第183話 異次元空間(2)
野営テント暮らしが身に染みついている兵士たちにとって、屋外での食事は思い入れのある格別なもの。行事用テントで糧食チームから受け取ったプレートを手に、テーブルや木の切り株に座りがっぽがっぽと箸を動かしていた。
夕食の献立は牛肉のオイスターソース炒めに、三色ナムルとカボチャの煮物。栗ご飯はお代わり自由で、これに溶き玉スープが付く。飲酒は解禁されているし、丸太小屋の建築と離宮の改修で忙しいからこそ、今夜も軍団メシが旨いってね。
「母上、肉です肉、しかも牛肉」
「落ち着くのです柚葉、それと対外的には春日さまと呼びなさい」
「も、申し訳ございません」
「それで、綾はどうしたのですか」
「キリア殿が子育ては得意だから預かると、そして私にたらふく食べてきなさいと仰いましたので」
キリアはもちろん糧食チームのおばさまたちは、子育て経験者だから離乳食の時期ねと盛り上がってます。初期は茹でたカボチャやサツマイモが良く、すり潰してペースト状にしてますよっと。子育ての経験はない三人娘だが、出汁で仕立てたおかゆもいいのよねと行事用テントが賑やかだ。
「ああ、肉がおいひい」
「はしたないですよ、柚葉。それにしてもこの味付け、東方のものだわ」
「春日さま、大聖女の側近に東方出身とおぼしき者がおりました」
「それはまことですか! 時宗」
この時宗が筆頭武官であり、柚葉の夫である。ヤパンから出航した時は若い下士官だったが、二十年の間に上官がみんな他界して繰り上がったのだ。この地に骨を埋めると覚悟を決め、思いを寄せていた柚葉を口説いたのである。結果として高齢出産となったが、ゲオルク先生の診察では母子ともに問題なし、ただ母親の栄養状態が良くないとの見立てであった。
「兵士らの糧食を手がけている娘三人なのですが、ウエイティング・メイドと呼ばれておるそうです」
「時宗よ、ウエイティングとは?」
「聞くところによりますと、格式で言えば大聖女に仕える侍女の二番目なんだとか」
三人の給仕に就いた配下の女官たちが、異国の者にそんな高い身分をと、驚きを隠せないでいる。そこへ桂林がデザートですよと、マロンケーキが乗ったお盆を手にやってきた。全員からすわっと視線を向けられ、桂林はうひっと顔を引きつらせる。
「そなたに尋ねたい儀がある」
「なな、なんでしょう、春日さま」
「出身はどこじゃ」
「ミン帝国です」
「帝国じゃと?」
「曹貞潤王は法王さまの指名により、東大陸を統括する皇帝になられましたので」
世界は大きく変わったと、その場の誰もが思い知らされる。この二十年を無為に過ごしてきたのかと、がっかりしょぼんだ。空気を読んだ桂林はケーキを並べながら、皆さんは運が良いかもと微笑んだ。
「運が良いとは、どういう意味だね」
「ミン帝国皇后の紫麗さまと四夫人が、いまこちらにいらしてるのです、時宗さま」
顔を見合わせる春日と柚葉に時宗。自分たちはミン国と、国交を樹立するための使節団だったのだ。皇后から国交の確約を取り付ければ、自分たちは使命を果たしたことになる。
「お目にかかることは、その……可能でしょうか」
「今夜はお忙しそうなので、あした会談できるよう段取り致しましょう、柚葉さま」
いくら大聖女の側近とは言え侍女風情が、帝国の皇后を動かせるのかと驚愕するヤパンの面々。その反応は正しいのだが、離島で一緒に遊んだし流行病では治療に奮闘した、半月荘出身の三人娘である。紫麗と四夫人からは、絶大な信頼を得ているのでござるよ。桂林は栗ご飯のお代わりありますからねと付け加え、お盆を胸に行事用テントへ戻って行った。
「長かったのう時宗、我らの苦労が報われるかもしれん」
「いかにも、これは千載一遇のチャンス、ものにしたいですな春日さま」
「うむ、そなたら給仕はもうよい、席に着いてしっかりと腹を満たすのじゃ」
春日の許可が出て、そわそわしていた女官たちが、ぱっと顔を輝かせ隣のテーブルに座った。フローラ軍の食事に毒見など不要なんだけど、一応はその舌をもって確認した彼女たち。だがその美味しさに、すっかりやられていました。箸を手に取り冷める前にと、眼前の夕食に果敢なアタックを始めちゃう。
「まさか米を口にできる日が来ようとは」
「しかも栗ご飯だなんて、兵士の糧食とはとても思えませぬ」
「ああ、牛肉が五臓六腑に染み渡ります」
「鶏卵のスープなど、なんて贅沢な」
「この三色ナムルとやら、どれも美味しい」
「カボチャもいけます、ああ幸せ」
「皆さん落ち着いて、ケーキなるお菓子もあるのですよ」
こうなるとさすがの春日も、はしたないとは言いにくい。時宗と柚葉が顔を見合わせ、肩をすぼめてへにゃりと笑う。難破した船に残る食料を使い果たし、粗食に耐え抜いて来たのである。ゲオルク先生が柚葉の健康を気にかけたのも、偏った食事による栄養バランスの乱れを懸念したからだ。
「こちらにいらしたのですね、お邪魔してもよろしいかしら? 春日」
「これは女王陛下、どうぞお気遣いなく」
全員が席を立とうとしたのだが、ナナシー二号はそのままでと制した。そして私のことは名前で呼んでとにっこり。同行した三人お嬢が全員に、ぶどう酒のグラスを置いて給仕に就く。押して来たワゴンには紙包みがいっぱい、中身はゲオルク発案のシリアルバーで、栄養補給してねってことみたい。
「私は対外的には、このような話し言葉になります」
「あの、ナナシーさま、それはどのような意味合いで?」
「身内とは素の話し言葉で語り合いたいのです春日、だめかしら」
「滅相もございません! むしろ身内と言って頂けて、嬉しく存じます」
三人お嬢が必死に笑いを堪えている。役者に徹する側近のメイドとしては、もうちょい修行が必要かも。でも先の展開が読めているからなので、ここにミリアとリシュルがいたとしても、きっと大目に見てくれるだろう。
「良かったんだな、これが素の話し言葉なんだほ。春日を侍従長に、柚葉をメイド長に、時宗を近衛隊長に任命するほ。時宗は礼拝堂で儀式を行うから、そのつもりでいて欲しいんだほっほ」
あまりの変わりように、石像と化してしまうヤパンの面々。
やっぱりそうなるよねと、三人お嬢が腹筋に力を入れてます。いまナナシー二号は女王としての正装で、頭には法王より授かりし女王冠、右手人差し指には向き合うワイバーンの紋章印が光る。セイクリッド女王で間違いなく、受けた衝撃は相当なものだろう。
「春日、おーい、おーい」
「はっ! もも、申し訳ございません!!」
「いいんだほ、それよりも女官の中に料理番がいるのか教えて欲しいんだな」
「弥生と申す女官だったのですが、既に他界しておりまして」
「それは残念だほ、砦にあった調味料は?」
「船から運び出したもので、二十年ものです」
弥生の部下だった女官も数名いるが、そもそも食材が手に入らなくてと春日はこぼす。それじゃ粗食にもなるわねと、三人お嬢は眉を曇らせる。魚介類と海藻類ばかり食べてたんじゃ、栄養も偏るでしょうと思念を飛ばし合う。炭水化物のお米が恋しかったのか、女官たちのテーブルにある栗ご飯のおひつはもう空っぽ。カレンが気を利かせ、行事用テントへもらいに行った。
「食べ物で苦労はさせないんだな、おいらにどーんと任せておけばいいほっほ」
たわわな胸をぽんと叩く二号に、ルディとイオラが再び腹筋に力を入れる。触手をいっぱい出して、百人前なんか一気に調理しちゃうからだ。フローラが持つ加護で食材に困ることもなく、その点では何の心配もない首都ファーレンである。
「私がナナシー二号のバストサイズを気にしてるかって? ラーニエ」
「そうそう、何か思うところはあるのかしらってね」
「ちょっと待て、それをこの場で聞くのかよ」
「シュバイツは黙っておるがよい、皆も気になるであろう?」
「おいおい紫麗まで」
女王テントで重職たちが集まり、夕食を楽しんでいる席でのひとこま。みんな気になっていたから、止める人が誰もいないという、ちょっとあんたたち。ちなみに紫麗と四夫人は、無事にお気に入りの天使をゲットしていた。
給仕に就くミリアとリシュルは、あちゃあとは思ったものの役者に徹している。女主人がどう考えているか把握しており、この際だからはっきりさせた方が良いと判断したからだ。
「あれくらい大きかったらいいなって、思わなくもないけど」
「うん」
「ふむ」
「でも肩が凝るんでしょ、グレイデル」
「ぶふぉっ、どうして私に振るのですか!」
女王テントが笑いに包まれ、ヴォルフだけが「そうか肩が凝るんだ」と真顔です。四夫人のひとりである賢姫が、腰帯を固めの厚い素材にするといいですよって人差し指を立てた。おπが帯に乗る状態となり、だいぶ楽になるんだとか。
「こほん、それでフローラ、あたいに続きを聞かせてくれないか」
「そうじゃな、是非とも聞かせて欲しいぞよ」
「えっとね」
「うん」
「ふむ」
「シュバイツがね」
「うんうん」
「ふむふむ」
「手のひらにすっぽり収まる、このサイズ感が好きだって言うから」
「ぶはっ」
「なんとまあ」
あんまり気にしてないのと、フローラは自分の胸を両手で包む。
そうきたかとラーニエは目を細めて頬杖を突き、紫麗は顔に手を当てくつくつと笑う。事実上は惚気を聞かされたようなもので、当のシュバイツはゆでダコ状態になってます。
四夫人があらあらと目に弧を描き、マリエラが両頬に手を当て愛ですねと吐息を漏らした。控えているアリーゼもによによ、男衆はリアクションに困るも口元を緩めている。
「ローレン皇帝領は安泰のようだな、ゲルハルト」
「行く末が楽しみです、クラウス候」
「間もなく喪が明けるけど、式はどうするんだい?」
「フローラとも話し合ったんだけどな、プハルツ。宿敵グラハムを討伐してからと決めた、結婚式の日に亡きミハエル候へ報告をしたいんだ」
その心意気やよしと、クラウスとラーニエが力強く頷く。隊長たちもそうだなと同意を示したのは、恩義あるミハエル候の仇討ちを達成しなければ、気が晴れないからだ。これは軍団の兵士たちも、みな同じ気持ちであろう。
「でも式を挙げたい人は、どんどんやっていいのよ。ただ新婚旅行が邪神界になるってだけで」
女王テントが、どっと笑いに包まれる。冗談きついなとヴォルフが、あら私は至って真面目よとフローラが、更なる笑いを誘う。離乳食作りで遅れたキリアが、みんなどうしちゃったのかしらと首を捻ってるけど。
「ねえプハルツ」
「あの二人と気持ちは同じ、ジョシュア候の仇討ちをしてからにしたいんだろ、マリエラ」
「分かってくれるのね、ありがとう」
「ウェディングドレスを着た、君の満面の笑顔を見たいからね」
マリエラとプハルツのように、グレイデルとヴォルフ、ゲルハルトとアリーゼも思念を交わし合っていた。考えていることはきっと同じ、絡みついてるしがらみを打ち消し、晴れて挙式したいという願いであろう。
隊長たちも戦争孤児や戦争未亡人から、後妻や側室を娶らねばならない。だがグラハムをやっつけないとって思いが強く、推進派のデュナミスでさえ重い腰を上げられないでいた。そもそもこのタイミングで婚姻を結んだら、死亡フラグが立ちはしないか? 歴戦の古参兵はそんな直感が、鋭く働くのだ。
「私としても仙観京の民を、流行病で八百余りも失った。慶事は災いの元を断ってからじゃ、フローラとシュバイツの決断を支持するぞよ」
紫麗の言葉に四夫人も、その通りですと頷き共に戦う意思を示す。
そこへ三人娘がマロンケーキを運んできて、桂林が紫麗と四夫人に思念を飛ばした。春日たちとの会談の件であり、フローラとシュバイツから許可は事前に取ってある。紫麗は快諾し、セッティングは三人娘に万事任せるとケーキをぱっくんちょ。
「ところでフローラよ、異次元空間とやらはどうなったのじゃ」
「出来るようになったわよ、みんなも見たい?」
もちろんと頷く重職たちに、フローラはほにゃれれを腰帯から抜いてくるっと回した。全力攻撃でなければ、やはりご立派さまの方が使い勝手はいいみたい。だがなんと彼女は女王テントの中身を、人はもちろんテーブルや椅子ごと全部移動させたのである。