第16話 メイド三人の出自と昇格
麻婆豆腐のお味に驚愕する、キリアと兵站糧食チームの面々。しかも一緒に出てきた老酒なるお酒にもびっくり、こんなものまで仕込んでいたのかと。
「本当は餅米で醸造するのよね、ミューレ」
「そうそう、餅米の方が濃厚で美味しいのよね、ケイト」
こちらにはうるち米しかなく、本場の味ではないらしい。お伝えできないのが残念ですと、ジュリアが申し訳なさそうな顔をしている。いやいや充分美味しいからと、糧食チームの方が恐縮してしまう。
商売の話しとなれば、どんどん食い付くキリア。でも個人の身の上には首を突っ込まない性分で、今までキャッスル・メイドに問うことはしなかった。けれど事ここに至っては、知るべきだと考え直したようである。洗練された立ち居振る舞い、お料理が上手で調味料やお酒の醸造と、どう考えてもただの娘ではない。
「あなた達、どこの国から連れてこられたの?」
「私たち、ミン王国の出身なんです、キリアさま」
ケイトが答え、それはまた遠いところからと、キリアは感嘆の息を漏らした。商隊で大陸巡りをしたとは言え、東も東で国名は知っていたが訪れたことはないのだ。
「三人とも、どんな家柄だったのかしら」
「私も、ミューレもジュリアも、庄屋の娘でした」
庄屋……庄屋……庄屋、キリアは帝国に置き換えた場合の役柄を頭の中で考える。確か自らも大農家で担当地域の農民から、領主に納める税の取りまとめを行なう役。そして彼女は答えに辿り着くのだ、地主貴族だわと。帝国に置き換えれば爵位は最下級だが、男爵や準男爵に相当し貴族の端くれである。
どおりでと、糧食チームが納得顔で頷き合う。料理や酒造りは幼い頃から、叩き込まれたに違いない。女中として奉公させるには、必要な教育だったのであろうと。奉公先で貴族の目に留まり輿入れできれば、たとえそれが正妻でなくとも、実家は安泰となるわけだから。
「そんなあなた達が、どうして奴隷に?」
聞けば近隣の村々で合同の収穫祭があり、そこでさらわれたらしい。普段は滅多にお屋敷から出ない箱入り娘が、お祭りの時だけは人前に出る。犯人はそのタイミングを狙ったようで、身代金が目的だったと三人は涙ながらに話した。
けれど庄屋の娘が三人もさらわれたと知った領主は、怒り心頭で兵を起こし犯人の捕縛に動いたのである。このままでは逃げ切れないと悟った人さらいどもは、足手まといになる三人を奴隷商人へ売り飛ばしたのだ。
「お国に……実家に帰りたい?」
「もちろん帰りたいです、キリアさま。でも……」
「でも? 気持ちをはっきり聞かせてケイト」
「奴隷だった頃は、毎日毎晩泣いてました。ね、ミューレ」
「そうねケイト。でも私たち、今は充実してて毎日が楽しいんです。あなたもそう思うでしょ、ジュリア」
「うんうん。どうせ帰るなら私たち立派な女官になりましたって、胸を張って帰りたいのです、キリアさま」
遠いし帰り道も分からないし旅費もないしと、三人は辛い過去を振り払うように、唇を噛み小さな拳を握りしめる。思わず立ち上がった恰幅のいいおばちゃん……もとい兵站隊長さんは、三人をまとめてぎゅうっと抱きしめていた。
その心意気やよしと、糧食チームも集まりみんなして抱きしめお団子状態に。あはは苦しいあったかいと笑うケイトにミューレとジュリアだが、その瞳にはさっきと違う嬉し涙がこぼれていた。
――そのあと、ここは執務室。
「いかがでしょうか、フュルスティン、グレイデルさま、アンナさま」
キリアがワゴンで運んできた、麻婆豆腐の試食と老酒の試飲をする三人。フローラとグレイデルには激辛で、アンナには辛さ控えめで。それぞれこれは参ったわねと、異国の料理とお酒に感心しきり。
「商会に手紙を届けたいのですが、伝書鳩をお願いしてもよろしいでしょうか」
「もしかして、ミン王国に商隊を派遣するの? キリア」
「よくお分かりで、フュルスティン。彼女たちの身元が確認できれば、奴隷上がりと蔑む者はいなくなりますでしょう。どこへ行こうとも、嫉妬や妬みを抱く愚か者はおりますから」
それだけではないでしょうと、アンナがころころ笑った。商魂たくましいあなたのこと、調味料とお酒が狙いねと老酒の杯を傾ける。
「何の見返りもなしに商人は動きませんよ、アンナさま。でも今回は私の独断です、あの子達の親御さんを、安心させてあげたくて」
「ローレン王国として雇ったのだから、ご挨拶の品々を一緒に運んで貰ってもいいかしら、キリア」
「良いお考えですフュルスティン、喜んでお運び致しましょう」
その用意と目録は私にお任せをと、アンナが快く請け負った。この人はケイトとミューレにジュリアを、どうあってもアウグスタ城に連れて行く腹づもりのようだ。
「それにしても酒造まで出来るなんて、ブリュワー・メイドの造語が必要かもしれませんね、フローラさま」
「スティルルームで調味料と酒造を正式に行なう許可を出しましょう、グレイデル。これは俸給額をもうちょっとはずむようかしら、どう思う? アンナ」
「大人の事情が分かるようになれば、即戦力となるでしょう。異国の美味な料理とお酒は、お茶会や酒宴で強力な武器となります。俸給に色を付けるのはやる気にもつながりますし、賛成ですわフローラさま」
こうして執務室に呼ばれた三人は、ファス・メイドへの昇格とスティルルームの管理運営を命じられる。そして銀貨六枚の俸給に、石像と化すのであった。
――そして日は暮れここは執務室、夕食のテーブル。
いつもより一品多く何かあったんだろうかと、顔を見合わせる隊長たち。しかも見慣れないお料理で、香りがまた刺激的。つまり麻婆豆腐のお披露目で、併せてお酒も老酒に。
キリアの企みで今夜はフローラが、ゲオルク先生とオイゲン司祭も招いていた。作った豆腐の量では兵士に行き渡らないので、ここだけの試食会みたいな感じに持ってったもよう。
「こいつはまた美味いな、キリア殿。辛さと痺れ、しかもこの茶色い酒とよく合う」
「そのお酒は老酒と呼ばれる東方のお酒だそうです、ゲルハルト卿。ファス・メイドたちのお手製ですよ」
ほほう酒まで醸造するのかと、給仕をしているケイト、ミューレ、ジュリアに目を細める隊長たち。食前にファス・メイドへの昇格を伝えられたが、彼らにとっては孫か曾孫に等しく、可愛いことに変わりはない。
その肝心なファス・メイドだが俸給の額に驚愕してしまい、給仕に当たる動きがゼンマイ仕掛けの人形みたいになっている。本来なら雷を落とす所のアンナだが、今夜だけは見逃してあげてるっぽい。
「豆乳を固めるとしたら、どんな素材になります? ゲオルク先生」
「そのニガリとやら、たぶん海水から生成する重金属でしょうな、キリア殿。胃腸薬によく用いますから、医師や薬剤師はみんな自前で調合し、常に在庫を持っておりますよ」
あらステキと、瞳をキラキラさせる兵站隊長さん。実はポワレから、聞いてきてとねじ込まれていたのだ。キリアも商人だからニガリが商売になると、踏んでいたのである。
オイゲン司祭は舞踏練習のお礼も兼ねてだが、ゲオルク先生も呼んだのはそう言うことねと、グレイデルは麻婆豆腐をひょいぱく。薬の詳細情報は医師も薬剤師も、そう簡単には教えない。この場だから、美味しいお料理に関係するから、するりと引き出せたんだと彼女は老酒を口に含んだ。
情報戦に於いては商人も侮れないなと、キリアの企てに乗ったフローラを見やるグレイデル。当の辺境伯令嬢さまは、二人だけに用意された激辛バージョンをおいちいと頬張っている。激辛と聞けば当然、精霊さん達もお皿に集まってるわけでして。
「キリアの話しに乗った理由を、お聞きしても? フローラさま」
「ローレン王国は国土の一部が海に面しているし、岩塩を採掘できる山岳地帯もあるわ。そこへ新たな産業と雇用が生まれるなら、拒む理由がないもの。経済が活性化して税収が上がって来れば、王国と国民、双方に利益があるでしょ」
その基礎をグラーマン商会が整えてくれるなら、願ったり叶ったりだわと微笑む辺境伯令嬢さま。お稽古事の脱走常習犯ではあるが、国家運営に関してはきらりと光る才覚を持つ。さすがねとグレイデルは老酒をまた口に含み、麻婆豆腐との相性の良さに目を細めた。一般人はとても口にできない、ちょー激辛だけど。
「失礼いたします、シモンズ司祭とレイラ司祭が入城いたしました。お目通りを求めておりますが、いかが致しましょうか、フュルスティン」
「待っていたわ、直ぐにお通しして」
「承知いたしました、それとゲオルク先生にお願いが」
「どうかしたのかね?」
「護衛に就いたというカヌマンの自警団員十名の中に、負傷者がおります」
「分かった、直ぐに診よう」
宰相ガバナスは追っ手を放ち、シモンズとレイラを亡き者にしようとした。戦闘となり護衛の自警団員は、二人を守ろうと勇敢に戦ったのだ。
執務室へ案内された従軍司祭の二人は、カヌマン自警団との盟約を報告し、夕食の場が騒然となったのは言うまでもない。
「宰相ガバナスは、悪しき呪詛を使うというのか、シモンズ君」
「そうなのです、オイゲン司祭。グリジア教会も重々承知はしているのですが、証拠を掴むことが出来ず、法の裁きを下せずにいます」
外道が国を牛耳っているのかと、場は侃々諤々となり収拾が付かない状態に。そこへフローラがぽんぽんと手を叩き、みんな落ち着いてと笑う。ただしその瞳は、研ぎ澄まされた刃のように鋭く光る。
「籠城戦に勝利し、首都カヌマンへ赴き、王族を交渉のテーブルに着かせる。私たちがやるべき事は、芥子粒ほども変わらないの。敵軍はもう目と鼻の先、各々方、粛々と開戦の準備を」
応と声を揃え、老酒を一気に呷る隊長たち。久しぶりの温かい夕食が異国の料理とお酒で、シモンズとレイラがほええという顔をしているが。
「私たちはセデラという自警団長と面識がありません。このまま従軍をお願いしてもよろしいかしら、シモンズ司祭、レイラ司祭」
「もちろんです、フュルスティン」
「私たち、そのつもりで戻りましたから」
頼りにしてますよとフローラは微笑み、食事が済んだら湯殿にご案内してねとファス・メイドに告げる。この城にはお風呂があるんだと、意外な事実に嬉しさを隠せない従軍司祭の二人であった。
――そして深夜、ここはブラム城の礼拝堂。
信仰こそが拠り所であり、国境の砦にも礼拝堂はある。偶像信仰を嫌うため、祭壇は至ってシンプル。誰も神さまや精霊さまを見たことがないのに、偶像を祀るなど冒涜と考えるからだ。唯一ローレン王国を建国した、初代ヘレンツィア女王の肖像画があるのみ。
「お待たせしました、ゲオルク先生、オイゲン司祭」
「いえいえキリア殿、我々にとっては井戸端会議の場ですから、待つ待たないといった概念はございませんよ」
礼拝堂を井戸端会議の場と言ってしまうオイゲン司祭に、この人どんだけと苦笑しつつ長椅子に並んで座るキリア。
「これは何かしら? オイゲン司祭」
「フロイライン・ミューレが、お夜食にどうぞとこっそりくれたのですよ」
オイゲンがどうぞと、木皿を取りキリアに向ける。それはジャガイモを薄くスライスし、油で揚げ香辛料をまぶしたポテトチップスだった。材料が余ればファス・メイドは、創意工夫で色んなものを作る。
「これが世に広まれば、ジャガイモの相場が上がりそうですな、ゲオルク先生」
「全くですなオイゲン司祭、よく思い付くものだ」
ぱりりと頬張った商人キリアが、これは流行るかもとマジな顔に。多分ポワレも黙っちゃいないはずだわと、咀嚼して飲み込んだ。
それではと、ゲオルクは二人に紙包みを手渡す。どうやらお薬のようで、オイゲンもキリアもすみませんねと言いながらポケットに仕舞う。
「老いに伴う持病は、聖女さまと聖職者による回復魔法が効きません。お二人とも無理をなさいませんように」
「それを言ったらゲオルク先生も同じではありませんか、医者の不養生ここに極まれり、でしょ」
これは一本取られましたなと、頭に手をやるゲオルク。三人とも無理を承知で老体に鞭打ち、フローラ軍に加わっているのだ。この世に思い残すことなど何も無い、いつ天に召されても構わないと、そんな覚悟でいた。
「でも最近、ちょっと欲がでました」
「キリア殿もですか、実は私もゲオルク先生も同じなんですよ。若者の成長を見るのが楽しみになりましてな」
「そうそうそれです、オイゲン司祭。この感情は何なのでしょうね」
「不思議なものですね、キリア殿。伸び盛りの若者に、悩み苦しむ若者に、ついついお節介を焼きたくなってしまう」
「ゲオルク先生も、そう感じていらっしゃるのですね」
正しく老いるとはそういう事かもと、ポテトチップスをぱりぱり頬張り、革袋のぶどう酒を口に含む井戸端会議の三人衆。
「そうだオイゲン司祭、懺悔をしてもいいかしら」
「キリア殿がですか? これはまた珍しい」
ならばと立ち上がり、胸の前で十字を切るオイゲン。そんな彼の前でひざまずき、こちらは胸の前で手を組むキリア。本当にやるんだと、ゲオルクがにへらと笑う。
「神と精霊の御名に於いて、あなたの罪を告白しなさい」
「商売とファス・メイドのためとは言え、フュルスティンを企てに乗せました。こんな罪深き私をお許しくださいませ」
『許ス許ス、ソレデ三人ノメイドハ救ワレタノダカラ』
今の声はと、キリアもオイゲンもゲオルクも、目を白黒させてしまう。それは火の精霊サラマンダーで、ポテトチップスのご相伴に預かっていたのだ。
グルメな幽霊さんがここにまでとキリアが、いや礼拝堂に来るなら死霊や悪霊の類いではあるまいとオイゲンが、そもそも幽霊なのかとゲオルクが、革袋のぶどう酒を揃って呷る。そんなのどこ吹く風とポテチを頬張る、サラマンダーはお茶目さんであった。




