第167話 天使の翼と強盗団(7)
ガザビーを除けば、大きな洞窟は制覇されているとシュドラスは明言した。根拠を尋ねたら休憩地の情報は、羊飼いの仲間内で共有しているからなんだとか。おかしな洞窟があれば教会を経由して、みんなへ伝わる仕組みになっていると彼は話してくれた。
こりゃますますもって怪しいと言うか、真の本拠地はもうガザビー洞窟で間違いないだろう。とは言ってもペースメーカーは羊さんだから、一行の荷馬車はのんびりゆっくりと街道を進んでいた。
「羊に合わせてるから馬が疲れなくていいな」
御者台で手綱を握るケバブが、街道沿いの野原を行くわんわんめえめえの団体さんに目を細めた。てっくてっくぽっくぽっくが、馬には優しく距離を稼げる速さだったりする。駆け足などさせようものならこまめな休憩が必要で、一日の移動距離は逆に伸びないのだ。
「早馬は宿場で馬を乗り換えるか、届け物を次の早馬に渡してリレーするか、どっちかだもんな」
「そうなのですか? ヤレルさま。目的地まで全力で走り続けるものとばかり思ってました」
「馬を全力疾走させたら、持って飛行艇の甲板を五周だよイルマ。それ以上無理をさせると、口から泡を吹いて死んじまう」
それは知らなかったと、吟遊詩人たちは引っ張ってくれてる馬に目を見張る。全力で走らせたらその日は休ませないと、馬が持たないんだぜってジャンが付け加えた。
休憩調整は騎馬隊の兵士が詳しいだろうなと言いつつ、ケバブが片手を後ろに出してきた。ぶどう酒ちょうだいの合図で、セーラが革袋をはいよと手渡す。この辺は吟遊詩人たちも慣れて来たようで、男衆と気心が合うようになったみたい。
「わざわざ羊飼いを道案内にしたのは、馬を労りつつ移動距離を稼ぐため? ケバブさま」
「そうだよセーラ、急がば回れって正にこのこと。それに俺たちが急いでたら逆に怪しまれるだろ、シーフとソードスミスに吟遊詩人なんだから」
確かにそうですね傍から見れば変ですねと、感心しきりの吟遊詩人たち。自分たちが早馬のように急いでいたら、道行く旅人や商人の目には奇異に映ること請け合い。自覚が足りませんでしたと、彼女たちはへにゃりと笑う。
「ところでリズ、騎馬隊の誰かから求愛されてるんだってな」
「それを今ここで聞くのですか? ジャンさま」
「朝っぱらから下ネタに走る君に言われたくないよ」
「んふふ、創作には必要な事ですもの」
「あ、開き直った」
「仕方ないですわね、ならば教えて差し上げましょう」
「上から目線?」
「私はごめんなさいの方針です」
なんでまたと、ジャンだけでなくヤレルとケバブも目を点にする。軍団の若い兵士は今までの功績から、論功行賞で爵位と広大な領地をフローラから賜るだろう。どんな不満があるんだ顔か性格かと、聞かずにはいられない。
「私はですね、ジャンさま」
「うん」
「ローレン皇帝領は一夫多妻を認めておりますでしょう」
「うんうん」
「なので正妻ではなく側室がいいのです」
「うんうんう……はあ?」
「私は音楽家ですから、正妻となって領地経営とか王侯貴族との駆け引きなんて、真っ平ごめんですの」
「いや、おい、ちょっと待てよ」
「日がな一日、楽器を奏でていてもそれを許してくれる男性が理想でして」
「君に独占欲はないのか?」
「もちろんありますけれど、強すぎればむしろ毒になります。基本は放置でたまに束縛してくれる、そこが良いのですよきゅんきゅんきますから」
そうそうその通りと、セーラとアンジーにイルマもうんうん頷いてるよ。やっぱり芸術に才のある人は、世間一般とは違う感覚を持っているようだ。彼女たちに言わせると少し愛して長く愛して、それが自ら望む嫁入りの形なんだそうで。
よくよく考えてみればセネラデもジブリールも、シュバイツを独占しようとは思っていない。いま同行している天使の三人も、絆を結んだ三人娘を立てており私たちから自己申告すると言って来た。強すぎる独占欲はむしろ毒になる、そういうもんなのかと男衆は感じ入ってしまう。
「浮気したら殺す! なんて夫婦関係はね、イルマ」
「若い頃はラブラブでもいつかは破綻するのよね、セーラ」
「やっぱり立場は側室で、音楽活動を自由にさせてくれる相手がいいな、リズ」
「そう思うでしょアンジー、だから私たちはこの依頼を受けたわけでさ」
「今なんて言った?」
「元からの貴族じゃなくて、正妻も決まっていて、包容力のある男性に興味があるんです。だから行動を共にしているのですよ、ジャンさま。もちろんヤレルさまもケバブさまも、私たちの観察対象です」
ちーんという音がシーフの二人とソードスミスの脳裏に、響いたような響かなかったような。シュバイツとグレイデルから依頼の話しを持ちかけられた時、彼女らはふたつ返事で請け負ったと聞き及び安心していたのだ。いや使命感もあって飛行艇を離れたのだろうから、任務を遂行する意思はちゃんとあるんだろう。その点は安心して良いのだけれど、別の安心できない火種がここに顕在化しちゃいました。
「私たちちょっぴり年上になるのよね。それは問題になるのかしら、ジャンさま」
「そんなことはないよリズ、君は魅力的な女性だから、見初めた兵士から求愛されたんだろう」
「社交辞令は不要、むしろそれは侮辱に等しいわ」
「いや社交辞令じゃ……」
「嘘おっしゃい、桂林に気兼ねしてる? でもあなたは天使ケイトを受け入れた」
「そ、それは」
仙観宮でジャンは『俺は桂林を愛するので手一杯だよ』と言った、しかも父親である宋英夏の前で。その気持ちは今でも変わっておらず、複数の女性に平等の愛情を注ぐのは無理だと考えている。
加えて社交辞令じゃないのは、けっして嘘ではない。旅装束だから目立たないだけで、演奏家としての礼装を身にまとえば麗人と言っても差し支えないのだ。彼女たちは天女の楽師、それが兵士らの抱く率直な評価である。
「俺は何人もの女性を同時に愛する自信がない」
「だから言ったじゃない、少し愛して長く愛してって。年上でもいいなら、私を受け入れてくれないかしら」
「もしかして俺、リズベットから口説かれてる?」
「この期に及んで鈍いわね。天使を受け入れて私を拒むなら、その理由を聞かないと納得できないわ」
見ればヤレルはイルマから、そのワイルドさが好きと言い寄られている。ケバブはすごいことに御者台へ移ったセーラとアンジーに、両脇から挟まれ告られてるじゃあーりませんか。
「皇帝陛下の従者だもの、いずれは直参の伯爵か侯爵よね。私とアンジーを養うくらい、どうってことないでしょ」
「セーラの言う通りだわ、私たちを側室にしてして」
「君ら、俺のどこがいいんだ?」
「あれだけの武器を背負っても、大地に根を張ったような安定感よね、セーラ」
「うんうん、まるで法王庁の大聖堂にあるパイプオルガンだわ」
訳の分からない例えで瞳を輝かせるこの二人、ちょっと何言ってるか意味不明。でも好きですって気持ちだけは、ひしひしと伝わってくるのだ。いつもは泰然としているケバブだけど、両脇から迫られ額に汗が滲んできている。
どうも吟遊詩人たちはその言動から、シーフの二人とソードスミスを前々から狙っていたような節がある。きっかけはおそらく、司馬三女官をまとめて側室にした髙輝の影響であろう。私たちにもワンチャンあるよね、みたいな。
天使たちは何も言わない。魂ぐるぐるの余韻を楽しみたいのか、省エネモードで小っちゃくなり、種子をくれた男子の頭上で寝そべっている。精霊にとって進化の栄養素は男女の愛情パワー、それが正室か側室かは関係ないのだ。もし吟遊詩人を受け入れその四人が精霊と絆を結んだら、彼らは髙輝みたいにブーストが使える事になる。
「皆さんそろそろお昼にしましょう……か? もしかしてお邪魔だったかな」
確かに昼時だがこの少年、割りと空気を読むっぽい。
シュドラスよグッドタイミングだと、一方通行の思念を浴びせるジャンとヤレルにケバブ。だがこれで済むはずもなく野営での延長戦は確定、だって吟遊詩人たちの顔にそう書いてあるもの。
ミューラー家に仕えるメイドのナタリーは、ヴォルフにぞっこんである。グレイデルは彼女を側室にと、自ら望んだ話は三人娘から聞いて男衆は知っていた。シュタインブルク家の女子は子宝に恵まれにくく、別腹でもいいから子供たちに囲まれて暮らすのが公爵令嬢の夢であると。
「相談するとしたらグレイデルさまかな、ジャン」
「フローラさまも達観してらっしゃるから、目覚めたら意見を聞いてみたいよな、ヤレル」
「そんな時間的な余裕あると思うか二人とも、決戦は今夜だぜ」
「うっ、ケバブの言う通りなんだが、そう言うお前はどう思ってるんだよ」
「俺は樹里を泣かせないとヴァールを立てたんだ、ジャン。天使を受け入れ吟遊詩人までとなったら、彼女は泣くだろうかといま必死に考えてる」
市場で入手したサンドイッチを頬張りながら、男三人は思念を飛ばし合う。そんな彼らに頭上の天使たちが、目を細めくすりと笑った。法典が一夫多妻を認めている以上は原理原則に照らし、養う財力さえあれば何の問題もないからだ。人間とは不思議な生き物だ興味深いと、悩める男たちを静かに見守っている。
――そしてこちらは兵士のピストン輸送が始まったテレジア号。
「お呼びでしょうか、グレイデルさま」
「込み入ったお話とうかがいましたが」
「待っていたわよミリア、リシュル、まあかけてちょうだい」
ここは船長室、グレイデルが微笑み、隣に座るキリアも商人ではない笑顔だ。そこはレディース・メイド、こりゃ何かあると直感が告げ、腹をくくり席に着く。三人娘が席を外しましょうかと尋ねたら、あなた達にもお話があるからいてちょうだいとキリアがにっこり。
「二人とも婚約者がいるのよね、どんなお相手なのかしら」
「私の婚約者は水上運送組合の組合員で、自警団員も兼務しています」
「なるほど、いつかは親方として独立したいとリシュルは話していたものね。ミリアは?」
「幼馴染みなんです、グレイデルさま。私の彼も石切職人の傍ら、自警団員を務めています」
ほうほうと頷くグレイデルとキリア。ここまで来れば言わずとも、ミリアもリシュルも相手の意図が分かっちゃう。婚約者をテレジア号に、呼び寄せろってことね。
水上運送組合の組合員と石切職人なら、日常的に重量物を扱うから腕っ節は強い。そして共に自警団員だから、長剣の扱いも慣れている。魔人化の戦力として、軍団の参謀が放っておくはずもなし。
「二人とも婚約者に手紙を認めてちょうだい、どう書くかは分かるわよね」
こくこくと頷くミリアとリシュル。従軍してずいぶんと経ち離れ離れだから、二人にも思うところはあったのだろう。配属は兵站でお願いしますと、ちゃっかり注文を付けるあたりはさすが。戦闘に長けてはいるが本業じゃないから、非戦闘員を抱える兵站部隊の護衛にと考えたのだ。
もちろんいいわよとグレイデルは了承し、お会いするのが楽しみですと三人娘が盛り上がっちゃってます。その三人にキリアが、では私からと口を開いた。
「桂林、明雫、樹里、あなたたちはウェイティング・メイドとして立派に育ってくれました」
「急にどうしたのですか? キリアさま」
「だからね桂林、薄々感づいているのでしょ、明雫も樹里も」
「もしかしてその……吟遊詩人の皆さんのことでしょうか」
「ぴんぽん、当たりよ明雫。彼女たちの視線が時折どこを向いているか、知らないとは言わせないわよ」
その件なのですねと、三人娘はお手本となるグレイデルをちらちら。独占欲で愛する人を縛り付けたら、ろくなことにならないとはラーニエから教わった教訓だ。自由にさせつつも手綱はしっかりと握る、そこんところは弁えている。
「私はむしろ、上手に引き入れて欲しいかな」
「それは本心なのね? 樹里。セーラとアンジーの二人になるけど」
男子にそのくらいの甲斐性がなくてどうしますかと、樹里はころころと笑った。桂林と明雫も、余裕ですと満面の笑み。むしろキリアさまはよく見てますねと感心しきり。情報源はダーシュなんだけど、そこはさらりと流すキリアであった。