46.急転
「あぁ~……効きますねぇ……」
激務で溜まった疲労を取るために魔力を利用したマッサージをティスタ先生に施す。魔導書に記されていた魔術的健康法は、僕のように治癒の魔術を使う者と相性が良い。
「こういったタイプの魔術は得手不得手がわかりやすいのですが、キミは本当に上手いですね……」
「恐縮です」
ティスタ先生を少しでも癒せるように丁寧なマッサージを続ける。相手が憧れの女性とはいえ、決して邪な心を持ってはいけない。日頃から頑張っていらっしゃる先生を労るためのマッサージなのだから。
「魔力というのは、血液のように身体を循環しているもの。魔力を使ったマッサージをしてもらうと、魔術の調子が良くなるんです。あぁ~……」
「最近、働き詰めでしたからね。少しはお役に立てたようで嬉しいです」
「おかげですっかり本調子! 仮眠室に入ってきて「マッサージします」と言われた時は、何をする気なんだと驚きましたけれどね」
からかうように笑うティスタ先生。
僕の方は、あらゆる欲を捨て去った明鏡止水の境地へと至っていた。先生からの冗談にも素っ気無く返答してしまう。
「ソウデスネ」
「……トーヤ君、さっきから様子がおかしいですよ。なんですか、そのチベットスナギツネみたいな表情は」
「明鏡止水なので」
「何を言っているのかよくわかりませんが、ありがとうございました。おかげで魔力の流れが改善しました」
マッサージを終えると、先生は肩をクルクルと回して身体の調子を確かめる。
「肉体的な疲れも取れましたし、これで「もしもの時」も万全の状態で臨めます」
「…………」
「魔術師殺しのガーユスが本格的に動き出した時は、私か千歳さん、あるいはふたりで対応することになります」
ティスタ先生は魔術師殺し・ガーユスと戦った経験が2度ある。最初の戦いでは敗走を余儀なくされたが、2度目は千歳さんとの共闘で追い詰めたと聞いている。
「万が一、私と千歳さんが殺された場合のことを話しておこうと思いまして」
「……やめてください。縁起でもない」
「全力は尽くしますが、どのようなことにも絶対はありません。私の身に何かあった場合、日本にいる魔術師は他国に避難させます。その際、自分のご家族と兄弟子の金井さんと一緒に国外へ逃げてください」
先生からいくつかの書類を渡される。この書類があれば、国定魔術師の権限で国外へ飛ぶ飛行機に最優先で乗ることができる。
「日本の官僚は、ガーユスという魔術師を過小評価しています。最悪の場合、あの男は単独で国家転覆をさせることも可能だというのに」
「……日本が滅ぶということですか?」
話のスケールが大きくて目眩がする。たったひとりの魔術師が、国ひとつを滅ぼせるものなのだろうか。
「本当の話ですよ。国定魔術師クラスなら、じっくりと準備をする時間さえあれば単独で日本の人間を皆殺しにできます」
「…………」
絶句する僕に向けて、ティスタ先生は淡々と説明を続けた。
「例えば、日本には100を超える活火山があります。ガーユスの使う炎と熱の魔術は、大掛かりな仕掛けを施せば火山を一斉に噴火させることも可能です」
「日本列島全体に魔力を張り巡らせるということですか? どれほどの魔力があればそんな真似をできるんですか」
「ダイナマイトの起爆のように導火線に火を放ち、活火山に仕込んだ魔力雷管を作動させて……ドカーンとね。魔術工学を組み合わせれば可能です。時間は掛かりますし、極端な例ですけど」
もし日本の活火山がすべて噴火すれば、日本列島は火砕流と火山灰、有毒なガスの影響で人々が住める場所ではなくなる。
「そんな相手、どうすればいいんですか」
「……捕らえるか、最悪の場合は殺すしかないです」
幸い、そうした大規模な魔術を使おうと準備をする時には予兆を察知できる。今のところは危険はないとのこと。
「油断はできませんが、今すぐ日本国民が火山噴火で吹っ飛ぶなんて最悪の事態は無いでしょう。ガーユスに勝てる魔術師や呪術師が日本に健在ならばの話ですが」
ガーユスは用意周到で警戒心が強く、敵と見なした相手には手段を選ばないという。魔術師としてのプライドが高いそうで、自分よりも格が下だと判断した敵対者への攻撃は躊躇が無いらしい。
ティスタ先生の口振りからして、本当に厄介な相手なのだということが伝わってくる。
最後に先生は「ガーユスを人間だとは思わないで」と強く念を押した。
「色々と説明しましたが、私が一番言いたいのは「もし私や千歳さんが殺されても敵討ちなんて考えずに逃げろ」です。命あっての物種ですよ」
「……もしもの時は、僕にもできることはないですか」
「そうやってカッコいいことを言われてしまうと、頼りたくなっちゃいますねー」
「真面目に言っているんですよ」
ティスタ先生の前に立って、強い口調で自分の気持ちを伝える。僕の真剣な様子を見て、先生は少し顔を赤くしながら頷く。
「……わかった。本当に困った時は、キミに頼らせてもらうね」
先生は小さく呟いた後、僕の胸元に額を当てたまま動かなくなってしまった。それに応えるように、僕は優しく肩を抱いた。
複雑な感情が入り乱れる中、廊下から足音が聞こえてきたか思うと、仮眠室の扉が勢いよく開く。
「ティスタ!」
ノックもせずに扉を開けたのは千歳さん。
僕達の様子を見ていつものように茶化したりしない。緊急事態のようだ。
「邪魔をしてすまない。ティスタ、すぐに出る。準備をして」
「じゃあ、僕も――」
僕が魔術師の外套を羽織って準備をすると、千歳さんは少し考えた後に「今回キミは待機」と言って制止された。
「悪いけれど、トーヤ君には留守番を頼んでいいかな」
「……はい、わかりました」
何が起きたのか聞き出そうとしたが、千歳さんは話をする余裕も無い。先生達は準備を手早く済ませて、あっという間に事務所から出発した。
何かが起きようとしている。あるいは、これから何かが起きるのかもしれない。言い知れない不安の中、兄弟子と一緒に便利屋の店番をすることになった。