56.師のできること
久しぶりの息抜きの後、リリさんに夕飯をご馳走してもらった。便利屋事務所のあるビル1階、見習い魔術師時代に何度も通った中華料理店。みんなで外食をする時はここと決めている。
「弟子の生活が気になって来てみたけど、事務所の中も案外散らかっていなかったし、最近はしっかりと片付けできるようになったようね」
「ふふん、当然です。私だっていつまでも子供ではないのです」
ティスタ先生は胸を張っているが、事務所の片付けをしているのは僕や千歳さんである。少し放っておくと、事務所の床がビールとチューハイの缶でいっぱいになってしまうから、こまめに掃除をしている。
……黙っておくことにした。
「ちゃんと自分の居場所を見つけたようで本当に良かった。あなた、放っておけばどこか遠くに行ってしまう気がしていたから」
ティスタ先生は、世界中を旅して魔術師として仕事をしていた時期がある。その間、知り合いには一切の連絡を絶っていたという。
「当時は私も若かったので、自分探しの旅みたいなものです」
「長い旅で見つかった答えが「街の便利屋」だったわけね」
「まぁ、間違ってはいない……かと」
先生ほどの腕前を持つ魔術師が、街の片隅で便利屋稼業に勤しんでいるのは不思議ではあった。旅の過程で何か思うことがあったのだろう。
「……おかしいでしょうか」
「いいえ、それでいいのよ。守るのも、助けるのも、気に掛けるのも、自分の手の届く範囲でいい」
200年という年月を生きてきたリリさんは言う。全てを救って生きるには、人間ひとりの力と寿命では不可能だと。自分の足場を固めて、自分の幸せを考える余裕を持つことが大切。他人の幸せを考えるのは、自分を幸せにできる者の特権。
その点、ティスタ先生は「便利屋 宝生」という堅実な足場を手に入れて、自分のやりたいことをやっている生活が人間にとって一番健全である……というのがリリさんの持論らしい。
「世界平和だとか、異なる種族の共存だとか、後回しでいいの。自分の居場所を見つけて、地に足を付けることが大切。ちゃんと私の教えを理解していたのは、さすが我が弟子と褒めてあげる」
リリさんの言葉を聞いて、目の前のラーメンを啜りながら恥ずかしそうに頷くティスタ先生。母と娘のような微笑ましいやり取りを見ながら、僕も目の前の炒飯を口に運ぶ。
顔を覚えてもらえるくらい通った中華料理屋のは、いつもと変わらず美味しい。店主のおじさんも僕が半魔族ということも気にせずに接してくれているし、元気に接客する店主のおじさんの働きぶりを見ていると元気が出てくる。
食べ慣れた味に舌鼓を打っていると、僕達の座るテーブルに注文していない餃子3皿が運ばれてきた。
「追加の注文はしていなかったですが、間違いでは?」
「この前、キミのおかげで店が燃えずに済んだからさ。サービス」
「ありがとうございます。いただきます」
先日、ガーユスの襲撃をスマートフォンで撮影していた市民達は、SNSにいくつも動画や画像を拡散させていた。ガーユスの魔術から市民を守る僕の姿は、インターネットを通じて世界へと拡がってしまっている。
目立つのは好きじゃなかったけれど、魔術師に人々を守ろうとする気持ちがあるという認識が広まったのは大きい。以前に比べて魔術師や魔族への差別的な声は少なくなっている。図らずも世論を味方につける形となった。
もちろん、全ての差別や批判が無くなったわけじゃない。魔術師や魔族を危険視する者はたくさん存在しているし、ガーユスが殺した人間は数え切れないほどいるのは事実。
「トーヤ君、すっかり有名人ですね」
「こういう目立ち方は好きではないんですが……」
「胸を張ってください。キミは正しいことをしたんです」
「……はい」
先生の気持ちは素直に嬉しいが、不満はある。今まで自分を蔑んできた人間達が、手のひらを返すように僕を正義の味方のように応援してくる。正直、どう思っていいのかわからない。
ふと、ガーユスが去り際に放った言葉を頭の中で反芻する。
『人間に肩入れしていれば、必ず後悔する日が来る』
彼の言葉は、負け惜しみじゃない。今まで味わってきた人間への軽蔑と絶望は、簡単に払拭できるものではない。
ガーユスの所業は決して許すべきではないが、彼も僕と似た境遇だったかもしれない。それにしたって、自分と同じ一族を自分の手で皆殺しにする行為は理解できないけども。
「…………」
「トーヤ君、大丈夫ですか?」
ティスタ先生が心配そうに顔を覗き込んでくる。
色々と考え込んでしまったけれど、僕の気持ちはしっかり固まっている。先生のために一流の魔術師になる目標は、今後もぶれることはない。僕には、恩人であり、憧れの女性がそばにいてくれる。ガーユスとは違うのだから。
「大丈夫です。考え事をしていただけなので」
夕食を終えた後、リリさんに言われた通りに自宅に戻って英気を養うことにした。
……………
冬也が帰宅した後、事務所に残ったティスタとリリはガーユスへの対策について話し合いをしていた。ティスタのやることは決まっている。冬也の提案した作戦を軸に動くことは決定事項。
「そう……彼、封印魔術を使うのね」
冬也が解読したエルフの遺産には、あらゆる者を封じる魔術が記載されていた。ガーユスほど魔力の強い魔術師に単独で封印するのは困難なので、冬也の信用する者に限定して念密な打ち合わせをしている。
情報の漏洩を考慮して、ガーユスと最前線で戦う者と便利屋の面々以外はほとんど何も知らない。警察などの組織には、有事の際に市民への早急な避難誘導をしてほしいとだけ伝えてある。
「もちろん、失敗した場合の策も用意してあります」
「わかった。私の方から口出しすることはないし、協力も惜しまない。ただし、ちょっと気掛かりなことがある」
リリは少しだけ言うのを躊躇ったが、意を決してティスタにアドバイスをした。
「ガーユスを警戒するのはもちろんだけど、トーヤさんのこともしっかり見ていてあげなさい。あの子、ちょっと危ういところがあるわよ」
「御師様。お言葉を返すようですが、彼は聡明な子です」
「頭が良いから心配なのよ。ああいう真面目で優しい子は、言葉や経験を素直に受け止める度量がある。もしもの時は、あなたが彼を繋ぎとめなさい」
「彼に限って、そんなこと――」
「もしかしたらの話をしているだけよ。杞憂だろうけれど、念のためね。彼、疲れや不満を表に出さないタイプに感じたから」
共闘をして、冬也が優秀な魔術師だと理解したからこそ感じるリリの不安。
魔術師に限らず、世の中に絶望した者が道を間違えてしまうことは多い。冬也がガーユスと同じ道を辿らないように気を張っておけという助言である。
(短い間に立て続けに色々起きたから、トーヤ君の心身にかなり負担が掛かっているかもしれないですね……)
自分の愛弟子を労るのも、師匠としての役割のひとつ。
何ができるかと考えたティスタが考え付いたのは――。