第18話 籠城戦
騎馬隊が最前線に立つ場合、騎士も馬も鎧を装備する。騎士はティアドロップ型の盾を持ち、長柄武器であるハルバードを片手で扱う。重装兵並みの強靱な肉体が要求され、軍団に於いては勇猛果敢な騎乗の集団と言える。
「ズッカーに鎧を着せて大丈夫なの? ゲルハルト卿」
「いえいえフローラさま、この子は思いの他タフですよ」
ならいいわと笑顔で返し、自らも鎧を装着した馬に跨がる辺境伯令嬢さま。ただしご本人は乗馬用ドレスに深紅のケープコート、矢が飛んできたら盾を並べお守りしなければならない。
跳ね橋を降ろせとゲルハルトが声を上げ、投石器と同じ原理でストッパーのピンを木槌で叩く衛兵。歯車の音をごろごろと立てながら、跳ね橋がゆっくりと降りて行った。すぐ上げられるよう、歯車の中に若い軽装兵が二名入る。彼らは閉じるとき猛ダッシュで回すぜと、衛兵たちと頷き合っている。
オレンジ色の旗をズッカーに立てたゲルハルトが先頭のフローラに続き、後を騎馬隊が蹄の音を鳴らし跳ね橋を渡った。渡り終えると同時に隊列を変え、フローラの両脇に列を組んで守るように並ぶ。
眼前では敵軍が陣を構え、塹壕を掘り始めていた。やがて指揮官とおぼしき甲冑をまとう将官が、同じく騎馬隊を引き連れ双方が対峙する。
「遠路はるばるお越し頂き、どの様にようにおもてなししようか思案中よ。私はフローラ、お見知りおきを」
「鳴子による熱き歓迎、痛み入りますローレンの魔女よ。我が名はハモンド、宴はローレン兵の血で乾杯とさせて頂こう」
普通に挨拶を交わしているようで、内容は地獄の蓋を開かんばかりの応酬。場の空気がぴりぴりし、ハルバードを握り直すゲルハルト達の腕に力がこもる。
「こんな寒空に野営するなんてお気の毒。夜戦は双方に同士討ちが起きますし、戦闘は明朝の日の出からでいかがかしら」
「いかにも、その点に於いては賛成だ。開戦は日の出からということで」
ではごきげんようと馬を前肢旋回させ、跳ね橋に戻る辺境伯令嬢さま。この場合は敵に塹壕を掘らせる時間を、一晩与えることになる。けれどこちらは城に立てこもる側、たいした問題ではない。
「襲って来ませんでしたね、隊長」
「かがり火だけでは、入り乱れると敵味方の区別がつかなくなる。あのハモンドという指揮官、その辺は分かっているようだな、ヴォルフ」
背後を警戒しつつも跳ね橋を渡り、城内に戻ったフローラと騎馬隊の面々。歯車の軽装兵が走り出し、跳ね橋が一気に閉じて行った。
――そして翌朝、オレンジ旗が降ろされ戦闘開始の銅鑼が打ち鳴らされた。
城を攻める時には城門を破壊するのがセオリーで、ブラム城の場合はまず跳ね橋を壊す必要がある。塹壕を掘った時の土で土嚢を作り、お堀に放り込んで行くグリジア兵。
土嚢が水面から出ると、板を渡して足場を作る。そこで登場するのは樹齢百年ほどの、針葉樹から作るでっかい丸太。それに縄を結び数十人がかりで持ち上げ、跳ね橋にぶつけ破壊を試みるのだ。
もちろんこっちも黙って見ている訳ではない、第一城壁の上から弓兵が矢を放ち、同じく重装兵が煮えたぎった油を降り注ぐ。下は阿鼻叫喚の巷と化すが、そんなもん知ったこっちゃないと容赦なし。
第二城壁は高さと距離から、敵の矢は届かない。軽装兵が投石器にセットしているのは、岩じゃなくて油の入った壺。布で口を塞ぎ、火を付けて飛ばすのだ。これだと塹壕の意味がなく、特に狙いたいのはテントと荷馬車だ。雪が降ってもおかしくないこの時期、屋根と食料を失ったら精神的なダメージは相当なものだろう。
敵はアンカーにロープを結び城壁へ投げて引っかけ、ロープ伝いに登ってこようとする。城壁を巡回しそのロープを切断し、上に辿り着いた敵兵は切り捨てる。騎馬隊と手空きの重装兵が、その役を請け負っていた。
「フラッシュフルード!」
第一城壁の塔から戦況を見下ろしていたフローラが、無慈悲な魔法を発動した。お堀の水が生き物のように膨れ上がって濁流となり、跳ね橋に取り付く敵兵に襲いかかったのだ。土嚢も丸太も兵士も、みんな流され悲鳴が遠ざかっていく。
「ローレンの魔女は日に何度も魔法を行使できん、堀の足場を築き直せ!」
「は! ハモンドさま」
ところがぎっちょん、フレイムアナコンダに比べたらそんなに眠くならない魔法だったりして。今日あと二回はやれそうねと、黒胡椒を口に入れるフローラ。もちろん力を貸してくれた、水の精霊ウンディーネにもはいどうぞ。
――そして夜間の休戦を挟み、二日目の戦闘が日没間近となった訳だが。
「敵さん、何だかおかしくないか? アーロン」
「妙だな、デュナミス。みんなふらふらしてやがる」
あれで丸太を持ち上げられるのかねと、弓隊百人隊長の二人は訝しむ。そこへ後ろの第二城壁上から、軽装百人隊長のシュルツが声を上げた。
「フュルスティンからのお達しで、ちょいと早いがオレンジ旗を出すそうだ! 弓隊は撃ち方やめ! 重装隊は油の壺を引っ込めろ、火傷すんなよ!」
敵兵から全く歯ごたえを感じられず、そりゃそうだよなと番えた矢を矢筒に戻す弓兵たち。重装兵たちが何だつまらんと、城壁の凹凸から凹部分に置いた壺を床に降ろしていく。中に鶏肉を入れて揚げたいなと、言っちゃうあたりは腹も空いてきているのだろう。
そして第二城壁の塔から鐘が鳴りオレンジ旗が掲揚され、停戦交渉で軍使を任されたヴォルフが跳ね橋を渡る。だが交渉に来た相手を見て、ヴォルフははい? と首を捻ってしまった。
「どうして従軍司祭が軍使を?」
「実は軍団の兵士が、下痢と腹痛に悩まされておりましてな。私も立っているのが精一杯なのです、従軍外傷医は寝たきりで口もきけない状態でして」
言ってるそばから従軍司祭は地面に崩れ落ちてしまい、おいしっかりしろと抱き起こすヴォルフ。フュルスティンにご報告をと、話しを聞いていた衛兵が声を張り上げていた。
そして夜の執務室。
敵軍が戦える状態でないと分かり、隊長たちは夕食のテーブルを囲んでいた。ぶどう酒は三杯まで解禁され、ファス・メイドが糧食として用意したちまきを頬張る。
米と豆にきのこ、カボチャの種を混ぜ込み蓮の葉で包み蒸したものだ。蓮の葉が良い香りを放ち、これは美味いと頬張る隊長たち。それは兵士たちも同じで、中庭の方から賑やかな声が聞こえてくる。
「従軍司祭の診察結果を聞かせて、ゲオルク先生」
「赤痢です、フュルスティン。行軍中に補給した川の水が、汚染されていたのでしょうね。しかも煮沸消毒せずそのまま生水を兵士に配ってしまった、ヒューマンエラーです。深夜に行軍などしておれば、本来ならあり得ない手違いも起こってしまうのですな」
それはないわとキリアが顔をしかめ、治療は必要なのかねとゲルハルトが尋ねる。健康な成人男性なら一週間以内に自然治癒しますと、ゲオルクは添え物として出された鶏の唐揚げへ手を伸ばした。こちらにも片栗粉が使われており、ファス・メイドがまだありますよと、盛られた皿を手に勧めて回る。
「ありがとう、フロイライン・ミューレ、頂くよ。ただ皆さん問題なのはですね、高齢者や別の病気に罹患していた者だと、重篤になり命に関わってくることです」
「そういえば指揮官のハモンドは、結構な年齢でしたね」
「そのようですな、ヴォルフ殿。従軍司祭の話だと、症状が重いらしい」
そうかと言ったきり黙り込んでしまう隊長たちに、フローラは目を細めくすくすと笑い出した。何が可笑しいのだろうと、その場にいた誰もがきょとんとしてしまう。
「みんな、この機に乗じ打って出ようとは言わないのね」
「武人として、それで勝っても嬉しくはございませんからな、フローラさま」
「そうね、それを聞いて安心したわ、ゲルハルト卿。私たちは殺戮のために戦ってるんじゃない、人間性を失わず目的を成就するために手を血で染めている。ゲオルク先生、重篤患者の治療法はあるのかしら」
「脱水症状を起こさないために、岩塩を少し溶かした水の補給を。あとヨーグルトがいいですな、腸の中で乳酸菌が赤痢菌とドンパチやってくれますから」
低温下でも発酵するヨーグルトの種菌がありますとキリアが言い、準備しといてとフローラがぶどう酒を口に含む。そしてフローラとグレイデルは、しばし口を閉ざした。考え込んでいるように見えて、実は精霊たちと相談しているのだ。
「ヴォルフ、石橋で捕虜にした従軍外傷医と農民兵は、牢屋で元気なのかしら」
「我々と同じものを食べてますからね、フュルスティン。元気どころか運動不足で肥えてますよ」
「よろしい、ならば捕虜を解放し、重篤患者の手当てとヨーグルト作りをしてもらいましょう」
その捕虜が再び武器を持ち敵戦力になってしまうのではと、顔を見合わせる隊長たち。だがそれでも構わないと、フローラは言い切った。何かお考えがあるのなら、お聞かせ下さいとアンナが杯を振る。すかさずジュリアがデキャンタから、ぶどう酒を注いでいった。
「解放された捕虜たちは仲間に、ローレン王国軍からどのように扱われたか話すでしょう。特攻も自害もせず、白旗を掲げる道があると知ることになるわ。出来れば農民兵は故郷へ帰り、雪が降る前に作物の収穫を終わらせて欲しいのよね」
捕虜にして数年の強制労働を課すのが教会の法典、けれど辺境伯令嬢さまは無視するようだ。もっとも絶対に遵守すべき法ではなく、さじ加減は国主と現地教会に委ねられている。そう来ましたかと、オイゲン司祭が目を細めた。
「私たちは首都カヌマンへ侵略に行くのではなく、和平交渉をするために赴くのよ。強制徴兵されたとは言え、家族を殺された農民はローレン王国軍に恨みを抱くでしょう。それは避けたいところ、流すべきは血じゃなくて恨み辛みなの」
フローラに道を指し示され、感極まった隊長たちが御意と声を揃える。武人としての誇りを尊び、清らかな魂だからこその発露であった。
朝を迎え双方の軍団がオレンジ旗を立てたまま、一週間の停戦に合意。交渉に出向いたヴォルフによれば、顔が土気色の指揮官ハモンドは病床から、何も言わず頷いたらしい。ヨーグルトの種菌と樽に詰めたミルクを預かり、捕虜たちが跳ね橋を渡って行く。
「敵に塩を送るようなもんだが、清々しいなシュルツ」
「後味の悪い戦は御免被りたいからな、アムレット」
投石器の歯車に背中を預け、支給された握り飯を頬張る軽装百人隊長の二人。飯粒は腹持ちが良いから助かると頷き合うも、中の具材に種類があると気付く。
「ふたつあるうち、ひとつは牛肉の煮込み。もうひとつは川魚のフライだなアムレット、どっちも美味い」
「いやちょっと待てシュルツ、川魚のフライは一緒だが、俺のもうひとつは豚の角煮だぞ」
「なん……だって?」
配下たちに聞いてみれば、味付け茹で卵だったりクリームチーズだったり、肉団子だったりハンバーグだったりと、みんなまちまち。
二人はどういうことだと城壁を降り、中庭へ向かう。すると重装隊のアレスとコーギン、弓隊のデュナミスとアーロン、騎馬隊のゲルハルトまでがキリアを取り囲んでいた。
「どういうことか、説明願いたい、キリア殿」
「ですからゲルハルト卿、今ある素材で各班が握り、同じ籠に重ねているのです。お配りする握り飯の具材は、ランダムになるわけでして」
そりゃないだろう全種制覇したいと、各隊長があーだこーだ。
メイド達が調理する姿を見守っていたアンナが、子供じゃあるまいしと目が吊り上がっていく。これは来るわねと、ミリアもリシュルも両手を耳に持って行く。ほらあなた達もと、ファス・メイドにキャッスル・メイドを急かすレディース・メイドのお姉さん。
「黙らっしゃいこの男ども!!」
耳を手で塞いでいても、キーンと響くメイド長の雷が落ちました。歴戦の古参兵もこれには敵わないようで、みんなバインド状態に。
「どうせ休戦状態なのですよ、各々方。城壁からロープを降ろし、誰が早く登れるか競ったらいかが? 上位入賞者が全種類の握り飯を口に出来る、なんてのはいかがかしら」
そいつは名案と隊長たちが、輪になりしゃがんでルール決めの相談に入った。歳を重ねても遊び心は忘れない、永遠の少年たちである。
「助かりました、アンナさま」
「うふふ、いいのよキリア。男どもはこうやってね、うまく手綱を握ってあげれば良いのだから」
口に拳を当て、くすくす笑うミリアとリシュル。大人の会話だわと、ファス・メイドもキャッスル・メイドも感心しきり。
「あれは何事でしょう、フローラさま」
「城壁をみんなで登ってるみたいね、グレイデル」
「鬼気迫る勢いですな、何か賭けてるんでしょうか。しかし訓練の一環としては、好ましいですねフュルスティン」
舞踏の練習を中断し、窓の外に目をやるフローラとグレイデルにオイゲン司祭。これは上位入賞者に賞金を用意するようかしらと、事の真相を知らず無邪気に笑う辺境伯令嬢さまであった。




