第156話 さっさと付き合っちゃえよ
「あんたが執事長だね」
「アレックスと申します、ご用の際は何なりと」
「君主が長期不在だと大変だろう」
「それはもう……執務室にある書類の山を片付けていただかないと」
自筆のサインと紋章印を必要とする書類が溜まっているようで、クラウスがげふんげふんと咳払い。急を要する案件なら早馬や伝書鳩を使うが、執事団としては本人に来て欲しいのだ。これはフローラとシュバイツに、マリエラだって同じこと。耳が痛いのか、三人揃って空の彼方を見ている。
「真面目な相談なら礼拝堂で、愚痴なら一杯やりながら聞いてやるよ。溜め込むのはよくない、内にある悩みや不満は、あたいにどーんとぶつけるといい」
発した言葉通り、自らの胸を叩くラーニエ。
執事たちがよろしいのですかと、クラウスに視線を向ける。すると彼は構わんさって素振りで肩をすぼめた。ラーニエは今日までフローラ軍の兵士たちを相手に、懺悔と悩みを聞いてきたのだ。やってることは従軍司祭の枠を超え、特に恋愛相談では優秀なカウンセラーとなる。そこんとこはクラウスもよく分かっており、執事団のガス抜きに良いと考えたのだろう。
「さてハミルトン、アンネリーゼ。私から提案があるのだけれど、聞いてもらえるかしら。あらあら、そんなに構えなくていいのよ」
うわ聖職者モードに戻ったと、ワイバーンを飛ばしてきたグレイデルとキリアが吹き出しそうになる。ヴォルフとケバブにダーシュも、よくすぱっと切り替えられるもんだと感心しきり。だってうちらの頭目ですからと、みんなに思念を飛ばしたアリーゼがむふんと笑っている。
「どのようなご提案でしょう、その……あの……」
「そうそう、その件なのよハミルトン。私のことをお母さまと無理に呼ぶ必要はありません。心の整理もあるだろうし難しいでしょ、だから二人とも名前でお願い」
「そんな、よろしいのですか?」
「いいのよアンネリーゼ。将来お母さまと呼びたいって思える日が来たら、二人とも自分の魂が望むままに従ってちょうだい」
形式的な呼称よりもお互いの理解を深め、自然な発露を促すラーニエ。ハミルトンもアンネリーゼも、ほっとした表情で素直に頷いた。
この人はやっぱり聖職者なんだと、執事団もメイドたちも眩しそうな顔をする。そんな使用人たちに、フローラがマナデールを発動した。精霊さんが見えるようになり、思念を交わすことができる御業を。
その頃、こちらは首都カデナの中央市場。こけっこを引き連れ、三人娘と三人お嬢が買い出しに来ていた。桂林と明雫に樹里はもうすっかり顔馴染み、あちこちから寄ってらっしゃいとお声がかかる。
「太刀魚の水揚げが好調でな、フロイライン桂林」
「もうそんな時期なんだ。鮮度もばっちりね、あるだけ全部ちょうだい」
「お、おおう、毎度あり」
卵持ちの雌もいるからなと、店主から嬉しい情報が。真子を甘辛く煮つけると最高で、お酒にもご飯にもよく合う一品になるんだこれがまた。真子があるなら雄の白子もあるわけで、ポン酢がいいかしらと桂林がぽそり。護衛のジャンとヤレルが、たまらんって顔してますはい。
「キリア隊長はどうしたね、フロイライン明雫」
「ご挨拶でエルンスト城に同行しているわ。これは珍しいカレイね、ひれに黒丸の点が並んでる」
「見た目からホシガレイって呼ばれてるんだ。味は折り紙付き、この大きさは中々手に入らないぞ」
「ほうほう、ならばこの五匹、全部ちょうだい」
「へいまいど」
その数ならまかないだなと、ジャンとヤレルは顔を見合わせる。買い出しではよくあることで、味を知るためのお試し買い。店主いわくエンガワは絶品なんだそうで、そんなこと聞かされたら食べずにはいられない。尻尾を振るわんこ状態の二人に、ちゃんとお裾分けするからと、明雫から思念が届きました分かってらっしゃる。
「いつもの武器いっぱい背負ってる兄ちゃんは? フロイライン樹里」
「あはは、護衛でお城に出向いてるの。本日のお勧めはあるかしら」
「競り落としたビンチョウマグロが三本、そろそろ届くんだが」
「ふむふむ、してサイズは」
「目方はフロイラインの十人分だな」
「三本とも買いまーす」
「わはは、今後ともごひいきに」
目方とは重量を指し、つまり若い女性の十人相当ってことね。三本もあれば居候も含め、お刺身が全兵士に行き渡るだろう。問題は一本のマグロから少量しか取れない部位、カマや脳天、ほほ肉や中落ちがどうなるか。ジャンもヤレルもそわそわしちゃって、樹里におねだりの視線を向けている。
御業を使えば主な食材は調達できるけど、魚介類は大型の生け簀が必要になる。そこに水を張れば、残念ながら重量オーバーになっちゃうわけでして。試行錯誤を重ね停泊中に限り、船外へ養殖網を設置する方法が確立されたのはつい最近のこと。漁業ギルドから派遣のムスタ、良い仕事してます。ただ彼が言うに他国の港で、勝手に網を出すのはまずいんだそうな。
「理由を聞いてもいいかしら、ムスタ」
「漁業権の侵害に該当するからね、カレン」
「現地の魚を捕るわけじゃないのに?」
「捕る捕らないではなく、漁具を使う行為が問題なんだよ」
他国の船が湾内で勝手に操業すれば、漁業ギルドも水産加工ギルドも黙っちゃいないはず。クラウス侯へ猛抗議するのは目に見えているし、要らぬトラブルは避けるべきとムスタは話す。
農産ギルドのレンと畜産ギルドのアダムも、その通りだねと頷き合う。網を出せば漁をしていると思われるからで、地元民に悪感情を抱かせてしまうと。一人が声を上げても王侯貴族の耳には届かないが、ギルドの総意となれば無視できなくなる。ギルドがへそを曲げた日には、市場経済に影響が出ることもあると言う。
「せっかくの養殖網が使えないなんて、ねえイオラ」
「どうにかならないものかしらね、ルディ」
「心配ご無用、外洋に出てしまえばどの国にも属さない公海になる。魚介類の繁殖は沖でやればいいのさ」
にまっと笑うムスタに、成る程その手があるんだと納得する三人お嬢。ちょうどそこへ三人娘チームが合流し、お互いの戦果を確認し合う。ここで大まかな献立を決めたのち、更に必要な食材を集めるって寸法だ。
「友好国に駐留した場合、フローラさまは市場にお金を落とす方針だよな、ジャン」
「そうそう、食料に限らず物資の調達を円滑に行うための配慮ってね、ヤレル。現地民とは良好な関係を築いておくべきだから、養殖網を出さないのは正解」
「前々からキリアさまが、商人としての立場でそのように進言してたのよね、桂林」
「うんうん、国王だけでなく、ギルドや自警団とも仲良くってね、明雫」
でも買い物では値引き交渉をどんどんやれって言ってたわと、樹里が鈴を鳴らしたようにころころと笑う。そこは商人だから、相場と適正価格を見抜く眼力を持てってことね。この市場はさすがにクラウス侯のお膝元、ぼったくりをしないから値切ろうとは思わない三人娘である。
「キリア隊長は本当に縁の下の力持ちですね、ジャン」
「ブラム城から一緒だけど、軍団が物資に困らないのは彼女のおかげさ、アダム」
三人お嬢は将来、メイドを引退したらお店を構えるつもりでいる。カレンは飲食店で、ルディにイオラはお菓子屋さん。商業ギルドに加盟するわけだから、キリア隊長は良い先生になりますよと、各組合の派遣三人が口を揃えた。
「あの、あの、すみません!」
買い物客らしきご婦人から急に声をかけられ、どうしたんだろうと顔を見合わせる買い出しチーム。彼女は真剣な面持ちで、胸の前で手を組み、まるで祈りを捧げるような雰囲気なのだ。
気がつけば他の買い物客も、自分たちを遠巻きに見ているではないか。ワイバーンはもう慣れているはず、いったい何があったんだろうと、買い出しチームは首を捻りご婦人の言葉を待つ。
「空飛ぶ方舟でいらしたのですよね、指揮を執るのはローレンの大聖女さまと教会で聞きました。この世界は……この世界は滅んでしまうのでしょうか」
みんなが心の中であっと叫ぶ。フローラの蒔いた種が、芽吹き始めたと気付いたからだ。人々が終末を意識し始めた、ならば自分たちの言葉は大聖女の意思を代弁するものとなる。慎重に言葉を選び、人々を導かなければいけない。
「私の名は桂林。ローレンの大聖女は終末を回避すべく、軍団を率い魔物と戦っているのですマダム」
「まあ、司教さまが仰った通りだわ。教えて桂林、私たちはいったい何をすればいいの?」
救いを求め教えを乞いたいのか、買い物客がどんどん集まって来た。精霊さんとお友だちになり、御業を使えるようになったその時から、自分たちは聖女なんだと三人娘も三人お嬢も改めて思い知る。
フローラなら何と言うだろうか、扇を手のひらでくるくる回しながら、民をどのように導くだろうか。そこで桂林は考えるまでもないんだと、至ってシンプルな答えに辿り着く。あのお方ならこう言うに決まっていると。
「祈ってください、大聖女の軍団が勝利に導かれるよう祈ってください。それが私たちにとって、一番の励みになるのです。人類が絶滅するか存続するかは、皆さんの祈りと、善き者であろうとする魂にかかっているの。お家に帰ったら、家族にもこの話をしてあげて。首都カデナの民に、ヘルマン王国に、神と精霊のご加護があらんことを」
あれで良かったのかしらと、桂林が試食の焼き豚をぱっくんちょ。いや上出来だよと、ジャンとヤレルも手を伸ばす。精肉エリアに足を踏み入れたら、日々の礼拝を欠かさないと言う店主から箱で押し付けられたのだ。大根おろしを添えてお醤油をたらしたら、スワンとラーニエが喜びそうと、明雫に樹里ももーぐもぐ。
私たちが信仰の対象になっているような気がしますと、三人お嬢もはむはむ。練り辛子に柚子胡椒も合いそうねと言い合いつつも、心中穏やかではないようす。すると組合の男三人衆が、何を今更と笑いながら焼き豚をかみ締める。聖女の存在そのものが、信仰の対象でしょうにと。
「ローレンの大聖女と配下の聖女は、精霊に一番近いところにいる。一般人からすれば思わず手を合わせたくなる存在なんだよカレン」
「そうなの? レン。私たちただのメイドなのに」
「君たちはワイバーンを使役し、魔物を退ける力と癒しの力を内に秘めてる。もはや戦うメイド、軍団の誰もがそう思ってるはず」
そういうもんなのかしらと、自信なさげなカレンとルディにイオラ。そこへヤレルが、最近君たち仲が良いねと話しをぶった切った。将来お店を持つなら組合員の三人は、三人お嬢にとって優良物件だ。こうして買い出しに同行するのは、恋の花が咲きそうとキリアが画策したから。
「フローラさまのプラントにね、レン」
「何度も行ったものね、アダム」
「それがお仕事だったしね、ムスタ」
「ほうほう、ワイバーンのゴンドラに乗せる相手は、決まってるわけか」
ジャンが突っ込みを入れ、ヤレルがそうなんだよとによによ。何で知ってるしと三人お嬢が顔を真っ赤に、組合三人衆も返す言葉がないみたい。そうなんだ知らなかったと、気の早いことに三人娘がうっきゃあと祝福ムードに。
シーフの二人は、別にからかってるわけではなかった。精霊は愛情パワーで進化が促進され、御業の効果もアップするから大歓迎なのだ。
ただレンもアダムもムスタも、武器の扱いを知らない非戦闘員だ。三人お嬢と恋に落ちて、魔人化しても役に立つのだろうか?
実はその答えをジャンとヤレルは、リャナンシーから聞いて知っていた。武人ではなく文民ならば、手に持つ技術が特技となって現れるんだとか。だから三組の恋が成就するか、気になって目が離せなかったとも言う。まあ平たく言うと、さっさと付き合っちゃえよ、そういうこと。