第158話 新たなる千年王国
フローラが聖女候補として確保したいのは、アンネリーゼとアナスタシアだけではない。人質として他国へ出向いたアンネリーゼには、お供した側仕えがいるはず。ミリアとリシュルのように、頼れる腹心であることは間違いないだろう。アナスタシアも名門の女剣士であるならば、側仕えもただのメイドでないことは想像に難くない。
アンネリーゼの側仕えはフレンツェル家親族さま、アナスタシアの側仕えはホーエンブルツ家親族さま、それぞれのテーブルで給仕に就いている。後で紹介してもらうが、果たして好きな男性はいるんだろうか。愛情パワーが思い人を魔人化させるのだから、お相手がいるだけで戦力増強が確定するゆえ軽視できない。
「お話を聞く限り、まるで超人ですね皇帝陛下」
「だから呼び捨てでいいんだぞ、ハミルトン。魔人化は聖女を守るために付与される能力強化で、聖騎士と呼ばれている。どうだ、武人の端くれならわくわくしてくるだろう?」
ふむふむほうほうと、ハミルトンもエイブラハムも、まるで少年のように瞳をキラキラさせちゃってるよ。後から来る筋肉痛と関節痛には、敢えて触れないシュバイツ策士である。まあ経験すれば嫌でも分かることだから、この場でわざわざ教える必要もないってか。
「それで側仕えにも精霊を? フローラさま」
「そうよアナスタシア、出来れば恋人か思い人がいると都合がいいわ」
アンネリーゼとアナスタシアは成る程と頷き、お付きのメイドを頭に思い浮かべたみたい。側近中の側近だから、踏み込んだプライベートの話しもするだろう。どうやら二人とも、当てがないわけじゃなさそうだ。
ミハエル号の操舵手つまり聖女は、ミン帝国と同じく八名は欲しいところ。できれば司馬三女官と王妃四人のように、通常航行ならチームで交代番を組める体制にしたいのだ。もちろん魔力を扱う素地の鍛錬は必要だけど、船長のラーニエが舵を握るのはここ一番って時にしたいわけでして。
「あ、紫麗さまから着信だわ、はいはーい」
「準備はできたぞよフローラ、馬車には老酒を満載しておる」
「おっけー、いま迎えに行くから」
手鏡を閉じたフローラがふわりと空へ舞い上がり、転移門を開いて飛び込んじゃいました。それを見た兄妹と婚約者が、石像と化すのは通過儀礼みたいなもの。そもそもあの手鏡はいったい何なのと、通信魔道具にわけわかめ状態。シュバイツがそのうち慣れるよと、楽しそうに酒杯を傾ける。
紫麗たちは東大陸の帝国会議があり、残念ながら結婚式に出席できなかったのだ。だが披露宴には万難を排して参加しますよと、事前に連絡をもらっていた次第。離島で水着となり、一緒に遊んだ仲である。地位や身分を超えた固い友情が、あのとき醸成されたと言ってもいいだろう。
「これ全部が老酒なのですか? 紫麗さま、すごい量ですわね」
「ラーニエにはこれが一番と思ってな、キリアよ。あやつは貴金属や宝石なんぞに興味はあるまいて」
「あは、あははは」
確かにそうですよく分かってらっしゃるとは、間違っても口にしないキリア。ダーシュがにへらと笑い、イリスは酒樽の数に呆けてしまっている。
「披露宴が終わったら、うちのワイバーン隊ですぐお城に運びますねイリス」
「そうしてもらえると助かるわキリア、あの生き物とゴンドラは便利ね」
キリアはにっこにこで、イリスは感謝感激のごようす。いや違うのですよエルンスト城のメイド長さん、重量オーバーで空を飛べなくなるからなんですはい。心配で見に行ったわんこ精霊が、喫水線を超えてるぞって思念を寄こしたもんで。
「どうした髙輝よ、浮かぬ顔をして」
「それが陛下、魔人化した時の筋肉痛と関節痛がまだ尾を引いておりまして」
「そんなに酷いのか?」
「調子に乗り、三人分のブーストを何度も使いましたから。陛下は五人分のブーストですゆえ、どうかご自愛を」
うひっと表情を固くする貞潤に、紫麗と四夫人があらまあと顔を見合わせる。でも彼女たちだって、愛する陛下の聖騎士姿を見たいのだ。司馬三女官が口を揃え、髙輝さまは獅子奮迅の働きでしたと言っちゃうもんだから。これは貞潤、覚悟せねばなるまい。
フローラの要望で、複数のテーブルが一カ所に寄せられた。
西大陸の皇帝シュバイツと大聖女。
東大陸の皇帝貞潤と紫麗に四夫人。
ルビア王国のマリエラ女王とプハルツ王子。
ヘルマン王国のハミルトンとアンネリーゼに、それぞれの許嫁。
そしてフローラの瞬間転移により参加が叶った、グリジア王国のハモンド王、ネーデル王国のレインズ王、ラビス王国のガーリス王が席に着く。
ガーリスがうちの三男坊をよろしくと、マリエラにえらく恐縮している。いやいやプハルツも立派な聖騎士ですよ、背中に草木を司る見た目幼女がくっ付くだけで。
「方舟の噂は旅商人や商会の早馬などによって、各地に広まっております。東大陸はいかがでしょう、貞潤殿」
「仙観京にも伝聞が届くようになりましたな、ガーリス殿。心ある民衆が教会に押し寄せ、聖職者はてんてこ舞いです」
さもありなんと頷き合う、大国の君主たち。
本当はパウロⅢ世とラムゼイ枢機卿にも声をかけたフローラだが、対応に追われそれどころではなく、ヘルマン王国には来られないとのこと。いま世界は終末による人類滅亡か、大聖女の勝利による存続かで大きく揺れている。法王庁も各地の教会も、ここが正念場といったところか。
「ただひとつ、分かったことがありますよ」
「どんなこと? レインズさま」
「この混乱に乗じ、略奪行為を働く輩が現れたということです、フローラさま。当然ながら自警団に捕らえられ、教会で裁きを受けるでしょう。結果として信仰心と道徳心の欠片もない連中を、方舟はあぶり出していることになる」
山賊や盗賊ならまだしも、ぱっと見は普通の領民が悪事を働くこの状況。性善説が通用しなくなった今こそが、正に終末と言えるだろう。集まった君主たちがシュバイツとフローラの言葉を待っている、これから我々はどう動き何を成すべきかを。
「私は神々から信任を受け、人間界の辺境伯を仰せつかりました。その時をもって人類は、新たな千年王国に向け歩み始めたのです。これから起こるであろう厄災は終末の天罰ではなく、邪神によってもたらされます」
過去に魔王閣下が提案した取り決めで、人類滅亡の判決を下す前に一度だけチャンスが与えられる。その役割を担う救世主が、ローレンの大聖女なわけだ。そこへ人間界も含め異界を滅ぼさんとする、邪神界が割って入った構図である。
仙観京で発生した流行病は魔界側の調査で、邪神が病原菌を持ち込んだと判明していた。ハーデス城のグレモリーさん、良い仕事してます。宿敵グラハムも絡んでいるのは間違いなく、魔物を召喚する魂集めが目的だったのだろう。どうもこの男は、フローラとの直接対決を避けているフシがある。魔力差を悟り慎重に立ち回っているような、逃げ足が速いとも言うが。
「俺たちが戦うのは人類を守り、異界大戦争を目論む邪神界を封じ込めるためだ」
「そこが終末を回避するゴールなんだな? シュバイツ」
「その通りだ貞潤、神々の天罰が下らなくても人類は滅亡の危機に瀕している。だからみんな、新たな千年王国を盤石なものとするため、一緒に戦ってくれないか」
シュバイツが立ち上がりテーブルへ腕を伸ばし、その手のひらに皆が手を重ねていく。まだ飲み込めていないハミルトンにアンネリーゼと、その婚約者がちょっと遅れたけど。
正しき魂は信仰心と道徳心を取り戻し、愚かな魂は淘汰される時が来た。罪を犯した者は自警団と教会に任せ、私たちは邪神界に攻め込みますと、フローラが高らかに宣言する。
「ネーデル王国とラビス王国、そしてグリジア王国の飛行艇も、ハーフサイズで建造に入った」
「よく許可が下りたもんじゃのう、シュバイツよ」
「譲歩を引き出したのはフローラだけどな、紫麗」
神界の議事堂で敵対した神官たちから、フローラは魔力を奪い霊体のすっぽんぽんにしたのだ。そんな大聖女の要求に、彼らが抗えるはずもない。そもそも邪神界の対抗勢力になって欲しいと、辺境伯に任命したのはあちらさんなのだから。
「我々も巫女となる聖女が必要なわけか、シュバイツ」
「エカテリーナ姫がヴォルフの弟と結婚するんだろ? ハモンド。レインズとガーリスも身内から、側仕えと込みで人選を頼む」
大地母神アナはいつもフローラに、好きにおやりなさいところころ笑う。だが彼女は大事なことを、わざと話していなかった。フローラは既に終末の回避を、その手でもぎ取っていることを。
今のフローラを相手に神界が、人類滅亡の判決を下せるはずがない。ナナシー込みの魔力差で実力行使も可能だけど、そんな必要はなかったりする。なんせ終末の実行には、精霊界と魔界の賛成多数が必要なのだから。精霊女王と精霊王に魔王閣下から愛された時点で、大聖女が掲げた新たなる千年王国はもう始まっていたのだ。
アナはフローラの存在そのものが、宇宙の意思ではと感じ取っていた。天地を創造する神霊十二柱のひとりとして、邪神界をどう料理するのか見届けたいのである。終末回避で守りに入るのではなく、いけいけ進めと道を切り開く救世主の姿を。
だから敢えてその件は教えず、関係する精霊たちにも固く口止めをしている。得意の捻じ伏せるではなくやんわりと、でも漏らしたら許さないわよと笑顔で。いやそれ一緒じゃん。
「麻婆豆腐がよっく売れる」
「酢豚と炒飯もよっく売れる」
「あんかけーそばも人気よね」
「そーれかんかかん」
「かんかかん」
「かんかかーんかん」
三人娘が手がけているのは宴席からのオーダーもあるが、披露宴に参加しようとしない天使隊の晩ご飯も含まれている。我々は戦闘要員であり、人間界の宴に参加する理由は見当たらないとか言ってくれやがるから。
でも天使たちは食事の時間になると、大食堂でかんかかーんかん音頭に聞き入っている。カネミツがシュバイツに話したけれど、この音頭は天地創造で大地を慣らす時の波動に近い。邪悪な死霊の類は恐れて逃げ出すが、天使にとっては心地よい響きなんだとか。
「外道界の王よ」
「名前でいいほ、リュビン隊長」
「ならばナナシー殿、宴には参加しないのですか?」
「フローラそっくりのおいらが甲板に出たら、知らない人は大混乱になっちゃうんだな、だからここにいるんだっぽ」
「そういう決まりなのでしょうか」
「うんにゃ、自分の意思なんだな」
「どうして?」
「はーいナナシー、うま煮そばの餃子ライスセットおまたせ!」
「ありがとなんだなカレン、悪いけど追加でかた焼きそばもお願いしたいんだほ」
「遠慮しないでようけたまわりー! 七番卓かた焼きそば入りましたー!!」
炊事場からルディとイオラが、はい七番卓かた焼きそばと反復してるよ。まるで肉体労働者を支える定食屋ねと、糧食チームの面々がくすくす笑っている。
「今夜ここにいれば、好きな東方料理を好きなだけ注文できるんだっぽ。天使隊の諸君も、どんどん食べたらいいんだな」
そういう事ですかと、リュビン隊長は納得したようなしなかったような。規則が最初にありきだから、ナナシーの自由奔放さが理解できないのだ。
原理原則って何それ美味しいの? これが外道王ナナシーである。こう見えても義理人情に厚く、根底にあるのはフローラの役に立ちたい、この一心が行動原理になっている。
天使たちがナナシーを深く知るのは、もうちょっと先の話しになりそうだ。そしてフローラ配下のメイドたちが、その固い頭を柔らかくしようと、何やら企んでいることも。