35.師匠の師匠
魔術学院での短期留学、最終日。
1週間の留学、有意義で楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
「皆さん、今日までありがとうございました」
最後の日、学院にいる30人の生徒達と先生方が送別会を開いてくれた。来たばかりの頃はクラスメイト達との距離を感じていたけれど、今ではもう友人同士。
別れを惜しみながら、みんなで将来のことを話し合った。
僕が「人間と魔族の融和を目指した活動をしたい」という目標を話すと、みんなは心から応援してくれた。
ティスタ先生もすっかり生徒達に親しまれている。噂話で聞いたような怖い人ではないと周囲に理解してもらえたようで一安心。僕達は、1週間という短い期間で魔術学院にすっかり馴染んだ。
送別会も落ち着いた頃、ティスタ先生が僕に話し掛けてきた。
「トーヤ君、少しお時間よろしいでしょうか。キミに会ってほしい方がいらっしゃるんです」
魔術学院の創設に携わった魔術師である学院長が僕達と話をしたいと本校から足を運んでくれたという。送別会が一段落した後、学院長が待っている応接室へと向かった。
応接室へ向かう途中、ティスタ先生の表情は少し強張っていることに気付く。珍しく緊張をしている様子だ。
「先生、大丈夫ですか?」
「キミの前では隠せませんね。ちょっと緊張しています。魔術学院の学院長は、私の師匠だった方なんです……」
僕にとっては師匠の師匠、いわゆる大師匠である。向こうからすれば僕の立場は孫弟子。くれぐれも失礼の無いようにしなくてはいけない。
学院長の待つ応接室の前に立つと、扉越しでも膨大な量の魔力が漏れ出ている。
ティスタ先生と同様、底知れない大海を目の前にしている感覚――僕の体に流れる魔族の血は、扉の向こう側にいる存在が強大な魔術師であると察知している。
意を決して、ティスタ先生は扉を開けた。
「……御師様、お久しぶりです」
窓際にいる白い外套を羽織った小柄な魔術師に向けて、ティスタ先生は丁寧に挨拶をした。続いて、僕も大師匠に向けて自己紹介をする。
外套のフードを深く被っているので表情は伺えないが、ティスタ先生に似た雰囲気を感じる。
「はじめまして、ティスタ先生の下で魔術を学ばせていただいております、見習い魔術師の柊 冬也と申します」
白い外套を羽織った魔術師はゆっくりと僕達の方へ振り向いて、外套のフードを脱いで顔を見せてくれた。師匠の師匠と聞いていたので年上だと思っていたが、大師匠の見た目はとても幼かった。
長い金髪に碧眼、幼い顔立ちをした少女が僕達に向けて優しく笑い掛けてくる。
「ご丁寧にありがとう。私からすると、あなたは孫弟子ね」
少女としか思えない容姿や声からは想像もできない底知れない魔力量。さすがはティスタ先生の師匠。普通の魔術師ではないようだ。
……………
応接室のソファーに向かい合って座りながら、大師匠は僕に向けて自己紹介をしてくれた。
「三咲 リリ、国定魔術師よ。よろしく、孫弟子さん」
ティスタ先生と同じく、国が定めた一流の魔術師。
見た目こそ幼い少女だが、漲る魔力は僕とは比較にならないほど多い。ティスタ先生と同じく、普通の魔術師とは天と地ほどの違いがある。緊張する僕に向けて、大師匠は優しく話し掛けてくれた。
「そう固くならないで、楽にしてちょうだい。孫弟子のキミに渡したいものがあるのと、そこの弟子に用があってね。気軽に名前で呼んでちょうだい」
「ありがとうございます、リリさん」
初めて話す僕に対してはとても優しいリリさんだったが、ティスタ先生には複雑な表情を浮かべている。
「うぅ……」
いつもは大人然としているティスタ先生が、まるで借りてきた猫のように背中を丸めて僕の肩に寄り添ってくる。可愛らしくてほっこりするけれど、先生はそれどころではない様子。
「まったく……いつまで経っても顔を見せないから心配したわよ、この馬鹿弟子。お酒を飲み過ぎて体を壊したりしていないでしょうね? 自分の弟子や上司に迷惑を掛けていない? 朝昼晩ちゃんと食事をしている? 寝る前に忘れず歯を磨いているの?」
ティスタ先生の師匠というよりは、まるで母親のように思える発言の数々。ティスタ先生は、弱々しく「はい……」と返事を繰り返すだけ。
そんなやり取りが微笑ましくて、思わず笑みが零れてしまう。
「ごめんなさいね。久しぶりだったから、つい口うるさくなってしまって。孫弟子……いいえ、トーヤさんと呼んでもいいかしら」
「はい、リリさん」
師匠の師匠、しかも魔術学院の学院長と国定魔術師を兼任しているというリリさんは、日本を中心に活動をしながら、世界中の魔族・半魔族の保護やトラブル解決をして回っているという。
仕事の最中、ティスタ先生が魔術学院の日本分校へいると聞いて、飛んで戻ってきたらしい。飛んで戻るというのは比喩ではなく、飛行の魔術で音速で飛んできたのだとか。
「……トーヤさんは、ハーフエルフだったわね。あなたのバイト先の所長に教えてもらったの」
「はい、母がエルフでした。千歳さんともお知り合いなんですね」
「宝生 千歳は良いビジネスパートナーよ。一緒に世界を回って、魔術絡みのトラブルを解決して回ったり、魔具や魔本の収集や破棄をしているわ。その仕事の中で興味深いものを見付けたので、キミに譲りたいと思っていたの」
「僕にですか?」
「おそらく、エルフの血が流れている者にしか読み解けないものよ」
リリさんが指をパチンと鳴らすと、ポンっという音と共に目の前のテーブルに白煙があがった。
出てきたのは、辞書のように分厚い本。かなり年季が入っていて、ページ部分は茶色く変色している。
「いわゆる魔本、あるいは魔導書と呼ばれている魔術関連の書物は、特定の者にしか解読できない魔術的な細工があることが多い。キミには、この魔導書の解読を依頼したい」
「リリさんが読み解けなかったものが、僕に解けるでしょうか……?」
国定魔術師でも解読できなかったものを、見習い魔術師の僕がどうにかできるとは思えない。そんな不安を打ち明けると、リリさんは「大丈夫」と断言した。
「まだ魔界が健在だった頃、高名なエルフが作り出した魔導書よ。同じ種族にしか読み解けない仕掛けをしてある。あなたは私の一番弟子が選んだ一番弟子だもの。できないはずがない。そうでしょう、ティスタ」
リリさんの言葉を聞いて、ティスタ先生は視線を逸らしながらも深く頷いた。
「魔導書の解析が完璧にできたら、国定魔術師である私の権限でトーヤさんを見習い魔術師から正式な魔術師として認定する予定よ。これは「昇格試験」ということになるわね」
心の準備もできていない状態で突然の試験。ティスタ先生も驚いている様子を見ると、何も聞かされていなかったみたいだ。
手にした分厚い魔導書は、僕が越えなくてはいけない大きなハードルだった。