表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/55

雌雄決戦前夜(1)

「どないしてん? みんなして」

「どないしたもこないなもあらへんよ、イチと姫様、とうとう雌雄決戦に出られるんやろ?」


 それは確かにそのとおりなのだが、雌雄決戦に関する話はジンハの皆にはまだしていなかった。何せ、今はエルーが病人を診ることが最優先だったからだ。なぜ雌雄決戦の情報を知っているのかと一葉が問う前に、楓があるものを差し出してきた。


「国中に号外が出てんで、雌雄決戦の出場者が決まったって!」


 楓が差し出してきたのは、イルーク新聞社が発行した号外だ。その内容は、下馬評を覆し、深窓の第三王女エルーシュカ殿下が第一王女ミリシア殿下と相まみえるというものだった。その記事を書いたのは、イルークで出会った新聞記者アンだ。そして、その内容はエルーに大きく肩入れするようなものだった。


「姫様の人気、もうすごいで。タダで病人を診てくれて、国民の心に寄り添ってくれる心優しき姫君かて!」


 自慢げに楓に言われ、エルーは恐縮したように頬を朱に染める。


「そ、そのようなことはとても……。わたし、イチに助けられてばかりなのに」

「姫様はもっと自分に自信持った方がええで。姫様がウチのために危険を冒して薬をつくってくれたこと、ここに来た記者さんにも言うといたし。ほら、ここに書いてあるやん?」


 楓が指し示した場所には、確かに彼女の言ったとおりの内容が記してあった。


「ほんまや。にしても、いつのまに新聞記者がここに……」


 呆れたように一葉が言う。


「もうっ、イチはほんま王家のこと知らへんなあ。王家には専属の諜報部員がおって、次代継承戦が始まってから姫様たち一人一人の動向は、逐一王国議会や新聞社に報告されてんねんで」


 大きく胸を張り、得意気に言う楓。そんな姿を見て一葉は思う。王家のことを知らないのは楓もほぼ同類だったろうに。何せ彼女は次代継承戦が何かを知らなかったのだ。今した話も、ジンハに来た新聞記者から仕入れた付け焼き刃の情報に違いない。


 だが、ここでようやく一葉が引っ掛かっていた点が解消される。王位継承祭規則では試合には立会人を要する旨が記してあったが、今までの二戦とも立会人はその場にいた、ただの国民だった。その結果をどうやって王政府に知らせているのか疑問だったが、国中に諜報部員とやらが潜んでいて逐次情報を得ているのなら、こうして号外が出るのも合点がいった。


 戦いに専念していたとはいえ、諜報部員の存在に気づかなかった一葉は、王政府の力に底知れぬものを感じ取ることになる。そんなときだ。


「さ、ほな、始めよか!」


 楓がエルーの手を取ると、彼女は不思議そうに小首を傾げた。


「始めるって、何をですか?」

「姫様たちの雌雄決戦の勝利祈願に、今夜パーッと派手に宴会でもしよかって、みんなで話しとったんやで!」


 楓の提案に、一葉とエルーは顔を見合わせる。楓はそんな二人の手を引き、この街の中央に用意された宴会場に連れていった。


「ジンハにある食料ありったけ集めて、みんなでご馳走つくってん!」


 楓の言葉どおり、大きな机には様々な料理が並べられている。それに、何本もの酒瓶も。


「ほらほら、イチと姫様は主賓席に座ってえな!」


 一葉とエルーは半ば強引に主賓席に座らされた。この宴会場には大勢のジンハの住民が集まっている。


「さあさあ、イチと姫様の必勝祈願や!」

「姫様、遠慮のう食べてくれや!」


 皆が一葉とエルーに飲食を勧めてきた。エルーは少し困惑した顔を一葉に向けてくる。そんな彼女に一葉は笑んでみせた。


「お嬢、ここは遠慮のう飲み食いしとき」

「で、ですが、こんなにご馳走をつくっていただいて、大丈夫なのですか?」

「あー……、まあ、食い扶持はまたわしが稼いでくるさかい、気にしなさんな」

「え?」


 エルーがキョトンと瞳を瞬かせる。補足するように楓が説明した。


「あのね、イチがお仕事で稼いできてくれたお金を、ジンハのみんなにカンパしてくれてんねん。そやさかい、ウチら何とか生活できてるんや」


 その言葉を聞き、エルーは一葉と初めて会ったときのことを思い出す。護衛を依頼したとき、彼がやけに金額にこだわっていたことを。


「そうだったのですね。イチはジンハの皆さんの生活を支えているというのに、わたし、あなたを安い金額で雇おうとしてしまって……」


 心底申し訳なさそうなエルー。そんな彼女を目にした楓が一葉をジト目で睨んだ。


「イチ、まさか、姫様を助けに行ったとき、お金とろうとしとったん?」

「あ、いや、それはつい、いつものクセで……」

「『つい』じゃなーい!」


 一葉に詰め寄ろうとする楓をエルーが制止する。


「いいのです。本来なら、命をかけて守ってくれるイチには手厚い報酬を支払うべきなのですから」


 その言葉を聞いた楓がエルーに向き直った。


「うーん、そらちょいあらへんかなあ。おとぎ話で、お姫様を守る騎士がお金もらうなんて、ウチ聞いたことあらへんもん」

「では、わたしは何をイチに返せばいいのでしょうか?」


 小首を傾げるエルー。彼女と楓は少しの間、思案することになる。それを妨げるようにジンハの男衆が主賓席に来て、「まあ、とりあえず一杯!」と一葉とエルーに酒を勧めてきた。拒否するのも何だったので、二人はひとまず勧めに応じる。


 それから深夜まで宴会が開かれることになった。参加している誰もが明るい表情で、ここのところの不況を忘れさせる程、活気づいていた。


 そんな中、主賓である一葉とエルーは住民たちから盛大にもてなされている。もう午前零時を回ろうとしたときだ。不意にエルーが席を立つ。それに気づいた楓が彼女に声をかけた。


「どないしたん? 姫様」

「……すみません、少し風に当たってきます」


 そう言うと、エルーは宴席を離れていく。そんな彼女の背中に侍従のマツリカが声をかけた。


「姫様、わたしもついてまいりましょうか?」


 すると、エルーは振り向き、小さく首を横に振る。


「大丈夫です。わたしのことは気にせず、マツリカも少しはお料理やお酒に手をつけてください」

「は、はい……」


 エルーがこの場から去った後、マツリカは少し気後れした様子になった。それに気づいた一葉が彼女の席まで歩み寄る。


「姐さん、お嬢の言うとおり、今日ぐらい羽目はずしたらどうや?」


 一葉は酒の入ったグラスをマツリカに差し出した。続いて、近くにいた女衆が「侍従さん、料理も食べてちょうだいな!」「こっちの煮付けなんて、うまくできてんで!」と、マツリカの前に料理の数々を置く。すると、マツリカは少し戸惑いながらも一葉からグラスを受け取った。


「……この街の皆さんは、外から来た人間にもえらく寛容なのだな」


 ポツリと呟いたマツリカの言葉を聞き、一葉が苦笑する。


「まあ、このジンハはいろんな国から来た連中が集まってできた街やさかいなあ。ここでは、人種ってもんに隔たりはあらへんな」

「人種、か……」


 マツリカがそう言った後、小さな声を漏らした。


「『混じり』であっても、このような場所で生まれたなら何かが違ったのだろうか」

「ん? なんか言うたか? 姐さん」


 一葉が怪訝そうに問うと、マツリカはハッとしたように首を横に振る。


「いや、何でもない。では、ありがたくお相伴にあずかるとしよう」


 そんな出来事を経て、さらに夜は更けていく。だが、主賓の一人であるエルーはまだ宴席の場に戻ってこなかった。楓がそわそわと心配し始める。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ