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第19話 休戦中のひとこま

 ――ここはブラム城の中庭。


 頭にお盆を乗せたメイド達が、地面に置かれた長い角材の上を歩いていた。幅は彼女らが両足を揃えた位で高さも同じ、歩く姿を優美に見せる訓練だ。

 素養があるのかファス・メイドのケイトとミューレにジュリアは、お盆を落とすことなくすいすい渡っていく。対してキャッスル・メイドの七人は、お盆以前に角材を真っ直ぐ歩くので悪戦苦闘していた。


「あなた達、ちょっといらっしゃい」


 アンナに呼ばれこれはお叱りを受けるかもと、半べそをかきながら集まるキャッスル・メイド達。あらどうして泣きそうな顔するのよと、メイド長は苦笑しながらファス・メイドに人差し指を向けた。


「よくご覧なさい、背筋を伸ばし、上半身を揺らさず、楚々(そそ)と歩いているでしょう。彼女たちをお手本にするといいわ」

「これはどうしても、覚えなければならないのですか? アンナさま」

「そうよ、ブラム城に王侯貴族が訪れたなら、接待するのはあなた方ですから」

「でも私たち村娘ですし」


 年長であるエルザがこぼし、アンナの眉がぴくりと動いた。

 それはメイド長の前で、けして口にしてはならない言葉。ミリアとリシュルがお茶の支度をしながら、あちゃあという顔をしている。


「あちらのテーブルにどなたがいらっしゃるか、言ってごらんなさいエルザ」

「ゲルハルト卿とキリアさま、百人隊長の皆さまにポワレさんです」

「エルザはあのテーブルに、貴族と領民の線が見えるのかしら」


 みんなお茶をしながら、和やかに談笑していた。確かに爵位や役職といった敬称は付けるが、みんな友人のように語らい合っている。貴族には貴族の役割があり、領民には領民の役割がある。厳然たる違いはあっても、それは立場の違いでしかない。


 アンナはローレンの民を、平民とは言わず領民と呼ぶ。自身の祖先が一般軍人として武功を上げ、シュタインブルク家から叙爵され貴族となった経緯があるからだ。

 答えに迷うエルザたちに、目を眇めたアンナ。そして彼女は厳しく言い放つ、線引きしてしまうのは無意識のうちに、自分で自分を差別しているからよと。


「一般の領民からバトラー(執事)メイド(女中)を雇うのは、貴族とは異なる視点で世間を見る事ができるからなの。主人が間違っていたならそれは間違いですよと、はっきり言える友人になるのが直属のバトラーとメイドです。

 村娘が何だと言うのですか! 価値ある人物と認めれば貴族は雇うし、能力に見合った対価を払うのです!」


 分かったら角材に戻りなさいと叱咤しったされ、キャッスル・メイドは本当に泣きながら駆け出して行った。彼女らはファス・メイドの三人に、コツを教えてくださいと胸の前で手を組み教えを請う。


「聞こえましたよ、アンナさま」

「あらゲオルク先生、いつの間に。あれで出来ない自分が悔しいと感じたなら、見込みがあると思いません?」

「そうですね、獅子の子落としなんてことわざもございます。実際に百獣の王ライオンは、わが子を谷底に落としたりはしませんがね」

「厳しい試練を与えその器量を見ながら、一人前に育てるという意味ですもの。言い得て妙なことわざですわ」


 一緒にお茶はいかがとアンナに誘われ、喜んでと微笑みリシュルが引いてくれた椅子に座るゲオルク。彼も町医者ではあるが尊敬に値する人物であれば、貴族もこうして礼を尽くし友人として接する。


 ミリアの実家は衣服の仕立て屋さんで、リシュルの実家は船を使った水上運送業。二人とも普通の町娘で、取り立てて裕福な家柄って訳じゃない。キャッスル・メイド達の村娘根性を直してあげないとね、そう頷き合いながらお茶を淹れる、ミリアとリシュルであった。


 ――その翌日、ここはスティルルーム。


「これは? ケイト」

「兵站部隊の木工職人さんに、お願いして作ってもらったのよ、エルザ」


 それは木材から作った丸い玉で、彼女らが両手を広げて抱えるほどの大きさ。ファス・メイドの三人は玉にひょいっと乗り、器用に足を動かし転がし始めた。

 うっそと目を見開くキャッスル・メイド達に、小さい頃からこれで遊んでたんだと笑うケイトとミューレにジュリア。


 あの平衡感覚はこれで養ったんだと、キャッスル・メイド達は直ぐに気付く。だから玉を用意してくれたのねと、感謝の気持ちで胸がいっぱいに。

 訓練と聞けば身構え緊張もするが、遊びとなれば話しは別。みんな用意された玉に乗り、両手をぱたぱたさせ、よっはっほっとバランスを取る。そうそう上手上手とファス・メイドが手を叩き、キャッスル・メイドはみんな笑顔になっていた。


「サーカス団にでも入るの? ケイト」

「あはは、立ち居振る舞いの練習です、ポワレさん」


 ひと足遅れて休憩に入った糧食チームの面々が、目の前で繰り広げられる光景に呆れてしまう。しかもファス・メイドの三人は玉乗りしながら、料理をしているではないか。もはや遊びの範疇を超えた、職人技というか名人芸というか。それで食っていけるかもと誰かが言い、スティルルームが陽気な笑い声で満ちる。


「なるほどそう言う事だったのね、エルザ」

「そうなんですポワレさん、悔しいから身に付けようって、みんなで決めたんです。おっとっとっと」


 その意気よがんばってと、糧食チームが頬を緩め声援を送る。気持ちが下を向かず前を向いてる若い子は輝いており、応援せずにはいられないのだ。そこへキリアがやって来て、ぽかーんと口を開けてるけど。


「私たちの兄ですか? キリアさま」

「長男ではなく次男以降よエルザ、みんなもいるかしら?」


 農村であるから十人家族や二十人家族なんて当たり前、キャッスル・メイドにはみんな兄弟がいる。その兄がどうかしましたかと、エルザがこてんと首を傾げた。


「メイドには出来ない力仕事を手伝ってくれる、若い男手が城には必要なの。フュルスティンがあなた達の働きぶりを見て、お兄さんがいれば下男として雇いましょうと仰ったのよ」


 ここで言う下男とは使用人の中でも、最下級の汚れ仕事をすると思われるかもしれない。確かに最初はそんな仕事も多いが、バトラー(執事)見習いとして教養と作法を叩き込まれるのだ。その頂点に立つのがヘッド・バトラー(執事長)であり、メイド長と協力して城の管理運営を主人から任される立場となる。


 ヴォルフのミューラー家にも、執事長とメイド長に配下の使用人はいる。けれどお屋敷住まいの人数であり、ブラム城を切り盛りするには人手がまるで足りない。そこで一計を案じたアンナが、辺境伯令嬢さまに働きかけたのだ。


「お兄ちゃんを雇っていただけるのですか? キリアさま」

「だからそう言ってるじゃないエルザ、家に帰ったら家族と相談してね。毎日通うのではなく、交代で泊まり込みの件も含めて」


 お兄ちゃんと一緒に働けるのが嬉しいのか、キャッスル・メイド達は元気よくはいと声を揃えた。ユナイ村の村長ゼベルには、追加でランドリー・メイドとキッチン・メイド、更に庭師を探してもらっている。ブラム城を国境の砦ではなく、諸外国の要人を受け入れられる城へと、変貌させる下準備は始まっているのだ。


 ――その頃、ここは地下通路の入り口。


「兄上、キャンプしながら待ってて下さったのですか?」

「久しぶりだなマルティン、体もずいぶんがっちりしたじゃないか、まあ馬から下りて座れよ」


 籠城戦と書簡で読んでいたから、まさかヴォルフがテントを張り、野宿しているとは思わなかったのだ。そんな兄からぶどう酒の入った革袋を手渡され、戦はどうなっているのですかと尋ねるマルティン。


「グリジア軍に病気が蔓延してな、一週間の休戦中だ。跳ね橋から堂々と入城できるから、フュルスティンのお許しを頂きここで待ってたんだ」


 そういう事ですかと、ぶどう酒を口に含むマルティン。焚き火には串に刺した腸詰めが炙られており、遠慮なくかぶりつく弟に目を細める兄貴のヴォルフ。


「兄上、少し変わられましたね」

「俺が? どんな風にだ」

「言葉では説明しにくいのですがその……ごつごつした川石が、水流で角が取れ丸くなったような。少々気味が悪いです」


 ああん? という顔で半眼となるヴォルフに、いや良い意味でと慌てて訂正するマルティン。昔はよく兄弟喧嘩したものだが、今ではその程度で仲違いに発展することはない。

 父の仇討ちを見事に果たした自慢の兄、弟としても鼻が高いというもの。そんなヴォルフのまとう雰囲気が、戦時だと言うのに気負っておらず、柔軟さが感じられ戸惑っただけだ。


「実はな、マルティン」

「はい兄上」

「一生かけて添い遂げたいと、思えるほどの女性に巡り会ってだな」

「ほうほうほうほう!」


 焚き火を挟んで身を乗り出す弟に落ち着けと、炊飯用のメスティンで頭をこんと叩くお兄ちゃん。相手はどこのどなたですかと、恋バナの燃料投下に期待を寄せるマルティン。まるでご飯を待つ、尻尾ふりふりのワンコみたいである。


「グレイデルさまだよ」

「マンハイム家の……ご息女」


 もうここまで行ったんですかと、食べ終わった腸詰めの串で地面をちょんちょん突くマルティン。てっめぇふざけんなとメスティンを投げつける兄だが、それをひょいっと躱しながら破顔する弟。

 自由恋愛で政略結婚などという、面倒くさい慣習が無いお国柄。ゆえに男女の睦み事というか、下ネタ話しは割りと大らかだったりして。もちろんお子ちゃまの前では口にしないが、男同士の会話ではこうなる。


「それにしても義姉上あねうえですか、何だか良い響きですね」

「俺たちには姉も妹もいなかったからな、屋敷の女性は母上とメイドだけだった。お前がその気なら、領民の娘を一人や二人、囲っても構わないんだぞ」


 ローレン王国は一夫多妻制を認めてはいるが、やむをえない制度である。度重なる戦争で結婚適齢期の男性人口が減少し、お相手が見つからない女性や、戦争未亡人に戦争孤児が発生してしまう。そんな領民を救済するのも、貴族に課せられた責任なのだ。単純な貴族ハーレムとは、根本的に制度の持つ意味と背景が異なる。


「そうは言いますが兄上、囲って養えるだけの家禄かろくがあってこそでしょう。それに俺は複数の女性へ、平等に愛を分け与えられるほど器用じゃない。愛する人はひとりで充分です」


 家禄とは領地を持たない家臣に対し、君主が俸給を与える仕組みのこと。地域行政官としてアルメン地方の一部を、ミューラー家は領地として保有していた。二十年前の戦争で首都ヘレンツィアへ逃れ、領地を失い現在に至っている。


「それにしても兄上がこうして煮炊きをするなんて、母上や屋敷のメイド達が見たらどんな顔をするでしょうね」

「そうか? 兵学校の軍事教練にもあるじゃないか、別に普通だろ」


 いえそうではなくてと、マルティンが二本目の腸詰めにかぶり付いた。

 塩胡椒が用意されており、メスティンもあるなら米や麦を炊くのだろう。兵学校ではそこまで教えず、マルティンは兄がキャンプを楽しんでいるように見えたのだ。


「フュルスティンや隊長たちと、お茶や食事を共にしてるんだがな。そのせいかただ煮たり焼いたりじゃつまらなくて、味を追求するようになったんだ」

「兄上、いま何と仰いました」

「……味を追求するように」

「じゃなくてその前」

「次期当主さまと古参のお偉いさん達に交じってお茶や食事?」


 手にした腸詰め串を、落としそうになってしまうマルティン。

 武勲を上げたとは言え一介の騎士が、国の重鎮たちとテーブルを同じくするなどあり得ない。公爵家のご息女と恋仲でも、正式な婚約発表をしなければ席に呼ばれるはずがないと。


 何をどうしたらそうなる? 加えてそれに気付かない兄の鈍さもどんだけ。いやいやそうだそうだった、昔から兄は女性の扱いが丁寧だけど空気が壊滅的に読めない。そんな思考を頭の中で、ぐるぐる回転させるマルティン。


「お付き合いに至るきっかけを聞いても? 兄上」

「タイムの葉を添えた伝道の書を頂いてな」

「それは騎士冥利に尽きますね、最高の贈り物です」

「実はその意味が分からなくて、兵站隊長に相談したら怒鳴られ蹴り飛ばされた」


 当たり前でしょうと、呆れ果てたマルティンが串を縦にぶんぶん振る。やっぱりそうなんだと、気恥ずかしそうに頭を掻くヴォルフ。

 出立する前に、軍団の編成は頭に入れているマルティン。兵站隊長がグラーマン商会の会長夫人、キリアであることは知っている。キリア殿がいなかったら兄上は伝道の書を、ひたすら読んでいたのではあるまいかとため息を吐く。


 だがそれはひとまず置いといて、重鎮のお歴々と席を同じくする意味をマルティンは考える。それは領地持ち貴族としてローレン王国の舵取りを担う、家臣団の末席へ加わる事に他ならない。

 これはミューラー家にとって一大事、けれど当の本人は、あっけらかんとしているもんだから参る。まあそれが良いところでもあるがと、マルティンはぶどう酒を口に含んだ。


「兄上はお気付きでしたか」

「何をだ? マルティン」

「お屋敷のメイド、ナタリーから慕われてることですよ」


 そうなのかと、目をぱちくりさせるヴォルフ。やっぱりにぶちんだと、三本目の腸詰め串に手を伸ばすマルティン。二十年前に家族を失った戦争孤児で、ミューラー家が引き取り育てたメイドだ。


「兄上こそ囲ってやったらどうですか」

「ばっ」


 慌てふためくヴォルフにくすりと笑い、腸詰めにかぶり付くマルティン。空気を読み注意深く時勢を見極める、割りとさとい弟のようである。

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