嵐の夜①
仕事が終わると隊員は宿直の当番を残してほとんどが帰宅する。当番の者たちは詰所に残る者たちと、街の見回りに出る者たちとに分かれて業務に勤しんだ。
そんな人少なになった訓練場の片隅で、レオンとアスランは居残り練習を続けていた。隊長であるウォローから合格をもらえるまでは、とりあえず日が暮れるまでの居残りが日課だ。
今日のように雨が降る日だとすでに外は暗くなっていたが、時間的にはまだ早いだろうと室内訓練場で練習に励む。依然よりかはだいぶマシにはなったアスランの動きだが、レオンに比べれば雲泥の差というやつで、本日もまたレオンの怒声が飛んでいる。
「だーからなんでそこで間違えんだよ! 順番を覚えろっての順番を!」
「わ、悪い……」
レオンのサポートもあり、動きの多さにアスランがパニックを起こすことはなくなった。
なくなったけれども、やはり『決まった動きを順番通りに』『相手の動きと合うよう正確に』というようなものが苦手だ。そもそもペアの剣舞となると二人の息を合わせることが必須だが、完璧なレオンの動きにアスランが合わせることは不可能に近い。
いつしか雨脚も強まり、次第に口数を減らしていく二人の間には雨音だけが響いている。
「……今日はここまででいいだろ」
何とか止まらずに最後まで動けたところで、レオンが言った。顎からポタリと垂れる汗を手の甲で拭っている。
アスランもこくりと頷いた。窓の外はもう真っ暗で、見回りの隊員たちもパトロールへ出た頃合いだろう。
ボタボタボタッと大きな雨粒が隊舎の屋根を叩いている。ゴオォと唸るような風の音がしていた。
「嵐になってきたな」
レオンは窓の方へと目をやった。打ちつけてくる雨は横殴りで、少し前より勢いを増している気がした。
「風もあるなら傘より走ったほうが早いか」
独り言のように呟いたのはアスランだ。
この風の中では傘は意味を為さないかもしれない。貴婦人であれば悪天候にオロオロとしそうなものだが、アスランはさすが騎士隊員だけあってか、なかなかに肝がすわっていた。その後は何もないのだし、全身ぐちょ濡れになっても走って帰ればいいだろう、という思考だ。
そんなアスランの呟きを横目で見ながら、はぁ、とレオンは息を吐いた。本当にどこまでも女らしくねーヤツ、なんて少し呆れる。
「おい、さっさと荷物用意してこい」
「へ? なんで」
別に急ぐ必要はないわけである。むしろアスランのように走って帰る人間にとっては、小雨になるのを待ってゆっくりしてもいいくらいだ。
「あのなあ、この雨の中走って帰る馬鹿がいるか! 野生児かよ!」
「で、でも、家近いし……どうせ濡れるし……」
「でもじゃねぇ!」
「いやでも荷物って……なんで……?」
アスランの頭にはぽこぽこと疑問符が浮かんでいる。レオンに荷物をまとめるよう指示される意味がわからない。二人はここで解散で、それぞれが思い思いに帰っていくだけのはずだ。
「送ってやる」
仏頂面に違いなかった。
「さすがにこの雨ん中、女一人帰せねぇだろ」
決して本意ではないのだという苦い顔をしていたが、馬車呼んでくる、とレオンは続けた。
「…………」
「なんだよ」
「レオンは……そんなヤツじゃない」
あまりに怪しい申し出にアスランはジト目を向けてしまった。普段のレオンを考えると、アスランに優しくなんて絶対にしないような奴なのに。
「失礼だなてめぇはよぉ! 騎士道精神てヤツだよ困ってるヤツは助けてやるんだよ!」
ほうほう、とアスランは感心したように頷いた。この場合真偽のほどはどっちでもよくて、とりあえず送ってもらえるならありがたいことこの上ない。
*
雨の日となると馬車を呼んでも出し渋られることも多いが、そこは有力貴族ウィスタリア家の名前だろう。
後ろのキャビンに二人向かい合って腰掛け、ザーザー降りの雨の中を車輪のゴトゴトいう音を聞きながら帰途についた。
途中、雨はさらに強くなりだした。さらにはピカッとキャビンの窓の外が光る。
「うわ、雷まできやがったか」
近くなきゃいいが、と言って外に視線を向けたレオンに対し、アスランの喉はひゅっと小さく鳴る。
数秒経って、かなり控えめに雷鳴が聞こえた。落ちた場所はまだ遠そうだ。
が、アスランはゴクリと唾を飲み込んだ。
顔が青白くなりつつある。
「お前の家、そろそろだよな?」
レオンは尋ねたが、アスランの返事はない。
「おい。そろそろだろ? ドアの前で停めるから……」
レオンは前方を振り向き、御者に声をかけようとした。
が、その時、
「…………レオン」
とアスランが思い詰めたような声を出した。
「寄っていかないか?」
「へ?」
予想外の提案に思わず素っ頓狂な声が出る。
「寄る? お前んちに? 俺が!?」
いくら帰りを送っているからと言っても、レオンに下心などは一切ない。神に誓ってもいい。
すでに暗くなっているこの時間、女性宅にお呼ばれしたことに力いっぱい動揺してしまった。
「か、雷鳴ってるし、危ないだろ?」
「いやだから俺もさっさと帰ろうと……」
雷雨の中をウロウロするのは危険だと承知だからこそ直帰するつもりなのだ。今後さらに天候が悪化しないとも言えないわけで、であれば一刻も早くお互い家に帰り着くほうがいいだろう。
「お、送ってもらった礼もしたい!」
「礼なんていらねぇよ。どうせ通り道だし」
もとより感謝されることを期待したわけではなかった。本気でこの嵐の中を走って帰らせるのは忍びないと思っただけだ。
「あの、でも、えっと……」
それでもアスランはレオンを解放する気がないらしい。
「その……舞の動きで聞きたいことが……」
キャビンの外ではまたピカッと稲妻が光る。瞬間、ビクつくかのごとくアスランは身体に緊張を走らせた。やけに必死の表情をしていた。
どうにも解せないとレオンは怪訝な顔を向けたが、アスランの希望は変わらないらしい。
「はぁ……ったくわかったよ。なんかわかんねぇけど寄ればいいんだな?」
すぐにアスランの家の前へと来てしまったので、レオンは前にいる御者に馬車を停めるよう声を張り上げた。
理由は定かではないが問答しているわけにもいかず、とりあえず二人とも馬車を降りる。嵐の中で待たせるのも可哀想なので、馬車はそのまま帰らせた。レオンは自身の帰り道をやや心配したが、雨が弱まってくれることを祈るしかない。
「タ、タオル持ってくるから! ちょっと待ってろ」
部屋に入ってランプを灯すと、アスランはバタバタと脱衣所にかけていった。ドア前まで馬車を寄せてもらったが、それでも入るまでにそれなりに濡れている。
シンプルな部屋だった。
調度類も多くはなく、当たり前だがレオンの屋敷の部屋ほど広くもない。
部屋の中央には木製のテーブルと椅子。端にベッドがあって、窓の横には本棚だ。玄関から入って少しのところには小さなキッチンがあり、その奥に脱衣所とバスルームがあるようだった。
(これがアスランの住んでるとこか……)
小さいし、粗末だし、まあ金もないんだろうしこんなもんか、などと思いながらもついそこかしこに視線を走らせてしまった。
受け取ったタオルで髪と身体を簡単に拭い、アスランに促されるままレオンは中央のテーブルスペースで席につく。お次は温かい飲み物を、と甲斐甲斐しく世話を焼こうとするアスランにまたもや怪訝な目を向けた。
レオン自身、貴族学校時代からかなりモテてきた自覚がある。それは貴族としての地位であったり、見た目及び優秀なステータスによるものだろう。
女生徒の中にはレオンにまとわりつき、世話を焼きたがるような連中もよくいはした。しかしレオンは全てが自らできる、というかむしろ自分の方がよくできるタイプゆえ、そういう女は鬱陶しいだけであったが。
アスランはそいつ等とは絶対的に違った。だからこの甲斐甲斐しさは、何かワケがあってのことなのだ。
「茶はいいから。聞きたいことってなんだよ」
「そ、それは……」
言い淀む様を見て、もちろん最初からわかっていたことだが、聞きたいことなんて別になかったなと確信した。
アスランは窓枠から見える空に稲光の筋が走る度に都度息を止めている。
気不味い沈黙の中、身を縮こまらせたアスランがレオンの目の前に座っている。
気づけば若干面白くなってきて、レオンはニヤリと笑った。
「お前、カミナリ苦手だな?」
アスランをからかうネタが一つ増えたわけだ。
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