4.たゆまぬ鍛錬とふたりの生活
ティセと一緒に夕飯を済ませたあと、食器の片付けをしながら今日の反省会。
彼女も悪ふざけで肉じゃがをゲル状にしたわけではない。
「圧力鍋が料理の時間短縮になると聞いて、魔術で同じことをするのも可能だと思ったんです。通常の鍋を魔力で包んで、圧力をかけて……」
「なぜ失敗したんです?」
「魔力を込めすぎて鍋が潰れないように注意していたら、中身への配慮が疎かになってしまいました。まだまだ課題が残る魔術です」
精密な魔力操作が得意なティセでも難しいなら、多くの魔術師が真似できない。
この魔術は、まだ実用段階ではないということだろう。
さすが僕の師匠、一流の魔術師であっても日々挑戦することを止めない。
僕もそれを見習って、最近は新しい試みに挑戦している。
「片付けが終わったら、いつものアレをやりましょうか」
「よろしくお願いします、先生」
プライベートでは愛称である「ティセ」と呼んで、魔術の修練のときは「先生」と呼ぶことにしている。こういうメリハリは大切だ。
魔術師になって2年近く経つが、それでもまだまだ学べることは多い。
……………
リビングのソファにふたりで並んで座って、今夜の修練を開始。
これが僕たちの夜の日課になっている。
「では、今日は「水」で」
「はい、やってみます」
僕が試しているのは「魔力属性の切り分け」だ。
魔力は5つの属性に分類される。
地・水・火・風、そして空。
いわゆる五大元素というもの。
どの属性を扱えるかは生まれつきの才能で決まり、基本属性を特化させたり、魔術師によっては複合した属性の魔術を使うことができる。
例えば、ティスタ先生は2種類の複合属性魔術を使用している。
銀の魔術は「地」と「空」の属性の組み合わせ。
地の属性で鉱物を作り出し、作り出した魔力物質を空の属性で固定する。
魔力を霧散しないように固定することで銀の魔道具は半永久的に存在できる。
氷の魔術の場合、水と風。
水分を操る魔術と温度や気温を操る魔術を同時に使って氷を生み出している。
これらは先生の神業レベルの精密な魔力操作が成せる業であって、属性を持っているだけで誰でも複合属性魔術を扱えるわけではない。
僕が持っている魔力の属性は3つで、地と水と風。
植物を操る魔術や治癒の魔術は、これらを組み合わせたもの。
ティスタ先生が言うには、僕は見習い魔術師になった時点で属性の組み合わせが身についていたらしい。どうして魔術初心者の僕にそれができたのかについては、魔族の血が流れているからではないかと先生は予想している。
魔族は、魔力の操作や魔術行使の方法が本能に刻まれている。
半分とはいえ魔族の僕は、生まれた頃から魔術を使える才能が備わっていた。
幼い頃は自分の中に流れる魔族の血のせいでイヤな思いもたくさんしたけど、今思えばありがたいことだったようだ。
「さて、ここまで何度かやってきたのでコツは掴んでいるとは思いますが……今日は例え話も交えて修練をしましょう」
魔力属性の取り扱いについて、先生は「自動車」に例えて教えてくれた。
「魔術の行使を車の運転に例えるなら、肉体は車のボディ、魔力はガソリン、脳はエンジンと考えてみましょう」
「わかりました」
「この場合、魔力の属性とは運転をするときのアクション。アクセルを踏んで、ハンドルを握ってまっすぐ走って、目視で前後左右を確認しますよね? キミはそれを最初から完璧に行うことができました。時間をかけて講習や実習をしなくても、運転の基礎が身についていた優等生だったのです」
「今度は基礎に立ち返って、自然にやっている運転中の行動をひとつに絞るってことですね」
「そうです。今までのキミが組み合わせていた地、水、風の属性を切り分けて、基礎属性の魔術を使いましょう。難しく考えないでください。アクセルを踏むだけなら、車を運転するよりも簡単でしょう?」
「やってみます」
「はい、がんばってくださいねー」
先生はそう言って、食後の晩酌をはじめた。
魔力属性の切り分けに苦戦している僕の様子を見ながらビールを飲みはじめる。
水の魔力だけを切り分けて、水の魔術を使う。
言葉にすると簡単に聞こえるが、これがけっこう難しい。
(この修練をはじめて3ヵ月、少しは形になってきた。これに慣れたら、今までとは違う魔術の運用もできるようになるかもしれない)
先生が属性の切り分けを今まで教えてくれなかったのは、自然に身についていることを矯正しないほうが伸びしろがあると判断したから。
実際、複数の魔力の組み合わせが最初から身についている魔術師は、属性を切り分ける修練を一人前になるまで後回しにすることが多いらしい。
つまり、今の僕は先生に認めてもらえる一定の基準を超えたということだ。
(……水……水だけ……っ……)
いつものように魔力を放出するだけではダメだ。
必要な魔力を必要な分だけ体から放たなくてはいけない。
20分ほど粘って、手のひらサイズの水の珠が目の前に浮かぶ。当初はこの水の珠を作るのに30分はかかっていたので、少しずつではあるが進歩している。
「先生、できまし――」
完成した水の珠を手のひらの上に浮かばせながら先生の方へ視線を向ける。
なぜか彼女はビール缶を片手に泣いていた。
「えぇっ!? どうしたの急にっ!?」
「こ、こんなにも早く上達するなんて……師匠として鼻が高いですっ……私は嬉しいっ……!」
「だからって泣かなくても……」
泣き上戸になったり、笑い上戸になったり、最近の彼女は飲酒中の感情の起伏が激しい。まったく困ることもないし、むしろかわいいのでずっと見ていたくなるけど、急に泣かれるのだけはちょっと心臓に悪い。
「ふふ……本当に立派な魔術師になってー……」
「……もう酔ってます?」
ソファの前にあるテーブルの上には空になった6本のビール缶が並んでいた。
相変わらず飲酒の量とスピードがおかしい。
肝臓に効く治癒の魔術の開発を急がないといけないかもしれない。
「そういえばトーヤ君、キミはいつからお酒を飲む予定ですか? もう20歳ですし、飲める年齢ですよね?」
「もう少し先ですかね……今は教師をしているので、それが落ち着いてからにしようかなと」
「そうですかー……」
隣に座る僕に体を預けて、残念そうに呟くティセ。
同棲をはじめてからというもの、ふたりのときはいつもこんな感じだ。
甘えてくるのがすごくうまくなった気がする。
「ティセ、寝るならベッドまで運びますよ」
「お願いしますー……」
最近使えるようになった風の魔術を使って、ティセの体を軽くしてお姫様抱っこをする。基本属性の魔術は、こうやって生活に使えるものが多い。
ベッドに彼女を寝かせて、そっと頭を撫でてあげる。
「おやすみなさい、ティセ」
彼女の寝顔を見ているだけで、帰宅前に悶々としていたのをすっかり忘れるくらい心が満たされていく。
ティセの存在は、僕にとってかけがえのない救いになっている。
難しいことは考えず、今は自分と大好きな彼女のために生きていけばいい。
この先に予想もできない困難が待っているとしても、それだけは変わらない。