66.目覚め
僕が次に目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。
(何かある度に倒れている気がするなぁ、僕……)
苦笑いをしながら体を起こして、周囲の状況を確認する。大きめの個室、小綺麗な内装の病室には僕しかいない。以前入院したところではないみたいだ。
腕には点滴のチューブが繋がっていて、体を動かそうとするだけで関節が痛い。相当長い時間眠っていたみたいだ。
状況を確認しようとベッドから降りようとすると、病室の扉が開く。入室してきた看護師さんは、目覚めた僕を見た途端に慌てた様子で担当医師を呼びに走っていった。
「どのくらい寝ていたんだ……?」
外は、穏やかな春の青空が広がっている。病院の中庭に視線を向けると、チューリップなどの花が満開に咲いていた。窓から吹き込んでくる春風が暖かくて気持ちがいい。
「……んん?」
ガーユスと戦ったのは3月の初め頃。今年は寒かったから桜の開花時期は少し遅かったはずなのに桜は既に散っていて、葉桜に変わっている。
……相当長い昏睡をしていたのかもしれない。
混乱の中、病室の扉が再び開く。
「おはよう、トーヤさん。1ヵ月ぶりね」
最初にお見舞いに来てくれたのは、大師匠のリリさんだった。
……………
担当医師から簡単な診察を受けると、僕の体に異常は無いとのこと。ガーユスとの戦いの後に1ヵ月の昏睡状態が続いていた僕は、いつ目覚めるのかわからない状態だったという。
目覚めてからすぐに普通に動けるのは、無意識に肉体を治癒し続けていたからだという。魔族としての本能なのかもしれない。
診察が一段落した後、僕が昏睡している間に何があったのか、リリさんから詳しく聞かせてもらった。
「ガーユスは、キミが完全に封印した。今は樹木と化した彼を日本の地下施設に移送して、厳重に管理・監視されている」
「……そうですか」
意図して封印を解くか、僕が死なない限り、ガーユスの封印は続く。魂そのものを封じる禁忌の魔術、自力で解くことは不可能だ。
仮に封印が解けたとしても、厳重な拘束と監視があるならガーユスが表舞台に姿を現すことは今後ないだろう。
「ティスタ達にも連絡を入れておいたわ。もう少しでこちらに来るはず。その前に確認しておきたいことがあるの」
リリさんの表情は暗い。
何を聞かれるのか察しはついている。
「封印魔術について明かしていないことがあるでしょう。正直に言ってみなさい」
「…………」
「言いにくいなら、私の方から言ってあげましょうか。封印魔術は、莫大な量の魔力を必要とする。キミは「封印魔術行使に足りていなかった魔力を魂を削って補填した」わね?」
リリさんの言う通りだった。
僕が封印魔術を使えるとしたら、魔力の消費を一切していない万全の状態の時だけ。ガーユスとの戦いの最中、消耗した状態で封印魔術を使っても不完全な封印になってしまう。
エルフの魔導書を書いた者は、封印行使者が魔力不足になる事態を想定していたようで「魂を魔力に変える魔術」も一緒に記載されていた。数年分の寿命、つまり魂の一部を魔力に変換する魔術だった。
魔導書の解読が困難だったのは、封印魔術の行使者に命の危険が及ぶような危険な魔術も記されていたからだ。
「ただの魔力切れで1ヵ月の昏睡はおかしいと思っていたのよ。……ティスタには言ってあるの?」
「……いいえ、僕とリリさんしか知りません」
「なんて無茶を……そんなところまでティスタに似てしまったのね。私も迂闊だった」
リリさんは頭を抱えながら大きな溜息を吐いた。幸い、ティスタ先生には詳細を伝えていないらしい。
「この件、ここだけに話にしていただけませんか」
「ガーユスを封じてくれたキミの頼みなら断れないけれど、本当にいいのね?」
「はい。今すぐ死ぬわけでもないですし」
「……そうね。エルフの寿命はとても長いから、ハーフエルフのキミも人間と比べて長いでしょうから。でも、今後は寿命を削るような真似はしないと約束して」
「わかりました」
リリさんからは窘められてしまったが、守りたい者のために命を削ったのだから後悔は一切無い。正しいことをしたのだと自負している。
「これも渡しておくわね。今回の件で国から出たトーヤさんの報酬の明細。確認しておいて」
「ありがとうございま――」
渡された封筒から書類を取り出して内容を確認をすると、今まで見たこともない金額が自分の口座に振り込まれていることがわかった。
「あ、あっ、あの、これ、0の数が多過ぎませんか……?」
「国際指名手配犯の魔術師を捉えた報酬としては妥当な額よ。胸を張って使いなさい。……税理士、紹介しようか?」
「お願いします……」
しばらく何をしなくても過ごせるような額のお金をいきなり手に入れてどうしようかと考えていると、病室の扉が勢いよく開いた。
「トーヤ、君……お、起きて……」
「先生!」
全力で走ってきたのか、ティスタ先生は息を切らしながら僕の元へと近付いてくる。泣き出してしまいそうなくらいに顔が真っ赤だ。
「すみません、ご心配をお掛けしました」
「う、うぅぅ……本当ですよぉっ……私が……どれだけ心配したか……」
先生は、大粒の涙を零しながら抱き着いてくる。僕にとっては一瞬だったが、ティスタ先生にとっては1ヵ月。いつも着用している白い外套を羽織ることすら忘れているほど急いでお見舞いに来てくれたらしい。
「先生も、ご無事で本当によかっ…………うわ、お酒臭ぁっ!? 先生、また朝から飲みましたねっ!?」
「女性に向かって臭いとか言うなぁぁぁ~~~っ……ううぅ~……」
ここ最近ずっと酒浸りだったらしいが、僕が倒れたことが理由だったみたいなので「しばらく禁酒してください」なんて言えない。
リリさんは、ティスタ先生の様子に呆れながらも笑顔を浮かべている。
「ティスタのことは任せるわ。今回の件、本当に感謝しています、ありがとう。亡くなった生徒達も、きっと安心していると思う」
「……はい」
「私は魔術学院日本分校の立て直しで忙しくなるから、しばらく会えないと思う。落ち着いたら、しっかりとしたお礼をさせてほしい」
リリさんは、僕に向けて深々と頭を下げた後に病室の窓から飛行の魔術を使って飛び立っていった。
「ありがとうございました、大師匠」
リリさんの背中を見送りながら、僕も深々と頭を下げる。
暖かな春風が吹き込んでくる病室で、ティスタ先生とふたりで1ヵ月ぶりの再会の余韻に浸り続けた――。




