居残り特訓
*
一週間で見れるものにしろ、と命じたウォローの前で、進捗報告の時間があった。練習場にて全ペアがとりあえず剣舞を披露してみせる。
もちろんどのペアも完成には程遠いわけだが、中でもレオンとアスランのペアは酷かった。
レオン、アスラン、とウォローの低い声が呼ぶ。
「……お前達は今後居残り練習だ」
ハイ、と返事をするよりない。動きが完璧だったレオンは、溜め息混じりの返事だった。
「レオン、教えろと言っただろう。アスラン、基本からなってない」
情けなさと申し訳なさでアスランはがっくり落ち込んだ。帰宅してからも教本を読み込んだりはしたのだが、一週間では三分の一ほどしか頭に入っていない。
「来週だ。来週もう一度見せてもらう」
解散、と告げられて、隊員たちはみなその日の業務へと捌けていった。
「アスラン、お前にかかってるんだからな」
レオンは不機嫌そうな顔で零し、フンと顔を背けて行ってしまった。
*
居残り練習を命じられ、アスランは一人詰所で教本を広げていた。今日の進捗報告で見た隊員たちと、そしてレオンとの動きを思い出し、気づいたところは全て書き込んでおく。
と、そこに、仏頂面のレオンがやってきた。
「何やってんだよ。訓練場に行かねぇのか」
「レオン、お前も来たのか?」
「俺も居残りだって言われただろ」
「あ、そうか……私だけかと思ってた」
「ったく、面倒くせぇ」
ドカッと対面に腰掛けて、レオンはアスランの手元を流し見た。
実際に身体を動かして練習しているかと思えば、詰所で書き物をしているなんて。
アスランという人間が勉学の方に長けてはいないことを知っているので、レオンからは時間を無駄にしているようにしか見えない。
「教本に落書きしてんじゃねーよ。そんなんだからちっとも上手くならねぇんじゃねーの。教材くらい大事に……」
言いかけて、一体何をそんなに書いているのかとさらにアスランの手元を覗き込んだ。
「……ってかそれ」
目に入ったのは棒状の何かだ。そのあまりに下手な絵ゆえ、落書きのように見えたのだが。
「これ、人か?」
棒状の何かはどうやら棒人間だった。
所々に『レオンの手が前に出てから』『三つ数える』『レオンの足が左にずれた後』などと文字の書き込みがある。
その不可解な書き込みに、レオンの眉間には僅かな皺が寄った。
「タ、タイミングが……、わからないから」
レオンがその書き込みに目を走らせていると、ついにアスランがボソリと呟いた。
「突いたり振ったりの振りはだいたいわかったけど、どのタイミングでやればいいのかわからない」
アスランは言うが、それはおかしな言い訳だった。
タイミングは全て書いてあるのだ。
その動作を何秒キープするか、何拍で体勢を解くのか。いちいちペアである自分の動きを気にせずとも、教本に書いてある記号通りに動けば自ずとペアで動きが揃うように作られている。
「書いてあるだろ。一回で覚えられなくてもそこにある記号の通りにやれば……」
記号、とは踊りを踊る際の拍のとり方やタイミングを指示する舞踊記号のことである。
武舞が広く浸透しているユーフォリア王国では小さい頃に文字と同じくマスターしておく記号だ。
「その……私は舞踊記号が読めない」
え、とレオンは思わずアスランの顔を見つめてしまった。
知らなかった。訓練生のときにも武舞の授業は多少あったし、型を身につけるとして騎士隊に入ってからも剣舞は何度もやってきた。それなのに、アスランが舞踊記号を読めないという事実をレオンは今初めて知った。
「初等科の勉強だぞ」
「……小さい頃は、学校に通ってなかった」
「平民学校もか?」
「その、両親が、いなかったから……弟の世話があったし」
あ……とレオンはそこで口をつぐんだ。
「文字は読めるけど、舞踊記号は……本は高いしな。そのせいで足引っ張っちゃいけないってわかってるけど、悪い」
私のせいで、とアスランがいいかけるから、レオンは首を振って制した。
アスランにケチをつけるのはいい気分だった。だから散々剣舞に関しても文句を言ってきた。
けれどこれはどうにもいけない。それであってはフェアじゃない。
これもまた何とか自分一人努力で越える気だったのかと思うと、妙にイライラした。
同時にたまらない思いがしてくる。
「……だったらそう言えばいいだろ」
レオンはアスランを睨みつけた。
若干腹立たしいのは、頼られなかったことに対する憤りだろうか。
「貸せ」
レオンは手を出し、アスランの持つ羽根ペンと教本を無理矢理に奪い取った。
「ちょっと待ってろ」
超速で教本の舞踊記号を全て文字へと起こしていく。
一拍休み、三拍キープ、右のみ、左のみ……タイミングというならこれで全てがわかるはずだ。
アスランが描いていた下手な棒人間の横に、美しいレオンの文字が整然と並んでいく。
「レオン、悪い」
「ああ。ほんっとーにな。面倒なことこの上ねぇ」
そんな憎まれ口を叩きながらもペンは動かした。
レオンに何度も踊れと言い、拍の全ては目で見て覚える気でいたわけだ。その動きを必死に思い返しながら、絵を描いていたわけだ。
レオンは無言でひたすら文字を書いた。アスランもまた黙ってレオンの書く文字を眺めている。
見つめられているようで落ち着かないが、一体何を話せばいいのかレオンにはわからない。
だからなのか、つい口を開いてしまった。気になっていることが思わずポロッと零れ出る。
「……隊長とかに教えてくれって頼まねーのかよ」
え? とアスランは驚いた風だ。
「教えてくれって、ウォロー隊長にか?」
「結構仲良いだろ」
マルクに聞いた噂話を引っ張っていた。それでもまるで何でもないことのように平静を装う。実際は真相が気になっているけれど、別に聞きたいわけじゃない体でいるためにレオンは顔を上げなかった。
「別に仲がいいわけじゃない。隊長は恩人ってだけだ」
「恩人?」
「ああ。というより誰かに迷惑かけるようなことはできるだけしたくない。自分で、やれるだけのことはやってみたい」
ふーん、と生返事でも返しておく。
アスランは馬鹿正直だし、嘘をつくような奴ではないから、恋人云々についてはどうやら違うのかもしれない。ほっと凪いだ胸の内の意味はまだわからないけれど。
と、そこで、ン? とレオンは考えた。
「……その割に、俺には散々踊れだの説明しろだの、こないだから結構迷惑かけてるよな?」
誰かに迷惑をかけたくない、なんて殊勝なことを言っているが、レオンは先日からかなりアスランの練習に付き合っている。連日クタクタになるまで踊らされているのだ。
「なんて言うか……レオンはいいかなって」
「は?」
「うるさいし。そのくらいしてもらってもいいかなって」
うるさい、というのは何たる失礼な評価だろう。レオンは噛みついた。
「お前……てかうるさいのはそっちだろうが!」
「いや、レオンがうるさい。私は全然うるさくない」
「はぁぁ!?」
口喧嘩をしながらも、文字を書く速度は緩めない。
正直なところ、憎々しく思っている女相手に何かしてやるというのは初めてで、不思議な気分の高揚だった。端的に言えば、それなりに楽しいとか思っている。
誰かの役に立つというのが案外気分いいのかもしれない――レオンはそんな風に理解して、アスランの教本を彼女に読めるよう仕上げてやった。
そうしてその夜。
ほんの気まぐれに過ぎなかったが、レオンはメイドに自分の屋敷をひっくり返す勢いで初等科の教科書を探させた。いまだ保管してあるのかどうかも定かではなかったので、見つかったときにはつい笑みが漏れてしまう。
*
「やる」
翌日、素っ気ない素振りで舞踊記号の教科書をアスランに押しつけた。
アスランは最初こそ驚いていたが、あまりにも珍しいレオンの善意を心から喜んだようだった。
「いいのか!? 助かる!」
その笑顔はあまりにも純粋で、いつもは悪態をつくことしか考えていないレオンも、その時ばかりは
「しっかり勉強するんだな」
と言うに留まった。
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