第169話 天使の翼と強盗団(9)
ケルアの収穫祭は三日間に渡って開催され、今日はその初日である。遠方から商人が穀物や根菜類の買い付けにも来るので、商隊のテントも並び広場は盛況だ。
特に人気を集めているのが、糧食チームの行事用テントだったりして。串焼きやら中華まんやら、西大陸ではお目にかかれないファーストフードを出すもんだから行列が絶えないのである。どうしてそうなったかと言えば、兵士に出すおやつのご相伴にあずかった町長と自警団長が、店を出してくれとせがんだから。
「例年になくごったがえしておりますな、町長」
「これはムリル商会のシャーロン殿、麦の買い付けでしょうか」
「そうなんですがこのテントの数、うちが予定していた数量を確保できますやら」
「ご心配には及びません、こちらに固まっているテントは、ローレン皇帝領のご一行様ですから」
「ローレン? それはいったいどういうことで」
「旧選帝侯の三国が統合され、セイクリッド王国になりましたでしょう」
「大聖女の分身が女王に任命され統治すると、商人の間でも噂でもちきりですが」
「その準備で大聖女にお仕えする方々が、近く山脈越えをするそうでして」
「なんと! では収穫祭に相応しい縁起の良いお客さまではありませんか」
大聖女の従者らに神と精霊のご加護があらんことをと、商人は目を閉じ十字を切った。商魂は逞しいけれど、信仰心を堅持している人物のようだ。ちなみに町長さん、嘘はついてはおりません。ナナシー二号を送り届けるため、軍団が山脈を越えるのは事実でございますゆえ。
フローラが眠っているところへ降ってわいた強盗団の問題に、軍団が義侠心で寄り道したようなもの。ただし敵が魔物と通じていた場合は聖戦となるわけで、確証がないからまだ町長と自警団長には伝えていないだけ。
「あの行事用テントに並んでみるといいですよ、シャーロン殿。ローレン皇帝領は東大陸との交流が盛んなようで、向こうの美味いものが色々並んでますから」
「お高いのでは?」
「いえいえ儲けは度外視なんだとか、お時間があるなら行列に並ぶ価値はあります」
ならば急がねばと件の商人は、行列の最後尾へとそそくさ歩いて行った。その背中を見送った町長は、腕を組んでほくそ笑んだ。東方の調味料に興味津々で、誰かうまく製法を聞き出してくれないかと、馴染みの商人を焚き付けたもよう。でも残念でした箝口令が敷かれていて、フローラがうんと言わなきゃ教えてもらえません。
「売れ行きはどうだい、蘭」
「見て下さい髙輝さま、銅貨がこんなにいっぱい」
「ほう、こいつはすごいな」
貨幣の入れ物が追いつかなくて、蘭と葵に椿は空いている鍋に銅貨を放り込んでいるのだ。作っても作ってもすぐに売れてしまい、三人お嬢が銅貨入りの鍋を台車へ乗せ、仕入れに出たと三女官は言う。
「鍋のまんまか! 誰か護衛に付いたのか? 葵」
「騎馬隊員が五名、同行しておりますよ」
「そうか、ならばよいのだが」
穀物倉庫と家畜舎にはディフェンスシールドを展開済み、あとは強盗団が動き出すのを待つばかり。どうもローレン軍、待ってる間は収穫祭を楽しもうって風潮が無きにしも非ず。髙輝は後にこう書き記している、この遊び心は君主フローラの影響ではあるまいかと。
「髙輝さま、焼き立てのレバー串、たれ味です」
「おお、すまんな椿、うん美味い。鶏皮もくれんか、塩で」
この髙輝自身も遊び心に、どっぷりはまっている自覚は無さそう。
ちなみにまだ式は挙げていないけれど、蘭と葵に椿は髙輝の側室となった。李家当主の夫人であり、軍団内では姫と呼ばれるようになりまして、三人は嬉し恥ずかしのごようす。
「椿姫、つくねをたれ味で」
「はいどうぞ、デュナミスさま」
「隊の配置はもう済んだのか?」
「市街戦なら弓隊は屋根の上、所定の位置は決まったよ髙輝殿」
同じく方円陣形の配置を決めた、コーギンとシュルツもやってきた。本来は兵士のための糧食だから、みんな行列には並ばず出店の裏へ回る。離島で一緒に遊んだ仲だから気心は知れており、姫たちとは友人のように話す。
「葵姫、肉まんをくれ」
「特大と大に普通がありますけど、コーギンさま」
「もちろん特大で」
「蘭姫、春巻きを二本たのむ」
「二本で足りるのですか? シュルツさま」
「あのな、隣のコイツと一緒にしないでくれ」
顔ほどもある肉まんにかぶりつく重装隊長と、普通の春巻きを上品に食べる軽装隊長。シュルツもけして小食ってわけじゃないのだが、これはあくまでもおやつで夕食に腹を合わせているのだろう。
そこへつくねを食べるデュナミスが額を寄せてきて、敵さん五十名以上に増えてるぞと小声でぼそり。荷馬車でリーベルトとワイバーンの食事を運んでいるバルデたちから、大通りですれ違い耳打ちされたと話す。
「指令テントに招集がかかりそうだな」
「我々のやることは変わりませんよ、髙輝殿。なあコーギン、シュルツ」
いかにもと頷く二人にデュナミスは、だろうと笑い食べ終えた串を壺に入れた。みな肝が据わっているのだなと、髙輝も笑みを浮かべ串を壺へ挿す。串はその辺に捨てずこの壺へって、張り紙があるもんね。滞在地を自分たちで汚してはならない、これは君主フローラの厳命でござる。
「こんな時になんだが、三人とも何人かの婦女子を養っているのだろう?」
遠慮がちだがディープな髙輝の問いに、数は言わないまでも頷くコーギンとデュナミスにシュルツ。それは全滅してしまったローレン本軍の、未亡人や孤児を受け入れ養っている件に他ならない。ここにいないゲルハルトや、テレジア号に残った隊長たちもそれは同じ。髙輝は遠回しに気に入った女性がいれば、聖女候補として傍に置けと言っているのだ。
「精霊が見ているのは愛情であって、そこに正室や側室といった区別は無い。度重なる戦争でローレンは、結婚適齢期の男性人口が少ないと聞いた。卿らもあれだけの戦闘力なら、もちろんあっちの方も現役であろう?」
言ってくれやがるとコーギンが顔に手をやり、シュルツがいつもは丸める春巻きの包みをきれいにたたむ。
だがこれはデュナミスが、前々から指摘していたことだ。聖女候補は後から出てきた話しだが、戦死者の未亡人と孤児を誰かが受け入れないと路頭に迷ってしまう。それをなんとかするのが王侯貴族に課せられた義務であり、加えて子作りは人口回復のためでもあると。
「引き取った婦女子には、養われているという負い目がある。いくら気に入っても愛情へ変えるには時間がかかるもんさ、そうせっつかないでくれ髙輝殿」
「これは余計なお節介であったか、すまないデュナミス隊長」
「なんのなんの、俺の息子たちは本軍に参加してみんな逝っちまった。娘はおらず妻はとっくに閉経してる。跡取りがいないとお家存亡の危機だからな、この老体に鞭打ってでも励むよ」
デュナミスは結婚が遅かったため、他の隊長たちと違い孫がいない。冗談抜きで廃爵となるため、フローラもグレイデルも気を揉んでいたのだ。彼が早い段階で婦女子の受け入れに言及していたのは、それを念頭に置いていたからだろう。
そんな話しをしていたら、三人お嬢が元気よくただいまーと戻って来た。待ってましたと言わんばかりに糧食チームが、台車から食材を運び調理にかかる。店先ではムリル商会のシャーロンが、なんだこれは美味いじゃないかと、行列に並び直して全種類制覇の勢いであった。
――時を同じくしてこちらはテレジア号、フローラの寝室。
「今そこにはゲルハルト卿もいるのね? ナナシー」
「いるんだな、グレイデル。ケルアの現状を報告するほ」
ベッド脇のテーブルにグレイデルと、バストサイズだけ彼女に擬態したナナシー二号が座る。シュバイツとヴォルフも同席しており、ミリアとリシュルが四人とカネミツに紅茶を並べていく。
「まだ動きはないけど、強盗団の数が八十を超えたっぽ」
「規模は五十人じゃなかったのか?」
「うんにゃシュバイツ。たまたま生き残りの証言が五十だっただけで、実際はもっと多いんだろうってゲルハルトが言ってるほ」
普通の賊なら五百の軍勢で軽くひとひねりだが、魔物であった場合はそうもいかない。方針の変更が必要ではと、ヴォルフが眉を曇らせた。だが増援するにしても今からでは、ワイバーンの兵員輸送にも限度がある。加えて邪神界からの襲撃も考慮すると、飛行艇からこれ以上の兵力を割くのは問題だ。
「カネミツにちょっと聞きたい事があるんだな」
「俺にか? 何だ言ってみろ」
「シュバイツがカネミツの柄を握ってる状態で、おいらが魔力供給したら瞬間転移を使えるかほ?」
「転移させる人数にもよるが、発動出来なくは無い。ただしシュバイツの体にかかる負担は相当なもんだぞ、それに座標の指定はどうする」
「こうするほ」
なんとナナシー二号は流動体となって、シュバイツをすっぽり包み込んだではないか。消化しちゃうつもりかと、その場の誰もが慌てふためく。本人はもっと驚いており、ゼリーの中でもがいている。
「全身に密着すると、シュバイツにおいらの映像を見せることが出来るんだな」
「お願いだから消化はしないでよ」
「そんなことしないほ、グレイデル。窒息しちゃうからそろそろ解放するっぽ」
にゅみんとシュバイツから離れ、ナナシー二号は再び胸のでかいフローラへと戻った。こいつは傑作だと、カネミツがかちゃかちゃ音を出して笑う。当のシュバイツは息を整えながら、笑い事じゃねえとおかんむり。そしてグレイデルとヴォルフ、ミリアとリシュルは、かける言葉が見つからない。
「ちゃんと見えたかな」
「ああ、ケルアの町が見えた。カネミツを握って町の空を思い浮かべればいいのか」
「フローラが瞬間転移を使えるのは、霊長サームルクと古代竜ミドガルズオルムが力を貸してるからなんだな。おいらとカネミツがその代わりをして、シュバイツに発動させるわけなんだっぽ」
ならば兵員輸送の問題は解決ねと、グレイデルとヴォルフは頷き合う。そんな二人にナナシー二号が、魔物と判明した時点で天使隊を動かすべきと人差し指を立てた。
「アリーゼとシェリー、それに娼婦の何名かが天使と絆を結んだほ。三人お嬢とエイミー、それに司馬三女官には、良い刺激になると思うんだな」
「それはゲルハルト卿も承知してるのかしら」
「アリーゼが天使シドナをゲットしたって話したから、今ちょっと混乱してるっぽ。まあ大勢に影響はないほっほ、判断は三人にお任せするんだな」
迷う必要はないなと、シュバイツにグレイデルとヴォルフは頷き合う。転移で空中に飛び出す以上、天使は翼を持つゆえ何の問題もないからだ。フローラみたいに浮かせる補助がないと、人間を送り込むのは無理ですゆえ。
「ところで体にかかる負担ってどのくらいだ? カネミツ」
「天使隊の人数なら、ショックウエーブ一発分だな」
「あの疲労が……来るのかよ」
「桃源郷の桃を食ってりゃ何とかなる、眠っているフローラのためにも根性見せろ」
そう言われてしまっては、シュバイツも返す言葉が無い。
だがここでグレイデルもヴォルフも、重大なことを失念していた。シュバイツが小規模ながらも、瞬間転移を操れる術者になるってことだ。ナナシーとカネミツのセットが条件になるけれど、今後の戦略で重要な意味を持ち、ローレン軍を支えて行くことになるって事を。
その頃こちらは、ガザビー洞窟を目指す荷馬車と羊の団体さん。御者台で手綱を握るケバブが、街道の先を胡乱な目で見ていた。何かがおかしいと、直感がそう告げていたからだ。
「ぱっと見は商隊だけど、不自然な気がするんだよな。シーフのお二人さん、ご意見をどうぞ」
「荷馬車の数に対して護衛が多すぎるような、ジャンはどう思う」
「ヤレルの言う通りだ、キリア隊長だったら間違いなく怪しいって言うだろう」
街道の向こうからやってくる行列に、警戒感を露わにするシーフの二人とソードスミス。この三人から側室にしてもらう約束を取り付けた吟遊詩人たちも、身構えてシュドラスにこっちへ来てとハンドサインを送る。その羊飼いのシープドッグが、ぐるると唸り声を上げていた。