王国祭⑤
神舞は中盤、剣と槍を交えた複雑な舞へと変化する。ざわざわとした胸に息を詰めながら見守っていたレオンの眉間の皺が緩んだのは、アスランが剣を手にしてすぐだった。
神舞は秘伝だ。代々巫女のみが披露する舞で、貴族だろうが平民だろうが、その詳細な作法はわからない。語り伝えられている神舞のストーリーだとか、舞踊の大まかな順番くらいは把握しているものの、細かな脚や腕の捌きなどは手解きをしている舞踊師範くらいしか正確には知り得ないだろう。
が、しかし。剣舞になって数十秒。レオンの首はやや傾いた。
(妙な動きだな……)
という素朴な疑問が頭に浮かんだからだ。
祭祀の際、主に騎士隊が担当する剣舞には型がある。基本の型と言われるものは幾種類もあるが、例えば『突き』と言われる型の場合の足の位置と向き、腕の突き出しの高さや手のひらの上下の向き、こういうものは決まっているのである。
つまりそれは神舞になってもおそらく同様と思われるのに、アスランの剣舞は知っている動きのようでいて、しかしなぜか絶妙に足の動きや位置が異なっている気がした。
(……アイツ、まさか)
拍が取れない、そう言っていた気がする。動きはわかっても舞踊記号が読めないのだと。猛勉強はしたはずだが、レオンとの剣舞のときはとにかく散々レオンが見本をやらされて、実際目で見て身体で覚える、そんな感じだった。
(いやでも、基本の型はかなりマスターしてたはず)
神舞だけは型も何もなく独特なのかもしれない。その証拠に群衆は先程同様アスランの舞踊に飲まれているし、チラリとヒューイを伺っても違和感を覚えている風ではない。
(メイソンは?)
探したのはきっと舞台近くに控えているであろう舞踊師範のメイソンだ。チラと視線を奥に向けただけで件の人物は見つかった。舞台横の楽隊の前方に背筋を正した美しい姿勢で座っていた彼だったが、顔だけはなんともいえない表情をしている。どことなく不満気と言えなくもないような、とりあえず最高の出来を披露している教え子を見つめる目つきではない。
(なるほど……。だからここまでノリノリってことか)
あの舞踊の苦手な女がなぜここまで軽やかなのか、それが理由。一時はひどい落ち込みようにレオンもかなり心配した。それがこんなにも美しく、見事なまでに音に合わせて動けている訳は。
『大まかに覚えて、あとは感覚ってことにした』
いつだったか一緒に食事をした夜、そういえばそんなことを口にしていた気がする。
要は型を無視して動きやすいように動いている、そんなところだろう。
(いや、まあ、わかってる奴なんてほぼいるはずないしな。こんだけ動けてるならそれはそれでいいか……)
型にとらわれて動けないより、細かな部分には目を瞑って、生き生きと舞える方がいいに決まっている。その証拠に観客は誰もがみな心酔したように巫女を仰ぎ、神舞に魅入っていた。
師範のメイソンの何とも言えない表情が、今になって笑える。どれだけ教えても飲み込みの悪かった弟子が、教えたこととは違った風に、それでも見事という他ない出来を見せてくれたら、あんな顔にもなろう。
嬉しいような情けないような、褒めるべきなのか何なのか、やや複雑な心境だろう。
(突然出来すぎだと思った……)
獲物が槍に変わった舞を眺めつつ、レオンはほんの少し表情を緩めた。そうしてアスランが剣と槍の複雑な舞を披露するのをしばし眺める。粗探ししたいわけではないので、型がどうとかはもう考えなかった。これだけ華麗に舞っているのならば、手や脚の向きなど気にして何になる。
立派だ。アスランは巫女として立派にやっている。皆があまりにアスランに夢中なことがどうにも面白くはないのだけれど、よく頑張ってここまでの域に持ってきたなと心の底から拍手を贈りたい心地がした。
ついに神舞がクライマックスを迎え、巫女は静かに踊りを終えた。
巫女に乗り移るは武と豊穣の女神。
ラストは国宝である宝剣を係の者が巫女へと捧げ、巫女がこの国の武に祝福を与えて終わりだ。
ワッと会場が湧いたのはその時だった。
誰も彼もが巫女に魅入って変に静かだった会場が、前方端から瞬く間に歓声が広がる。
(嘘だろ!? カイン王子……!?)
宝剣を持って登場したのは民衆人気が飛び抜けて高い第3王子だ。美しい金色の髪を靡かせて、彼は踊りを終えた巫女の前に跪いた。恭しく頭を垂れて、両の手で宝剣を女神へ捧げる。
(まさか王族が……カイン王子自ら……)
いくら宝剣といえど、皆の前で跪き頭を下げるのだから、係の者は近衛隊の誰かであることが通例だった。王族なんてもってのほか。地に膝をつくなんてこと、王族がするはずがない。
しかも今年は平民の巫女。平民に、王族が跪いている形になる。
(巫女を平民に、言い出したのはカイン王子って話だったか)
平民の巫女に箔をつける狙いだろう。巫女として舞った彼女は女神の化身であり、そう考えれば王族が頭を下げてもおかしくはない。
宝剣を受け取ったアスランは一度ゆっくりとそのまま額の付近まで持ち上げ、ついで顔を上げた王子から少し下がった。
剣を引き抜くため、刀身が王子の身に及ばないよう配慮されているのだろう。
考えてみれば、ここで巫女が王子に斬りかかることもできるわけだ。もちろんアスランがそんなことをするはずはないだろうが、王子がその危険を冒してまで、この役を買ってでている。発案者であるカイン王子もまた、この試みを成功させてやろうと覚悟を決めていたのだろう。
アスランは丁寧な所作で鞘から剣を引き抜いて、片手でスッと空に向かって切っ先を掲げた。
磨かれた刀身にキラキラと太陽の光が反射する。
観客も、跪いたままの王子もまた宝剣の切っ先に視線を注いだ。この国の繁栄が間違いないと本気で思えるような、そんな神聖な一幕となった。
ワァァァッと揺れるような歓声の中、神舞の全てが終了した。
アスランは宝剣を鞘に戻すと、跪いた姿勢のままの王子に些かはにかんだような、柔らかな笑顔で剣を返した。
受け取る王子の表情もまた、よくやってくれたね、と労うような、ひどく優しい顔をしていた。
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