第140話 精霊の援軍はないんだってさ
霊的な存在である精霊は、必要に応じて肉をまとう。本質を現すのが実態で、高位精霊になると人間の姿にもなれる。子孫を残せるようになるのも、この時からなんだそうで。もっともそこまで進化すると雌雄同体になり、人間モードでは見た目がほぼ女性となる。
永劫とも言える長い寿命を持つゆえ、精霊はどうしても思考が古くなりがち。そこで若い人間の魂と交わり、種子をもらいつつ創造と発想の力を更新しているわけだ。
人間界はその為に生み出され、柔軟な思考を保つよう寿命は長くて百年程度と定められた。もちろん清らかな魂が大前提で、信仰心と道徳心が失われれば天罰が下る。それが終末と呼ばれる人類の抹殺であり、人間界の再構築を意味している。
「セネラデ、ジブリール、戻ったんだ」
「達者なようじゃな、シュバイツ」
「元気そうなシュバイツに会えて、嬉しいわ」
でもねと、神獣さまも大天使さまも浮かない顔だ。
ここは女王テントの中、どうしたんだろうと、シュバイツとフローラは顔を見合わせる。お土産の魚介類が大量で、三人娘は嬉々として行事用テントへ。ミリアとリシュルがお茶を淹れ始め、ジブリールが苦手な流動体は「げっ」と顔を強張らせ固まっちゃう。
「追っ付けヒュドラが新たな精霊を連れてきて、皆に紹介するであろう。だがあやつは直ぐに戻らねばならん」
「私とセネラデは、飛行艇を完成させるために来たのよ」
「そんなに緊迫してるのか?」
「邪神界の魔素がどう動いているかで、状況が分かるのじゃよシュバイツ」
「六属性と七属性が使える精霊は、臨戦態勢に入ります。飛行艇が完成したら、私たちも帰らねばなりません」
「ラーニエに紹介するバッカスは、神霊じゃなかったっけ?」
「お酒を司る神霊だから、戦闘向きではないのよ、シュバイツ」
原理原則に厳しい大天使も、女装男子を見る目は優しい。お互い惚れた弱みじゃなと、セネラデが内心でくすりと笑う。口説き落とすのが高難易度の精霊であるからこそ、好きになった相手には一途なのだ。
そんな事も知らずシュバイツは、ミリアが置いてくれた紅茶をのほほんとすする。だがそれまで黙って話しを聞いていたフローラが、確認させて欲しいとおもむろに口を開いた。
「終末直前の人間界に援軍など出せない、飛行艇は完成させるから自衛しろ、そういう事かしら」
「うむ、有り体に言えばそうなるの、フローラ」
軽食を用意していたミリアとリシュルの手が止まり、そこまで考えていなかったシュバイツも眉を曇らせる。ジブリールいわく、むしろ邪神に滅ぼしてもらった方が手間が省ける、そう考えるお偉いさんもいるんだそうで。
「うん、分かったわ」
「ええ? いいのかよフローラ」
「状況が状況だもの、無茶は言えないでしょ、シュバイツ。完成させるよう二人を出してくれたのは、神霊アナの力技かしら」
「ふはは、まあそんなところじゃ、フローラ。あのお方は桃源郷の桃に関しても、人間界への持ち帰りを認めさせたぞよ。それこそ身の毛もよだつような、交渉と言う名の恫喝でな」
それだけやってもらえたら充分だわと、フローラはにっこりと微笑んだ。飛行艇を方舟としてフローラ軍は、生き残り新たな千年王国の礎となる。それが意図する所だと分かってはいるが、彼女はそんなこと望んじゃいない。
人々の信仰心と道徳心を取り戻し、終末を回避して新たな千年王国を築く、これこそが聖女に与えられた使命。人類を見捨て自分たちだけ逃げるって考え方が、そもそもアウト・オブ・眼中なのだ。邪神界の軍勢が来たら、いいわ上等よ戦うまで。使命を全うしようとする彼女の強い意思は、芥子粒ほども変わらないのである。
「二人とも魂の交わりは、私たちが結婚した後って宣言したわよね。でもさ、もうこの際だから、飛行艇が完成するまでの間にしちゃったら?」
「ちょっ、フローラ!」
「いいのかや?」
「よろしいのですか?」
「万が一にも、二度と会えなくなったら残るのは後悔だけだもの。ティターニアもオベロンも、アナもルシフェルも、私の所へ中々来てくれないのよね。忙しいのでしょうけど、いっそのこと私の方から押しかけてやろうかしら」
シュバイツの聖剣カネミツが、言うねえと楽しそうに呟いた。
神獣さまと大天使さま、魂ぐるぐるが解禁されてそわそわもじもじ。話しに付いてこれないナナシーだけが、目をぱちくりさせながらフルーツサンドをもーぐもぐ。
「失礼致します、フローラさま。アモンとマモンが団体さんを連れてご到着です」
「ここに通してあげて、ヴォルフ。んふふ、どんな精霊さん達か楽しみ」
絆を結んだ人間と精霊の関係は、恋人とも愛人とも呼べるような呼べないような。まあそんな事を考えるのは人間の方であり、精霊はまるで気にしちゃいないのだが。善き者であろうとする魂に惹かれ、精霊は人間を好きになるのだから。
飲んだくれ……もといラーニエには、神界からお酒を司る神霊で七属性のバッカスが。スワンとカレン、ルディとイオラ、ミリアとリシュルも、精霊界からそれぞれ四体四属性の精霊さんを紹介されお友達に。
マリエラには閣下からの肝いりで、なんと魔族のお偉いさんが。お名前はヘカテーさん、冥界の管理を任されている執行官のひとりなんだそうで。六属性を備えており、神霊へ進化するのにもうちょっと。戦闘向きではないから、面倒を見てくれってことらしい。
「小魚いっぱいあるならば」
「南蛮漬けに、決まりでしょ」
「具はタマネギ・ニンジン・ピーマンで」
「そーれかんかかん」
「かんかかん」
「かんかかーんかん」
三人娘のかんかかーんかん音頭は、今日も絶好調である。
南蛮漬けとは素揚げした小魚を、甘酢あんに漬け込む料理のこと。南蛮とは言うものの、入れる唐辛子は加減する。漬けて寝かせることで酢がまわり、魚の骨が柔らかくなるお料理だ。小さなお子ちゃまでも、頭からばりばり食べられる一品。この甘酸っぱい味がくせ者で、ご飯が止まらなくなる魔性のおかず。
「ライスワインとも相性が良いのですよ、ラーニエさま。寝かせてない出来たての熱々ですけど、これはこれで乙な味です」
「かっさらってきたのね、でかしたスワン! んふう、美味しい。ほらほら、バッカスも食べた食べた。まかない用だから量はそんなにないのよ」
「人間とは誠に面白いものだな、創意工夫で色んな食べ物を生み出す。うん美味い、ライスワインにもよく合う」
「でしょう、改めてフローラ軍へようこそ」
グラスをかちんとぶつけ合う、スワンとラーニエにバッカス。行事用テントから離れないお方が、ひとり増えたような気が。やはりラーニエとは気が合うようで、仲の良い飲み友達が増えたような感じだろう。ただ酒の肴にまかないを持っていかれるので、三人娘と糧食チームは要注意である。
「このイカ、ヘレンツィアでは見かけないわよね、カレン」
「サイズが大きいわよねルディ、どう調理しましょう。イオラのご意見は?」
「うむむむ、お刺身にしたものかゲソはどうしたものか、悩むわね」
「君たち、それはムラサキイカだよ」
その声はたまたま通りかかった、クラウスであった。ラーニエに当てがわれた神霊が気になって、うろうろしていたとも言う。ヘルマン王国の港ではよく水揚げされるようで、彼にとってはお馴染みだったらしい。
「正式にはアカイカなんだが、同名のイカが他にもいるんだ。流通する上で混同しないよう、卸売市場ではムラサキイカと呼んで区別している」
「お詳しいのですね、クラウスさま」
「国の重要な資源だからね、カレン。燻製にしたさきイカはこちらにも出回っているはずだが、食べたことあるかい?」
「はいしょっちゅう、何のイカかいつも不思議に思っていました。このイカが原料だったのですね、目からウロコです」
でも初めて見る生のムラサキイカを前にして、三人はどうしようと考え込んでしまう。そこでクラウスは少し前の話しだがと、思い出したように顎へ手を当てた。
「胴体はタレに漬けてお刺身に、ゲソはかき揚げに、桂林と明雫に樹里はそうしていたな。生だと淡泊な味のイカなんだが、どちらも美味かった」
カレンがぱたぱたと、三人娘へ漬けダレの配合を聞きに行く。
「かんかかーん」
「かんかかん」
「かんかかーんかん」
「お醤油を三」
「お酒は一よ」
「みりんも同じく一なのよ」
「鷹の爪いれてひと煮立ち」
「お寿司にも合う、優れもの」
「漬けマグロにも、いいのよね」
「そーれかんかかん」
「かんかかん」
「かんかかーんかん」
それめっちゃ重要なレシピではと、カレンはメモにペンを走らせる。お寿司やお刺身で使うお醤油が、どうも違うと常々思っていたのだ。三人娘が教えなきゃと意識していなかった場合、こっちから聞かないと分からない。お料理に限らず、職人の世界とはそういうもの。ただ漫然と過ごすのではなく、自ら能動的に動かなければ。
「ゲソかき揚げの、タレならば」
「ご飯のおかずにするのなら」
「甘っ辛い味が、いいかもね」
「お酒のお供、だったなら」
「タレじゃなくて、塩胡椒」
「レモンを添えるの忘れずに」
「そーれかんかかん」
「かんかかん」
「かんかかーんかん」
ゲソ揚げ確保しますねと、スワンの瞳がきらりんと光る。塩胡椒にレモン添えでねと、ラーニエがむふふと人差し指を立てる。お酒を司る神霊バッカスさん、おつまみ大歓迎とによによしていた。
「冥界とはどんな所なのかしら、ヘカテー」
「神界で裁きを受けた後、地獄行きが決まった魂の待合所、と言えば分かりやすいかしら、マリエラ」
「その待合所から、どうなるんだい?」
「罪の重さによって、各階層に振り分けられるのよ、プハルツ」
「何度も殺されて、地獄の責め苦を味わうってやつか」
ちょっと違うのよねと笑い、ヘカテーはメアリが淹れてくれた紅茶をすする。そして大魔使さまは言うのだ、実際に獄卒がいて、鞭で打ったり火あぶりにするわけではないのだと。獄卒とは地獄で罪人を責め立てる、番人であるとされている。これは喩えであり、そんな番人はいないのだとか。
「二人とも、骨折したことはあるかしら」
「私はないわ、プハルツは?」
「僕もないけど……エンゲルスは足を折ったことがあるよな」
控えていたプハルツの従者エンゲルスが、暴れ馬を調教してるときに落馬してと返す。本人にとってはあまり思い出したくない、若い頃の嫌な経験みたいだが。
「その時の痛み、どうだった?」
「重っ苦しい痛みが、何日も続きました、ヘカテーさま」
その痛みを魂が感じる、地獄とはそういう場所よとヘカテーは言う。罪の重さにより痛みの度合いと、感じる期間が変わるのだと。重罪を犯すほど痛みは大きく、それが延々と続くから地獄の責め苦なんだそうで。
「地獄の階層によって痛みの強さと、受ける期間が決まるの。冥界とは罪人をどの階層に落とすか、振り分ける場所だから待合所なのよ」
それが冥界の執行官である私の仕事と、ヘカテーは笑うが目は笑っていない。何の罪も無い人々を無差別に殺めた愚か者なら、問答無用で最下層のコキュートスへ落とすわと。