彼との関係
*
練習は翌日から早速始まった。
教本をもらい、ウォローが連れてきた剣舞の講師メイソンをお手本に動きを教わる。筋骨隆々のメイソンは、跳躍となれば風のようにふわりと跳び、突きの動作となれば猛々しく、力強さと美しさを兼ね備えた達人であった。
まずは剣を持たずに身体の動きだけ。メイソンの脇ではリズムをとる太鼓打ちがトントンと音を鳴らす。美しく見せるためには動きを合わせること。リズムに乗ること。メイソンは語った。
練習の最後にはアスランたちも剣がわりの棒を持ったが、こうすると難易度が跳ね上がる。重さが加わる分、手の振りが遅くなり、リズムがとれなくなるのだ。
「ここで左に剣を持ち換えて。腕と剣を直角に。三拍数えて右に持ち換え、突き。すぐに右足と右腕を大きく下げます。足の向きは右が東、左が北。つま先に力を入れる」
メイソンの声についていけたのはレオンくらいだ。アスランの頭はすでにパニックになっている。他の隊員たちは慌てふためきながらもなんとかメイソンの動きを追いかけていた。
さすがと言うよりないが、レオンだけはその初回の一回で動きの全てをマスターしてしまったらしい。
「ほう……君は見所がありますね」
達人メイソンをしてそう褒め言葉をかけられていた。
「何も難しくねぇだろ、こんなん」
とはレオンの言葉だ。
そう言ってしまえるところに元来の出来の良さが垣間見える。レオンの飲み込みの早さは天才的だった。大抵のことなら人並み以上にこなしてしまえる。
そして壱番隊の多くの隊員たちも、多少時間はかかろうとも次第にできるようになるだろう。レオンほどとはいかないが、みな高い能力を有しているからこその壱番隊だ。
メイソンはその後も三日ほど続けて練習を見てくれた。それぞれのペアがある程度合わせて舞えるようになっていく中、大苦戦しているのはレオンとアスランのペアだけだ。
というよりむしろ、アスランのみと言うべきか。
「ったく、なんで俺の相手がお前なんだよ!」
「悪かったな」
「なんだってこんなド下手女とペアにされなきゃいけねぇんだ」
メイソンが帰ってからの練習では、お手本がいなくなったことでアスランの上達はさらに亀の歩みとなった。教本を読んでなんとか身体を動かしてみるが、ギクシャクとしてどうにもぎこちない。舞踊とはとてもじゃないが言えない出来だ。
「なあレオン、さっきのとこもう一回やってくれ。あの足を振り上げるとこ。ゆっくりな。あとこの教本の三つ目のとこと、その次のページも……」
「ったく、ほんっと不器用女だな!」
その日は日が暮れるまでレオンはアスランに質問責めにされていた。
成果があったかどうかは定かではないが、レオンはアスランに公然と文句をぶつけられるため、それほど嫌とは見えなかった。
*
業務を終え、レオンはヒューイ、マルクペアと軽く夕食を食べに来ていた。平民も多くいる騒がしい店だが、店主はレオン達と見るなりすぐに奥の比較的静かな場所に案内してくれた。騎士隊は街の店々を巡回も行うため、店主と顔見知りになることもよくあるのだ。
「で、どうなのアスランとは? うまくいってる?」
面白そうに問いかけるのはヒューイだ。
「いってるわけねぇだろ」
「楽しそうに練習してるみたいだったけど?」
「楽しいわけねぇだろ! あいつ、メイソンが帰ったからって俺に散々見本をやれっつってもう何回踊ったかわからねぇっての」
もちろんレオンは不機嫌そうに文句を言った。実際面倒は面倒なのだ。ただアスランに色々と指摘できることはそれなりに愉快だが。
「ちゃんと教えてやんなきゃウォロー隊長にシバかれるよ〜。隊長、アスランにだけは甘いから」
マルクはニヤニヤと付け加えた。
「確かに。やっぱ妙齢のオジサンって女の子には甘くなっちゃうもんなんかね〜」
アスランのことを女の子、なんて言うヒューイにレオンは不可解な顔を向けたが、まあそこにはツッコまずとりあえず料理を口にした。
鴨肉のローストに、野菜のポタージュ。甘辛いミートボールは小ぶりで食べやすく、ここの自家製パンもいい味なのだ。
「やっぱりさ、あの噂って本当なのかもね」
仕事帰りでもあり普通に腹は減っていて、レオンがパクパクと食事を進めている最中、マルクがやや声を落として話しかけてきた。
「噂?」
レオンが聞き返すと、マルクがさらに小声にして言う。
「アスランは隊長の恋人って噂!」
「は?」
何を馬鹿なことをとレオンは呆れた。ヒューイは「ああ、あの噂ね」と知っている風で、変わらず料理を口に運んでいる。
「ぜってぇ嘘だろ。なんで隊長がアスランみてぇな凶暴女を相手にするかよ。だいたい何歳違うと思ってんだ」
レオンもそのあまりに突拍子もない噂にはナイナイと手を振った。ヒューイに倣って食事を続ける。冷めてしまってはもったいない。
しかしマルクはそのおかしな噂を信じているのか、なおも言い募った。
「でもでもあり得ない歳の差じゃないだろ? 騎士隊にアスラン連れてきたのは隊長だし」
「やけに乱暴な女だからだろ。あんなんでも隊に入れば街の役に立つからな」
「業務終わってから二人で帰ってることとかも多いし」
「家が近いからだろ。アスランが住んでんの、確か隊長の屋敷の目と鼻の先だぞ」
くだらないとレオンは即座に反論した。そのくらいで恋人だなんて噂を流す奴等の気がしれない。
しかしここで、マルクがこれで決まりだと言わんばかりにテーブルに身を乗り出して言った。
「極めつけはさ、隊長が休みの日、アスランが隊長の屋敷に入っていったのを見たって隊員がいるんだよ!」
「そんなん……」
三度反論をしかけて、しかしついにレオンはうまく言葉を発せなかった。
休みの日に家に押しかけるとは、一体どういうことだろう。休日を一緒に過ごそうとか、そういうことなのだろうか。
「いやでも、とりあえずアスランじゃ無理だろ。隊長なら相手の女も貴族のはず……」
休日の件についてはどうにも理由が思いつかなかったが、レオンはとにかくアスランではウォローの相手になりえないことを語ってみせた。
『身分の差』というものがある。ウォローはクライセン家という、これもまた貴族の名門だ。権力的な立場で言えばレオンのウィスタリア家の方が上になるが、クライセン家は誰もみな優秀で人柄もよく、人望を集めている名家である。
ユーフォリア王国はそこまで身分に厳しくはなく、貴族と平民というカップルも少数だが存在する。ただしそれは下級貴族における話で、クライセン家ともなれば(しかもウォロー自身が騎士隊壱番隊の長を務めるほどの実力者とくれば)その妻となる女性にもそれ相応の地位が望まれることは想像に難くない。
「うん。そこなんだよ」
マルクは頷いた。レオンの言うことがもっともだと同意して、だからね、と話を続けた。
「だからウォロー隊長は結婚してないんじゃないかって」
レオンの食事はストップしていた。神妙な風情で話を続けるマルクの顔をジッと見つめる。一人自由に食事をしていたヒューイも、ここに来てマルクの話を聞く体勢に入ったようだった。
「家柄じゃ隊長とアスランとじゃ釣り合わないだろ? それで隊長がずっと独り身でいるんじゃないかって噂なんだよ」
「歳の差でいうと十歳ちょいくらい? まあ、あり得なくはないね」
合いの手を挟んだのはヒューイだ。ありえなくない、との見解に、なぜだかレオンが少し慌てる。
「そ、それにしても、それならもっと美女を選ぶだろ。あんな馬鹿力の女じゃなくて」
あんな物騒な女、とさらにレオンは言いかけたが、ヒューイの言葉が被さった。
「レオンさ、気づいてないなら教えてやるけど」
木の机に頬杖をついて、ヒューイはゆったりと口にした。
「アスランは綺麗だよ」
瞬間、レオンは固まった。そして直後、
「はぁ!?」
と信じられないと言わんばかりのデカい声が出た。
「いや、いつも隊服だし大抵泥だらけで訓練してるからわかんないのかもしれないけど、あれに化粧でもさせて着飾らせたらどう考えても美女でしょ」
「ヒューイお前、目ぇ見えてねぇんじゃねーの?」
レオンはヒューイを疑いの眼差しで眺めた。
「あんな男みてぇなおっかねぇ女が美女なわけねぇだろ。隊長があんなん選ぶんならむしろ同情するわ。よっぽど女に飢えてんですね〜って」
「そう? 俺は綺麗な女の子だなって思うけど。まあでも確かに俺より強いからな。さすがに恋愛対象にはならないかな〜」
「当たり前だろ。なるわけがねぇ」
なんとなくレオンはそう返し、食事を再開した。というより、胸の中がざわざわしていて落ち着かなかった。さっさと食事を済ませて帰途につきたい、そんな気分だった。
幸いマルクがまた別の噂話を持ち出してきて、それ以後アスランの名前は登場しなかった。
(綺麗とか、恋愛対象とか、そういう女じゃねぇだろ)
アスランという人間は、レオンにとって女ではなかった。
レオンの中で、女というのはか弱く、守ってやらねばならない存在である。貴族の娘等のように着飾って大人しくしているか、屋敷のメイドのように細々と働いているか、そうでなくてもとにかく弱い。頼りにはならない。そんなものだ。
アスランは違った。か弱いなどとは対極にある。剣で自分を打ち負かしてくるほどなのだ。
思い出すだけでイライラしてくる。見かけたら文句の一つでも言ってやらねば気がすまない。アスランは、レオンの対抗心をいやというほど刺激してくるのだ。
見た目じゃない。顔貌やスタイルじゃない。
品のいいアーモンド形の目をしていることはすでに知っている。形のいい鼻。乾燥しがちな唇は薄く、感じは悪くない。
手入れなんて絶対していないのだろうが、肌は意外ときめ細やかだ。
訓練生時代に短かった髪は次第に伸びて、依然は少年のように見えたのに、今は多少、ほんの多少だけ、女らしくなったと言えなくもない。
手足がスラリと長く、剣を持たせればその身体は羽根のように軽く動いた。
かつては剣舞が苦手なんて嘘だろと思っていた。
いざ実戦となれば、アスランは誰よりも美しく闘う。剣の切っ先までが彼女の身体の一部のように自在に動き、向けられる攻撃をいとも簡単に受け流した。柔らかな体躯はどんな体勢からでも反撃の機を生み出し、それはまるで踊っているようにも見えるのだ。
といってもまあ、今となっては剣舞が苦手というのが嫌というほどわかったが。
多分あれは、本を読んで学ぶというようなものがダメなのだろう。そういえば訓練生時代、アスランは座学もダメだった。頭が悪いというより要領が悪い。
ただそれでも、アスランは一生懸命だった。平民で、女で、多分それだけでもレオンたち貴族の子息よりかなり出遅れるのであろうが、アスランは腐らなかった。努力なんて汗臭いことを不満など一切漏らさずやってのける。
その真っ直ぐさがレオンのどこかを刺激した。成績優秀ともてはやされ、才能豊かと誰もに賞賛される自分をアスランは歯牙にもかけない。そうして剣の実力はアスランがレオンの上を行く。
あっちの方が本物だ――そんな考えがアスランを目にする度にレオンの脳裏を掠めていく。
そうして同時にチリつく胸の端が、何とも居心地が悪いのだ。