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銀杖のティスタ  作者: マー
赫灼の匣
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26.認識できない真実


 宗教施設内にまったく人影が見当たらない。

 

 外で千歳さんが派手に騒ぎを起こしているとはいえ、あまりに無防備だ。


(誘いこまれたと考えるのが自然だな……)


 事前の打ち合わせで千歳さんから「施設内が不自然なほど静かなら待ち伏せに注意しろ」と言われている。


 幸い、こちらにはシロー君がいる。群狼の使い魔による索敵とシロー君自身の敏感な嗅覚は、隠れた者も簡単に見つけることができる。


「……おかしいっスね。少しは誰か出てくるかと思ってたんスけど」


「この施設内には誰もいなそう?」


「いえ、人間の匂いはするっス。ただ、敵意を持った人間の匂いが全然しないんスよ」


「狼魔族の鼻って、そこまで判別できるんだね。すごいなぁ」


「人間って極度の緊張やストレスを感じると特有の匂いがするんスよ。嗅覚で正確に察知できるのは狼魔族くらいっスけど」


 狼魔族の嗅覚は、犬や猫とは比較にならないほど強い。

 人間や魔族の匂いだけではなく、敵意の察知や危険予知にも役立つという。

 第六感の域に近い嗅覚は、狼魔族が高い戦闘力を持つ理由のひとつである。


「人間が大勢いるっぽいのはわかるっス。たぶん、この先の部屋に……」


 周囲を警戒しながら、長い廊下を慎重に歩く。

 薄暗い廊下の先には、大きな扉があった。


「……僕が開ける」


 シロー君が静かに頷く。

 彼が背後を警戒している間、僕は扉をゆっくりと開けた。


「これ、は……」

 

 扉の先は、教会の礼拝堂のような作りになっていた。

 ズラリと並んだ礼拝席を埋め尽くす人影は、全員黒いローブに身を包んでいる。

 全員、祈るように両手を組んだまま無言で正面を見つめていた。


「やぁ、いらっしゃい」


 礼拝堂に老成した声が響く。

 壁に取り付けられた簡素な十字架の下に老人が立っていた。


 年齢は50歳前後といったところだろうか。

 白髪をオールバックにした老人は、牧師風の黒いローブに身を包んでいる。


「……あなたは?」


「この『純人教(じゅんじんきょう)』の代表、藤堂(とうどう) 悟道(ごどう)だ。よろしく頼むよ、半魔族の少年たち」


 自己紹介をする老人は、一見すると物腰が柔らかい優しい老人に思える。


 しかし、僕の持つエルフの鋭敏な感覚が告げていた。

 目の前の脅威から絶対に目を離すな、と。


「トーヤさん、気を付けて。このジイさん、普通じゃないっスよ」


「うん、わかってる」


 シロー君も何か感じているのか、警戒心を剥き出しにしている。


「そう怖い顔をしないでほしい。私は、ただの老人だよ」


「よく言うぜ、ジジイ。お前、血の匂いが体に染み込んでるんスよ。今まで何人殺してきた?」


 淡く光る狼魔の金色の瞳は、目の前の老人を完全に敵と見なしている。 


「……やれやれ。狼魔族は鼻が利くとは聞いていたが、そこまで見抜かれるとは。さすがは剣狼マカミの息子。それに加えて柊 冬也……キミがガーユスを封印した魔術師だろう?」


「僕を知っているんですね」


「我々の間では有名人だよ。銀杖の魔術師の懐刀であるキミが、あの忌々しいガーユスを封じてくれたのだからね。呪術師にとって、キミは恩人といってもいい」


「…………」


 この老人は、ガーユスが封印されたことをきっかけに本格的な活動をはじめた呪術師らしい。


「……あなたの目的は?」


「多くの人間の尊厳を守るためだ」


「ちゃんと説明してください。あなた方が大勢の人間をこの施設に連れ込んだことはわかっています。理由もなくそんなことはしないでしょう」


「言ったところでキミらには一切伝わらないだろうが……いいだろう。耳を澄ませて聞くんだ」


 老人が不敵に笑った。

 僕とシロー君が身構える。


「近い将来、人間は『――――――――――』される。その日に向けた準備といったところかな」


 老人の言葉は、途中でノイズになって聞き取れなくなった。

 すべての言葉ではなく、一部分だけが一切認識できなかった。 


「今、のは……」


 同じような経験があった。

 

 封印され、樹木と化したガーユスと夢幻の中で話したときだ。

 赫い匣を受け取ったとき、その名前を認識できなかった。


 シロー君も困惑の表情を浮かべている。

 僕と同じく、老人の言葉を正確に聞き取れなかったらしい。


「トーヤさん、聞こえました?」


「いや、まったく。そっちはどう?」


「うまく言えないんスけど……聞き取れないというよりも『聞こえないようにされた』って感じがして……」


「うん、僕も同じ感覚だったよ」


 戸惑う僕たちの様子を見た老人は、こうなることがわかっていたかのように不敵な笑みを浮かべている。


「そうなるだろうなとは思っていたさ。この世界には、一部の者にしか認識できない残酷な真実がある」


「あなたは、何を知っているんです?」


「実に簡単な話だ。私が知っているのは『人間がどうやって滅ぶのか』ということだ」


「人間が、滅ぶ……?」


「世の中には、知らないほうが幸せに生きられる事実の類もある。しかし、その無関心こそが人間を滅ぼすんだ。音もなく静かに、病のようにじわじわと蝕むような穏やかな滅びが待っている。我々は、それを良しとしなかった。この『純人教』は滅びに立ち向かう足場というわけだ」


 与太話とは思えないような迫力が目の前の老人にはある。

 ただの宗教幹部とは思えない、確固たる意志を感じるのだ。


「さて、どうする? できることならお引き取り願いたいのだが」


「その前に、この施設にいる人間を解放してくれませんか。多くの子供たちが両親の帰りを待っているんです」


「それは構わないよ。ただ、そこにいる彼らが帰る気になるのかは疑問だがね」


 そう言って、老人がパチンと指を鳴らすと、礼拝席に座っていた黒いローブの人影が全員立ち上がった。


 そして、同時にこちらに振り向く。

 彼らの瞳は、紅く発光していた。


「こちらとしてと『慣らし』の必要があったのでちょうどいい。せっかくなら説得してみるといい。もう声が届くような状態ではないが、ね……」


「まさか、この人たちは……」


「そう、キミたちが探している行方不明者さ。我々の大義のため、傀儡になってもらう必要があった。そして、今のキミたち魔術師に呪いを完全に祓う手段……赫灼の魔術を使える者はいない。それがどういうことか、聡明なキミならとっくの昔にわかっているだろう?」 


「あなた、自分が何をしているのかわかっているんですか……!!」


 結晶の呪術は、使用した者の肉体を蝕む。

 あの老人は、人間を使い捨ての駒にするつもりなのだ。


「大義のための犠牲だ、仕方あるまい。結晶の呪術を使える肉体に変えたうえで、体内に埋め込んだ結晶を通じて私の呪力で操る。痛みを感じることはなく、意思も持たない理想の兵隊。かつてあった人間同士の戦争……第二次世界大戦中にも使われた呪術でね。人体そのものを特攻兵器として扱うのさ」


 反論する間もなく、傀儡と化した人々が僕たちに向けて手のひらを向けてくる。


 黒いローブの集団の頭上で生成された多数の赤黒い結晶は、僕たちに向けて一直線に放たれた。

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