第147話 ちょいと空の旅に(前編)
ディッシュ湾は凪いで風は緩く、空は雲ひとつない超ウルトラどぴーかん。兵士たちがえっさほいさと、桟橋から積み荷を運び込んでいた。樽や木箱に麻袋と、そのほとんどは食料である。
「えらい量だな、キリア」
「そりゃ七日分ですものダーシュ、兵站部隊が陸路を荷馬車で運ぶのと同じよ」
「喫水線の上限ぴったりで計算通り、さすがだ」
「んふふ、フローラさまのご要望が『満載で行くわよ』でしたからね」
テレジア号の甲板に、山と積まれた遠征用の物資。それを兵站隊長と相棒のわんこ精霊が、糧食チームと一緒にチェックしていく。酒樽がなにげに多いのは、ラーニエとスワンの暗躍だろう。積まない方針となった燃料の薪が、お酒にすり替わったとも言う。
もちろんキリアは気付いているけど、見て見ぬ振りで野暮なことはしない。降ろそうものならあの二人、この世の終わりみたいな顔をするに決まっているのだから。
以前の彼女であれば軍規優先、こんな仏心は起こさなかったはず。何か心境の変化がと尋ねるわんこ精霊に、キリアはそうねと言いながら、チェックの済んだ荷物にレ点を書き込んだ。
「軍団に規律は必要だけど、人情が介入してもいーんじゃないかなって」
「と言うと?」
「私たちは人間で中立の立場、天使じゃないのだから原理原則に縛られるのも、どうかと思ってね。それを体現しているのが、フローラさまじゃないかしら」
「天真爛漫で、あっけらかんとしてるけどな」
それ本人の前で言っちゃだめよと、キリアは鈴を鳴らしたようにころころ笑う。でも人を心の底からゆり動かすのは、法でも力でもなく、畏敬の念に加え義理人情よと人差し指を立てる。我々の君主であり大聖女は無意識のうちにそれを実行し、軍団をまとめ上げ、更に大陸の有力諸侯を仲間にしたのだと。
「あの木箱で最後ですね、ゲルハルトさま」
「ああ、ボラードのロープを解いてくれるか、リーベルト」
「お任せ下さい!」
「調子こいて海に落ちるなよ」
「それはないです、ヴォルフさま」
むうと頬を膨らませたリーベルトが、打ってもらったばかりの斬岩剣をヴォルフに預けた。ついに婚約者であるスワンの身長を追い越し、最近ではヴォルフから剣の手ほどきを受けている。彼はひょいっと甲板から岸壁に飛び移り、ボラードのロープに手をかけた。
飛行艇はフロート付きの翼を持つため、普通の船と違い岸壁へ横付けできない。ではどうしているかと言うと、船尾からロープを出しボラードに巻き付けているのだ。
ボラードとは船を係留するため、波止場に設置された突起物のこと。単体ではビット、ふたつ一組の場合をボラードと呼ぶ。更に船首から錨を下ろすのが、飛行艇の係留スタイルとなっている。
リーベルトがロープを解き、騎馬隊員らがそれを巻き取り機で甲板に引き上げていく。ここまで来るともう、みんな立派な船乗りと言えるだろう。それは重装兵も軽装兵も、弓兵だって同じ。戦う場所が地面から甲板に変わるだけと、意外な事にすんなり受け入れていた。
「この船に乗り込んで、悪しき最後の一人グラハムをとっちめに行く。それがフローラさまのお考えだろうな、デュナミス」
「巨人使いならば、本軍を全滅に追い込んだ仇で確定だ。弔い合戦に行く、その線で間違いないなアーロン」
「全ての兵士がそう思っているし、望むところさ。これはその予行演習みたいなもんだろう」
弓隊長二人のやり取りに、重装隊長のアレスとコーギン、軽装隊長のシュルツとアムレットも同意を示す。彼らは配下の兵士らに、チェックの済んだ物資を、こけっこのゴンドラに移すよう指示を出していた。ワイバーンが厩舎を経由し、船内へ運び込むって寸法だ。
そこから力を発揮するのは、聖女たちが扱う地属性魔法となる。司馬三女官も四体四属性の精霊さんとお友達になり、攻撃魔法が使えるようになっていた。
「これは便利だわ、蘭」
「扱い方を紫麗さまと四夫人にお伝えしなければね、葵。椿のお考えは?」
「重量物を軽々と持ち上げられるもの、皆さんきっとお喜びになるでしょう。うふふ、それを見た陛下は、どんなお顔をされるかしら」
そう言いつつ、椿が酒樽をソーンウィップで持ち上げる。蘭は穀物の麻袋を、葵は調味料の詰まった木箱を持ち上げ、指定場所にひょいひょい運んでいく。後に髙輝はこのように書き記している、戦場であのスペルを使い岩石でも放り投げられたら、敵軍はたまったもんじゃないだろうと。
スワンにカレン、ルディにイオラ、エイミーとメアリも、同様に物資をどんどん船倉へ収め、力自慢である重装兵たちの出番がありまっせん。彼らだけでなく弓兵も軽装兵も、こりゃ参ったなと苦笑い。こうして船内への搬入作業は、聖女とこけっこにより、あっさり終了したのである。
「錨が上がったぞ、樹里」
「おっけーケバブ。それじゃ始めようか、桂林、明雫」
「メーターがレッドゾーンに入ってないでしょ、ジャン」
「ほんとだ余裕じゃないか、すごいな桂林」
「転移門を使わずにヘルマン王国まで空の旅、わくわくするぜ明雫」
「あはは、遊びじゃないのよヤレル」
荷物の搬入が終わり、ここはテレジア号の操舵室。三人娘が舵を取り、ディッシュ湾へ出て空に舞い上がるところ。実は仙観京で回復魔法を使いまくった結果、おめでたい事が起きていた。なんとグレイデルの三属性に、桂林・明雫・樹里の四属性が、繭化して孵り進化したのだ。災い転じて福と成す、使える魔法の種類が増え、船の積載量もアップしていた。
ラーニエ隊や吟遊詩人も含む軍団総員を乗せ、積み込む食料は一週間分で出発となる。息の合う三人娘に舵を任せ、クラウス候の治めるヘルマン王国まで、ちょいと遊びに行きましょうって企画である。発案はもちろん大聖女さまだけど、弓隊長の二人が予測しているように、何かしら思惑があるみたい。
「明雫、とんかつを始動します」
「樹里、エビフライを始動します」
プロペラが回転を始めたテレジア号は、微速前進で係留された岸壁から離れ湾央へと船首を向ける。甲板の兵士たちが船尾に、皇帝の旗印とローレン王国女王の旗印を掲揚していく。眠れる子羊と双頭のドラゴンがはためき、見物していたヘレンツィア市民から歓声が上がった。
「マリエラさまの補給艇も急ピッチで建造が進んでいるな、ジャン」
「お父上の名にちなんでジョシュア号にするそうだ、ヤレル」
「貞潤さまの飛行艇も建造に入った、船名はどうするんだろう」
「揉めてるらしいぞ、貞潤さまは紫麗さまの名を、紫麗さまは貞潤さまの名を、それぞれ主張して譲らないらしい」
大陸東側の初代皇帝とその皇后である。どっちでも相応しいと、ジャンとヤレルは建造ドックに視線を向けて笑みをこぼす。造船ギルドの職人たちも慣れたようで、建造するスピードが早くなっていた。三隻の飛行艇にハーフサイズの補給艇、揃い踏みするのもそう遠い未来ではなさそうだ。
「甲板にいた兵士が船内に入ったぞ」
船窓から確認したケバブが、三人娘にゴーサインを出した。厩舎にはワイバーンも全頭いるのだが、今の彼女たちに軽量化という文字は無い。船から離れてもらう必要は無く、こけっこ達も乗せたままテイクオフだ。
「桂林、かき揚げを垂直離陸に角度変更します。みんないくわよ、そーれかんかかん」
「かんかかん」
「かんかかーんかん」
ジャンとヤレル、そしてケバブも、手拍子で三人にエールを送る。ここは笑っちゃいけません、舞い上がる瞬間が一番神経と魔力を使うところだから。海面に幾重もの波紋を広げながら、テレジア号は水面を離れ上昇を始める。首都ヘレンツィアの街並みがどんどん小さくなっていき、三人娘は顔を見合わせ頷き合った。
「渡すよ、桂林」
「任せて明雫、樹里も離して大丈夫よ」
「うん、渡すね」
ひとりで舵を預かった桂林がアジフライを操作し、船首を南西へ向ける。フローラほどの速度は出せないが、飛行艇はプロペラをぶんぶん言わせながら空を駆け始めた。
三人娘が交代で操船し、夜間はフローラが空中固定して停泊、これがテレジア号の旅程である。ジャンとヤレルにケバブは空の見張り要員で、彼らも交代しながら操舵室詰めとなるわけだ。
「それじゃお二人さん、仲良くな」
「おいおいヤレル、これは任務なんだぜ」
「そうは言っても組み合わせを決めたのは、なあケバブ」
「フローラさまとグレイデルさまだからね。意図的と言うか、将来の夢でも語り合えってやつじゃ? 俺たち二人きりになれるチャンスが少ないし」
「飲茶はどうしよう明雫」
「遠慮した方がいいのかしらね、樹里」
「ちょっ、あんたたち!」
時計の針が三周で交代となる操舵室、お茶と点心の差し入れくらいしてよと、桂林がぷんすかぴーで猛抗議。まあ、お茶やらお手洗いやらで、ちょこちょこ顔を出す手筈にはなっているが。
「ねえジャン」
小さく手を振り操舵室から出て行く、ヤレルと明雫、ケバブと樹里の背中を見送ると、桂林は婚約者に微笑みかけた。進路を南西に取り海岸沿いを進めば、放っておいてもヘルマン王国の国境に出る。ケバブは冗談交じりに言ったけれど、二人きりでゆっくり話せる機会は割りと少ない。
「全てが終わったら」
「終末を回避して新たな千年王国が到来したら……そういう意味かい? 桂林」
「そうよジャン、あなたはヤレルと一緒にダンジョン探索をするのよね」
「シーフとしてのライフワークだからな、だから俺たちはトレジャーハンターと呼ばれる。そう言えばケバブ、鉱石探しで同行したいと言って来た」
「ふうん」
「ふうんって、何?」
「男三人で迷宮に潜るわけだ、置いて行かれる私たち嫁の立場は考えてるのかしら」
「いや……それは」
満面の笑みをたたえる桂林だが、目が笑っていない。
叙爵を受けお屋敷を賜り、そのうち領地も与えられるだろう。ローレン王国で一番偉いメイド長、アンナが紹介してくれた執事とメイド達はよくやってくれている。主人とその妻がいなくても、ちゃんと切り盛りしてくれるでしょうと、その目がきらりんと光った。
「まさかとは思うが」
「そのまさかよ、ジャン。ダンジョン探索に嫁が同行しちゃいけない、そんな決まりはないもの」
「トラップや魔物はもちろん、粗食だし衣服は汚れるし、淑女が行く場所ではない」
「私を連れて行けば、少なくとも重量物の運搬とご飯には困らないわよ」
「そりゃそうだが」
ジャンの脳裏に響き渡る、遺跡や地下迷宮でのかんかかんかーん音頭。あれを祝詞と表現したのは、マリエラ姫だったかと思い出す。悪霊を退散させる不思議な力があるとは、誰もが認めるところ。
「明雫も樹里も、交代したら同じ話を相棒にするのかな」
「多分ね、置いてけぼりはないわって、私と同じように思ってるはずだもの」
舵を握りながら桂林は、操作盤に頬杖を突いて微笑んだ。けれどそれは終末を回避できたらの、遠い約束をここで結ぼうというもの。けしてジャンに足かせを課すものではなく、そうありたいという自身の願望だ。
「夫婦トレジャーハンターか、有名になりそうだ」
否定しないあたり、ジャンもまんざらではなさそう。
差し当って危険な食べ物はあるのかしらと尋ねる桂林に、ダンジョンの踊りタケには気を付けろと彼は言う。命に関わるキノコではないが、我を忘れ衣服を脱ぎ捨て、日がな一日踊ってしまうのだとか。
「暗闇にぽうっと光る青白いキノコ、あれは要注意だ」
「呆れた、それでシーフが務まるの?」
「言ってくれるな、良い匂いを放つんだよ。分かってても空きっ腹だと手を出してしまう」
「今ここで全ての精霊に、あなたが存命であることに、感謝の祈りを」
ヤレルも明雫から、似たようなお小言をもらうのだろう。ケバブだって工房に籠もりっきりでは、樹里も言いたいことのひとつやふたつあるはず。操舵室の組み合わせは、フローラが仕組んだガス抜きなのかもしれない。