38.迫る脅威
短期留学を終えて、1週間ぶりに便利屋事務所へと向かう。
劇的に成長したというわけではないけれど、友人ができたり、新しい分野を学べたり、有意義な日々を送ることができた。
無事に帰ってきた報告をしようと便利屋の扉を開けると、足元に人影が見えた。黒いスーツ姿の男性がティスタ先生に向けて土下座をしている。
「……兄弟子?」
土下座をしていたのは、兄弟子の金井さん。ティスタ先生は立ったまま兄弟子を見下ろしていた。以前にも似たような光景を見た気がする。
「どうか、もう一度チャンスをくださいっ……!!」
兄弟子は、ティスタ先生に向けて何か懇願をしているみたいだ。状況が飲み込めずにいると、先生は僕に説明をしてくれた。
「……私の元でまた魔術を学びたいそうなのですが、一度出奔した者の言葉を信じてよいものかと悩んでいましてね」
先生からしてみれば、逃げ出した弟子の面倒を見る義理は無いが、必死な様子を見ていると無下にもできない。ティスタ先生はやっぱり優しい。
「一応、見習い魔術師に戻りたい理由を聞いておきましょうか」
兄弟子は、土下座をしたまま魔術師復帰の理由を語りはじめる。
「頑張っているトーヤさんやティスタさんの姿を見ていたら、オレもまた1からやり直せないかなって……そう思って……」
「んん……」
兄弟子の言葉を聞いて、ティスタ先生の心は揺れ動いている。もう一押しだと感じたので、僕の方からもお願いをしてみた。
「先生、僕からもお願いします。兄弟子は千歳さんとの実戦訓練の時、身体を張って僕を守ってくれました」
僕の最後の一押しが聞いたのか、ティスタ先生は渋々了承してくれた。
「……わかりました。ただし、しばらくは事務所の雑用ですよ。今の弟子への示しがつきませんから」
「はい、ありがとうございます!」
無事に兄弟子の金井さんは魔術師として復帰して、便利屋 宝生は4人体制での業務となった。仕事が楽になるだけではなく、魔術の修練をする時間も増える。僕にとってはありがたい増員だ。
……………
それから、本日の業務を終えた後に金井さんの歓迎会をすることになった。所長の千歳さんが出前を取ってくれた寿司を食べて歓迎会を楽しんだ後、今後のことについて話し合う。
例の「魔術師殺し」の件について、情報を共有しておかなくてはいけない。
「……やけにあっさり尻尾を出したな。今まで何をしていたんだ? このタイミングで姿を見せた理由がわからない」
かつて魔術師殺しと戦った経験のある千歳さんは、苦虫を嚙み潰したような顔をしている。呪術師にとっても大変厄介な相手のようだ。
「思い当たることはあります。トーヤ君を襲った半グレ集団が「魔符」を持っていたことが不可解でした。あれは魔力を持たない人間には作り出せないし、本来なら表に出る代物ではありません。ガーユスと関連があるのではないかと」
ティスタ先生と千歳さんが言うには、特殊な魔符は裏社会では高く売れるのだとか。資金繰りをするため、日本で半グレに高価な魔符を売り捌いていたのではないかというのが見解らしい。
魔術師殺しのガーユスといえば魔術師界隈では有名な危険人物らしく、魔術師をしばらく辞めていた兄弟子ですら存在を知っている。
「見習い魔術師に復帰してすぐに一番ヤベー奴の話が出るなんて……あぁ……」
兄弟子は苦笑いしながら顔を真っ青にしている。直接会ったことがない魔術師でも恐れる存在。常軌を逸している化け物のような扱いだ。
「ガーユスが得意とするのは、熱と炎の魔術を操る魔術。魔力の量、使える魔術の種類も豊富であることが脅威ですが、最も厄介なのは「殺しに対して躊躇がないこと」と「近代兵器も利用すること」です」
単純な魔術火力の高さに加えて、あらゆる現代兵器を使いこなす器用さも併せ持っている。銃器や刃物の扱いを得意としているという。
「私が最初にガーユスと戦った時は、拳銃で不意打ちを受けて取り逃してしまいました。魔術と近代兵器を組み合わせた戦術・戦略が得意で、魔術師を殺すことに長けています」
他にもプラスチック爆弾や対人地雷といった近代兵器へ魔力を込めて、殺傷能力を高めたものを使用することもあったという。
魔力を込めた兵器を世界各国の様々な組織へ売り捌いている武器商人としての側面もあるそうで、国際指名手配犯になるのが納得の経歴だった。
「そんな危険人物が日本に……」
「日本にはスパイを取り締まる法律が無いので、この国の重要な情報は彼によって他の国へ駄々洩れになるでしょうね。魔術師界隈だけではなく、様々なところで混乱が起きるでしょう」
僕が想像している以上の危機が日本に近付いている。ガーユスという男の本性や犯罪歴を聞いて、僕の背中を嫌な汗が伝う。
「いざという時は、トーヤ君を含めた全ての見習い魔術師とその近親者には、安全な場所に避難してもらいます。そういった事態にならないように日本の警察には頑張ってもらいたいところですね」
「先生は、魔術師殺しと戦うんですか?」
「いざという時は動きます。相手が相手ですから、万が一、私と千歳さん以外がガーユスに遭遇してしまった際は「何も考えずに即逃走すること」を頭に入れておいてください。一見すると普通の男性ですが、話の通じる相手ではありません」
「……わかりました」
「自分のやっていることが正しいと思い込んでいる狂人ほど始末に負えない者はいません。ガーユスという男は、自分の思想に共感しない魔術師と魔力を持たない人間を生き物として扱いませんので」
ティスタ先生の話を聞いて、相手にしてはいけないということは理解した。今の僕では太刀打ちできない。
「大丈夫、キミのことは私が守りますから」
ティスタ先生は優しく笑って、僕の頭を撫でてくれた。先生に無理をして欲しくはないし、見習い魔術師である僕には手伝えることは無い。
それは、僕が「見習い魔術師のままだったら」の話だ。
師匠の師匠、リリさんから託された魔導書の解読と記載されている魔術の解析ができれば、僕は正式な魔術師として認めてもらうことになっている。見習い魔術師から正式な魔術師に昇格して実力を高めれば、少しでも先生の力になれるはず。
魔導書に何が記されているのかはわからない。僕の遠い祖先は、どうして同じ種族にしか読み解けない仕組みを作ったのか。わからないことばかりだが、まず手始めに魔界文字の翻訳。やることは山積みだ。
魔界で生きたエルフ達は、何のために、誰のために人間の世界に魔導書を遺したのだろうか――。




