第143話 空を駆ける
飛行艇は左翼と右翼にあるプロペラの回転差で、面舵と取り舵の進路変更を行なっている。面舵が右方向で、取り舵が左方向だ。プロペラは逆転も出来るから、実はバックもできたりして。セネラデいわく地上に降りた時は、後退も必要なんだとか。なので操作盤には左右プロペラの、正転と逆転を切り替えるレバーが二本ある。
それとは別に飛行用レバーがもう二本あって、ひとつは翼の角度変更、もうひとつは上昇下降のフラップに使う。輸送が主目的の飛行艇だから、船体を極力水平に保つよう作られている。当然ながら宙返りなんて無理です出来ません。上下がひっくり返ったら、炊事場も大食堂もえらいことになっちゃう。
あとは陸上で使う車輪を、出し入れするボタンがあるだけ。舵とレバー四本にボタンがひとつ、操作系は割りとシンプルな造り。いつの間にか三人娘が、レバーの所にお絵かきしていた。
どんな絵かと言えば、とんかつ、エビフライ、かき揚げ、アジフライ、なぜに揚げ物シリーズ? フローラが尋ねたら三人は、これだと絶対に間違えないのだそうで。なるほど注文と違うお料理は出せないものねと、グレイデルもキリアもころころ笑っていたけど。
「錨を上げた兵士が船内に戻ったぞ、フローラ。ワイバーンも離陸時の軽量化で飛び立った、いつでもいいぜ」
「おっけーシュバイツ、翼の角度を垂直離陸に変更」
フローラがかき揚げレバーを手前にがちゃんぽんと引いたら、両翼がプロペラを空に向けて角度を変え始めた。午後から波が出始めたせいか、翼のフロートが水面から離れたので少々揺れる。
「プロペラ始動! あとは回転数を上げればいいのね、セネラデ」
「そうじゃフローラ、浮き上がる瞬間が一番魔力を使うのでな、おもいっきりぶん回すが良いぞ」
「分かったわ、ではでは、大空へ向けテレジア号発進!」
四基のプロペラが巻き起こす風圧で、海に幾重もの波紋が広がる。やがて船体はじわじわと喫水線を脱し、水面からふわりと浮き上がった。
喫水線とは、船に於ける積載量の限界を指す。この線から下を亜酸化銅で塗装しており、ぱっと見は赤色だ。フジツボといった貝類や藻類が付着すると、抵抗になって船の速度が落ちるから亜酸化銅を塗るんだそうで。
「首都ヘレンツィアの港が見える高さまで、このまま上昇してフローラ」
「あはは、なんだか体がふわふわするわジブリール」
「上昇と下降では慣性の法則が働きますからね、軍団の兵士たちも同じように感じているでしょう」
操舵室の見学を申し出た、マリエラと側仕えのメアリ、プハルツと従者のエンゲルスが、固唾を呑んで見守っていた。いずれハーフサイズの飛行艇を、自分たちも運用することになるから真剣そのもの。
「高度はこの辺でいいわフローラ、ホバリング状態に出来る?」
「うん大丈夫よ、ジブリール」
「では姿勢を保ち、ワイバーンの回収をしましょう」
ホバリングとはプロペラを回したまま、空中で一時停止すること。これが出来ない操舵手では着陸が難しく、水面や地面に激突したら大惨事だ。全ては流し込む魔力で調整される、プロペラの回転数にかかっている。
シュバイツが窓を開けて腕を伸ばし、ワイバーン使いに見えるよう帰還許可の青旗を出した。フローラと二人で決めた、意思疎通の旗信号である。飛行艇の周囲を旋回していた、こけっこに乗る聖女たちが手を振りながら戻って来た。
思念を飛ばせる範囲はそう広くない、せいぜい飛行艇の中に限られる。新米聖女にも手鏡は渡してあるけど、一斉同時通話できないのが玉に瑕。そこで目視による旗信号を、二人は採用したわけだ。
ちなみに緑旗が飛行艇の後に続け。黄旗は各自戦闘用意。赤旗は己の信念に基づき行動せよ。この合計四種類だ。赤を出すのはきっと、魔物に取り囲まれた時だろう、出番がない事を祈るのみ。
「みんな甲板に降りて、ワイバーンの厩舎に入ったぜ」
「操舵室に上がって来るまで待とうシュバイツ、操船を覚えたいって思念が来たわ」
「ホバリングを維持するのはしんどいはずじゃが、大丈夫かや?」
「平気よセネラデ、任しといて」
ほほうと顔を見合わせる、神獣さまと大天使さま。お偉いさん四人から愛され加護を授かったフローラは、もはや神霊に等しいのかもしれない。錬成を覚えたことで魔力の扱いもこなれてきており、人間の枠を超越しているかもと。
「惜しい、精霊界の住人になって欲しいものじゃが」
「あら、神界にも欲しい人材ですわ」
「ふはは、ルシフェルも魔界に欲しいと、同じ事を言うであろうな」
二人がそんな思念を交わしていると、ワイバーン持ちの聖女たちが操舵室に上がって来た。その中にはキリアもいて、寿命を縮めそうだと、わんこ精霊が心配そうな顔をしている。だがもしもの時のために、舵を取れる人員は多ければ多いほどいい。フローラは本人の希望でもあるしと、野暮なことは言わなかったのである。
「翼の角度を調整しながら、進みたい方向へ舵を回すのです」
「速度優先なら翼の角度を水平に戻していいのよね、ジブリール」
「そうよフローラ、フラップのレバーで上昇下降の、微調整が出来たら一人前ね」
むふんと唇の両端を上げ、フローラは翼を水平に戻しちゃう。重力には逆らえず船体は高度を下げて行くのだが、魔力をずいずい流し込みプロペラをぶん回して、フラップレバーを調整する大聖女さま。飛行艇が命を吹き込まれたかのように、再び大空へ舞い上がっていく。
「軍団を空へ持ち上げて、移動させることは私にも出来る。でも高度が上がるほど空気は薄くなるし、寒くなるのよね。この船はどうなの? セネラデ」
「船倉にある魔道具はの、空気と温度の調整もやっておる。雲の上に出たって平気じゃ、思いのまま上昇するがよい」
肉を持った魔物では到達できない高度があると、ジブリールは人差し指を立てた。そこまで行けたら合格よと言うけれど、よくよく考えれば人類を見捨てて高みの見物になるって話しだ。フローラもシュバイツもそんなことは望んでおらず、視線を交わしお互いの意思を確認し合う。新たな千年王国を実現するために、自分たちはあくまでも戦うと。
雲を抜けたら空にあるのはどこまでも続く青と太陽のみ、超ウルトラどぴーかんの中、フローラはひゃっほうと空を駆ける。瞳は虹色のアースアイに輝き、人類の未来を見据え光彩を放っていた。
「あそこに見えるのが大陸で一番高い山、ヘベレストだなアリーゼ」
「そうねゲルハルト、あの山脈から大陸を横断し、流れているのがカンジス川ね」
「我らの住まう場所が平面ではなく球体だと、つくづく思い知らされる」
「でもあなた、吸い込まれそうになるほど美しい景色だわ」
「ああ、生きている間に良いものを見せてもらった、フローラさまには感謝せねば」
そのフローラにしかできない物体の空中固定で、いま飛行艇は遙か上空の成層圏に停泊していた。この高度になると魔道具が透明なシールドを展開し、空気も温度もコントロールされ普通に甲板へ出られる。そこで行事用テントに加え大食堂のテーブルも出し、母なる星を眺めながらの立食パーティーと相成った。
「大パノラマだな、ヤレル」
「異界って多分、どこかの星々なんだろうな、ジャン」
「地獄の最下層コキュートスは太陽からもっとも遠い星だと、ヘカテーさまから聞いたが」
「……寒そうだな」
「いやいや、生身の人間なら即死だろうヤレル。魂が感じる痛みには、この寒さも追加されるらしい」
「じゃあ太陽に近すぎる星だと、魂は焼かれる痛みがあるってことか?」
「そういうこった、地獄の階層にも色々あるようだな」
そんな二人にケバブとディアスにリーベルトが、ゲットしましたよと皿を運んで来た。三人娘が景気よくかんかかーんかん音頭を奏で、糧食チームがオードブルを量産している。飛行艇のテストは全て終了し、船倉の食材は残さず使い切るようにと、キリアからお達しが出たのだ。
「樹里のワイバーンが卵を産みましたよ、今度は四個です」
「そいつは目出度いな、ケバブ。一頭は紫麗さまの予約でミン帝国だが、あと三頭はどうなるんだろう」
「スワンは確定じゃないか? ジャン」
「重装隊のバルデから求婚されてる、エイミーも候補に挙がると思うよ、ヤレル」
「それはあるかもな、ディアス。結婚すればローレン王国の民だ、糧食担当の若い子は買い出しがあるから、優先順位は高い」
あとはミリアとリシュルじゃないかと、彼らはこけっこ談義で盛り上がる。更に卵が産まれれば、マリエラ候とお付きのメアリ、司馬三女官もあり得るねと。でもどうして契約は女性ばっかりなんだろうと、話しはそっちに流れていく。
「みんなここにいたのか、何やら楽しそうだね」
「お帰りなさいゲオルク先生、クラウス候は大丈夫なんですか?」
「高山病に近い症状が出ただけだよリーベルト、もう回復してぴんぴんしてる」
それは良かったと、みんな思い思いにオードブルへ手を伸ばす。
チーズ盛り合わせに腸詰め盛り合わせ。チキンナゲットにハッシュドポテト。餃子に焼売と春巻き。サンドイッチに巻き寿司。他にも色々作っているようで、船倉にある食材を本当に全部使い切るっぽい。
「以前リャナンシーから聞いたのだが、ワイバーンも雌雄同体なんだそうだ」
「それじゃどのワイバーンも、卵を産む可能性があるわけですね? ゲオルク先生」
「その通りだジャン、だが子孫を残す環境が整っていないと、産卵しないらしい」
フローラ軍はその気になる環境だなと、ゲオルクはチキンナゲットを頬張った。食料に困らず、面倒を見てくれる主人がいるから安心して産めると。その主人となる相手は女性の方が、信を置き懐きやすいのだとか。
「男性だと契約に失敗することもあると、リャナンシーは話していた。子育てに協力する男かどうか、ワイバーンは見抜くらしいぞ」
「はいはい! 僕は小さい子供が大好きですゲオルク先生」
「わはは、ならフローラさまにお願いしておくといい、リーベルト。いつかワイバーンに騎乗して、空を飛べる日が来るといいな」
そしてこちらは女王陛下のテーブル。フローラとシュバイツ、セネラデとジブリールが、グラスを傾け歓談していた。神獣さまと大天使さまは、これからそれぞれの本拠地へ戻ることになる。
「シュバイツよ、そなたに伝えておく事がある。のうジブリールよ」
「そうねセネラデ、こんな状況だけど知っておいて欲しいわ」
「二人とも、何の話しだい?」
実は一人目を授かり、もう精霊界に放出しているんだそうで。二人目の可能性をはらんだまま、セネラデもジブリールもしばしの別れになると言う。女装男子、もう立派なお父ちゃんだ。
やっぱり当たってたのね流石は絶倫の種馬と、フローラが鈴を鳴らしたようにころころ笑っちゃう。それ褒めてるのかと唇を尖らせるシュバイツに、彼女は真顔になり私にも授けてねと返す。
「シュタインブルク家の女子は代々、子宝に中々恵まれないから。私は期待してるいのよ、絶倫の旦那さまに」
口をぱくぱくさせるシュバイツと、絶倫を殊更に強調したフローラの図。セネラデもジブリールも、そんな二人をによによ眺めている。厚切り叉焼をもらったほと、皿を手にしたナナシーが来て、何の話しだろうと首を傾げていた。