一夜明けて
「ふああ……」
翌朝、自宅で一葉は目を覚ます。すると、なぜか布団の中がやけに温かいことに気づいた。それは一体なぜかと布団をめくってみると、我が目を疑うことになった。なぜなら、同じ布団にエルーが横たわっていたからだ。当然、一葉はこの状況は一体何か? と狼狽するはめになる。
昨夜はたしか、自宅に布団が二組しかないので、そのうちの一組にエルーとマツリカで一緒に寝てもらうことにしたのだ。なのに、なぜエルーは自身の布団で共に寝ているのか? 一葉は大いに悩むことになった。
「…………!?」
不意に一葉は当惑する。なぜなら、エルーが身体にしがみついてきたからだ。
「ちょ、ちょい、お嬢……」
一葉は慌てる。妙齢の女性に密着され動じない程、自身は聖人君子などではない。それに、もしマツリカにこんな場面を目撃でもされたら、彼女の帯剣している得物で斬られかねない。そう思った一葉は、何とかエルーから離れるべく身をよじらせる。そんなときだ。
「……さ、ま……」
寝言なのか、エルーが声を上げる。一葉は反射的に彼女に目を向けた。すると、エルーの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。
「……お母、様……」
そして、エルーは再び哀しげな声を漏らした。ここで一葉は思い出す。たった一人、味方してくれた母をエルーが三年前に亡くしているということを。今は亡き母をエルーは夢にでも見ているのかもしれない。
それに、氷化の花を採りに行った山で熊に遭遇したとき、エルーはやけに小熊が母熊を亡くすことを気にかけていた。もしかしたら、己の境遇をあの親子の熊に重ねていたのかもしれない。そんなことを想像してしまうと、途端に一葉はエルーを引き剥がすことに及び腰になってしまう。
――少しぐらいなら、構わへん、よな……?
慰めるべく一葉がエルーを抱きしめ返そうとした、その瞬間だった。
「イチ、姫様、おっはよー!」
元気のよい声と共に、両手におにぎりを持った楓が家の中に入ってくる。
「姫様、昨日はよう眠れた? やっぱ王城の寝台と薄いお布団じゃ、ちゃう……」
そこまで言ったところで楓が硬直した。彼女は固い表情のまま、一葉に問いかける。
「……イチ? これは一体どないなことなん?」
「へ……?」
「『へ……?』ちゃう! なんで、イチと姫様が同じお布団で寝てるん?」
「い、いや、それは……」
焦る一葉を楓がジト目で睨んできた。
「……なんかしてへんよね?」
「『なんか』って、なんや?」
「姫様になんかやらしーことしてへんか、どうかやで! ウ、ウチかて、その、男と女が同じお布団で寝るって、どないな意味かくらい知ってるんやさかいね!」
一気にまくし立てた後、楓は顔を真っ赤にさせる。
「してへんしてへん! 楓、自分が思てるようなことは一切ないで!」
楓にとんでもない誤解をされていることに気づき、一葉はこれ以上ないほど慌てふためくことになった。
「ん……」
傍で騒がしくされ目が覚めたのか、エルーが目を擦りながら布団からゆっくりと起き上がる。
「あ、イチ、楓さん、おはようございます……」
困惑している一葉や楓とは対照的に、エルーは至って普通の様子だ。そんな彼女に楓が問いかける。
「あ、あの姫様、なんでイチと一緒に寝とったん?」
そう問われ、エルーは自身が今どういう状況に置かれているか、気づいたようだ。
「あ、わたし、またやってしまいました……」
「『また』?」
一葉が怪訝そうに言うと、エルーが恥ずかしそうにうなずく。
「わたし、すごく寝相が悪いんです。王城では、ベッドから転がり落ちて朝を迎えることもしばしばで……」
要はエルーは眠っているうちに、隣の一葉の布団に潜り込んでしまったということだろう。
「イチ、わたし、何か失礼なことをしたりしませんでしたか?」
エルーが気後れしたように尋ねてくる。一葉は思わず返答に詰まった。彼女が亡き母を想い、涙していただろうことを明かすことはどこか憚られたからだ。
「い、いや、そんなん、なんもなかったけど……」
いつも明朗、かつ思ったことをそのまま口にする一葉にしては珍しく、ぼかした返答をしてしまう。ここでようやく楓が得心したのか、安堵したように息を吐いた。
「なーんだ、ウチはてっきりイチが姫様に手え出したのか思たわ」
「……楓、ほな、わしが見境なしのタラシみたいやんか」
「『タラシ』……?」
聞き覚えのない単語なのか、エルーが不思議そうに小首を傾げる。それに一葉は慌てて両手を横に振ってみせた。
「い、いや、お嬢は別に知らへんでもええことや」
「は、はい……?」
エルーは納得いかなそうな表情だったが、一葉は追及から逃れるように楓に顔を向ける。
「楓、またおにぎりこさえてくれたんやろ?」
「あ、うん」
「ほな、みんなで朝飯にしよか」
それから少し遅れて起床したマツリカも交え、四人で朝食をとることになった。