となり軍団では兵站部隊の所属、だがこれといった役職はもっておらず糧食チームのお手伝いをするくらいだ。
「シュドラスは羊の解体から、食肉加工までこなす。血まみれで内臓がはみ出してる患者を見ても、平気だろ?」
「そこは大丈夫だけど、僕でいいの? 先生」
「やってみたらどうだ、何事も経験さ」
「ジャンがそう言うなら、うんやってみる」
これにてテントの拡張が決まり、明日さっそく取り掛かろうぜと男衆は気勢を上げた。キリアがファーレンから戻ったら、私の方から話しておくとゲオルクもにっこにこ。いや単にこの人たちは、憩いの場を広くしたいだけだろう。