第104話 後宮の予備知識
賊のひとりが言う、子供を助けたければ武器を捨てろ、特にそこの背中にいっぱい背負ってるやつと。もちろんご指名にあずかったのはケバブだが、さてどうしたもんかねと、思念をみんなに飛ばす。
恰幅が良いおばちゃんの、キリアだって御業を使えるのだ。聖女四人を相手にすることが、どういうことか奴らはよく分かっていない。取りあえず要求を聞いてみましょうと、樹里がスカートの中に手を入れながら口を開いた。
「私たちに何の用かしら」
「別に恨みはないんだけどな」
「ふむ」
「金で頼まれて」
「ふむふむ」
「お前たちをふん縛って連れてこいと」
「おーこーとーわーり、これからカレー作るんだから」
「はあ?」
「ディフェンスシールド!」
樹里は出刃包丁を抜き、こけっこ達を子供ごとシールドで囲う。同時に全員が武器を抜いて構え、キリアだけそろばんを出した。そのおばちゃんが矢を番えていた弓手らに、クラッシュドファイアを連続で放ち火だるまにしてしまう。
「おい、どうなってんだ」
「術者がいるなんて聞いてないぞ」
聖女の御業を目の当たりにし、賊どもは焦りだしたがもう遅い。
市場全体ではなく、ワイバーンだけを囲む小規模シールドにしたのは、逃げ惑う買い物客まで盾にされては面倒だからだ。弓の使い手をキリアが潰した以上、戦闘要員は自由に動けた方がいい。本当に危なくなったらシールドを複数展開し、中へ退避すれば良いだけの話し。
するとそこへ、予想外の助っ人が――。
「子供をだしに使うとは気にいらねえな」
「死にたいのか、お前らは関係ないすっこんでろ」
「ああん? ここは天下の仙観京だ。陛下のお膝元で騒ぎを起こすってんなら、豚こまにしてやるぞ」
なんと肉屋の店主たちが、得物を手に通りへ躍り出たのだ。持っているのは肉を解体するのに使う筋引包丁や牛刀で、何気にこっちも迫力があったりして。反対側の青果エリアからも、菜切り包丁を手にした店主たちがぞろぞろと。出刃包丁とそろばんで応戦しようとする聖女に、感化されたのかもしれない。
こりゃ傑作と笑い、ダーシュがわおーんと雄叫びを上げた!
仲間と店主たちが淡い光に包まれ、攻撃力と防御力、回避力と瞬発力が上昇。対して賊どもは薄紫のもやがかかり、戦闘能力が低下する。
これぞ飛び級で精霊化した、ダーシュの特技だったりして。仲間には身体強化のバフを、敵には弱体化するデバフを、それぞれ付与しちゃうわんこ精霊のブレスきたこれ。
「うっひょう、みなぎるわ!」
「うぼあっ」
ケバブのモーニングスターが、賊の側頭部に炸裂。倒れた相手の眼球が飛び出しており、もはや回復魔法でも助からないだろう。髙輝に夜襲を仕掛けた賊は金を受け取っただけで、依頼主を知らなかった。ならばこいつらも同じ手合い、尋問しても無駄さと、ケバブは敵を次々ぶん殴り昏倒させていく。
ジャンとヤレルも容赦するつもりはなく、短剣で敵の急所を狙う。攻撃されると生命の危険がある部位が急所であり、シーフ養成学校では戦闘技術の一環として教え込まれる。頭部や首はもちろん心臓、肝臓、腎臓、脚なら大腿動脈と、刃で突かれれば大出血を起こす部位に突き刺していく。
「クラッシュドファイア!」
「クラッシュドアイス!」
「ホイールウィンド!」
「ソーンウィップ!」
キリアと三人娘が逃がさないわよと、単体魔法を無慈悲に放つ。範囲魔法を行使しないのは、関係者以外へ被害が及ぶからに他ならない。そう考えるとフローラが使ったスパークルヘルは、敵の頭上から下に向かって撃ち出す四属性の攻撃。あれは便利よね、そうそう早く覚えたいと、三人娘の思念が飛び交う。
いつの間にか襲う側の賊が、買い出しチームから襲われる形に変わっていた。曹貞潤王の賓客に手を出した以上、死罪は免れないだろう。ならばここで冥土に送ってあげると、キリアも三人娘も畳みかけて行く。
「お前らこれを見ろ!」
声がした方を見やれば、ありゃまあ、肉屋の店主がひとり捕まってるよ。でもキリアたちは攻撃の手を緩めない、その必要が無かったからだ。賊どもは買い出しチームに意識を奪われ、肝心なことを失念していた。
「おいおい、これが見えないっての……か?」
賊は肉屋の店主を盾にして、首に剣を押し当てていた。その剣が腕ごと、地面にぼとりと落ちたのだ。そして目の前が真っ暗になり、彼は何が起きたか分からないまま死を迎えることになる。
「こけっ」
男はワイバーンのクチバシに頭を挟まれ、頭蓋骨が砕ける鈍い音を聞いたのが最後だったろう。剣の刃さえ噛み砕く顎の力だ、眼球や脳漿が周囲に飛び散った。
シールド内で子供たちを背中から下ろした、他のワイバーンものっそのっそと賊どもを蹂躙していく。クチバシで腕や足を摘ままれれば切断され、踏み付けられればその重量で圧死する。
やがて知らせを受けた民兵が駆け付けるも、賊は全滅した後だった。キリアが事の子細を話し、市場関係者と子供たちの親が証言する。三人娘は怪我を負った店主たちに、ヒールをかけて回っていた。なお民兵とは帝国で言う自警団のこと、手に職を持つ民間の警察組織だ。
「市場でそんなことがあったの? キリア」
「予測はしておりましたので、別に驚きはしませんでした、フローラさま」
「ちぇっ、俺も暴れたかったな」
シュバイツが思いっきり残念そうな顔をし、同感ですとアリーゼも頷いている。それじゃ明日から一緒に行こうかと、フローラが真顔で言っちゃう。ローレン女王とブロガル王が、揃って市場へ買い物ですかと、英夏がくすくす笑っている。
「まあそれは置いといて、続きをお願い、英夏さま」
「はいフローラさま、後宮の最上位は、もちろん正室の皇后さまです、官位は正一位。他に側室となる四夫人の上級妃がおりまして、貴妃、淑妃、徳妃、賢妃で官位は従一位。これらは官位名であり、本名ではありません」
「官位があるってことは、女官扱いなの?」
「いかにも、陛下の御子を生み、育て、教育を施すお役目ですから」
要は妻君が五人いるってことかと、シュバイツが腕を組む。子供の生存率がそれだけ低いんだなと、ジャンとヤレルが顔を見合わせる。ところがどっこい英夏に言わせると、それだけじゃないらしい。
「後宮を運営する女官は、下働きの女中を除き、全て陛下の妃扱いなのです。その下に中級妃、下級妃とおりますから」
「あの、英夏さま、後宮に女官は何人いるのですか?」
「千名は超えてますね、フローラさま。正六位以下の女官は、後宮の実務を行なっております。事務的な仕事は尚宮、お針子や機織りは尚服、食事に関わることは尚食と」
その下級女官たちが陛下のお手つきになれば、官位の昇格も夢じゃない。場合によっては后妃や、皇后の芽も出て来ると英夏は言う。
後宮へ入宮できるのは貴族の娘に限らず一般からも採用され、官用試験もあり競争率は高いのだとか。それもあって貴族の親たちは器量の良い娘がいたら、出世して欲しくて英才教育を施そうとするらしい。
「なんちゅうハーレム」
「いやいやケバブ、愛情を平等に注ぐ自信が俺にはない。ジャンはどうだ?」
「無理無理、俺は桂林を愛するので手一杯だよヤレル」
婿となるジャンのセリフに、英夏は満面の笑みを浮かべた。実際に後宮という場所は階級社会であり、身分差が明確にある女の修羅場。奴隷商人に売られた経緯のある桂林を、後宮へ出さずに済んで英夏はほっとしているのだ。それは明雫と樹里の両親も、同じ気持ちであろう。
「貞潤陛下は、皇后さまと上級妃四人にしか、お渡りにならないそうです」
「……お渡り?」
意味が分からず首を捻るフローラに、キリアが思念を飛ばす。王が夜にえちえちするため、目当ての妃がいる部屋に足を運ぶことですと。うっきゃあとフローラは両手を頬に当て、足をぱたぱた。シュバイツにも伝染したようで、彼の顔がぽっと赤くなる。英夏は宮中にいるあいだ顔馴染みの文官と会い、そんな情報を仕入れているようだ。
「でも王の寵愛を受けられなかった女官たちは、将来どうなるのかしら」
「そこなのですよ、フローラさま」
「そこって?」
「独身のまま年齢を重ねさせる訳にはいきませんから」
「うん」
「優秀な文官や武官、それと仙観京の有力者に」
「うんうん」
「紹介と言いますか縁談を持ちかけるのです」
「うんう……おおう」
「それを取りまとめているのが、実は髙輝さまなのですよ」
それで後宮の中に執務を行う、お屋敷を持ってるんだと誰もが納得。あのイケメン武官は後宮で仲人もやるのかと、思ってはいても口には出さない。
そこへ迎賓殿の警備を行なう衛兵が、後宮から面会を求めている者がおりますと告げた。聞けば例の司馬一族、蘭と葵に椿が来ているそうで。
「三人とも、体の方は大丈夫そうね」
「おかげさまで、フローラさま。先触れもなくお邪魔して申し訳ございません」
代表で口を開いた蘭が、何やらもじもじしている。諜報と暗殺のスペシャリストがどうしたことかしらと、アリーゼもキリアも訝しむ。市場でどんぱちやった男衆も念のため、壁に立てかけた武器に意識を向けている。
「私たち、後宮では正六位の尚食なのです」
「つまり……食事を受け持つ女官ってことかしら」
フローラの問いにその通りですと、三人は首を縦にぶんぶん振る。そして彼女たちは、三人娘から料理を教わりたいと言うのだ。髙輝の許可は得たのかと尋ねるシュバイツに、彼女らはふたつ返事でもらいましたと答える。
「ひとつ聞いてもいいかしら、蘭」
「なんなりと、フローラさま」
「陛下の寵愛は要らないし、かといって縁談を持ちかけられるのも嫌」
「うっ」
「あなたたち、髙輝さまの側室になりたいのね」
英夏が教えてくれた予備知識で、ぴんときた大聖女さま。核心を突かれた蘭と葵に椿から、ぷしゅうって音が聞こえたような聞こえなかったような。美味しいご飯で思い人の胃袋を掴みたいんだなと、男衆が頬を緩め武器から意識を離す。
「いいわよ、炊事場でもう始めてるから、一緒に調理を楽しんで」
にっこり微笑むフローラに、ありがとうございますと喜色満面の三人である。イケメン武官の髙輝、側近から愛されてるようで何より。
ところで最初は豚こまを使った無水カレーのはずだったんだが、聖女の御業を見せてもらったお礼にと、店主たちから色々持たされちゃった買い出しチーム。
豚ロースの分厚いとんかつがトッピングされ、かつカレーにバージョンアップ。サラダも小鉢のコールスローからボウルのチキンサラダへ変更となり、ソテーした鶏むね肉がででんと乗る。いやサラダだけでお腹いっぱいになりそうと、蘭と葵に椿が大笑い。
「このセット、お代わりできる人いるかな、桂林」
「いるかもよ明雫、特にケバブとかケバブとかケバブとか」
はいはい私の婚約者は大食漢ですよと、樹里が野菜たっぷりのトマトスープを小皿によそっていく。これは味見用でほれほれと、みんなに手渡していく。東方にはない酸味のある優しいお味で、蘭も葵も椿も、これはと目を見開いた。
後宮の炊事場にかんかかんかーん音頭が広まるのは、もはや確定事項。そしてキリアと三人娘は、ミン王国でも市場で人気者となるのである。