第13話 メイド長アンナ
――ここはブラム城の執務室。
シモンズとレイラから暗号文が三回届き、ヨハネス司教からは法王庁へ照会した結果が寄せられた。隊長たちが集まり軍議の最中で、キャッスル・メイドがお茶とクッキーを並べていく。キリアは席に着いており試験官よろしく、三人が作法をちゃんと覚えたか目で追っている。
「聖職者に成り済ましていたのは、反乱を起こしたクルガとレーバイン、加えてグリジアからのスパイであると判明しました」
「そやつらは捕まったのかね? グレイデル殿」
「ローレン聖堂騎士団によって捕縛され、今頃は火刑に処されているかと、ゲルハルト卿」
教会は司法も兼ねる大陸の法典であり、この場合は裁判で判決が出るのも早い。聖職者であると偽ったのだから、尋問と裁判が終われば即座に火あぶりだ。
「進撃を開始したグリジア軍の勢力は、およそ三千なのですね? フュルスティン」
「食品加工ギルドと鍛冶ギルド、お針子ギルドに商会への聞き取り調査で、間違いないと暗号文が届いたわ、アレス隊長」
よっしゃと拳を握る隊長もいれば、不適な笑みを浮かべお茶をすする隊長もいた。二十年前は計略でやられたが、今回は返り討ちだと決意を新たにしたようだ。
でも皆さんご高齢だから無茶はしないでねと、しっかり釘を刺す辺境伯令嬢さま。痛いところを突かれ、あちゃあと苦笑する隊長たちである。
「ところでヴォルフ、あなたには歳の離れた弟がいると聞いたのだけど」
「はいフュルスティン、今年で二十歳になります。落第してなければ今頃、王国兵学校を卒業しているはずですが」
ローレン王国兵学校は貴族の子息が入校し、寮生活を送りながら指揮官となるための基礎を身に付ける学舎だ。弟マルティンは、騎馬隊科を専攻していたと彼は話す。
「よろしい、ブラム城に呼び寄せるから、手紙を書いてちょうだい」
「どのような趣旨で……書けばよろしいので?」
「私たちの最終目的は首都カヌマンへ赴き、王族を交渉のテーブルへ引っ張り出すことよ。ブラム城と国境に残すアルメン新兵の、指揮をあなたの弟に任せたいの」
「わ、分かりました」
成る程なとクッキーを頬張り、お茶をすする隊長たち。
元々ミューラー家はアルメン地方を、代理で管理する行政官の立場にあった。地位は領主を補佐する準伯爵で、ユナイ村の村民はヴォルフの顔を覚えている者も多い。
なお肝心な領主は二十年前、偽りの停戦交渉により戦死。ブラム城にいた領主一族も惨殺され、家系は途絶えていた。
ミューラー家を名実共に、アルメン地方の領主とする。フュルスティンはそうお考えなのだろうと、隊長たちは理解していた。口に出しては言わないが、みんなが頑張れよと視線を向ける。当の本人は全く気付いておらず、このクッキー美味しいですねと頬張っているけど。
「失礼いたします、アンナさまが到着されました。こちらにお通ししてもよろしいでしょうか」
「旅の疲れもあるでしょう、まずは湯殿にご案内して」
「それがフュルスティン、もう私の後ろ……」
先触れに来た衛兵が言い終わる前に、アンナは執務室へ突入していた。髪はすっかり白くなっているがその瞳には、まだまだ現役と言わんばかりの精気に満ちあふれている。
「げっ!」
「げ、じゃありませんフローラさま! 来年は成人ですよ十五歳ですよ戴冠式ですよ宮廷作法と舞踏だけは覚えて頂きます出来れば殿方のあしらいと口説き方も!!」
教養面では学者も驚く程の知識を、四精霊が与えてくれる。だが人間界に於ける礼儀作法やダンス、特に恋愛は精霊にとって専門外の遙か外だ。やっぱりそうなるわよねと、グレイデルが顔に手を当てている。
息継ぎせずよくそこまでしゃべれるもんだとゲルハルトが、呆れながら席に着いたらどうかねと取りなした。そこでアンナは我に返り、みなさまごきげんようと挨拶を交わす。隊長たちとは同世代であり、旧知の間柄である。一介の騎士がなぜ同席を? とは思ったようだが口にはせず、彼女はただ会釈するに留めた。
「あら、キリアじゃない」
「お久しゅうございます、アンナさま」
グラーマン商会からの購買でよく城に呼ぶから、こちらも顔見知り。アンナはキリアの隣がいいわと、キャッスル・メイドにリクエスト。
だがその目は穴が空くほどの眼差しで、三人の動きを見つめている。ケイトが椅子を引き、ミューレが座面に、ジュリアが背面にクッションを置いた。
「あなた名前は? これはどういうことかしら説明しなさい」
「ミューレと申します、長旅で馬車に揺られ、お尻と腰が痛いのではと思いまして」
クッションは余計だったかしらと、固まっちゃうキャッスル・メイド。アンナは三人の顔を、眼光鋭く一人ずつ見ていく。
「年寄り扱いされたのは悔しいですが、その心遣いには感謝します。有り難く使わせてもらうわ」
アンナがテーブルの前に立つと、ホッと胸を撫で下ろしたケイトが椅子を押す。そこへポスンと腰を下ろした、アウグスタ城のメイド長さま。そんなおっかない貴人へお茶とクッキーを、怖々と置くミューレとジュリア。
「二人とも、相手がどんな王侯貴族であろうと、笑顔を絶やしてはなりません。心でどう思っていようと、仮面を被り包み隠しなさい。時としてその表情と振る舞いは、仕える主人に迷惑をかける事にも繋がるのです」
お盆を胸に抱き、はいと声を揃えるミューレとジュリア。ケイトも給仕用ワゴンの傍らで、表情を引き締めている。何もそこまでと可愛い三人を庇う隊長たちだが、男どもは黙らっしゃいと一喝するアンナ。けれどケイトとミューレにジュリアは、彼女のお眼鏡にかなったようだ。
「山出しの娘とは違うようね、キリア」
「お気付きになりました? アンナさま」
ここで言う山出しとは、垢抜けていない田舎娘という意味。キリアがクッキーを召し上がってみてと、アンナに微笑む。メイド長はざくざく食感のガレットを頬張り、その美味しさで思わず口に手を添えていた。彼女たちが焼いたのですよと聞かされ、二度びっくりのアンナ。
「宮廷のお茶会でも充分に通用するわ。もしかしてあの子たちを指導しているのは、キリアなの?」
「ええ、キャッスル・メイドにしておくのは、もったいないと思いまして。彼女たちは料理人でもあり、菓子職人でもあり、パン職人でもあり、チーズ職人でもあるのです」
男たちが兵士の配備と戦術で盛り上がっている。そんな中、将来が楽しみねとひそひそ話すキリアとアンナ。来客の給仕と調理場を任せられるメイドは、貴族の間でどこも人手不足だからだ。
それに付けてもと、メイド長さまはフローラに視線を向けた。彼女が来訪したことでこの世の終わりとばかりに、遠い目をしてクッキーをもそもそ頬張っている。
「差し出がましいようですが、あまり根を詰めさせませんように、アンナさま。兵士たちにとっては守護神も同然なのですから」
「分かっていますよキリア、私はお目付役のつもりで来たのですから」
自分がいるだけでシャキンとするでしょと、目を細めるアンナ。だがやはり年齢に伴う長旅の疲れが出たようで、彼女は二日ほど寝込むことになるのだが。
フローラが用いる回復魔法は、怪我や病気に対し絶大な効果を発揮する。ただし加齢に伴う疲労や、身体能力の低下には効果が無い。もしそれが出来たならば不老不死が可能なわけで、生命の理に反する力を神と精霊が与えるわけもなし。
――翌日。
「旅の道中、ずっと気を張ってらしたのでしょうね、ケイト」
「ベッドから体を起こすのもお辛そうよ、ミューレ。でも食欲はあるそうだから、精が付くものを召し上がって頂きましょう。ジュリアだったらどんな献立にする?」
「豚レバーとニラのガーリックソテーに、卵スープはどうかしら、ケイト。それに長芋を入れたグリーンサラダが良いと思う」
アンナは側仕えを二名同行させており、身の回りのお世話に問題はない。ただ病人食の造詣は浅いようで、側仕えは炊事場にヘルプを求めて来たのだ。
よし昼食はそれで行こうと頷き合う、キャッスル・メイドの三人。兵士向けは主菜を、厚く切った豚ロースの生姜焼きにするようだ。そう来ましたかと兵站糧食チームが、卵を割り山芋を短冊切りにし始めた。
キリアは何も言わず、ただ見守っている。三人に言い聞かせたのはひと言『自分たちの主人と思い真心を込めて調理しなさい』とだけ。
その頃執務室では、フローラが物思いに耽っていた。
アンナの来訪がよっぽどショックだったのかしら、それとも寝込んだのが心配なのかしらと、グレイデルは扇の手入れをする。彼女も魔法の行使には扇を使い、紋章はマンハイム家が用いる二頭の獅子だ。
扇とは言うが折り畳み式の扇子で、素材は木と紙である。鳥の羽根を使った扇と違い水と油に弱く、紙部分が皺になったら沸かしたお湯の蒸気を当てて、ピンとさせるわけ。
「ねえグレイデル、ローレン王国が滅んだとして、得をするのは誰かしら」
突然そんなことを言い出す辺境伯令嬢さまに、思わず扇を落としそうになるグレイデル。そんな事を考えていたんだと、ある意味で感心もしてしまう。
「アンナさまが心配ではないのですか?」
「あの人は殺したって死ななそう」
「それをご本人の前で言ってはなりませんよ」
言うわけないわよと、唇から舌をちろっと出すフローラ。全くもう約束して下さいねと念を押し、グレイデルは彼女が口にした疑問を考えてみる。
三国が裏で繋がっているとすれば、ローレン王国をそれぞれ分割統治する事になるだろう。しかし帝国全体を敵に回すこととなるわけで、三国が束になろうと勝ち目はない。フローラの言うことはもっともで、誰が得をするのか分からない。
「父上を帰国させてくれない、皇帝にも疑問が残るわ。本当に皇帝がそう指示しているのかしら」
「グリジア王国と同様、皇帝陛下の周囲にも不穏な動きがありそうだと?」
「分からない、でももっと深い闇がある、私はそんな気がするのよグレイデル」
フローラの瞳が、一瞬だが虹色のアースアイに変わる。物事の本質を見極めようとする時に発現する、星雲を思わせるような瞳であった。
――場所は変わってここはグリジア王国の首都カヌマン。
このまま帰っては片手落ち。首都を守るグリジア軍の残存兵力と王族の動向を掴むため、シモンズとレイラは駆けずり回っていた。
「思ったよりガードは固いな、レイラ」
「と言いますか、市民のほとんどが知らないのでは? シモンズさま」
裏路地で革袋のぶどう酒を口に含み、さてどうしましょうかと額を寄せ合うシモンズとレイラ。そこへフードが付いたコートで頭をすっぽり隠した、怪しげな者たちが現れ二人は取り囲まれてしまった。
「最近ちょろちょろ動き回ってるようだな、従軍司祭さん。大人しく我々に同行してもらおうか」
彼らの手には短剣が握られており、レイラを背中で庇いシモンズは退路を探す。だがこの路地は先が行き止まり、もはや万事休すだ。
「何が目的だ」
「さあね、俺たちは雇い主の命令に従うまで、刃向かうなら殺しても構わないと言われている」
短剣を当てられ僅かに切れたのか、シモンズの首から血がにじむ。主人は誰だと尋ねるも、答える義務はないと突っぱねられた。
「きさまら何やってる! 野郎どもかかれ、聖職者をお守りしろ!!」
そこへ現れたのは、これまた違う意味で怪しい風体の男たち。だが手にしているのはシャムシール、首都で所持が許されている者ってことになる。
シモンズとレイラはそっちのけ、路地裏の剣劇が始まり地面が血で染まっていく。短剣とシャムシールではリーチの差があり、短剣では分が悪い。フードの男たちは血を流し、次々と倒れ込んでいった。
「お前ら聖職者に刃を向けたら、重罪だって分かってるよな!」
シモンズの首を傷付けた者に袈裟懸けで切り付け、蹴り飛ばす頭目らしき男。彼らは剣術が優れていると言うより、喧嘩慣れしてると表現した方が早いかもしれない。
「野郎ども、こいつらを教会へ運べ。治療は要らん、どうせ裁判で死罪確定だ」
へいと頷き、手下たちが後片付けを始める。頭目は剣を鞘に仕舞うと、シモンズに歩み寄り首の傷口を確かめた。
「皮一枚切れた程度だが、薬を塗っといた方がいい。付いてきな、そっちの尼僧さんも」
「あの、あなたは一体?」
「話しは後だ、尼僧さん。なぁに取って食おうって訳じゃねえ」
そう言って歩き出す頭目に、顔を見合わせるシモンズとレイラ。命の恩人ではあるし、盗賊まがいの風情ではあるが悪い人物でもなさそうだ。二人は頷き合い、彼の後を付いていく。
頭目が扉を開けて入ったのは、何と例の酒場だったりして。出迎えたマスターの対応を見るに、どうやら彼が市場の顔役らしい。マスターに手当をしてもらい、通されたのは奥の個室であった。
「あんたらも無茶をする、まあ取りあえず乾杯と行こう」
顔役の名はセデラ、ここへ来るまで多くの市民が、笑顔で挨拶していた。信用が厚いのだろうと、酒杯を手にぶつけ合うシモンズとレイラ。
そして口にぶどう酒を含み、二人はあれ? と目を丸くする。水で薄めておらず、出てきた料理は鶏の丸焼きだったからだ。




