20.揺れる気持ちと将来の道
最近、先生の様子がおかしい。
僕と話す時に視線を逸らすことが多くなった。なんだかぎこちないし、顔も少し赤い時があって、体調が悪いのではないかと心配になる。
「先生、本当に大丈夫ですか? またお酒を飲み過ぎましたか?」
「いいえ、大丈夫です。私のことは気にせずに修練の続きをしましょう」
機嫌は良いようにも見えるので、何か良いことでもあったに違いない。
最近はお酒を飲み過ぎて昏倒する姿を僕に見せることも無くなったし、事務所の掃除も自分でするようになった。弟子としては一安心だ。
「さて、今日はこのくらいにして休憩をしましょうか」
本日の魔術修練が終了して、いつものようにふたりで小休憩。根を詰め過ぎるのも良くないからと、ティスタ先生は良いタイミングで修練を終わらせる。魔力のコントロールには精神の安定が不可欠。心身を休めるのも修練のひとつである。
「……そういえば、いつものコーヒーを切らしていましたね。私が買ってくるので、トーヤ君はゆっくりと休んでいてください」
「先生がそう言うと思って、僕が事前に買い出しをしておきました。お気に入りはこれでしたよね」
弟子入りしてから時間も経つと、先生の嗜好も理解できるようになった。いつも飲んでいるインスタントコーヒーと好きそうなお菓子を準備済み。休憩も大切な時間だと教えられた以上、万全の状態でリラックスをしなくては。
「覚えていてくれたんですね、ありがとうございます……」
「お世話になっている師匠のことですからね。もちろんです」
先生は頬を赤く染めながらモジモジとしている。やっぱりちょっと様子がおかしい。
「コーヒーを淹れてきますね」
先生の様子を疑問に感じながらも、僕はいつものように休憩の準備をする。魔術を教えてくれている時は真面目だけれど、ふとした瞬間に恥ずかし気な表情で僕を見ている時があって、思わず心臓が高鳴る。
「先生、お待たせしました」
いつも通りにコーヒーの入ったマグカップを渡そうとした時、偶然指が触れてしまった。
「ひゃっ……」
先生が小さな悲鳴をあげるのと同時、マグカップを取り落としてしまった。
先生は、床へ落ちそうになったマグカップと中身のコーヒーを魔力で宙に浮かび上がる。零れかけていたコーヒーがマグカップの中に収まって、テーブルの上に静かに置かれた。
「あ、危なかったですね……」
ティスタ先生の魔術のスピードでなければ、危うくマグカップが粉々になって、熱々のコーヒーで大惨事になっていた。相変わらずの早業である。
「すみません、先生。大丈夫ですか。……あぁ、やっぱり手を火傷をしてますね。僕に治させてください」
「いや、これくらいなら自分で――」
「僕の不始末ですから」
僕はティスタ先生の手を取って、手の甲の患部に触れながら治癒の魔術を行使する。少し赤くなっていた火傷跡はきれいさっぱり無くなった。火傷に関しては治癒をするのが速ければ速いほど跡が残りにくい。
「よかった、大丈夫そうです」
「……~~~っ……」
「先生……もしかして怒ってますか……?」
「いえいえ、全然……そうじゃなくって……」
「先生、やっぱり最近調子が悪いのでは? お身体は大丈夫ですか? やっぱりお酒の飲み過ぎでは?」
「……そうですね。ちょっと調子が悪いので……仮眠室で休んできます……」
顔を真っ赤にしたまま、ティスタ先生は仮眠室へと引きこもってしまった。心配だが、安静にしてもらう他無い。
あとで何か差し入れでもしようと考えていると――
「めっちゃイチャつくじゃん……」
僕達の様子をデスクから眺めていた千歳さんがニヤニヤしながら茶化してくる。
「すみません、そういうつもりでは……!」
「いやいや、構わないよ。今日の仕事はもうほとんど終わっているしね。私もちょっと休憩してくるよ。よかったら、一緒に外の空気を吸いに行かない?」
千歳さんに誘われて、一緒に屋上で一休みすることにした。
……………
12月の寒空の下、隣でタバコを吸う千歳さんは僕に面白い話を教えてくれることが多い。主に魔術ではなく、歴史や豆知識、かつての仕事の話が多い。
「トーヤ君、「ガルドラボーグ」って知ってる?」
「いいえ、知らないです」
「魔術も呪術も扱える魔女が作った呪術書なんだけど、これがまた面白いのさ。色んな呪いが記されているんだが、中には「放屁を催させる」なんてものがあるんだ。昔、ティスタと一緒に気に入らない野郎にそれを使ったら、放屁どころか大惨事になっちゃってさぁ……」
「えぇぇぇ……」
千歳さんとティスタ先生は、こういうイタズラをすることが結構ある。悪戯の発端は大抵の場合は千歳さんらしいけれど。
「今のティスタは、やんちゃしていた頃に戻ったみたいに楽しそうだよ。本当にありがとうね」
「いえいえ、僕なんて何も……」
「謙遜するな。キミはよくやってくれている。将来は魔術師として引く手数多になるだろうね」
口から紫煙を吐き出しながら笑顔を浮かべる千歳さんは、なんだか安心しているようにも見える。
「ところで、トーヤ君は将来的に魔術師になるのかい? それとも、他の道に進むのかな」
「……魔術師を目指すつもりでいます」
「なるほど……キミはもう高校2年生だったね。早い段階で目標ができているのは良いことだ。ただ、覚えておいてほしい。魔術師は茨の道だよ」
魔術師や魔族に対する世間からの印象は、未だに変わっていない。理解できない異能を排除したと考えている者は多い。千歳さんの言う通り、僕は茨の道に進もうとしている。
それでもティスタ先生の隣で魔術師になりたいという気持ちは変わらない。
「今からしっかりと考えておくといい。魔術師といっても色んなジャンルがあるから」
千歳さんが言っているのは、魔術師になった後の話。
ティスタ先生のようにフリーで動ける魔術師として働くか、魔術を教える先生になるか、魔術の研究者になるという道もある。
選べる道はひとつではない。ただひとつ「ティスタ先生の役に立つ」という点だけは決してぶれることのない目標だ。
未来を思い浮かべながら冬の青空を見上げた僕は、大好きな先生の碧い瞳を連想していた。