第17話 異国のお料理に箝口令
敵軍の来る時期が判明したことから、国境線に配備された兵士たちはブラム城に呼び戻されていた。火の精霊サラマンダーが、城の塔から見える位置に鳴子を仕掛けている。敵さんが来れば盛大に、炎と黒煙を噴き上げるだろう。
「この書簡は? キリア」
「こちら二通は、私とゲオルク先生の分。そしてこちらは、オイゲン司祭がヨハネス司教に宛てたものです」
ここは執務室、キリアはそれとなくメイド達に視線を送る。気付いたミリアとリシュルが、控えていたファス・メイド三人を部屋の外へ連れ出して行った。
「私たちが天に召されたとき、この文を届けて頂きたいのです、フュルスティン」
「縁起でもないこと言わないでよキリア、後方のあなた達が危険な目に……」
キリアがゆっくりと首を横に振ったので、次の言葉を飲み込んでしまうフローラ。グレイデルは不安げな顔をしているが、アンナはそう言う事ねと落ち着いていた。
「私たちは老いに伴う持病持ちでして、回復魔法による治療ができませんの。いつぽっくり逝ってもいいように、この遺言状を預かって頂きたいのです」
そんなキリアに良い心がけね私も書こうかしらと、アンナは椅子から立ち上がり執務机に歩み寄った。自分も家族にはこのまま帰らぬ人になるかも、そう宣言してきましたからと目尻に皺を寄せる。
「信用できる大切な人から、先に遠くへ行ってしまうのね、アンナ」
「国主が生きるとはそういう事ですよ、フローラさま。だからこそ、若い腹心を育てるのです。長旅で痛感したのですが、私は首都カヌマンまでお供できそうにありません。この城に残り、ファス・メイドとキャッスル・メイドの育成に注力したく存じます」
だからと言って宮廷作法と舞踏のお稽古は、サボリませんようにとぶっとい釘を刺すアンナ。あからさまに視線を逸らすフローラへ顔を近づけ、返事をお聞かせ下さいとにっこり畳みかけるメイド長である。
その頃ファス・メイドの三人は、ミリアとリシュルに連れられスティルルームにいた。二人から座りなさいと言われ、納得できてないような表情で席に着く三人娘。
「執務室に控えてなくてよろしいのでしょうか? ミリアさま」
「私たちだけの時は、呼び捨てでいいわよケイト、ミューレもジュリアも。どっちかって言うと、お姉さまと呼んでくれた方が嬉しいかな、ねえリシュル」
「そうそう、同じ女主人に仕えるレディース・メイドとウェイティング・メイドは、姉と妹みたいな関係だから。三人とも、口に出して言ってみて」
リシュルに促され、ミリア姉さま、リシュル姉さまと、声を揃えた三人。でも恥ずかしいのか、両手で顔を覆い両足がぱたぱた。メイド衣装ではなく貴族然としたミリアとリシュルに、やはり気後れしちゃうのだ。初々しいわねと眉尻を下げる、レディース・メイドの二人である。
アンナは自分専属のレディース・メイドを、別に三人抱えている。私たちはフローラさまが成人した時にお仕え出来るよう、アンナの元で修行中なのだと言う。
ただ配下となるウェイティング・メイドのなり手がおらず、あなた達に白羽の矢が立ったのよと話す。同じ女王さまに直接お仕えする身、仲良くしましょうねと、ミリアもリシュルも優しく微笑んだ。
「キリア隊長が私たちに視線を投げかけた時、アンナさまは頷いていたの。気付いたかしら? 席を外して欲しいって合図なのよ」
「もしかして、それも大人の事情なの? ミリア……姉さま」
「そういうことよケイト、空気を読めないと最前線に立てないわ」
全く気付きませんでしたと、がっくり肩を落とすケイトにミューレとジュリア。そこら辺はこれから追々教えてあげるからと、三人をなだめる先輩レディース・メイドのお姉さまである。
「それにしてもグレイデルさまとヴォルフさま、婚姻はいつ頃になるのかしらね、ミリア」
「当面は難しそうね、リシュル。少なくともグリジアの王族が、白旗を揚げてくれないことには」
「でもブラム城が国境の砦から、異民族と交流を深める城になったら最高よね。アルメン地方が東方にある国々との、交易の玄関口になるかも。その意義は計り知れないわ」
あのすみません話しが全く見えませんと、手を挙げるファス・メイドの三人。そもそもグレイデルとヴォルフが、恋仲であることすら寝耳に水だったのだ。
三度の食事で同じテーブルを囲んでいるのだから、お二人が交わす目線を見てれば分かるわよと、むふんと笑うミリアとリシュルであった。
「席を外しすぎましたでしょうか、アンナさま」
「いいえちょうど良かったわ、リシュル。お茶を淹れてくれるかしら」
承知いたしましたと、ミリアにリシュルが茶器を用意。ファス・メイド三人がティースタンドに、お菓子と軽食をセットしていく。ちょうど午後のお茶タイム、ワゴンを押してきた三人の力作が次々並べられた。
ティースタンドに置く基本はサンドイッチ、スコーン、ペストリーの三種類。ペストリーとは、フルーツタルトやパウンドケーキのこと。
もっともお堅い決まりがあるわけではないので、クッキーや季節のフルーツ、口直しにプチサラダやピクルスを添えてもおっけー。
甘いものを食べるとしょっぱいものが欲しくなる、その辺のバランスも大事。スコーンはクロテッドクリームか、ジャムをたっぷり乗せて召し上がれ。
「この味はもしかして……ジャガイモ? ケイト」
「フライドポテトと言います、キリアさま。塩を振って味付けしておりますが、お好みでケチャップに付けてお召し上がり下さい」
フローラから午後のお茶に誘われ、執務室に残っていたキリア。フライドポテトをもぐもぐしながら、その目がどんどん吊り上がっていく。昨夜のポテトチップスといい、これはえらいこっちゃと。
「あなた達、大変なことをしてくれましたね」
ええ!? と怯え身を寄せ合う三人に、キリアはテーブルをぺしぺし叩いた。どうしちゃったんだろうと、顔を見合わせるフローラにグレイデルとアンナ。
「皆さま、領地に於けるジャガイモの作付け、来年は二倍いえ三倍にされた方がよろしいかも。これが世に広まれば、ジャガイモが供給不足になりますわよ」
どれどれと、フライドポテトを頬張る三人。ケチャップとの相性も良く、甘いものを食べた後には中々よろしい。昨夜のポテトチップスを持ってきなさいとキリアに言われ、ぱたぱたと取りに行くファス・メイドたち。
「彼女たちが作るお料理のレシピ、当面は非公開としませんか? アンナさま。市場に並ぶ食材の価格が、乱高下してしまいそうです」
「キリアの言う通りね、公開と同時に価格の推移を見ながら、貴族が抱える在庫を放出。そうして相場を安定させないと、市民の生活に影響が出てしまいますわ」
物価を上昇させて良い時と悪い時があり、軍団を戦地に送っている今は好ましくない。そう言ってお茶をすするアンナに、なるほどと頷くフローラとグレイデル。
戦時下で国民が不安を抱くと、買い溜めや買い占めに走る不届き者が現れる。物価がおかしな事になってしまい、最悪は反乱や農民一揆の要因となり得るのだ。
実際に首都カヌマンの自警団が、激おこぷんぷんで国に反旗を翻そうとしている。対岸の火事とは言えませんねと、グレイデルがフライドポテトをケチャップに付けて頬張った。
「そして貴族の在庫放出に、グラーマン商会が一枚噛むのでしょう? キリア」
「あらばれちゃいましたか、さすがフュルスティン、お見通しなのですね」
そうは言いつつも全く悪びれず、すました顔でお茶をすするキリア。だが商会が物価安定に寄与してくれるなら、貴族としては乗っかった方が楽なのだ。利益をむさぼるために相場を混乱させる、悪徳商人でない限りは。
「以前お話ししましたように、グリジア軍の主食は豆とジャガイモでした。素材を油で揚げるという調理法を持たない国でしたので、ねえミューレ、ジュリア」
「でも私たち、兵士には出しませんでした。自分たちのお夜食にして頂いたのよね、ジュリア」
「そうそう、奴隷だと思って舐めんな! だよねミューレ」
可愛い顔して反骨精神がすごいと笑い、ポテトチップスをぱりぽり頬張るフローラとグレイデルにアンナ。ジャガイモの作付面積を増やすって点では、広大な領地と小作人を抱える三人の意見が一致したもよう。
「ミン王国では他に、お茶の時間ではどんなものを食べていたの?」
辺境伯令嬢さまの問いかけに、顔をぱっと輝かせるファス・メイドの三人。中華まん・餃子・焼売・春巻き・大根餅・月餅・ごま団子・杏仁豆腐と、指折り数えどんどん並べていく。いや指が足りなくて途中で数えるのを止め、飲茶と点心の数々を挙げていく三人娘。
そんなにあるのかいなと、唖然としてしまう辺境伯令嬢さまに、グレイデルとアンナにキリア。海に近ければ海鮮系もあるらしく、もう三人娘がぴーちくぱーちく。
「フローラさま、レシピの秘匿と管理を。王侯貴族とのお茶会で、絶大な取引材料となります。誰も彼もがレシピを知りたがりますでしょうから」
「アンナさまの仰る通りです、兵站糧食チームと通いのメイドにも、東方のお料理に限っては箝口令を」
箝口令とは、ある事柄に関して口外を禁止するって命令だ。キリアがそれを言うんだと、口に出しては言わないがグレイデルが笑いを堪えた。
だってキリアは商人だしポワレ率いる糧食チームは、多かれ少なかれ飲食業に携わる者たち。ファス・メイドと一緒に調理をすればレシピを握るわけで、解禁されればみんな大々的に売り出すのが目に見えている。
「今夜はジャガイモの絞り汁から作る片栗粉で、あんかけ料理を予定していたのですが。止めた方がよろしいですか? フュルスティン」
「ジャガイモの使い道がまだあるのね、ケイト。見せてもらうわよ、思う存分やってちょうだい」
女主人フローラからのゴーサインが出て、俄然やる気を出す三人娘。あんかけと言われてもどんな料理かは思い付かないが、ジャガイモが関係するなら聞き捨てならないわけでして。
――そして深夜の礼拝堂。
「ライスの上にふわとろの卵焼き、その上から甘酢っぱい汁。あれは何という料理なのですかな? キリア殿」
「天津飯だそうですよ、オイゲン司祭。副菜として提供された肉野菜炒めにも、ジャガイモのしぼり汁から作った片栗粉でとろみを付けていましたわね」
とろみを付けるなら炒めた小麦粉ですがと、ゲオルク先生がひょいぱく。そうなんですよと、キリアもひょいぱく。興味深いですなと、オイゲン司祭も手を伸ばす。三人が何を頬張っているかと言えば、ジャガイモの絞りかすにチーズとパセリを加え、油で揚げたスナック菓子。
ファス・メイドの創作料理で、ジャガイモとチーズの組み合わせにぶどう酒が合わないはずもなく。三人が深夜に井戸端会議をしていると、お姉さまから聞き及んだファス・メイドが、祭壇へのお供え物ですと称し持って来たのだ。
「肉野菜炒めは一回だけお代わりが出来ると聞き、中庭の行事テントは長蛇の列でしたね。かく言う私も並んだクチですが、あれは美味かった」
「戦闘状態になったら、そうはいきませんからねゲオルク先生。でもあの子たち、合戦中でも兵士に配る糧食を考えてるみたいよ」
「ほう、それは鹿の燻製肉や干し肉ではなく?」
そうそうと頷くキリアに楽しみですなと、革袋のぶどう酒を口に含むオイゲンとゲオルク。そこへとんがり屋根の塔にある、鐘の音がかーんかーんと響き渡った。サラマンダーの設置した鳴子が発動した時、見張り役が全軍へ知らせるための鐘だ。
「こんな深夜に行軍を? あり得ないわ」
「グリジア軍は兵士をいつ休ませるのでしょうな、オイゲン司祭」
「悪しき信仰は、兵士をマッチ棒か何かと思っておるのでしょうな、ゲオルク先生」
こうしてはいられません中庭に行きますと、キリアは礼拝堂を飛び出して行く。
時を同じくしてフローラとグレイデルが、塔のらせん階段を駆け上がっていた。てっぺんに辿り着いた二人に、見張りの兵があそこですと彼方を指差す。夜間で煙は見えないが、暗闇に炎が立ち登っている。
鳴子を設置した地点に間違いはなく、フローラとグレイデルは鐘の紐を掴み、二人でかんかんかーんと三回鳴らした。総員戦闘配備の号令で、第一城壁に弓兵が配置に付き、第二城壁で軽装兵が投石器の準備を始める。重装兵は第一城壁の跳ね橋直上で火を起こし、油の入った壺を温め始めた。騎馬隊は閉じられた跳ね橋の前に集合し、隊列を組んでいる。
「夜間の戦闘は同士討ちもあります。敵軍はこのまま戦闘に入るつもりでしょうか、隊長」
「蓋を開けてみないと分からんな、ヴォルフ。だがそれよりも、敵の指揮官が前口上を述べるかどうかだ」
騎士道精神に則り、指揮官同士が行なう開戦前の口上。フローラが跳ね橋の外に出なければならず、彼女をお守りするのが騎馬隊の役目。お前たち一瞬たりとも気を抜くなよと、配下に檄を飛ばすゲルハルトであった。




