本命チョコの行方
「はぁ……」
買い物カゴには、義理チョコの山ができている。豪華なデザインのチョコは、長濱部長へ。シンプルで上品なチョコは、足立係長や小野係長へ。同僚の松沢さんや女性社員たちには大量に入ったプチチョコを。
正直、出費が痛い。配らなくていいのなら、配りたくない。寿命を削りながら仕事をし、得たお金がこういう余計なことに消えていくことが悲しかった。
セルフレジに並んでいる時にクレジットカードを取り出し、またため息を吐く。このカゴの中にある分を本命へと注ぎ込んだ方がまだマシだ。それならば、愛が深まるしイチャイチャへと繋がる。心身共に癒され、仕事への活力にもなるだろう。
彼にチョコをプレゼントし、感謝の言葉と美味しそうに食べる姿のお返しをもらい、その後に「チョコだけじゃなくお前も食べたい」なんて言われて、唇から食べられちゃったりなんかする妄想を繰り広げていると後ろに並んでいた人に会計を促され、慌てて商品のバーコードを読み取る。
そんな私に、肝心の本命はまだいない。
エコバッグの重さは、気のせいではない。出費が痛いだけでなく、一人一人に配ることも一苦労だからだ。
そんな暗く重い気持ちを吹き飛ばすような出来事が起きないだろうか。例えば、次の道の角で衝撃的な出会いをしたり、リムジンに行手を阻まれたと思ったら後部座席に眩しすぎて直視できないようなイケメン金持ちが声をかけてきたり。
次の道で赤信号に足を止められる私には、起こり得ない妄想だった。
そんな私でも、いつかのために準備は怠らない。いつか、本命にチョコを渡せるようにチョコのレパートリーを増やしている。
夢見たっていいではないか!
そのちっぽけな希望が、輝かせる明日もある!
一人で寂しいバレンタインデーは、今年で終わりだ。そんな気分で、今年もダーリン(仮)に愛の形を表現するのだった。
今年は生チョコだ。材料はチョコレート、生クリーム、バター、パウダー、砂糖。レシピ通りに進め、ちょちょいと完成させた。
生チョコを盛り付けて、テーブルへと運ぶ。温かいカモミールと一緒にいただこうとした時だった。
玄関のドアに人が当たるような大きい音がした。
何事かと思い、ドアスコープで外を覗くけど誰も映っていない。上の階に行く人がよろけてしまったのかと思い踵を返そうとすると、「んん……」と人のうめき声が聞こえた。
人が倒れた!? 救急車が必要!?
そんな不安まで出てきて、急いで扉を開けるとぐったりしたスーツ姿の男性が横たわっていた。
「だっ……大丈夫ですか!?」
しゃがみ、状態を確認しようとする。呼吸、あり。脈、あり。顔はほてっていて、息苦しそう。眉間に皺を寄せ、瞼は伏せられている。
「あの……!」
どういう助けが必要なのか分からず、困惑する。立てないぐらいのめまいに襲われているのかもしれないし、私の知らない病気で苦しんでいて病院に行く必要があるかもしれない。
意識があるのなら、本人に直接聞くしかなく返答を待っていたら。
「店員さん……もう一杯!」
「…………え?」
拍子抜けした。なんだ、酔っ払いですか。足に力をなくして、お尻をつける。ホッとして息を吐いた。
「店員さん……? おかわりって言ってるじゃないですかぁ」
私を店員だと勘違いしている目の前の男性は、私の膝に手をついて長い前髪から覗くうるうるした目で見つめる。ただでさえ甘いマスクで見られて大変なのに、さらには会社員という姿のギャップに心を掴まれる。
「酔い覚まししなきゃな……」
ミネラルウォーターを取ってこようかとゆっくり立ち上がる。すると、骨ばった大きな手で足首を掴まれた。
「置いていかないで」
上目遣いで縋られる。私は無意識に口角を上げながら、しゃがみ直すと言った。
「ミネラルウォーターを取りに行くだけです」
「水なら鞄の中にあります」
「あ、そうなんですか? じゃあ、それを飲みましょう」
男性は水を飲み、再びだらりとする。黒髪と白い肌がマンションの灯りに照らされ、神々しい。触りたくなるほどの美しさだ。
しばらくしたら酔いは覚めるだろうと思ってじっとしていると、ボソッと声がする。
「甘いもの……下さい」
「え?」
「甘いものが好きなんです」
甘いものと言われて思いついたのは、未来の本命宛のチョコだった。確かに、チョコは酔い覚ましにはいい食べ物だ。でも、本命宛のチョコをこの男性にあげてしまったら、私の初の本命チョコはこの人ということにならないだろうか?
いや、それは違う。私は思い直した。本命チョコは本命に渡すから本命チョコであって、それを別の人に渡したところで本命チョコではない。
私だって、毎年本命チョコを食べているけど私の本命は私ではない。そういうことだ。
男性に一言告げてからリビングに戻り、チョコとフォークを玄関に持っていく。エサを待っていたペットのように食いつくと、あっという間に平らげた。
「美味しかった……!」
美味しそうに食べる姿と感謝の言葉をもらい、満足する。あげてよかった。この人を想って作ったものではないけど、その想いも味となって『美味しかった』になったのだと思うと今までの頑張りが報われた気がした。
「もっと食べたい」
そんなセリフと同時に、私はそのまま玄関で押し倒された。後頭部を靴箱へぶつけ、私に覆い被さる男性。
デパートで繰り広げた自分の妄想が想起される。
ーー「チョコだけじゃなくお前も食べたい」なんて言われて、唇から食べられちゃったり
まさか!
チョコで彼氏ゲット? 長年思い描いていた本命へのチョコは、たった今、未来の本命の胃の中!?
近づく、距離。触れる、吐息。感じる、熱い身体。ハジメテの感覚は、生チョコの味?
おわり