第157話 新たな聖女候補
「その健やかなるときも。
病めるときも。
喜びのときも。
悲しみのときも。
富めるときも。
貧しいときも。
これを愛し。
これを敬い。
これを慰め。
これを助け。
その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか、クラウス」
「誓います」
「誓いますか、ラーニエ」
「誓います」
首都カデナの教会で、クラウスとラーニエの結婚式が執り行われていた。
ウェディングドレスはお針子チーム渾身の作で、リバーレースを用い胸元に肩と腕が大胆なシースルーになっている。これをあたいが着るのかいと難色を示した花嫁だが、部下の娼婦たちに押し切られちゃいました。女性聖職者の装束でもこの人は気品があるのです、ラーニエモードでしゃべらなければの話だけど。だからこれは絶対に似合う着せねばと、彼女ら本気で説き伏せたっぽい。
「それでは指輪の交換を」
進行役であるヘルマン王国教会の、司教の声が大聖堂に響く。
飛行艇による空の旅は、クラウスの家臣団に船の実物を見せるのが本旨であった。フローラにとって、人々に信仰心と道徳心を問う結果になるのは予定通り。邪神界からのちょっかいも、狙っていたから座標を覚えたのは僥倖と言える。
そしてもうひとつ、彼女には秘めた思惑があったのだ。それはクラウスとラーニエを、この機会に結婚させること。喪中の自分たちはともかく敵さんの出方次第では、いつ挙式できるか分かったもんじゃないから。
邪神界の魔素は今でも大きく乱れていると、アナはもちろん精霊女王と魔王閣下から情報が寄せられていた。フローラが今よ今しなかったらいつするのと、クラウスとラーニエに迫ったのは首都カデナ行きを再開した日の話し。
ナナシーが餌をあげた伝書鳩さんは、結婚式やるよって知らせに対する、執事長アレックスからの返信だったわけだ。エルンスト城は上を下への大騒ぎになっただろうが、何はともあれおめでたい。
「一人称あたいで口を開かなきゃね」
「それは言わないお約束だってばプハルツ」
「でも花嫁衣装のラーニエ、本当に綺麗よねマリエラ」
「うんうん、フローラの時も今から楽しみだわ」
それを言ったら君らだってと、シュバイツがおどけた表情で腕を組む。マリエラとプハルツも、いつ結婚したって問題はない。お国替えで領内がまだ整っておらず、マリエラの母マチルダがもうちょっと待ってと、時期を見計らっているのだ。
壇上では指輪の交換が終わり、司教に促された主役二人がベーゼを交わしている。どこで見てるのか分からないけど、三人娘のうっきゃあって思念が届いた。フローラ軍の兵士がやいのやいのと声を上げ、参列した貴族たちからも盛大な拍手が湧き起こる。
ここにヘルマン王国の新たな王妃が誕生、フルネームはラーニエ・シルビィ・フォン・フレンツェル。フローラにとっては伯母上となるが、ご本人はその呼び方を却下よと認めておりまっせん。
法王庁では女性聖職者が王侯貴族に嫁ぐことを、むしろ好ましいと考えている。理由は一家と家臣を正しく導く、母なる伝道師となるからだ。世俗に戻るため僧籍は失うけれど、ラーニエは大国の王妃という強い発言力を持ち、ローレンの大聖女と縁戚関係を結ぶことになる。壁際に控えているアリーゼが感極まったのか、珍しくほろりと涙をこぼしていた。
「急いでテレジア号に戻らなきゃ、カレン」
「披露宴は船上パーティーだもんね、桂林。こう言ったら失礼かもだけど、天使隊がお留守番してくれて助かったわ」
飛行艇を無人にする訳にもいかず、かといってラーニエの晴れ舞台は誰だって見たい。留守役の人選で煮詰まっちゃったところへ、お困りのようですねと引き受けてくれたのがリュビン隊長だった。
「でも戦闘以外は飛行艇から出ませんってのも、ちょっとね、樹里」
「うんうん、あれは何とかならないものかしら、明雫」
「買い出しとかで連れ出すのはどうかな、イオラ」
「翼を仕舞ってくれればメイド姿だし、違和感ないわよね、ルディ」
あのお堅い連中をどうやって口説くんだいと、スワンが豪快にぶははと笑う。眉を八の字にして、そこよそこなのよねーと、彼女たちはこけっこの背に跨がった。原理原則の塊に適度や程々になんて言葉は通用せず、手強いのなんのって。放っておけば訓練場で、朝から晩まで剣稽古。お茶の時間にクッキーを追加サービスしようとしたら、いえ結構ですとけんもほろろだから参ると。
「クッキーは一回のお茶で五枚までなんて、誰が決めたんだろう」
「リュビン隊長だよ桂林」
「本当に? スワン」
「これは手が止まらなくなる魔性のお菓子、同志たちよ自制するようにって」
呆れたと明雫が、本当は食べたいくせにと樹里が。カレンとルディにイオラも、うわ面倒くさいと口を揃える。こうなったら意地でも原理原則を軟化させましょうと、変な方向で一致団結するフローラのメイドたち。後で作戦会議ねと頷き合いながら、糧食チームのメンバーをゴンドラに乗せ、聖女たちのワイバーンが舞い上がる。
お料理はもう出来上がっており準備は万端、甲板に出したテーブルへ並べるだけ。暮れかかった空に東西南北の支城から、お祝いの花火がぽんぽん打ち上がった。三人娘がたーまやーと声を上げ、それって何のかけ声なのと笑い出す、ゴンドラの糧食チームである。
「市民の間で噂になっている方舟、それがこのテレジア号なのねフローラ」
「そうよアンネリーゼ。そしてディッシュ湾では同型のミハエル号が、ヘルマン王国の操舵手を待っているの」
「ラーニエはそんな重荷を背負って結婚したのか? フローラ」
「もちろん一切合切、承知の上でよハミルトン」
飛行艇の舵を握れるのは精霊と絆を結んだ者のみ。それを彼女は一人で請け負ったんだと、兄妹が沈痛な面持ちになる。もっとも当のご本人はひな壇の席で、普段通りぐいぐいやってますが。
給仕を指揮するメイド長のイリスが、デキャンタじゃ持たないからひな壇に樽をとキリアに要請している。事ここに至って本当に底なしなんだと、理解するエルンスト城のメイドたちと執事団である。
「ルビア王国はマリエラ姫と側仕えのメアリが聖女ね、あと例外だけど婚約者のプハルツ王子も舵を握れるの。船がハーフサイズだし物資の輸送船だから、三人で運用できると思う。
ミン帝国は皇后と妃四人に、あそこのテーブルにいる李髙輝さまの側仕え、蘭と葵に椿も聖女なのよ」
「ミン帝国は八名体制なんだ!」
「お兄さま、我が国は人手不足ならぬ聖女不足ですわね」
誰でも舵を握れるなら魔物とドンパチやらず、船をどんどん建造し、信仰心の厚い者を乗せて成層圏に避難すればいい。聖女が足りなくてそれが出来ないから、建造中も含め既存の飛行艇で戦うしかないわけで。
よって軍団がやるべき事は、もう決まっているのだ。邪神界へ殴り込みをかけ、最後の宿敵グラハムの首級をあげること。さらに邪神どもとその眷属を、鼻血も出ないほどにぶっ叩く。これが人間界の辺境伯令嬢フローラと、軍団が突き進む道なのだ。
「それで私にもその……精霊とお友達になれと?」
「そうよアンネリーゼ、嫌とは言わせない人類の存亡にかかってるんだから」
「うっ」
兄妹はマナデールの御業で、精霊さんたちが見えるし会話を交わせるようになっていた。仲良くなれるかなって不安もあるのだろうけど、マッチングは私に任せてとフローラは大見得を切る。なぜならば神界も精霊界も魔界も、子孫を残したいって手を挙げた精霊を選んでくれる事になってるから。
これぞ人間界の辺境伯に任命された、フローラの持つ特権なんでござる。ただし人間カップルの相思相愛による愛情パワーが、精霊を進化させ放つ御業の威力に影響してくる。そこでとフローラは、おもむろに人差し指を立てた。
「二人とも、確か許嫁がいたわよね」
「いるにはいるけど、なあアンネリーゼ」
「うん、人質交換で国外に出ていたから」
最後に会ったのは十年以上も前で、顔もよく覚えていないと兄妹は笑う。この披露宴には出ているのと尋ねたら、執事長のアレックスが招待状を出してるんだとか。ならばとフローラは、控えているミリアとリシュルに思念を送る。婚約者が出席していたら、見つけ出してここに連れてきて欲しいと。
「いつお声がかかるのかと、首を長くして待っていたのよハミルトン」
「や、やあアナスタシア、いま行こうと思ってたところで」
「はあ? 違うわよ。私が言ってるのはあなたが帰国してから、ずいぶんと日数が経ってるわよねって話なんだけど」
それは問題ですねとミリアが、放置はよくないですとリシュルが、女性の立場から教育的指導の思念をハミルトンに送る。だがこれはアンネリーゼも同じこと、父クラウスの結婚が気になって、許嫁のことはすぽーんと頭から抜けておりました。
「ごめんなさいエイブラハム、心の整理がつかずどたばたしてて」
「実はね、アンネリーゼ。帰国したと聞いて僕は、城に押しかけたことがあるんだ」
「本当に?」
「メイド長のイリスに門前払いされたけどね」
仕える主人の心情を第一に慮り、例え婚約者でも面会を許さない、それが国内の有力者だとしてもだ。ミリアとリシュルがメイドの鏡だわと、テーブルに酒杯を置きながら思念を交わす。絶対に押し切られないあたりは、アンナやクララに通じるものがあると。
ハミルトンの婚約者アナスタシアは、ホーエンブルツ公爵家の長女で代々武門のお家柄。アンネリーゼの婚約者エイブラハムも、モラリスカ侯爵家の長男で同じく武門の家系だ。どちらも一族はヘルマン王国軍の要職にあり、その指導力と発言力は看過できないものがある。
だからこそどちらも許嫁にされたんだろうが、政略結婚の匂いをフローラは好まない。いま彼女が見ているのは純粋に、アナスタシアとエイブラハムが、相手をどう思っているかだ。長いこと他国へ人質に出された気苦労は、二人ともよく分かっているはずだわと。
「ハミルトン、武術の腕前はいかほどのものかしら」
「奉公先の騎士団長に師事したんだ、剣とハルバードには自信がある」
「ならば近いうち、手合わせしたいものね」
「へ? 扱えるのかいアナスタシア」
「ホーエンブルツ家の女子を、ただの女と思わない方がいいわよ」
それにしてもこのお酒はおいしいわねと、アナスタシアは老酒をくいくいやる。見ればエイブラハムも五杯目で、ミリアとリシュルが注ぐのに忙しいくらい。この二人酒豪だ、さすが武門の名家です酒に飲まれないのね。この飲みっぷりなら、ラーニエと気が合うかもしれない。
「最後に会ったのは十年以上も前だけど、アンネリーゼに相応しい武人になろうと努力してきた。こうして再会できてその……」
「なあに? エイブラハム」
「うまく言えないけど、安心したと言うか、君といると心が穏やかになるんだ」
「まあ」
ほうほうと、フローラは口元が緩むのを隠せないでいた。エイブラハムはアンネリーゼに会って、綺麗だとか可愛いとかひと言も口にしていない。もちろんそう言われたら女として嬉しいが、一緒にいて落ち着くってセリフが一番刺さるのだ。彼が見ているのは上辺じゃなく内面的なもの、これは本物かもと、精霊さんたちもによによしてる。
「奉公に出る前日、城の中庭にあるポプラの木に四人で登ったよな」
「よく覚えてるわね、ハミルトン」
「あの時のことは鮮明に覚えてるんだ、アナスタシア。執事長とメイド長から、こっぴどく怒られたから」
そんな事もありましたねと、アンネリーゼもエイブラハムもくぷぷと笑う。遠く離れ歳月が流れれば、どんな面立ちだったか忘れてしまう。けれど一緒に遊び怒られた記憶は、心の深いところにしっかり残っているのだ。
この二組のカップルはうまく行くかもと、フローラはテーブルに頬杖をつく。炊事場の方からかすかに、かんかかーんかん音頭が聞こえてくる。ヘルマン王国の貴族たち、東大陸の料理がいたく気に入ったようで追加オーダーが後を絶たないのだ。
そんな貴族たちと歓談していたシュバイツが、盛り上がってるみたいだねと戻ってきた。今日ばかりは皇帝としての礼装だが、この先四人は麗しき女装男子を目の当たりにすることとなる。