嵐の夜④
いくらか弱まった雨と風に、夜中の部屋はだいぶ静かになった。眠るにはよい環境になりつつあるも、隣にいる相手のせいで安眠にはほど遠そうである。
ベッドの奥には窓があり、一人用の割にそこまで狭苦しさは感じなかった。お互いが限界まで端に寄っているせいもあるだろう。間違っても身体が接触することのないように、という二人の遠慮からだった。そんなに気にするならやっぱり一人が床を選択すればよかったのに、こうなればもう大人しく朝を待つしかない。
(眠れねぇ……)
レオンはベッドの奥側、つまり窓のある方の壁に貼りついていた。触れ合う箇所はないのだが、背中にはアスランの気配がしっかりある。
まんじりともせず数十分、そのままでいた気がする。
(変な一日だったな)
眠れずとも、朝がくればいつも通りに仕事に行かねばならない。寝不足で業務に当たるのはやや辛いが、若さゆえの体力でカバーできるだろう。濡れた隊服が乾けばいいが、無理なら着替えに一度戻らなければならない。
やけに冴えてしまった脳内で明日のことなどをつらつら考えていた。隣からの寝息はいまだ聞こえてこないところを見ると、アスランもまた眠っていないのだろうか。
「なあ……まだ起きてるか?」
案の定、しばらく後に背中の向こうからアスランの声が聞こえた。
空寝するのも気が引けるもので「ああ」とだけ答えておく。
「レオン、今日はありがとう」
アスランはレオンの方を振り向かなかったし、声もごく小さいものだった。しかし随分はっきりと、そんな礼の言葉を口にした。
*
「実は昔、暴漢に襲われたことがある」
ベッドに横になり、お互いに背中合わせのまま、アスランが語りだした。雷ごときにあそこまで取り乱してしまう、それが理由らしい。
「嵐の日だった。両親が死んですぐで、部屋に押し入られた」
それはアスランが子供時代に味わった、忘れることない恐怖の思い出。
その日、刃物を持った男が、アスランと弟が暮らす小さな家の窓を無理矢理割った。突然入り込んできた雨水と突風で部屋の中までが嵐になる。全ての音をかき消して、どしゃぶりの雨音だけがアスランの耳の中に鳴り響いた。稲光を背にした暴漢のシルエットは、今でも恐怖の象徴となってアスランの脳裏に焼きついている。
強盗の類だったのだろう。何も嵐の日に……と思わないでもないけれど、天候が悪ければ人はみな街を出歩かず、子供の叫び声も雨と風に紛れてしまう。周到に考えられた犯行だった。
「子供だけの家になっていたから、狙いやすかったんだろうって。親もいない家に、盗る物なんて何もないのにな」
生まれてこの方貴族の社会でしか生きてきたことのないレオンには、庶民の暮らしの不遇さは掴み難い部分がある。しかし騎士隊としての仕事の中で、治安のいい方だと言われるここ中央にも毎日盗みや暴力が起きること、親のいない子供がいくらだって隠れ住んでいることを知っていた。僅かばかりの金目の物を奪うためにより弱い者を狙う、そういう犯罪を知らないはずがなかった。
「犯人、捕まったのか?」
「ああ。そのとき助けてくれたのが、ウォロー隊長だったんだ」
ウォローがまだ騎士隊に入りたての頃である。ちょうどレオンとアスランのように、彼も若手の下級隊員だった。
嵐の夜のパトロールもいつもと同様真面目に努めていた彼が、平民街の小さな家の異変に誰よりも早く気づいた。
『失礼。何かお困りではないですか? 窓が……』
おそらく最初は嵐による被害とでも思ったのだろう。窓の割れている家を見つけたウォローは心配そうに、けれど窓の中へとしっかり届くように声を張り上げた。
そうして家の中を覗き見た瞬間、穏やかな彼の表情は正義感に溢れた騎士となる。
『お前、一体何をしている』
ひと目で状況を理解したのであろう、ウォローは次の瞬間には雨合羽を脱ぎ、それを手に巻きつけて割れた窓を飛び越えた。
暴漢は慌ててアスランを引き寄せ、首に腕を回すようにして人質にした。パニックになった弟がウワァッと泣き出すのも同時であった。
アスランはどうしていいのかわからなかった。自分には何もできないとも思えた。肌に突きつけられた刃物は恐ろしかったし、硬直して身体は全く動かない。
ウォローを見つめた。今この場に何とかしくれる人物は彼しかいなかった。でも彼はアスランが捕まっている以上動けない。それもアスランはちゃんと理解していた。
ウォローは構えを解かぬまま、暴漢を睨みつけていた目線をアスランに移した。言葉は何もない。
そうしてアスランとウォローの目が合った瞬間に、アスランは何をすべきかがわかった。この突然現れた騎士を信頼することだ。ウォローの黒く強い瞳に背中を押された気がした。
アスランはほんの少し顎を上に向けて勢いをつけると、直後思いっきり下を向き、自らの首に回された太い腕にがぶりと噛みついた。
驚いた暴漢がアスランへと注意を向けたその時には、ウォローが男の懐へと入り込んだ。室内用の短刀を構え、暴漢の動きを制圧する。
ただの暴漢と、稀代の天才騎士との勝負は呆気なくついた。
嵐の中の、忘れられない一日。絶望と、英雄とを同時に見た日になった。
「隊長が来てくれてよかったな」
レオンは心から言った。現在のアスランが在ることは、ウォローのおかげだ。ウォローがその場に来なかったら、最悪の場合命がなかったかもしれないのだ。
「しっかし噛みつくとはね……さすが凶暴女だな」
呆れたように口にしてしまうのはいつものレオンのスタンスで、アスランのこととなると文句を言わねば気がすまない。
外は雨が続いていた。しかし風はもうない。雨音は優しいくらいの弱さになって、きっと朝には上がるだろう。
「……怖かったな」
襲われた過去も、今日の嵐も。
可哀想に毎度子供の頃の恐怖を思い出すのだろう。真闇の部屋の中、雷に取り乱したアスランの横に、今日いてやれてよかった。
背中の向こうで、アスランが頷く。怖かったんだ、と繰り返したアスランは、恥ずかしそうに小さく苦笑した。
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