第142話 運用面で色々と
軍団に三食を提供した翌朝の時点で、グレイデルのメーターはギリギリセーフだった。三人娘はちょびっとレッドゾーンにかかり、空を飛ぶにはもうちょいである。精霊さん達が進化すれば積載量も上がるとは、神獣さまと大天使さまの談。
竈の燃料は降ろすことが決まっているから、更なる軽量化をと話しは進んでいる。必要以上のテーブルや椅子は撤去、持ち込む私物も最低限にと、キリアがリストアップしているところ。
酒樽を死守したいスワンとラーニエが、戦々恐々としてるっぽい。まあ兵士たちの楽しみでもあるし、そこは目をつぶってあげる女王陛下と兵站隊長である。
「釣果はいかがですか、フローラさま」
「ぼちぼちよグレイデル、一緒にやろう」
「おいらもやってみたいんだほ」
考えをまとめたい時、フローラはよく釣り糸を垂れる。付き合いが長いグレイデルは、それが分かっているからタックルを持ってお邪魔するわけだ。タックルとは竿とリールに仕掛け一式のこと。バケツの中を見てみると、小アジに小イワシが釣れてるみたいだ。
「ナナシー、それ食べちゃだめよ」
「ほ? おやつじゃないんだ」
フローラが使っている餌は、きのう夕食で出たおでんの厚揚げだったりして。小さく千切って針に刺せば、意外なことに掛かるんだこれがまた。蒲鉾や竹輪といった練りものは、針持ちが良くて海釣りには重宝する。
「わたし思ったんだけどさ、グレイデル」
「はい」
「船内でオベロンの加護を使ったら」
「一歩間違えればジャガイモ事件、鶏と卵事件ですね」
「それ言わないでよ、気にしてるんだから」
「うふふ、でも重量オーバーになりますでしょう」
空を飛べる飛べない以前に、船のキャパを超えて沈没しかねない。フローラにとっても、各組合から来てる三人のお目付役にとっても、責任重大である。肥育用の餌が無くても魔力で成長しちゃうから、予め育てる対象を絞っておかないと、とんでもないことになっちゃうわけで。
「わたしが加護を使う時は、舵から手を離してるわけでさ」
「確かに、深刻ですわね」
食料はいくらでも増やせるけれど、軍団の食料と積載量、どっちをとるかが悩ましい。それで竿を出したんだなと察しつつ、グレイデルは小アジを釣り上げる。
「飛行艇を連結する案も、それと関係しているのですよね? フローラさま」
「そうそう、乗員を分散させて、前と後ろ両方で誰かが舵を握ってれば、飛べると思うんだ」
もう一隻のミハエル号はクラウスの船だが、当面はヘルマン王国の軍団を乗せられない事になる。それでも飛びながら食料を確保できるのは、大きなアドバンテージと言えるだろう。確かに名案ですねと、グレイデルはぴちぴちいってる小アジをバケツに入れる。
「でもフローラさま」
「うん」
「事件だけは避けませんと」
「うぐっ、グレイデルのいじわるいじわる!」
兵站部隊の荷馬車を総動員しても、積みきれない量を生み出してしまうのだ。同じ食材を使った料理が何日も続き、献立で糧食チームを悩ませ、兵士らを飽きさせる事になってしまう。グレイデルの指摘はごもっともで、フローラはぐうの音も出ない。
「育てすぎたら、おいらが消化するんだな、任せて欲しいんだほ」
「ほんとに? ナナシー」
「摂りすぎた栄養は外道界の本体に送れるんだほ、フローラ。まともな食べ物なら大歓迎なんだな」
陶器や金属まで溶かす流動体の言う、まともな食べ物とはいったい何ぞや? お腹の底から込み上げてくる笑いを、フローラもグレイデルも抑えきれない。でもそんなところも含めて、このピュアな魔物をみんなは憎めないのだ。
「食べてる割りに大きくならないと思ったら、そんな裏技があったのね」
「擬態する対象の質量に合わせてるんだな、フローラは微調整が大変なんだほ」
「ねえちょっとナナシー」
「ほえ?」
「それって、私の胸が小さいからって事かしら?」
思わず顔をそむけて、お腹に力を入れるグレイデル。でもナナシーは、それが一番の要因かもと、真顔で言っちゃった。いいもんいいもん、シュバイツはこのサイズが好きだって言ったもんと、フローラは足踏みしながら顔を真っ赤に。
「って……あれ?」
「どうかされたのですか? フローラさま」
「竿先がもぞもぞしてる、小魚とは違う感じ」
「あ、おいらもなんだほ」
するとグレイデルの竿にも感触があり、三人は何だろうと顔を見合わせる。いちど上げてみようかと、竿を立てた瞬間に状況は一変する。きれいな弧を竿が描き、穂先が海面に突き刺さったのだ!
死闘を始めたフローラ達に、何事と甲板にいた隊長たちが集まって来た。これはでかそうだと、ゲルハルトが「タモ網とギャフを持ってこい!」と声を上げる。釣りに必要なので、どちらもキリアの軽量化リストには入ってません。ギャフは鍵竿とも言い、でかい魚に引っ掛けて取り込む道具のこと。
「掛かった小魚にね、グレイデル」
「魚食性の強いヒラメが」
「食らい付いたんだな、口に小魚の残骸が残ってるんだほ」
タモ網には入らない大きさだったので、ギャフで引っ掛け男衆が、えっさほいさと甲板に引き上げた。重装兵が持つ盾くらいのサイズに、よく釣り上げたもんだとみんなびっくり仰天。針はケバブ製で折れないとしても、糸が切れなかったことに、三人ともたいしたもんだと。
実はフローラが釣り糸を通して、雷撃を放ち魚を気絶させたのである。ハーデス城の資料にあったのだ、電気ショックで大型クロマグロを捕獲する漁師の手法が。前世代の人類には、面白い手を使う民族がいた事を覚えてたってわけ。
「すき引きって? 桂林」
「この大きさでヒラメの細かい鱗を落とすの、大変なのよカレン。だから鱗ごと皮を引くのが、すき引きってやり方なの」
「ほうほう」
でかすぎて炊事場に持ってくのも大変だから、甲板で捌くことにした糧食チーム。昼食はヒラメのお刺身定食ねと、みんな顔がにやけちゃってる。重量規制で肉や魚をあんまり積んでないから、それで昨日は豚汁やおでんになったわけでして。
ここで重要なのは、切れ味の鋭い刃物となる。三人娘は巻き布を広げ、いつもケバブとディアスに砥いでもらっている、マイ包丁を並べて出した。出刃と小出刃と牛刀に刺身包丁、基本的にすき引きは刺身包丁を使う。
「尾びれを除いて、邪魔になるから他のひれは全部落とすのよ、カレン」
「そっか、そこは出刃や牛刀を使うのね、桂林」
「ひれを落とすだけなら、キッチンバサミでも構わないわ。私たちは包丁に慣れてるだけだから」
三人娘がそれぞれ一尾を受け持ち、しょーりしょりとすき引きしていく。その手際の良さに糧食チームが、思わずうわあと声を上げてしまう。昼食のおかずになると知り、交代で甲板に出た兵士たちも食い入るように見ている。なお五枚に下ろした後の残骸は、ワイバーン達がしっかりきっちりお腹に入れてくれました。
「ねえスワン」
「ぎくっ」
「エンガワが欲しいんでしょ」
「うひっ」
「冷やしてあるから、二皿だったら夜に持ってっていいわよ」
「おおう、神さま精霊さまカレンさま!」
なーにがカレンさまよ全くもうと返し、彼女はお刺身を盛り付けていく。黙って持って行かれると、まかないが足りなくなってしまう。ならば最初から数に入れとこうと、糧食チームの面々は悟ったのである。だがスワンは知らない、フローラ達が釣った小魚の方は佃煮になっていることを。
あの後フローラはアダムから渡された種で、大根と大葉を成長させていた。これに水で戻した乾燥ワカメを加えれば、盛り付けの彩りも中々に良し。煮物とお吸い物にガリも付くから、思いもかけず豪華な昼食となる。
「この鉄管ってさ、明雫」
「そうそう、バルブを開けば真水が出て来るのよね、樹里」
「どんな仕組みなんだろう、桂林は知ってる?」
「船倉に魔道具があるらしいわよ、樹里。海水を真水と塩に分けて、貯め込めるんだって、キリア隊長が仰ってたわ」
それで水や塩は積み込んでないんだと、納得する明雫と樹里。糧食チームも初耳だったらしく、調理の手を止め驚きを隠せないようす。フローラが海のある場所へ転移門を開けば、水と塩には困らないってことになるからだ。
ただし船内照明と同じく聖女が舵を握ることで、魔力が充填される方式だったりする。キリアによると今のところまともに充填できるのは、フローラとグレイデルに三人娘、そして変わった加護を授かったラーニエくらいなんだそうな。
「相席してもよろしいかしら、フローラ」
「もちろんよマリエラ、ねえシュバイツ」
「ああ、一緒に食べようぜ、プハルツもヘカテーも座った座った」
女王の執務室に相当する船長室はあるのだけど、フローラもシュバイツも大食堂で食事を摂るようにしていた。野営のテントとは異なる生活だから、兵士たちにストレスや不満がないかを確認するためだ。
今のところは満喫しているようで、兵士らの表情は明るいし食欲も旺盛である。海が凪ぎで揺れないからね、船酔い薬を用意していたゲオルクも一安心ってところ。
「この飛行艇のハーフサイズを作るとしたら、建造には金貨いかほどでしょう」
「へ? マリエラ今なんて」
「お国替えで港湾を手に入れたのです、私も船乗り仲間に入れて欲しいわフローラ」
あ、そういう事ねと、察したフローラとシュバイツは顔を見合わせる。かかった費用はケイオスからの明細で承知しているが、ハーフサイズとなると見当が付かないのだ。単純に半額とはいかないはずで、即答は難しいからちょい待って、である。
「造船ドックが空いてそのまま使えるから、初期投資は要らないよな、フローラ」
「そうねシュバイツ、でもどうしてハーフサイズなの? マリエラ」
「港が小さくて、このサイズでは係留できませんの」
「午後から飛行テストに入るけど、地面にも降りられるんだぜ」
「あらやだシュバイツ、船は水上に浮いてこそでしょう、風情がありませんわね」
そこなんだと女装男子は、返す言葉を失ってしまい笑うしかない。すみません、こうと決めたら彼女は引きませんと、プハルツから申し訳なさそうな思念が届く。
マリエラのルビア王国軍は、魔物との戦闘経験が無い。乗員を抑えて、物資を運ぶ補給船にしたいと彼女は話す。確かに武器防具や消耗品に関しては、キリアもリストアップで頭を悩ませているところ。小回りの利く飛行艇が、もうひとつあるのは心強い。
「問題はセネラデもジブリールも、もうすぐ帰っちゃうってことね」
「心配ご無用よフローラ、私は造船の心得があるの」
「ほんとに? ヘカテー」
「建造に携わった、ヘレンツィアの職人を貸してもらえるなら。その変わりと言ってはなんだけど」
「うん」
「メアリとエンゲルスにも精霊をと、働きかけて欲しいのです。舵を握るのがマリエラだけでは、運用できませんから」
「うんうん分かった、ティターニアとルシフェルにお願いしておくわ」
当たりを引くまで押しかけるんだから、まっかせーなさーいの大聖女さま。戦闘に不向きな精霊さんを、見繕ってくれるに違いないわと。
そこへお待たせしましたと、三人娘がトレーを並べていく。ヒラメのお刺身、里芋の煮っ転がし、椎茸のお吸い物、ガリは好きなだけいくらでも。これで桂林と明雫に樹里も、船体が軽くなりレッドゾーンを脱し、空に舞い上がれるはず。