第152話 八句詩音
魔眼は威圧と似た系統で、眼光波と精神波の合わせ技。神界と魔界が喧嘩になる時はこの、ガンの飛ばし合いから始まるんだそうで。議事堂の席上から、魔界と精霊界の連合と、対する神界のドンパチが始まった。
ぱちぱち火花が散るのは、双方の眼光エネルギーが空中でぶつかり合うから。なお魔力が格下の者は精神にダメージを負い脱落していく、弱肉強食のサバイバルだったりする。視覚から精神に食い込む技ゆえ結界は役に立たず、最大の防御は強い相手と目を合わせないこと。
「私は精霊女王ティターニア、文句があるなら私を見なさい」
「我は魔王ルシフェル、異議あるならばその眼に我をおさめよ」
アナは上院だから神官席にいるけれど、周囲の弱い神官はみんなやられてグロッキー。勝てないと分かっている相手は見なきゃいいのにと、冷静さを欠いた敗者にお馬鹿ねと呟く。なおジブリールは瞳を閉じており、バッカスは天井を見上げている。乱戦になればうっかり、なんてことも多々あるからで、これは打ち合わせ通り。
「アナ殿! あなたも匿ったひとりだ、この事態にどう落とし前を付けうぼあ!!」
「あーらごめんなさい、わざとじゃないのよ」
もらっちゃったシャダイが顔に手を当て、机に突っ伏してしまう。それを目の当たりにし、絶対わざとだと神官側が震え上がった。たまたま目が合っちゃったわねと、悪びれずころころ笑う大地母神さま怖いです。
神界と魔界の喧嘩が始まった場合、まずは軽いジャブで魔眼戦から始まる。一応ルールがあって、自分の席から離れないこと。各々の机には賛成と反対を投じる小旗があり、敗者は両方立てる決まりだ。
魔眼戦で折り合いが付かなければ、武装して物理と魔法の白兵戦に移行する。ルールは議事堂から出ないことで、ここまでは紳士的にお行儀よく。魔眼戦で負けた者は参加できず、壁際に寄り見学となる。
それでも折り合いが付かない場合は、ちょいと困ったことに。勝ち残ったであろう高位精霊が実体化し、何でもありというカオスな展開になるのだ。議事堂はもちろん崩壊するし、周囲の地形が変わってしまう。実際のところ精霊界が仲裁に入るのは、この最終局面なんだとか。
その精霊界が魔界と共闘したことで、神界はもう高位精霊しか残っていなかった。アナが頃合いかしらと思念を発し、仲間たちが席を離れフローラの元へ舞い降りる。事態の急変に魔眼の応酬は収束し、議事堂は静けさを取り戻す。
「勝手に席を離れないでもらいたいのだが」
「さっきも言ったはず、我々はフローラの弁護人だエロヒム殿」
「ルシフェル殿、なぜ人間をそこまで庇う、種子をもらえば用済みであろう」
「その考え方がカビ臭いのよ、ツァバト殿。あなたが魂の交わりを行なったのは、いったいいつの事かしら」
「君には関係ないだろう、ティターニア殿」
強がりを言っても、ツァバトの目が泳いでいる。どうやら彼自身、何年前か覚えていないのだろう。あれは良いものよ思い出しなさいと、アナがフローラの頭をなでなで。あらずるいと、ティターニアにオベロンとルシフェルもなでなで。
そこで指示通り目を閉じていたフローラが、もういいのねと瞼を開いた。途端に神官側から、ええ? とどよめきが起きる。ガンの飛ばし合いに反応した、フローラの瞳がアースアイに輝いていたからだ。原初の神霊が持つ特徴であり、なぜ人間がと訝しむ声がちらほら。
「フローラ、言いたいことがあれば話して構わないのよ」
「アナ殿、勝手な事をされては困る、サイレント」
「ディスペル!」
喋れなくする沈黙魔法を仕掛けたエロヒムだが、フローラが発動する前に解呪してしまった。そんな馬鹿なと神官側が凍り付き、魔界側と精霊界側もびっくり。
解呪が成功するのは魔力に於いて、相手より格上だった場合のみ。フローラは大神官よりも魔力は上と、この場で知らしめたことになる。アナに出せなかったもう一押し、これがフローラの実力って事だ、歩く魔力タンク前提だけど。
「私の罪状は魔物の力を利用した、それで合ってるかしら」
エロヒムとツァバト、そしてダメージから立ち直ったシャダイが、顔を引きつらせながらそうだと頷く。ならばとフローラは扇を広げ顔をあおぎながら、三人の大神官におかしいわねと微笑む、目は笑っちゃいないが。
「だいぶ前から人間界では、魔物と繋がりを持つ者がいるわ。千年王国の何たるかを勘違いしてる、私利私欲の権化がね。失われた魂は数知れず、なのにあなた方はそれを放置した」
「そ、それは」
「分かっているわシャダイさま。人間界は終末を迎える時が来た、邪神界が滅ぼしてくれるなら手間が省ける、そういう事よね」
言葉に詰まる三人の大神官と、うつむいてしまう神官席の面々。図星だからで、返す言葉が見当たらないのだ。しかし放置した結果は邪神界を勢い付かせ、異界大戦争の引き金となってしまった。その責任は誰がどう取るのかしらと、フローラは神官たちに目を眇める。
「フローラだけを罪人とし、裁くのは無理がありますわね、ルシフェル」
「いかにもだ、ティターニア。諸君らは邪神界に隠れておる人間、グラハムとやらはどうするのかね。まさか神界のお歴々が、治外法権とか言うまいな。それでは公平性に欠け、この裁判自体が茶番であろう」
精霊女王も魔王閣下も、理路整然と論陣を張る。そもそもローレンの聖女とは、終末を迎えた人類に一度だけチャンスをと、ルシフェルの提案で始まった救済案だ。
フローラは軍団を率い、終末を回避すべく戦ってきた紛うことなき聖女。縁を結んだ精霊たちは、できれば飛行艇で安全な場所へ避難して欲しいと願っていた。だが彼女の性分はそれを良しとせず、正々堂々と事に当たって来たのだ。
「私たちが自力で新たな千年王国を目指す、それは悪い事なのかしら」
「無理に決まっている」
「どうしてそう言い切れるの? シャダイさま」
「歴史を遡れば明らかだろう、人間とは堕落する生き物だ」
「でも私は人間界の大陸をまとめ、邪神界に戦いの先鞭を付けた。少なくともあなた方よりはまともだと思ってる、避けて通れない道だと知っているから。
過去の栄光に胡座をかき、怠慢を重ねた結果が邪神界を調子付かせた。裁かれるべきは頭が錆びついている、神界のあなたたちではなくて?」
「お、おのれ言わせておけば! 七大天使の諸君、この娘をなんとかしろ」
私も七大天使のひとりなんだけどなと、ジブリールが諦めの境地で魔方陣を展開する。うちら戦闘向きじゃないんだけどと、ヘカテーにバッカスがあたふたしつつも戦闘モードに。
ティターニアとオベロン、ルシフェルにリャナンシー、ヒュドラにセネラデも、それぞれが戦装束にコスチュームチェンジ。魔界と精霊界の席からも、次々と魔方陣が浮き上がった。なお戦装束とは精霊が、魔方陣を用い外殻となる鎧をまとうこと。喧嘩は第二ステージへ移り、白兵戦が行なわれることに。
だがそこで、とんでもない言霊を発動した人が――。
「天にまします神々に願い奉る、エロイムエッサイム!」
フローラの凜とした言霊が、議事堂に響き渡る。天にましますで始まったなら、その御業はゴッドハンド。ワイバーンの卵を取り戻すため、仙観京で用いた古代の言霊だ。これは打ち合わせに無かったことで、味方のみんながびっくり仰天。
「己の使命を忘れ保身に走る愚か者に天誅を!!」
「隕石六十四個分に換算して、ゴッドハンドは幾つになる? ヘカテー」
「私に聞かないでよバッカス、フローラが千手観音になりそう。これは離脱の準備をしといた方がいいかも」
「我が名はフローラ・エリザベート・フォン・シュタインブルク」
神界側も白兵戦に向け魔方陣を展開中だったが、ゴッドハンドの詠唱に慌てふためいた。ジブリールを除く七大天使も及び腰、なぜならば魔力差でフローラの詠唱を止められないからだ。物理攻撃で妨害しようにも、フローラを守る武装した弁護団が構えており付け入る隙がない。
「はい皆さんちゅうもーく」
アナが突然声を上げ、ぽんぽんと手を叩いた。けれどフローラの詠唱は止まっておらず、我が望みはと続いている。威嚇ではなく本気でやらかすつもりだと、焦る連合と神界の面々。もしかしたらアナが詠唱を中断させてくれるかもと、期待したが望みは脆くも打ち砕かれた。
「フローラ、詠唱はそのまま最後の技名でキープ。これから大事なお話をするの、発動するかどうかはその後で決めて」
魔素はいつでも注ぎ込めるほーと、ナナシーが準備万端を告げる。あらいい子ねとアナは、ナナシーの頭もなでなで。中断させない大地母神に、精霊女王も魔王閣下も目をぱちくり。それは他の仲間たちも一緒で、やはり離脱の準備をと思念を飛ばし合う。
隕石よりはまだいいが、神の手も万能攻撃のひとつ。属性は関係ないからレジスト出来ず、誰もがダメージを受ける。倍の乗算で幾つ落とすのかは、本人であるフローラのみぞ知る。
「ゴッドハンドの言霊、始まりは天にまします神々よ。ここで言う神々とはいったい誰を指すのか、皆さんお分かりのはず。もちろん私も含め、この議事堂に該当者はいないわ」
「それじゃ誰なんだほ? アナ」
怖いもの知らずの流動体が、発動を一時停止しているフローラに代わり尋ねた。ここにいるのがみんな、神々じゃないのかほと。
「宇宙開闢であのお方は、自分の手足となり支えてくれる脇侍を七体お生みになったの。それぞれ虚無・光・闇・地・水・火・風を司るセラフよ。奥義を行使するとき言霊に出て来る神々とは、七大セラフを指しているわけ」
「ふむふむ、それじゃアナはどんな立ち位置なのかな」
「私は七大セラフの直系で最初の子、無量無辺の神霊十二柱と呼ばれる存在ね。フローラを依り代にしている、ミドガルズオルムもその一柱よ」
話しを聞きながらフローラは、成る程と合点する。ミドガルズオルムはアナを古い友人と話していたが、古いどころか世界の始まりから知り合いだったわけだ。ちなみに無量無辺を冠するのは、永久に無限の恵みをもたらす光明を意味している。
「さて皆さん、生まれた時から虚無の属性を持つ者など、未だかつておりましたでしょうか。答えは否、そもそも不可能だからです」
「どうして言い切れるんだほ?」
「虚無のセラフから生まれた、直系でなければ辻褄が合わないからよナナシー」
「ほむ」
「でも虚無のセラフは」
「ほむほむ」
「子を成したことがないの。無量無辺の神霊十二柱も、最初は六属性だったわ」
人間と魂の交わりを行い子孫を残す過程に於いて、虚無の属性が開花し七属性が揃ったとアナは言う。神界も精霊界も魔界も、アナに反論しないのは事実だから。
「それじゃおいらはいったい、何なんだほ」
「虚無のセラフが初めてなした直系の子、それしか考えられないの。他の属性を持たない単一属性だけど、あなたは魔物じゃなく立派な精霊と考えるのが妥当ね」
すると三人の大神官が、飛躍しすぎだと異議を唱えた。神界はどうあってもナナシーを、自然発生にしたいらしい。それは苦労して手に入れた第七属性の虚無を、単細胞生物が持っていることへの嫉妬だろう。
そもそもフローラへの嫌疑は、魔物の力を利用した罪だ。正しい手順で精霊と絆を結んだ場合、裁判自体が無効となる。実際にフローラは黒胡椒を、手ずからナナシーに与えたのだから。
「自然発生とするのが妥当、裁判を続行すべきだ」
「ならば自然発生を証明すべきでは? エロヒム殿」
「検証と証明は弁護団の仕事だろう、ルシフェル殿」
「ハックション!」
議事堂に、間の抜けたくしゃみが響き渡った。それは奥義を一次停止していたフローラで、ゴッドハンドの発動は中断されたと誰もが思ったことだろう。
ただひとりアナだけが、あらまあという顔をしていた。古代の言霊には同じ詠唱を使う、八句詩音なる奥義が存在するからだったりして。