忍び寄る追っ手(2)
「た、大変や!」
「なんや、どうかしたんか?」
住民の慌てぶりを見て、マツリカがハッとしたように自らの懐中時計に目をやった。
「姫様、もう午前九時を過ぎています。もしかしたら……」
ここにいる全員がある予感を抱く。
「もしかして、また騎士団の連中が来たんか?」
一葉が問いかけると、駆け込んできた住民は大きく首を横に振った。
「いや、来たのは二人連れや」
「二人連れ?」
ただの二人連れに、一体何を驚いているのか。それに答えるように駆け込んできた住民が続ける。
「その二人連れは、第四王女とその『比翼の鳥』って名乗っとる」
ここでエルーの顔がサッと青ざめた。
「第四王女……、メイアがここに?」
一葉は聞き覚えのある名を耳にし、あることを思い出す。たしか騎士団の連中が、主である「メイア」の命でエルーを連れに来たのだと語っていたことを。エルーが駆け込んできた住民に問いかける。
「あの、メイアは何か言っていましたか?」
「いや、それが、わしらみたいな下民に話すことはあらへん、王女様を連れてこいって言うばっかりで……」
困惑した住民を見て、エルーは珍しく厳しい表情を浮かべた。主の異変に気づいたのか、マツリカが気遣わしげに問う。
「……姫様?」
「ジンハの皆さんは、わたしなどを守ると言ってくださった、勇気ある尊い方々です。なのに、侮辱するなど……」
エルーは険しい表情のまま、今いる場所から一歩踏み出そうとする。その行動を目にしたマツリカが制止の声を上げた。
「お待ちください、姫様! メイア様は『比翼の鳥』を連れておいでです。万が一、御身に危険が及ぶようなことがありますれば……」
だが、エルーが大きい声で応じる。
「いくら『比翼の鳥』を持たない身なれど、容認できないものはできません。この街の方々を侮辱するのは、いくらメイアとて許しません!」
「姫様……」
一連の様子を見ていた一葉が、感心したようにひゅうっと口笛を鳴らした。
「ただのおとなしいお姫さんか思うとったけど、とんでもない。お嬢は、ほんまは勇ましいんやなあ」
そう言われ、エルーが我に返ったように白磁の頬を朱に染める。
「……お、おかしいでしょうか?」
「いいや、その真逆や。感心したわ」
ここで一葉は真顔になり、一拍置いた。
「せやけど、客観的に見て、妹姫とやらがええ話をしに来たっちゅうわけには、まったく見えへん。せやかてお嬢は行くんか?」
その問いに間髪入れず、エルーが首肯してみせる。
「今までわたしは、『比翼の鳥』を持たない引け目から、実の妹にさえ意見することができませんでした。ですが、今日初めて妹に抗議します」
毅然と言ってのけたエルーを目にし、一葉は一瞬驚いた様子を見せるが、すぐに口端を上げる。
「その心意気、上等や。なら、わしもついてくわ。その妹姫とやらを一目見てみたいさかいな」
「なぜ、貴殿がついてくるのだ? こう言うのは何だが、これはファーデルグ王家の問題だ。貴殿が関与すべきことでは……」
一葉の発言にマツリカが異議を唱えた。だが、彼は不意に鋭いまなざしになる。今まで見せたことのない視線に怯んだのか、マツリカは次の言葉を発することができないようだ。
「何、わしは自分の目で見極めたいだけや。次代継承戦やら、それに王家の本質をな」
そして、付け加える。
「次代継承戦やらのこまいしきたりも、お嬢についてけば手っ取り早うわかりそうやしな」
ここまで言うからには、一葉はただの好奇心でメイアを見たいわけではないのだろう。エルーはそう思い、あることが心配になった。
「イチ、マツリカも申しましたが、メイアは『比翼の鳥』を連れています。まったくの危険がないとは言えません。そんな場所に、あなたもついていくというのは……」
その言葉を一葉が途中で遮る。
「なら、なおさらや。そないな危険な場所におなご一人向かわせるなんて、男がすたるわ」
「ですが……」
エルーは思わず一葉の姿を頭からつま先まで見つめた。彼が身に付けているのは薄い生地のキモノのみ。その身に何か武器を隠し持っているようには見えない。そんなエルーの内心を察したかのように、一葉が笑みを浮かべた。
「何、心配せんといてや。わしには『とっとき』があるさかいな」
エルーがハッとする。
「先程、ジンハの皆さんもおっしゃってました。『とっとき』というのは、もしかして……」
エルーは思い出す。自身の危機を、一葉が二度も秘術で救ってくれたことを。
「お嬢は察しがええな。大方、ご想像のとおりや」
一葉が大仰に手を叩いてみせる。
「まあ、お嬢に見せたのは、『とっとき』のほんの一部やけどな」
「ほんの一部……?」
「まあ、そら実際に見てもろうた方が早いやろ。どうやら、お客さんは話をするだけで済みそうにあらへん相手らしいしな」
話をするだけでは済まない――確かにそのとおりだとエルーは思う。妹姫のメイアが「比翼の鳥」を連れているということは、すなわち強力無比な武器を持ち歩いているようなものなのだから。
「姫様、ぜひ私もお連れください! 微力ではありますが、私も戦う術は持っております」
ここで、ようやくマツリカが口を挟んでくる。危機がすぐ傍に近づいてきているにも関わらず、彼女もまた少しも尻込みする様子を見せない。そのことに気づき、一葉が苦笑した。
「まったく、勇ましいのは主も侍従もおんなじか。これは男として負けてはいられへんな」
そう言うと、エルーの隣に立つ。そして、彼女の肩を軽く叩いた。
「ほな、行こか」
一葉の言葉に、エルーはもう何も返すことができなかった。なぜなら、彼の声音は柔和でありながらも、どこか有無を言わせない不思議な力があったからだ。
エルーは決意する。もうこうなったら運命に身を委ねるしかない。それに自身でも言ったように、末の妹にはぜひとも抗議したいことがあった。エルーは隣の一葉を見上げると、深く首肯してみせる。
その様子を目にした後、一葉は楓の家に駆け込んできた住民に問いかけた。
「そいで、お客さんたちは今どこにおるんや?」
「あ、ああ、この街の入り口におる」
それから一葉はエルーたちを連れ、楓の家を出てから第四王女たちの元へ向かう。幸い、楓の家は街の入り口に近かったので、目的地へは程なく到着する。すると、駆け込んできた住民の言うとおり、街の門の下に二人の人物が待っていた。