第100話 仙観京
幌馬車が空を飛んでおり、四頭のワイバーンが追随していた。曹貞潤王がおわすミン王国の首都、仙観京を目指しているところ。
ワイバーンに騎乗するのはキリアと三人娘で、それぞれのゴンドラには相棒が乗りぶどう酒の樽も並ぶ。馬車の御者はアリーゼで、中にはフローラとシュバイツに、桂林の父である宋英夏が座っていた。
「ワイバーンなら時計の針が一周もしない距離なのね、樹里」
「昔は内陸に都があったのですよ、キリアさま。王朝が海産物を好んだため、三百年ほど前に海の近くへ遷都されたそうです」
食いしん坊が都を別の地へ移す、それが通るのもすごいなと、シーフ二人にケバブが苦笑している。あそこですと明雫が指差す先に、仙観京が見えて来た。周囲は畑と田んぼで、のどかな風景が広がっている。だが都はきっちり長方形で、区画はまるで碁盤の目。
帝国にも城郭都市はいくつもあるけれど、無秩序に拡張してきた経緯があった。結果として城壁はどの辺も直線にはならず、中の区画も城壁際はごちゃごちゃしててカオスな状態だ。
「西側に四角い造成地がある、増えた人口をあそこへ入植させるのか。都市計画をちゃんと考えてるんだな、フローラ」
「見習うべきところが多そうね、シュバイツ」
宋英夏が南門に降りて下さいと告げるが、あいにく曇り空で初見のフローラには分からない。彼が言うに五重の塔へ真っ直ぐ伸びる太い道、朱雀大路の起点が南門なんだそうで。
「南を守護する朱雀にちなんで、大通りの名前に? 英夏さま」
「よくご存じで、フローラさま。そして塔の向こう側が仙観宮、ミン王国に於ける政治の中心でございます」
王の住居である内裏。
国家行事を執り行う朝堂院。
酒宴が行なわれる豊楽院。
帝国で言うところの礼拝堂が中和院。
政務を司る二官八省。
軍務を司る左衛門府と右衛門府。
これら立ち並ぶ建物を全部ひっくるめて、仙観宮とも大内裏とも呼ぶんだそうな。
「国王陛下の命により……」
「こけっ」
「仙観宮に……」
「ここっこ」
「ご案内……」
「こかっかこけこー」
「くわわこここ」
「てか何なんですか! この生き物は!!」
案内役を仰せつかった騎乗の衛兵隊長と、同じく騎乗の部下たちが、象並みにでかいぞとびびっている。害はありませんと三人娘が言っても、にわかには信じられないみたいだ。
「ミン王国にも麒麟や鳳凰といった、聖獣がいるではありませんか、隊長殿」
「いやそれは神話伝承の話しでして、ローレン女王よ」
「神話伝承には真実も含まれていますよ、あれもただの犬ではございません」
ゴンドラから顔を出してるダーシュを見て「あれが犬?」「狼じゃなくて?」と衛兵たちは目を丸くする。精霊化したことで黒い毛が銀色に変わり、高貴な雰囲気さえ漂うわんこ。犬にだって表情はあり、半眼で狼ちゃうわとご立腹のようす。
衛兵の騎馬隊が先導し、後ろを幌馬車、両脇をワイバーンが横並びで付いて行く。南門から仙観宮までは、二里の距離だと宋英夏は話す。帝国に置き換えると競馬場のコース四周に相当し、いかに広大な都か分かるというもの。
普通に歩いたら辿り着くまで、時計の針が二周するわねとフローラは笑う。それもあって徒歩の旅人が困らないよう、朱雀大路には等間隔に旅籠と茶屋が配置されているのだとか。
「首都防衛のため他の門は閉じられており、出入りできるのは南門だけなのです、フローラさま。日が暮れると旅籠と茶屋の客引きで、賑やかになりますよ」
「その茶屋って、お酒も出すのね?」
そうですと英夏は目を細めたが、余所から来た人はぼったくられるから、注意が必要ですと言ってくれちゃう。考えてみれば知らない土地へ行く場合、キリアは頼りになるなって、つくづく思うフローラである。
「どの建物も壁と柱は朱塗りなんだな、英夏殿」
「太古の昔から魔除けと不老長寿を象徴しておりますからな、シュバイツさま」
赤を基調として瓦屋根の町並みに、風情があるなとシュバイツは楽しそう。ローレン女王とブロガル王の来訪に、沿道には民衆が大勢集まり見物している。もっともワイバーンに度肝を抜かれ、誰も彼もがぽかんと口を開けているが。
「何者だ止まれぇ、他国からの来賓と知っての狼藉か!」
「お願いでございます、ローレンの聖女さまに、どうかお目通りを!」
先導する衛兵たちの馬が止まり、何事かしらと馬車を降りたフローラとシュバイツに英夏。王族や来賓の行列を止めるのは重罪ですと、英夏が二人に耳打ちをする。
先頭に行ってみれば子供を背負った男と、土下座して地面に額をこすりつける女が見えた。どうやら家族のようで、子供は青ざめぐったりしているではないか。
ゴンドラを降りて来たジャンとヤレルが、子供を見せてみろと地面に寝かせる。同じくケバブが衛兵らに、武器を納めろと腰に手を当てた。お役目だから仕方ないのだろうが、彼らは気の早いことに剣を抜いているのだ。
「大きな音に反応して、体が痙攣してるぞ、ジャン」
「破傷風で間違いないな、ヤレル」
治療法はあるのかと尋ねるシュバイツに、首を横に振るシーフの二人。
破傷風は土壌の中に存在する菌で、切り傷や擦り傷で感染する事が多く、発症すると死亡率は高い。先に教会へ行ったのだが司教はもう高齢で、回復魔法を使えないと断られてしまったんだそうな。それでローレンの聖女におすがりしたいと、夫婦は涙ながらに訴える。
「ローレン女王に無礼であるぞ! お前たち、この者どもを引っ立てよ!!」
「はいヒール」
子供の体が淡い光に包まれ、顔色は良くなり、そのまますやすや眠ってしまった。沿道の民衆から「聖女だ」「本物の聖女だ」と、あちこちから歓声が上がる。
ジャンとヤレルが精の付く物を食べさせてやれと、夫婦を民衆の中へ押し込んじゃう。おいおい罪人だぞと慌てふためく衛兵たちに、ケバブが立ちはだかりああん? と睨み付けた。
「私たちが勝手にしたことですから、上にはそう報告なさいませ、隊長殿」
「しかし罪人を見逃すことなど我々には……誰だ私の兜を突くのは」
「こかっ」「こかこか」「こけくわ」「くわーこっこ」
「うぼあ!」
四頭のワイバーンに迫られる隊長さんが、いと哀れ。
キリアも三人娘も、やったのはワイバーンだもんねそうだよねーと、しらばっくれております。思念を送って命じたのは明らかで、確信犯だねとシュバイツが、拳を口に当てて笑いを堪える。
「衛兵隊長、来賓の顔を立ててあの夫婦は追うな。君らが責任を問われないよう、私がうまく取り計らっておく」
声のした方へ目を向ければ、美女を三人もはべらせたイケメンが立っていた。服装からして上位貴族と分かるが、面白いことに衛兵たちが、彼に向かい最敬礼したのである。英夏がフローラとシュバイツに、総監の李髙輝ですと囁いた。仙観宮を守備する近衛隊と衛兵隊の、最高指揮官であり王族の血筋なんだそうで。
「挨拶は内裏か豊楽院で改めて。私は人と会う約束があるから、これで失礼するよ」
そう言い残して李髙輝は、民衆をかき分け路地へと消えていった。
総監ともあろう人物が、昼間っから外を出歩いて良いものか? うむむむと首を捻るフローラたちへ、アリーゼが思念を飛ばして寄こす。彼女は同じ匂いを感じ取ったのだろう、連れていた三人の女性は護衛ですよと。
「あれはかなりの使い手です。懐には小刀、両手両足には何かしらの投てき武器を、仕込んでいると見ました。だいぶぴりぴりしておりましたね」
「何を警戒していたんだ? アリーゼ」
「分かりません、シュバイツさま。ただ神経を尖らせていたのは私たちでなく、沿道の方でしたわ」
「仕事をさぼって遊んでたわけじゃなさそうだな、フローラ」
「でも変ね、シュバイツ。護衛が欲しいなら一個小隊でも動かせばいいのに」
思念を交し合いながら、再び五重の塔を目指すフローラたち。どんよりとした曇り空といい、フローラは不穏な空気を感じ取っていた。何がどうとは言えないが、嫌な予感がしたのである。
「遠路はるばる、よくいらして下さいました。ささ、どんどん召し上がれ」
内裏の貴賓室へ案内されたフローラ達だが、曹貞潤王は意外と気さくな人物であった。服装も華美ではなく、質実剛健で倹約家なのだろう。
アリーゼにケバブとシーフの二人は、護衛として壁際に控えている。三人娘は宗家の者だから、今夜はお客さんとしてテーブルに着く。キリアは別テーブルで、農産大臣と額を突き合わせ商談中。既に英夏が備蓄一年分の売却を取り付けており、あとは価格の折り合いをつけるだけ。
さてお料理はと言いますと、割りと素朴なものであった。
スライスして酢漬けしたカブに、味噌を塗り大葉で巻いたもの。細切りにしたニンジンとゴボウの炒め物は、きんぴらごぼうというらしい。シイタケのかさにひき肉を詰めて蒸した、シイタケ肉団子がまた良いお味で。次から次へと運ばれてくる皿や小鉢だが、素材の持ち味を大事にしているのがよく分かる。
帝国の宮廷料理も贅を凝らし美味しいけれど、頻繁に食べようとは思わない。シュバイツは素朴な料理がたいそう気に入ったようで、これでいいんだよこれでとひょいぱく。毎日食べるならこんなのがいい、安心安定ほっとする味だと。
それはひとまず置いといて。乾杯から一貫して毒見不要のお客さまに、王はもちろんのこと、大臣たちも女給たちも驚きを隠せないでいた。信じてもらえるのは嬉しいが、あまりにも信用しすぎではあるまいかと。こういう人たちなんですよと英夏が、王と目線を交わし肩をすぼめていた。
挨拶は改めてと言っていた李髙輝だが、貴賓室にはとうとう姿を現さなかった。
価格交渉は明日に延長戦を行うこととなり、一泊を決め客間に通されたフローラ一行。ヘレンツィアで何かあれば、グレイデルかラーニエが手鏡で連絡をくれる事になっている。
やがて雨が降り出し、雨脚がどんどん強くなって行く。晴れ女であるフローラなんだが、仙観京ではご利益が発揮されないっぽい。厩舎にいるワイバーンへご飯をあげにいった、三人娘が髪を濡らしひええと戻って来た。
付き合ったダーシュが体をぶるぶる揺り動かし、水滴を周囲にまき散らす。近くにいたケバブがおいおいと、バスタオルを広げてガード。ついでにそのままダーシュを包んで、ごしごし拭き始めた。三人娘は風と火の合わせ技で、乾燥モードに入りましたよっと。
「フローラ、何か気になることでもあるのか」
「やっぱり分かっちゃう? シュバイツ」
「そりゃあな、仙観京に入ってから少し変だ」
雨が降ったのはそのせいだなと、シュバイツは革袋のぶどう酒を口に含む。英夏がまたまたあって顔してるが、ジャンとヤレルにケバブはそうかもと納得しちゃってるよ。そろばんをぱちぱち弾いていたキリアが、差し支えなければお聞かせ下さいと顔を上げた。
「話し半分で聞いてね、みんな。なんだか私、魔物の気配を感じるの」
遠くの方で雷が鳴っており、外はまるで桶をひっくり返したような、どしゃ降りの雨になっていた。そこへ扉を叩く音が聞こえ、顔を見合わせるフローラたち。
「どうぞ」
「こんな夜分に申し訳ない」
開いた扉から姿を現したのは、なんと李髙輝であった。床に水たまりが出来るほどのずぶ濡れで、キリアがバスタオルを出す。けれど彼はもう一度外に出るからいいと手を振り、フローラに歩み寄ると跪いたのだった。