61.人外魔境①
「いいのかい？ ふたりなら勝てたかもしれないのに」
離脱していく冬也の背中を目で追いながら、ガーユスが不敵な笑みを浮かべる。対するティスタは、腹部に突き立てられたナイフを淡々と引き抜いた。
「いいんですよ。巻き込まずに済むから」
無駄な魔力消費を抑えるために刺し傷を魔術で治癒せずに凍結させて止血を試みるティスタ。不意打ちの後とは思えないほど冷静に応急処置を終えた。
「用心深いあなたのことです。ナイフに毒でも塗っていたんでしょう？」
腹から抜いたナイフを凍結させて一瞬で粉々に砕くティスタを見て、ガーユスが表情を引き攣らせる。
「象にも効き目がある毒を使ったんだけどな……化け物め」
「すぐに解毒しましたよ。そんなことより、刺されたのが私でよかった」
「……どういうことだい？」
「あなたが先に弟子を刺していたら、間違いなく周囲を気にせずにお前を殺していた」
ティスタから放たれた凍て付く殺気を感じて、ガーユスは臨戦態勢に移行。迸る魔力は、凶悪な冷気となって足元を凍り付かせていく。
「キミが全力を出したら、街に人間が住めなくなるだろうな」
ティスタのように強い魔力を持つ者が全力で魔術を行使すると、消えない魔力痕跡によって「忌み地」と呼ばれるほど土地が荒れて、人間の生活に適さない環境になってしまう。
強大な魔力を有しているが故に、魔術師として本領を発揮できない。戦いの場が都会の中心になる場合、全力で戦えないという弱味にガーユスが付け込んでくると予測していたティスタは、弟子と共に事前策を講じていた。
「我ながら、優秀な弟子を育てたものです」
ふたりの魔術師を閉じ込めるように、ビル建設予定地の周囲に強い魔力が張り巡らされていく。
「これは……結界か？」
生成された巨木の列がふたりの魔術師達を取り囲む。
柊 冬也が読み解いた古代のエルフが遺した魔導書、その中に記されていた封印魔術を応用した魔力結界。
「ずいぶんと大袈裟だね」
「これくらいしないと、魔力が外に漏れてしまいますからね」
戦線から離れた後、冬也が協力者と共に作り出したティスタのための特設リング。封印魔術に備わっていた魔力封じの特性を内側だけに集約したものであり、結界内は周囲への配慮をせずにティスタが全力を出すことができる。
ガーユスが殺し損ねた魔術学院の生徒、学院に通っていた子を亡くした魔術師、協力を申し出てくれた者からの魔力譲渡によって成立した巨大な結界であり、冬也が紡いできた縁が作り出した特別な魔術。
「俺達を観戦している連中がいるな。敵討ちを全部キミに押し付けたというわけか。便利屋なんてやっているから貧乏くじを引くんだよ」
「違いますよ。私達は託されたんです。それよりも大丈夫ですか？」
「……何が？」
「この程度の不意打ちで優位を取れたと思いこんでいる、あなたの空っぽな頭を心配しているんですよ」
凶悪な笑みを浮かべるティスタを見て、ガーユスは警戒を強める。手加減無し、配慮無しで魔術を使える今の状況で、弟子には見せたことのない彼女の本性が表面化した。
「ッ……！？」
瞬きをした時には、ガーユスの脇腹には鋭利な氷剣が突き刺さっていた。魔術の行使を察知できないほどの早業。ガーユスが驚愕する間もなく、ティスタが追撃を仕掛ける。
いつの間にかティスタが手にしていた鳥の装飾が施された銀杖は、冷気を帯びた巨大な銀の剣に形状を変化させる。巨剣を手にしたティスタは、ガーユスに向けて突撃。
横一閃に振るわれた巨剣がガーユスの胴体を両断したかのように見えたが、刀身はガーユスの体をすり抜ける。炎の魔術で作り出した分け身。切り裂かれた虚像は、揺らめく炎となって消えた。
「相変わらず暴力的だな！」
背後を取ったガーユスが掌から猛火を放つと、樹木に囲われた大きなビル建設予定地が炎に包まれる。冬也と戦った時とは比較にならない熱量、並の魔術師なら骨も残らない火力。
ティスタは、それを素手で受け止めた。
「……あっつ」
受けたダメージは、手のひらに軽い火傷のみ。かつて戦った時とは比較にならない手強さを感じて、ガーユスは額に冷や汗を浮かべる。
「なんで前より強くなってるんだよ」
「一番弟子の手前、無様な戦いを見せるわけにはいかないですからね。少し鍛え直しました」
高等魔術の応酬。気を抜けば一瞬で命を落とす人外魔境。本気の殺意を漲らせるティスタに対し、ガーユスから余裕が完全に消える。
一方、ティスタは生きるか死ぬかの瀬戸際の中で心の充実を感じていた。彼女にとって、不倶戴天の敵を葬る絶好の機会であり、全力で魔術を使える最高の舞台。
戦うために生きているわけではないし、悪者退治を生業にしているわけでもなかったが、彼女には隠し切れない高揚があった。自分の全力を振るう場を設けてくれた最愛の弟子に感謝をしながら、ティスタは静かに唱える。
『銀の斧槍 氷霧の纏』
ティスタが握る銀の大剣は、巨大な斧槍に形状を変える。
銀魔氏族相伝の銀の魔術は、生命に対して物理的な影響を与えない魔術であると同時に、他の魔術との組み合わせで真価を発揮する特性を持つ魔術。
銀の魔術によって精製された武器は、物理的な攻撃力が無い代わりに並の魔道具とは比較にならないほどの頑強さを誇り、作り出した銀の武具に魔力や魔術をストックして自在に解放できる。
作り出した銀の武具は、意図的に魔術の解除をしないと消滅せず、物質として世界に存在し続ける。
魔力がある限り魔道具を自由に作り出し、時間と場所、設備が整えば魔力で稼働する大量破壊兵器すら生み出せる神の御業。世界のバランスを崩しかねない異能であり、ティスタが国定魔術師に選ばれた理由だった。
「……以前戦った時、俺は手加減されていたようだな」
斧槍を両手で構えるティスタを見て、ガーユスに戦慄が走る。
銀の斧槍が纏うのは、強烈な魔力の冷気。触れたらタダでは済まないと本能で察知したガーユスは、その場から一歩退いて回避の体勢に移る。
「あなたに殺された多くの魔術師達の無念をここで晴らします」
ティスタが銀の斧槍を振りかぶり、地面へ向けて叩き付けた。轟音と共に地面から強烈な冷気が溢れ出し、巨大な氷柱を形成。
冬也の作り出した樹木の結界がティスタの膨大な魔力の拡散を抑え込み、凶悪な冷気はガーユスだけに狙いを定めて放たれた。
