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夜の山で(1)

 それから一葉とエルーはジンハを後にし、近くの山に向かうことになった。幸いなかことに、一葉は目的地の地理に詳しかった。なぜなら、幼い頃の遊び場になっていたからだ。今は夜更けになってしまったが、ほかの人間が行くよりは遙かに効率的だろう。


 ジンハを出て数十分程で目的の山に到着した。ここで一葉は同行者に再確認する。


「……お姫さん、もっぺん確認しとくが、夜の山はきついねんぞ。ほんまに大丈夫か?」


 エルーは大きく首肯してみせた。


「お気遣いありがとうございます。ですが、大丈夫です。楓さんのお母様に貸していただいたお衣装もありますし」


 そう言われ、一葉はエルーの姿をまじまじと見つめてしまう。彼女は最初来ていた豪奢なドレスではなく、楓の母親の幸に借りた衣装に身を包んでいる。それはいわゆる簡素な作業着だった。エルーの流麗な容姿には不釣り合いだと一葉は思ったが、当の本人はあまり気にしていないようだ。


「どうかされましたか?」

「え?」

「いえ、イチさん、先程からわたしを見ていらっしゃるようですから。何かおかしいでしょうか?」


 大真面目にエルーに問われ、一葉は思わず狼狽してしまう。


「い、いや、おかしいなんてことは一つもあらへん。ただ、お姫さんがそないな作業着なんか身に付けてもええのか思てな」


 一葉が言うと、エルーはにっこりと笑んだ。


「ですが、このお衣装は動きやすくて、とっても山登りに向いていそうです」

「そ、そか……」


 ここで一葉はどこか気まずい思いになる。なぜなら、今まではあまり自覚していなかったが、一緒にいるのは一国の王女様なのだ。


 そして、昼間、森の中で楓がエルーの容姿を絶賛していた。そのときはさほど気にしていなかった一葉だが、いざ二人きりになってしまうと美しい彼女を妙に意識してしまうはめになった。


 今はこんなことを考えている場合ではないというのに――。一葉は気合いを入れ直すため、自身の頬を勢いよくはたいた。


「どうかされたのですか? イチさん」


 エルーに不思議そうに問われ、一葉は内心慌てる。


「あ、いや……」


 そこで一葉はあることに気づく。


「あのな、ずっと思うとったんやけど、その『イチさん』っちゅうのはやめてくれへんか」

「はい?」

「どうも、お姫さんにご丁寧に呼ばれるのは落ち着かへんねん。ただの『イチ』でかまへんよ」

「『イチ』……ですか?」

「ああ、ジンハの連中は皆、わしをそう呼ぶ」


 エルーは少しの間考える素振りを見せた後、ある提案をする。


「では、わたしのこともどうぞ名前でお呼びください」

「へ?」

「親しい皆は、わたしのことを『エルー』と呼んでくれます」


 笑顔のエルーを前にし、一葉は逡巡することになった。


「いや、さすがにそれはな……」

「ダメ、でしょうか?」


 少し寂しげにエルーに問われ、一葉は考えてしまう。ただの移民である自身相手ならまだしも、仮にも一国の王女様であるエルーを呼び捨てにするのは、さすがに憚られた。かといって、今までどおりの「お姫さん」呼びでは、この王女様は納得してくれないだろう。


「……お嬢」

「え?」

「これからは、お姫さんを『お嬢』って呼ばせてもらうわ」

「『お嬢』……とは、一体どういう意味ですか?」

「う……ん、まあ、おなごに対するあだ名みたいなもんや」


 厳密には少し違うのだが、これでも一葉は最大限譲歩したつもりだった。当のエルー本人は、というと、なぜか顔をパアッと輝かせている。


「わたし、あだ名で呼ばれるのは初めてです!」

「そうなんか?」


 ここで一葉ははた、と気づく。いつのまにか、ファーデルグ王国第三王女たるエルーと親しげに会話をしてしまっていることに。こうしている間にも、きっと楓は病で苦しんでいるのだろう。早く彼女に治療薬とやらを届けるのが今は最優先事項なのだ。そう決意し直し、一葉は真面目な顔をエルーに向けた。


「おしゃべりはここまでや。早う治療薬やらを楓に届けな」

「あ、はい!」


 一葉は気になっていたことをエルーに尋ねる。


「ところでお嬢、件の花っちゅうのは、どこら辺に咲いてるんや?」

「氷化の花は、暗く湿気の多い場所を好んで生息するのです。洞窟のような場所があれば、恐らくそこに」

「洞窟、か……」


 一葉は幼い頃の思い出を懸命にたぐり寄せる。洞窟は幼い子供が好んで遊びそうな場所だ。自分もその例外ではなかっただろう。少しの間思案した後、一葉はポンと手を打った。


「たしか、この山の中腹らへんにおっきな洞窟があったわ」

「その場所なら、氷化の花が生息している可能性が高いです。イチ、案内をお願いします」


 エルーの言葉に一葉は首肯すると、彼女を案内すべく前を歩く。


 既に日が暮れたこともあり、山の中は薄暗い。持参した洋灯がなければ、足元もおぼつかなかっただろう。


 目的地は山の中腹とはいっても、同じ距離を歩くのは地上のそれとは大きく異なる。自分はまだしも、王城育ちのお姫様は大丈夫だろうか? そんなことを心配し、十五分程歩いたところで一葉は背後を振り向いた。すると案の定、エルーの額には大粒の汗が浮かび、呼吸も苦しげだった。そんな彼女に一葉は気遣う声をかける。


「お嬢、大丈夫か? 少し休むか?」


 すると、エルーはハッとしたように気丈な顔を浮かべた。


「わたしなら大丈夫です。早く氷化の花を見つけなければ……」


 その姿を目にし、一葉は胸の内が大きく揺らぐのを感じる。自身は次代継承戦とやらに巻き込まれ追われている身だというのに、エルーは出会ったばかりの楓のため尽力してくれていた。


 王族というのは、高慢で鼻持ちならない連中ばかりだと思っていたが、眼前の第三王女の姿はやはり想像から大きくかけ離れている。


「……ん」 


 一葉は次の瞬間、思わずエルーに手を差し出していた。それを当の本人がキョトンと見つめる。


「あ、あの……?」

「手ぇ引いたるで。さすがにお嬢をおぶって移動することはでけへんけど、多少は楽になるやろ」

「……はい!」


 エルーは笑顔を浮かべると、一葉の手を取った。彼女の手は自身のものより小さく、華奢で頼りなげだった。そんなエルーの手を引き、一葉は再び山道を進んでいく。それからまた数十分経過したときだった。

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