40.巡る魔導書と封印魔術
魔導書解読を開始してから1ヵ月。
内容を解読した後、レポートを書いてリリさんに提出した。
ティスタ先生とリリさん以外には魔導書の詳細を伝えていない。記載されていた魔術が有用であると同時に、扱い方を間違えれば大変危険な魔術だったからだ。
リリさんからの返事は翌日すぐに届いて、魔導書の内容についてふたりで話をしたいと言われた。
待ち合わせ場所として指定されたのは、都内にある喫茶店。見習い魔術師時代のティスタ先生を連れてよく来ていたお店なんだとか。
「レポートはすべて読ませてもらったわ。半年は掛かると思っていたけれど、ずいぶんと早かったわね」
「父と母が遺してくれた魔界文字の翻訳があったので、それを元にして魔導書の解読をしたのですが……ズルになってしまいますかね……?」
「へぇ、気になるわね。どういうことなのかしら?」
魔導書の解読が早く進んだのは、両親が結婚前に文通していた時の翻訳記録を参考にしたからだと説明する。早期解読の理由を聞いて、リリさんは大変感心した様子だった。
「解読のきっかけがラブレターとは驚きね。自分の書いた手紙が息子の未来で役に立つなんて、ロマンがあっていいじゃない。何もズルじゃないから気にしなくていいわよ」
リリさんからの許しを得ることができたところで本題に入る。
「レポートにも纏めた通りですが、魔導書の内容は「位の高いエルフ達が後世へ遺した言葉」と「古代魔術」……現代では使われていない魔術の使用方法が記されていました」
「古代魔術の存在を示唆する魔導書はいくつもあったけれど、行使方法そのものが記されている魔導書は人間の世界に数えるほどしか存在しない。キミの昇級試験に利用した魔導書が、まさか大当たりだったとはね」
エルフの魔導書の内容は、あらゆる魔術研究者が追い求めている魔術のひとつらしい。
特定の種族以外には絶対に読み解けない仕組みが施された魔導書に記されていたのは「封印魔術」という特殊な魔術だった。
「封印魔術を使用するために必要なのは「魔界言語による詠唱」と「印相」。そして、受けたものがどうなるのかという詳細が書かれていました」
魔術行使に必要なのは、魔界言語での詠唱。内容は人間も使っている「祝詞」のようなものだ。人間の言葉で翻訳すると「魔の力を授けてくれた神様、鎮めたまえ、祓いたまえ、封じたまえ」といったニュアンスである。
次に印相。手で形を作って、魔族が祀る神様に向けてお願いをする。調べてみると、人間の世界の「智拳印」という印相に近い。
これらを組み合わせたうえで莫大な魔力を消費することで行使できる。
そして、封印魔術を受けた者の末路は――
「封印魔術で封じられた者は、輪廻転生から外れて二度と生まれ変わりができない……という内容でした。本当のことかわかりませんが、恐ろしい魔術のようです」
「封印魔術は、肉体と魂を生の循環から外して封じる。古のエルフ達が「余程のことがない限りは使わないで」と魔導書に書くのも当然のことね」
リリさんは長い金髪の毛先をいじくりまわしながら、何か考え込んでいる。
「もしかして、これって解読しない方がよかったでしょうか……?」
「いいえ、そんなことはない。あなたの祖先も将来必要になる知識だと判断したから魔導書を作ったのだから。並の魔力量では扱えないものだし、完全な解読ができたところで使用できる者は少ないでしょう」
「そうですか……」
「気になるのは、危険な封印魔術の使い方を人間の世界に遺した理由。古のエルフ達は、封印魔術が人間の世界で必要になる状況が来ると考えていたということね」
「著者の後書きを読むと、きっとそうだったのだと思います」
解読したエルフの魔導書は、魔界が滅ぶ直前に書かれたものだった。後書きには滅びゆく魔界への思いと後世への憂いが記されていた。
『魔術を私利私欲のために利用する人間は必ず現れる。この封印魔術は、人間世界を守るために使ってほしい。人間世界が魔界の二の舞にならないことを切に願う』
その昔、滅びゆく魔界から多くの魔族達が人間の世界へと移住した。
人間は、魔界から移住してきた魔族に魔術を学んで、素養のある人間は積極的に魔術を使うようになった。
魔導書に記されていた「封印魔術」は、魔術を悪用する者の中でも「人間の手に負えないほど強くなってしまった者」を封じ込めるための魔術だと考えられる。
事実、魔導書には人間世界の未来を憂いた内容が主だった。今は亡き魔界のエルフ達は、人間の世界を守る策のひとつとして封印の魔術を用意したのだと考えるのが自然だ。
長い時の中で魔導書は解読されないまま様々な場所を巡り巡って、エルフの血を持つ僕の元へと辿り着く。魔導書を手にした僕は、両親のおかげで完璧な解読をすることができた。
まるで――
「キミの手にエルフの魔導書が渡ったのは、運命だったのかもね」
リリさんは笑いながらそう言った。魔導書そのものに魔力由来の意志があり、内容を読み解いたうえで正しく使える者を選んでいたのではないか、と。
「トーヤさん、あなたの母親はエルフだったのよね。あなたと同じく、翡翠の瞳をしていたかしら」
「はい、そうです」
「エルフの中にも序列というものがあってね。特に魔界の特別な聖域を守るエルフは「ハイエルフ」あるいは「ホーリーエルフ」なんて呼ばれていて、美しい翡翠の瞳と膨大な魔力を持っていた。トーヤさんのポテンシャルを考えると、キミもハイエルフの血筋なのかもしれない」
「そうなんでしょうか。母からは何も聞いていなかったので……」
生前、母は自分の身の上を何も語らなかった。息子の僕ですら母の魔界での身分がどのようなものだったか聞かされていないし、今はもう確認する手段は無い。
何か思い当たることがないかと考えていると、リリさんは「あくまでも自分の想像・推測だけれど」という前置きをして、話を聞かせてくれた。
「キミの苗字の「柊」は、もしかして母方の姓なのではないかしら?」
「はい、そうです。母が人間の世界へ移住してきて、気に入った文字を苗字にしたと聞いています」
「柊の英名は「Holly」、ホーリーエルフの「Holy(神聖な)」とは違うけれど、ちょっとした願掛けのつもりでそんな苗字にしたのかも……なんて思ったのよ。実際、魔界からこちらの世界へ移住してきた多くの魔族には名前や苗字で願掛けをする風習があったからね」
柊は「魔除け・邪気を除ける」植物とされており、海外の花言葉では「家族の幸せ」なんていうのもあるとリリさんは教えてくれた。
「そんな意味が……」
「誰にも読み解くことのできなかったエルフの魔導書が、様々な魔術師や魔術研究者を巡り巡って、最後にキミの元へと辿り着いたのは偶然ではない。人間と共に過ごす半魔族であるキミだから読み解けたのだと私は感じている」
「僕に資格があったから、ということでしょうか」
「魔界の聖域守護者の血が流れているのなら、解読が容易にできる環境ができたことも納得できる。意思のある魔力は、因果すら操ると言われているから」
母が高位のエルフだということは知らなかったけれど、生前の母の穏やかな気質と優しい笑顔、気品ある立ち振る舞いの理由がわかった気がした。
結婚した後、人間世界の汚れた環境に適応できずに亡くなってしまった母だったけれど、最期はとても穏やかなものだった。
父も母の後を追うように亡くなってしまったが、僕には両親がくれた「名」と様々な意味が込められた「姓」がある。
「魔術、呪術などのあらゆる異能の分野において「名」は特別な意味を持つ。キミには、魔界の聖域を守る高位のエルフの言霊が込められているから、今でもご両親に守られているのでしょう。魔導書にトーヤさんが巡り合ったのも、もしかしたら苗字が一因なのではないかしら」
今は言葉も交わすことができないほど遠くに行ってしまった両親に感謝をしながら、リリさんの言葉に静かに頷いた。




