第113話 剣に宿る加護
ゴンドラを首から抜いたこけっこ達が荒ぶり、その主人と相方に騎馬隊員が圧倒していく。地面のあちこちが血で染まる中、先頭馬車の扉が開いた。降りて来たのは見知らぬ人物だが、シュバイツだけがその顔をよく知っていた。
「ようゼブラ、久しぶりだな。うちで主催した舞踏会以来か」
「お前は……グリジア王国のシュバイツ王子か、なぜここにいる」
その質問そっくりそのまま返してやるぜと、シュバイツは斬岩剣を肩に担いだ。成る程この男がゼブラなのねと、フローラが半眼となる。己の欲望を満たすためにこの男は、どれだけの人命を犠牲にしたのかしらと。
「初対面になるわね、二度と会うことはないでしょうけど名乗っておくわ。私はフローラ・エリザベート・フォン・シュタインブルク」
「聖女を騙るローレンの魔女か」
シュタインブルクと聞いた途端、ゼブラが鬼の形相へと変わる。フローラはそんなこと気にしちゃおらず、別に魔女でも何でもいいわと、笑っていない目で微笑んだ。
「ワイバーンの卵を返してもらうわよ」
「さて何のことやら」
「しらばっくれても無駄、ネタは上がっているのだから」
フローラが向けた扇の先で、敵兵を踏みつけるグレオの額から、伸びた赤い糸が馬車に繋がっている。シュバイツとフローラの耳に、ちっと舌打ちする音が聞こえた。
三人の元選帝侯は、法王により国王の地位を剥奪されている。もはやただの人でゼブラは右大臣の猿於期に謀反をそそのかし、ワイバーンの卵をかすめ取った泥棒でしかない。フローラは泰然と構え手にした扇を、悪しき魔物信仰の徒へ向け直す。
「法王さまがね、あなたとジョセフにグラハムを、賞金首のお尋ね者に指定したわ」
「ふん、それがどうした。私を捕まえられるものならやってみろ」
「あら、何か誤解しているようね、法王さまは生死を問わないと仰ったのよ。だから私たちはね、あなたを捕まえようとは思ってないの」
「ほう、ならばどうする」
「いい質問ね、今この場で、こ・ろ・し・て・あ・げ・る」
先頭馬車の屋根が吹っ飛び、おびただしい数のカマキリが這い出してきた。ゼブラは事前に魔物を呼び出す転移門を、馬車内に開いていたようだ。リビア教会を襲いマリエラの父ジョシュア候を亡き者にした、犯人はこいつで間違いないだろう。
「晋鄙、弱点は頭だ!」
「分かった髙輝殿! 陛下はお下がりくだされ」
魔物との交戦が始まり、精霊さん達が愛の具現である魔人化を発動! シュバイツとヴォルフが、ジャンとヤレルが、そしてケバブが、うおおと雄叫びを上げた。弱点を狙わなくても魔人化したことで、カマキリの硬い外殻を打ち破れるからだ。
騎馬隊が要人を守るべく、貞潤を中心に壁を作る。髙輝と晋鄙も剣を振るい、グレイデルと三人娘が魔力弾でカバー。こけっこにとってカマキリは虫でしかなく、カマをへし折り地面に押し倒しぺきぺきと踏み潰す。
「ほほう、大したものだ褒めてやろう。だが私のカマキリ軍団に、どこまで持ちこたえられるかな」
馬車から無尽蔵がごとく、どんどん溢れ出てくるカマキリ人間。いくら切り伏せてもゼブラに辿り着けないシュバイツが、ぎりと歯噛みする。
「ゼブラ、いったいどれだけの魂を犠牲にした!」
「犠牲とはまた、面白いことを言う。我らが目指す千年王国の礎となったのだ、喜ばしいことであろう」
「物は言いようだな、法が認めるわけないだろう」
「認めるも何も、私が法だ」
同じ言語で話しているはずなのに、言葉が通じないとはこの事か。
ゼブラの意に従い動くのか、シュバイツとフローラにカマキリの群れが殺到する。だがシュバイツの斬岩剣が舞い、霊鳥サームルクが念動波を放ち、四精霊も特技を発動して押し返す。朱雀の本質は火であり、敵対する者を焼き払う。白虎の本質は水であり、敵対する者を氷漬けに。玄武の本質は地であり、敵対する者を重力操作で圧縮し粉砕。青龍の本質は風であり、敵対する者を大気操作で切り刻む。
そんな中シュバイツに変化が起こる、手にした斬岩剣がふたつの炎、いやオーラをまとったのだ。紺碧のオーラは敵を弱体化させる、神獣セネラデの加護。紅蓮のオーラは邪悪を断ち切る、大天使ジブリールの加護。
陽炎のように立ち登る二つのオーラが、シュバイツを魔人から破壊の権化に変えていた。今の彼にとってカマキリは、硬い外殻などあって無きがごとし。もはやお豆腐に等しく、すいすい切って薙ぎ倒し灰にしていく。
「シュバイツ、あなたが好きよ」
「え? 今なんて」
「天にまします神々に願い奉る、エロイムエッサイム!」
グレイデルと三人娘が、婚約者と騎馬隊員たちが、きたこれと色めき立つ。フローラが長い詠唱を始めた時は、大技と相場が決まっているからだ。
シュバイツは押し寄せるカマキリどもを駆逐し蹴散らし、フローラに詠唱させる隙間を生み出した。その心意気が嬉しくもあり頼もしくもあり、口を突いて出た言葉が『あなたが好きよ』だったんだろう。
「我が名はフローラ・エリザベート・フォン・シュタインブルク、人間界に存在してはならぬ魔物へ神の鉄槌を!」
余裕をかましていたゼブラの顔が、見る見る青ざめていく。他者を犠牲にした借り物の力ではなく、大いなる存在から加護を授かれる本物の力。それを操れるフローラに、魔女ではなく真の聖女に、恐れを抱いたのだ。
「ゴッドハンド!!」
後に髙輝はその時のようすを、こう書き記している。
宙に巨大な手が出現し、未だカマキリが湧き出す馬車に拳骨を叩き付けたと。これは物理だけでなく、転移門を無効化し召喚を打ち止めにしていた。それだけではなく手は密集していたカマキリを、がさっとまとめて握りつぶし消えたのだ。
「ゼブラどこへ隠れた! 出てこい!!」
カマキリの残党を一掃せんと畳みかけて行く中、急に消えた悪党にシュバイツが声を張り上げる。リャナンシーと同じ風景に同化する能力を、ゼブラは悪しき魔物信仰で獲得したのだろう。卵を盗んだのは自分ですと、自ら宣言したようなものだが。
「ディスペル」
「なにっ!」
フローラの発した魔術を妨害するスペルで、七色に移り変わる人型があぶり出された。魔力差がなければ成功しないが、ワイバーンの上書き契約が出来なかった時点でお察しだろう。ローレンの大聖女は霊鳥サームルクを身に宿し、上位四精霊と二霊聖に愛されている。そんなフローラにぱちもんのゼブラが、逆立ちしたって勝てるわけがない。
「おのれええ! ローレンの魔女がああ!!」
ゼブラの体が膨張していき衣服を破り姿を変え、現れたのはでっかいカメレオン。その口からフローラを捕らえようと、長い舌がしゅるしゅる伸びる。だが霊鳥サームルクの念動波が発動して舌先を粉砕、シュバイツが舌を途中から切り落とした。
「ディスペル」
「ふごおおお、かくなる上は」
「ディスペル」
「ひええ」
カメレオン化を解除され、逃げようと転移の門を開いたがそれも消滅。進退窮まったゼブラに、フローラは更に追い打ちをかける。最初に宣言した通り生かして返すつもりなど、ミジンコほども持ち合わせていないのだ。
「神界にまします神々と大天使よ、この男が集めた魂を解放し、謹んでお返し致します。本来あるべき輪廻の輪へ戻し給え、|レストレーショントゥソウル《魂の返還》」
ゼブラの体から次々と青白い球体が現れ、空へ舞い上がっていく。この男が欲望を満たすため、手にかけた犠牲者たちの魂だ。魔力を失えばただのおっさんに過ぎず、その首をシュバイツが斬岩剣で刎ねていた。
「くわっこここ」
「こここーこけーこけー」
「くわっくわっくわ」
「くるるーこけっこけっ」
「ひええ、お助けを」
後ろの馬車が、こけっこ達によって屋根も壁も剥ぎ取られていた。中にいたのは猿於期で、籠に三つの卵が鎮座している。カマキリ軍団は倒され灰と化し、地面に残るのは於期の私兵と馬の屍のみ。
頭を抱えがたがた震える於期に、髙輝と晋鄙が剣の切っ先を向ける。貞潤は切り捨てて構わないと、二人に命じていたのだ。辞世の句なんぞ言わせる気すら、持ち合わせていない剣が振り下ろされた。
「キリア、聞こえる?」
「ちゃんと聞こえておりますよ、フローラさま。そちらの首尾はいかがですか」
「万事解決したわ、撤収するのに兵站の馬車を出してもらえるかしら」
「もちろんですとも、何台ご入り用でしょう」
「三十台はいるかしら」
「は?」
「このまま馬を捨てるのはもったいないって、桂林と明雫に樹里がね」
「馬……ですか」
このあと聖女たちは左衛門府の兵士も含め、負傷者へ回復魔法を連発することになる。二日は眠りに就くだろうし、魔人化した婚約者は三日がお約束。大魔王ルシフェルの加護で睡魔には襲われないが、ひとたびベッドに入ればくーすかぴーで当分は目を覚まさない。
「ヴォルフ殿、あした手合わせ願いたいのだが」
「そいつは無理な相談だ、晋鄙殿」
頭をかくヴォルフに、なにゆえと身を乗り出す晋鄙が不満顔。そんな彼をどうどう落ち着けと、髙輝が首根っこを掴み席に戻す。あの超人的な動きをした影響ですかなと、貞潤が馬刺しをタレにちょんと付けて頬張った。タレはすり下ろしたニンニクとショウガにお醤油で三人娘のイチオシだが、わさび醤油も捨てがたいとは英夏の談。
「三日は眠ってしまうし、関節痛と筋肉痛が酷くてな」
「ならばその後ならよろしいのだな?」
「おいおい晋鄙殿、軍団の日程はフローラさまに伺わないと」
貞潤と髙輝が視線を交わし合い、なぜか頷き合っている。これは皇后さまも巻き込んで足止めするつもりねと、同席したグレイデルがぶどう酒を口に含んだ。夫人たちに引き止められたら、さすがのフローラも断り切れないなと眉尻を下げる。
その皇后と四夫人なんだけれど、隣のテーブルで馬刺しをひょいぱく。後宮から出ちゃいけないはずなんだが、他国の軍団へ表敬訪問するのに回数制限はないらしい。彼女たちが来たって事は、シュバイツは女装しなきゃいけないわけでして、今は女王テントですったもんだ。
「ミリアもリシュルも、俺に対して恥じらいってもんは」
「さっさと脱いで下さいましシュバイツさま、ねえリシュル」
「つんつんしたこともありますしね、ミリア。何を今さらって感じ」
「つんつん言うな!」
レディース・メイドにそーれと、ひん剥かれてしまう次期皇帝さま。どうもシュバイツ、この二人には抗えないっぽい。フローラが化粧箱を開き、口紅はどれにしようかなとるんるんがさごそ。
悪しき元選帝侯の一角を崩したことで、フローラが軍団に好きなだけ飲んで食えと通達していた。ならばおつまみをってことで、三人娘と糧食チームが行事用テントで大張り切り。馬刺しをメインにした宴に、仙観宮の夜は更けていった。